嫌われ将軍(おっさん)ですがなぜか年下の美形騎士が離してくれない

天岸 あおい

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1巻

1-3

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 の猛将はとにかく一騎打ちを好んだ。
 兵を引き連れて上手くこちらの軍を四散させた時など、普通ならば、将である自分を別隊に追い詰めさせて討たせるはずなのに――

『ガイ・デオタード! いざ尋常に勝負!』

 そう言いながら、それはもう嬉々として鷹のような鋭い目を輝かせ、猛将はいつも真っ正面から挑んできた。彼の渾身の一撃を剣で受け止めた日は、しばらく両腕のしびれが取れなかったものだ。
 猛将ゲイン・カレロ。
 大柄で筋骨隆々とした大熊のような男だ。しかし常に楽しげに戦いを挑んできていたせいか、何年も命のやりとりをしてきたというのに憎めない男でもあった。

「――さま……ガイ様!」

 エリクに呼ばれてガイは我に返る。
 戦は終わり、両国の間には和平が結ばれた。の猛将と剣を交えることはもうないのだと少し寂しく思った後、ガイはエリクを見た。

「なんだ?」
「実は先ほど、隣国の砦の上に光るものが……望遠鏡でこちらを見ていたようです」

 スッ、と表情を引き締めると、エリクが馬を寄せてガイにささやく。

「もしかするとガイ様だと気づかれたかもしれません。何か仕掛けてくる恐れもあります。早くここを離れましょう」
「ああ。和平を結んだ以上、襲われることはないと思うが……長くここにいれば、いらぬ誤解を生んでしまいそうだな」

 互いに頷き合い、馬を歩かせて国境をまたぎ、サグニア王国に入る。
 そのままおとなしく下り道が続く森の中へ進もうとしたその時だった。
 一頭の馬が駆けてくる足音と、鋭く通った声が迫ってきた。

「ガイ・デオタード将軍! よくも平然と我が国に足を踏み入れることができたな!」

 ガイが振り返るよりも早く、エリクが前に出ていた。

「下がってください、ガイ様!」

 ギィィィンッ! と剣が交わる音が辺りに響く。
 自分よりも先にエリクが対応できたのは、心から警戒を怠らなかった証だ。これが初めてではない。従者をさせていた時も何度もガイよりも先に攻撃に気づき、前に出て受け止めた実績がある。もしエリクが動かなくとも自分で対応できたが、経験豊富な自分よりも早く動けるエリクは末頼もしいと、日頃からガイは感心していた。
 余裕が生まれてありがたいと思いながらガイは馬を走らせ、戦闘の渦中から距離を取り、旋回して衝突の全貌を目にする。
 エリクが剣を受け止めてり合っているのは、長い赤髪をなびかせた中性的な顔の男だった。顔だけ見れば、高貴な令嬢と見間違いそうなほどの美しさだ。しかし骨格やり合う力強さは紛うことなき男性のものだ。
 ふと、彼の深緑の瞳と目が合った。
 途端に男は悪鬼のごとく目を吊り上げ、歯を剥き出しにして怒りをあらわにした。

「ああっ、いつ見ても憎らしいその顔……っ! 今日こそは貴様の命を我が手で散らしてみせる!」
「そうはさせない! ガイ様にあだなす者は、たとえ王であろうが軍神であろうが、私が許さない!」

 襲撃者がなぜここまで自分に怒りを向けているのかも、エリクの猛火のような気迫も、ガイには理解ができず首をかしげる。

(なぜ赤髪の彼は俺を目の敵にする? それとエリク、王も軍神も尊きものだ。いくらたとえでも口にしていいものじゃない)

 心の中で呟いた後、ガイは愛用の剣を抜いて静かに構えた。
 ぽん、とかかとで馬腹を蹴ると、戦う二人に向かって走らせる。
 ガイの切っ先が狙うのは襲撃者の手綱だ。
 ブゥンッ――軽く振った剣の先が、巧みに動かしていた手綱を断ってしまう。

「うわっ!」

 襲撃者が体勢を崩して落馬する。その直後、ガイはエリクに素早く目配せした。

「行くぞ、エリク。着いて来い」
「は、はい!」

 馬の脚を止めず、ガイは森へ続く坂を下っていく。エリクも戦意を昂らせたまま、共に馬の動きを揃えて続く。
 ガイがわずかに背後を向いて確認すると、あっという間に襲撃者は見えなくなった。追いかけてくる気配はまだない。
 代わりに言葉が飛んできた。

「この泥棒猫がっ!!」
(……なぜ泥棒猫? 俺が彼から何かを奪ったというのか?)

 あんなに見事な赤髪と綺麗な顔、一度見れば忘れることはないだろうとガイは思う。
 だから理解できない。あの男と会ったことはないはずなのに、なぜ泥棒呼ばわりされたのか。ガイにとっては謎すぎた。

「あんな見当違いの逆恨みをする愚か者、始末しなくてもいいのですか?」
「ここはもう隣国で、襲ってきた者も隣国の軍服を着ていた。下手に相手をして倒せば、和平が崩れて母国に迷惑がかかる。逃げるのが正解だ」

 国境を離れれば、もうあの赤髪の彼と会うことはないだろう。そう考えてガイたちは馬を走らせる。風を切り、森の深い緑の中を疾走させていく。

(……後ろから嫌な気配がするな)

 ガイは唐突に手綱を引いて馬の脚を止め、耳を澄ます。エリクもすぐにガイを真似ると、忌々いまいましげに顔をしかめた。

「これは……追って来ていますね。しかも騎馬兵を連れているようです」
「厄介だな。ただこの地を通りたいだけなのだが……」

 わずかに目を細めた後、ガイは素早く愛馬から降り、手荷物を外した。

「すまないが、このままお前だけで走ってくれ。俺を探さなくていい。無事に逃げ切るんだ」

 話しかけると馬は言葉を理解したかのように、小さくいななく。
 ガイの意図を察したエリクも自分の馬から降りて荷物を手にすると、馬首を撫でて労った後に「お前も行ってくれ」と話しかけた。
 各々が馬の臀部でんぶを叩くと、二頭はあるじを乗せずに道を下っていく。
 その背を見やって愛馬の安否を確かめたガイは、エリクと共に道を逸れ、森の木々の中へと進んでいった。


 道なき道を迷いなく歩くガイの後ろを、エリクは何も言わずについて行く。
 しばらくして二人の姿が完全に草木に囲まれ、開けた所からの光が途絶えた頃、エリクが小声で話しかけてきた。

「ガイ様はこの辺りに土地勘がおありなのですか?」
「ああ。砦を拠点にして戦い続けていたからな。ここをもう少し先に進めば洞窟があるから、今日はそこに身を潜めよう」

 ありがたいことにここ何日か雨は降っておらず、落ちた葉や枝は乾いている。洞窟の近くには大きめの川も流れており、川原には火打に使える石が落ちている。水も食料も確保できる状況だ。潜伏して野宿するのは、ガイにとって自分の屋敷で過ごすよりも容易たやすいことだったが、今は気が進まなかった。
 歩きながらガイはぼそりと呟く。

「エリク、できれば君に負担をかけたくはなかったが……俺のせいで追われる羽目に陥った上に、野宿まですることになってすまない」
「謝らないでください。ガイ様は何も悪くないじゃないですか。あの妙な赤髪男が勝手に襲ってきたせいですから」
「しかし、彼の目的は俺だった。もし見つかった時は、俺を置いて逃げてくれ。必ず君が逃げ切れるように食い止める」

 将軍に任命され多くの兵を指揮する立場になっても、剣の腕がなまらないようにとガイは訓練を怠らなかった。一騎打ちにも幾度となく応じてきた。赤髪の男は腕に覚えがあるようだったが、負ける気はまったくしなかった。
 追い駆けてきた兵を、数十人ほど相手にするぐらいなら問題ない。
 だが、エリクは首を横に振り、目を据わらせながら口を開いた。

「ガイ様を置いて逃げるなんて、絶対に嫌です。むしろ私がおとりになりますから、ガイ様が逃げてください」

 エリクがまったく譲らず、ガイは面食らう。
 そういえば戦で自分が最前線に立とうと駆すれば、エリクは必ずついて来て、背中を守ろうとしてくれたことをガイは思い出す。
 戦況に合わせて作戦と違う動きを取っても、エリクだけは自分の動きに気づき、どんな死地でもついて来た。敵の剣や矢から何度も守ってくれた。そのたびにガイは感謝を告げたが、いつも返事は「いえ、当然のことをしたまでです」と素っ気なかった。
 軍の中なら兵は将を守って当然だが、今は対等の立場だ。共に死地で足掻く必要はない。そう考え、ガイはエリクを説得しようと振り返る。

「いや、君は逃げるんだ、エリク――」

 だが、険しくも熱を帯びたエリクの目が、ガイに言葉を続けさせてくれなかった。

「逃げません。その時は必ず私に守らせてください、ガイ様」

 まったく折れないエリクの頑固さに、ガイは目を見張る。
 仮にも英雄の称号を与えられた将軍を相手に、まだ部隊長にすらなっていない若い騎士が口にする言葉ではない。
 本来なら侮るなと怒り、一蹴いっしゅうするものなのだろう。しかし不思議とガイの中に怒りが生まれることはなかった。

「そうか。ならば共に戦うしかないな」
「はいっ! どうか頼りにしてください」

 嬉々として即答するエリクが、ガイには新鮮だった。
 軍の中の将と部下のままだったなら、こんなやり取りは絶対にできなかった。
 今、自分は大きく年が離れたエリクと対等でいるのだと実感が湧いて、ガイの胸はほのかに熱くなる。

(……何かを背負わなくてもいいというのは、案外と嬉しいものなのだな)

 思わずガイの顔に穏やかな微笑みが浮かぶ。
 途端にエリクは身を強張こわばらせ、なぜか横を向き、近くの木を叩き出した。
 共に王都を出てから五日が経過したが、未だにガイは、突然始まるエリクの奇行がさっぱり理解できなかった。


   ◇ ◇ ◇


 日が暮れる前に洞窟に到着した二人は、食料と水を調達し、川で汗を流した。服を脱いで川に入った時、妙にエリクに距離を取られたが、視線だけは絶えず感じられて不思議でならなかった。
 今は焚き火で体を乾かしながら魚や肉を焼いている。
 いつ野営してもいいように荷袋に入れていた岩塩を、ガイはナイフで削っていく。それを皿代わりの大きな葉の上に載せた食材に散らし、肉片を摘んで味見すれば、濃厚な肉の旨味と肉汁が広がった。

「うむ……上出来だ。エリクの分はこっちだ。まだ熱いから気をつけてくれ」

 ガイは隣に座るエリクに、葉の皿ごと野営食を渡そうとする。
 焚き火に照らされたエリクの顔がやけに赤く、表情はどこか夢見心地といった様子だ。「エリク?」と名を呼ぶと、ハッと我に返って食事を受け取ってくれた。

「あっ、ありがとうございます……ガイ様、料理されるのですね」
「意外だったか? 物心ついた頃から両親がいなくてな。面倒を見てくれていた老夫婦の手伝いをする中で身につけたんだ」

 話しながらガイはナイフで肉をいで口に入れる。
 他愛のない話だと思ったガイだったが、エリクの空気がやけに張り詰めたような気がして様子をうかがう。

「何かおかしなことを言ってしまったか?」
「い、いえ。私が物心ついた頃には、ガイ様はもう将軍でしたから。将軍ではない時があったということが新鮮で……」
「ああ、なるほど。エリクは今いくつなんだ?」
「先月二十二になりました」
「俺が将軍になった年齢と同じか……そうか、ちょうど俺とは二十歳違いになるな。確かにエリクが見知っているのは将軍としての俺だけか」

 もし早くに妻をめとって子どもを作っていれば、今頃はエリクぐらいに成長しているだろう。自分はそんな年齢になったのだと急に実感が湧き、ガイは時の流れに思わず息をつく。

「まあ十二歳で軍に入ってからは、ひたすら訓練と戦の日々だったから、今とあまり変わらないな。先王陛下は俺が大きくなっても、子どもを可愛がるように接してくださったし……本当に、変わった気がしなかった」

 今は亡き先王をガイは思い出し、フッと視線を落として口端を引き上げる。
 先王がガイを目に留めてくれたのは、初めての戦で敵の副将を倒した時だった。
 まだ実戦を重ねていない少年兵が大きな戦果を挙げたと評判になり、それに興味を持った先王に顔を見たいと謁見の間に呼び出された。
 何も知らない自分の無作法に先王が怒ることはなかった。むしろ終始嬉しげで戦の様子を聞きたがった先王の顔は、自分よりも遥かに年上だったはずなのに、幼い子どもがはしゃぐように無邪気だった。
 その後も先王はいつ会ってもそんな顔を見せ、友達に接するように近い距離で肩や腕に触れ、会えて嬉しいという喜びを溢れさせていた。
 今まで生きてきた中で、唯一自分を気に入り、可愛がってくれた人。
 この先、きっと死ぬまでそんな人は現れないだろう――とガイが考えていると、エリクがぼそりと呟いた。

「……あれだけあからさまに接していたのに、子ども扱いされているとしか思っていなかったなんて。信じられない」

 何を言っているのだろうかとガイが首をかしげていると、エリクは呪文でも唱えるようにブツブツと呟き続けた。

「もしや周りはずっと勘違いしていた? あれだけのことをされてもなびかない姿を見て、誰が行っても上手くいくはずがないと……ならばいっそ誰のものにもならないと割り切って、尊い御身を守ることに専念していたと考えれば――」
「エリク、何を言っているんだ?」
「――はっ、すみません。ちょっと考え事が止まらなくなりまして」
「君はたまに不思議な状態になる時があるが……どうして今、そんな人生最高の幸運でも掴んだような表情をしているのか、理由を聞いてもいいか?」

 どう考えても、エリクが喜び興奮するようなことは話していない。
 それなのに目の前の彼は、今まさにこの世の春を謳歌していると言わんばかりに顔を輝かせ、さらに満面の笑みまで浮かべている。

「たった今、私の目の前にそれが現れたからです」
「い、今? 今なのか?」
「はい! こんなに生きていて良かったと思う日が来るとは思いませんでした」

 にこやかにそう言い切ると、エリクは受け取った食事をどんどん口に運んでいく。早く食べる割には、一口一口を堪能して美味しさを深く噛み締めているかのような、とろけた顔を見せていた。
 やはりエリクを理解できない。考えても理解できない場合は、『エリクとはこういう人間なのだ』と丸々受け入れたほうが早いと、ガイは今までの経験で悟っていた。
 度胸と野心のある変わり者。それがエリクなのだと認識して、ガイも食事を進めていく。
 認識が噛み合わないゆえの居心地の悪さを覚えたのは、ほんの少しの間だけだった。

「ガイ様の手料理、最高です! 塩加減も焼き加減も絶妙で、むしろ塩のみの味付けが素材の味を引き出しているというか! こんなに美味しい焼き料理は初めてです」

 それはもう美味しくてたまらないという様子で、ガイが焼いた肉をエリクは褒め称えてくれる。目上の人間に対するお世辞かもしれないが、戦い以外のことで、ここまで喜んでもらえたのは初めてかもしれないとガイは思う。
 何より勘当されたとはいえ、貴族の令息であるエリクが、こんな簡素な食事を心から楽しんでいるということが妙に嬉しかった。

「……魚も焼けたぞ。食べるか?」
「はいっ、ありがたく!」

 木の枝に刺して焼いた魚をガイが差し出せば、前のめりにエリクが受け取ってかじりつく。勢いよく食べていく様を見ていると、何日も絶食して飢えている者に食事を恵んだような気分になってくる。

「そんなに焦って食べなくても、俺とエリクしかいないんだ。誰にも取られないから、落ち着いて食べてくれ」
「仰っていることはわかりますが……んっ……美味しすぎて食べる手が止まりません……っ」

 言いながらエリクは上手に骨だけ残して魚を食べていく。表情だけでなく、食べる速さや、食べた後の残骸の綺麗さからも、口先だけの褒め言葉ではないとガイは理解する。
 追っ手から逃げるための潜伏という状況にもかかわらず、エリクの料理への褒め殺しが、ガイの腹も胸も満たすひとときにしてくれた。


 完全に日が落ち、辺りが闇に包まれる。洞窟の外からは、山鳩やフクロウの声や無数の虫の音が風に乗って聞こえてくる。
 ガイたちは火をなるべく小さくし、追っ手に気づかれにくくした上で休もうと、岩壁に背を預け、目を閉じていた。
 ぶるり、とガイの体が震える。昼間よりも気温が下がり、冷たさを帯びた風が洞窟に入り込み、ガイの肌を撫でていく。
 荷物に入れてあった外套をかけてはいるが、寒さは完全に防げない。徐々に手足の指先が冷え切っていくのを感じて、ガイは眠ることができなかった。
 自分でこの状態なのだ。エリクはさぞ辛いだろう。
 ガイは一人分ほど間を空けた隣で、壁に背を預けて寝ようとしているエリクに声をかける。

「エリク、眠れそうか?」
「あー、その……ちょっと難しいかもしれません」

 やはり体が冷えて眠れないのだと合点がいき、ガイはおもむろにエリクとの距離を詰めた。

「それなら体をくっつけ合って、温まりながら寝よう」
「……え?」
「俺が近くにいては逆に暑苦しいかもしれないが、寒さで眠れないよりはマシだろう」

 エリクの返事を待たずに肩を並べると、すぐに温もりが伝わってきてガイは小首をかしげる。

「なんだエリク、冷えている訳ではないのか。体温をしっかりと保てるのは若い証拠だな」
「……っ、え、ええ、熱い――いえ、寒くてたまりません!」

 言うなりエリクはガイに両腕を巻き付け、自分の胸に押し付けるように深く抱き込んだ。

(……なんだこれは?)

 エリクの体は温かい……を通り越して、熱い。ガイの体が一瞬で火照ほてる。
 突然の包容にガイが驚いていると、エリクの手が頭に回り、そのまま優しく撫でられた。

「エリク、何をする? 俺を温めようとしているなら、気持ちは嬉しいが――」
「どうかこのままで、ガイ様。お顔が冷えています……気づけずに申し訳ありません」

 耳元でささやかれて、思わずガイの肩がびくんと跳ねる。
 ガイが考えていたのは互いにみっちりと並んで隙間をなくし、二人分の外套をかけて寒さをしのぐ方法だ。こんな一方的に抱きすくめられるのは想定外だった。
 こんな時にエリクの奇行が出てしまうとは、とガイは悔やむ。身動きが取れずどうしようもできない。
 ゆっくりとエリクの手が、ガイの頭から背中へと移り、撫で下ろしていく。もう片方の手ではガイの冷たくなった手を取り、指先を温めようと握ってくる。
 それだけでももう十分だと言いたくなるのに、さらにエリクはガイの顔に頬を合わせてくる。その触れ方があまりに優しくて、ガイの胸が詰まりそうになる。
 ざわざわざわ、と触れられた所が妙にうずき、ガイの鼓動が走り出す。こそばゆくて暴れたいような、今すぐこの場を転げ回りたくてたまらないような気分になってしまう。

「ま、待ってくれ。一旦離れよう。熱くてたまらない」

 身に覚えのない感覚にしどろもどろになるガイに、エリクが少しだけ顔を上げ、間近で見つめ合おうとしてきた。

「熱い……それだけですか?」
「もちろん違う。落ち着かないし、なんというか恥ずかしい」
「……私を叩きのめして、剣の露にしてしまいたいほど嫌ではないと?」
「まあ、剣を抜いて斬りつけたいとは思わない」

 ガイが素直に答えると、エリクが吐息を漏らした。

「ああ、良かった。見込みがありそうで……」
(見込みってなんのことだ?)

 こんな時に理解できないことを言われ、ガイは混乱して動けなくなる。
 不意にエリクの手がガイの頬に添えられる。何をされるのか予想がつかず、ガイが体を固まらせていると――

「見つけたぞ、ガイ!」

 突然、洞窟の中が明るくなり、聞き覚えのある濁った大声が飛び込んでくる。
 咄嗟とっさにガイは離れようとしたが、エリクに力ずくで腕の中に閉じ込められてしまう。まるでお気に入りのオモチャを奪われまいとする子どものようだ。
 無遠慮な足音と大柄な影が洞窟に入ってくる。
 松明たいまつを持ったその大男は、ガイたちの前に立つ。そして勢いよく頭を下げた。

「オレの部下が悪いことをした。申し訳ない!」

 予期せぬ言動に、ガイとエリクは顔を上げて大男を見る。
 何も知らないエリクは呆気に取られるばかりだが、ガイは違った。

「ゲイン将軍、なぜこのような場所に貴殿が?」

 その声、立ち姿、存在感。唯一無二と言っても過言ではない彼の容姿を、見間違うはずがなかった。
 何年も剣を交え、命をかけて戦い続けた敵将ゲイン・カレロ。こうして顔を合わせるのは数年ぶりだが、見た目は以前と同じ筋肉の鎧を着た大熊だ。
 しかし大きく見開いた目には、戦場で見てきたような殺気混じりのギラつきはない。ガイと同年代のはずだが、その目は宝物を見つけた子どもと同じ澄んだ輝きを放ち、大きな口は喜びに緩んでいるように見えた。

「この一帯はオレの領地なんだ。この森の近くに屋敷があるんだが、夕方にお前の愛馬が来てな。それでお前が来ていると思って、砦を任せていたラヒュを問いただして捜しに来たんだ」
「ラヒュとは、赤髪の男か?」

 ガイの問いかけにゲインは大きく頷く。

「ああ。オレの副将だ。お前と戦っていた時、オレが一騎打ちできるように兵を先導していた男だ」

 副将ラヒュの名だけなら、戦の時にガイは耳にしていた。
 痩身そうしんでしなやかな体つきだが、ゲインと同じ勇猛果敢な戦いぶりだと聞いていた。直接戦うのはゲインばかりだったせいで、ガイはラヒュを今日初めて認識した。
 そのラヒュがなぜ自分を見て激昂し、襲いかかり、泥棒猫呼ばわりしてきたのだろうか?
 尋ねてもいいものかとガイが迷っていると、ゲインはわずかに苦笑を浮かべながら話を続けた。

「もう敵国ではないのに私情で襲いかかるなど、本来ならあってはならないこと。ガイ・デオタードとその従者に謝罪する。本当にすまなかった。どうか我が屋敷でもてなしを受けてくれ」

 ずっと命をかけてり合ってきた相手に、こんな形で救われる日が来るとは。
 時の流れと、本当に敵国ではなくなったことを実感しながら、ガイは心から安堵して頷いた。

「感謝するゲイン将軍。その言葉に一晩だけ甘えさせてほしい」
「一晩と言わず何日でも過ごせばいい。ガイ将軍とは前からじっくり話がしたかったんだ。ラヒュの奴が口うるさく言ってきそうだが、そこはまあどうにかする」

 一瞬ゲインの目が泳ぎ、豪快さが弱まる。どこの将軍も副将には弱いものなのだろうとガイが共感していると、不意にエリクの腕に力がこもる。
 もう危機は去ったのだから、そろそろ解放してくれていいだろう。ガイがエリクの腕を軽く叩いてその意思を伝えると、ようやく締め付けを緩めた。
 しかし体を離してエリクの顔を見ると、襲撃の心配はなくなったというのに険しく、表情が苦しげに曇ったままだった。


   ◇ ◇ ◇


 ゲインの案内で森を抜けて屋敷に到着する頃には、ガイたちの頭上に三日月が昇っていた。
 建物の中に入る前に、庭のほうからブルルと馬のいななきが聞こえてくる。もしかしてと思い、ガイが目を向けると、二人の愛馬が餌と水を与えられてもてなされている最中だった。

「ゲイン将軍、本当に感謝する。あの馬は長年の友なんだ。二度と会えないだろうとも覚悟していたのに……」
「原因はこちら側にあるんだ、恩は感じないでくれ……あの馬がここに着いた時、とにかく来てくれと屋敷の者やオレの服を引っ張っていた。あれは主人思いの良い馬だな」

 厩舎を見やった後、おもむろにゲインはガイに近づき、話しかけてくる。

「ここを出る前に、屋敷の者に部屋の用意を頼んでおいた。今晩はゆっくりと休んでくれ。朝はこの地域の名物を振る舞うから、楽しみにしていてほしい」
「何から何までかたじけない、ゲイン将軍」
「ゲインでいい。オレもガイと呼ばせてもらう。かつては敵同士であったが、あれだけ何度も顔を合わせていたんだ。オレの中では戦友だ」

 快活に笑うゲインにつられて、ガイも顔が緩む。

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