百合短編集

南條 綾

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13 奴隷の薔薇 メリバ

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 かつては自由な戦士だった。青い空の下、風に髪をなびかせ、剣を振るう日々。
故郷の丘で花を摘み、妹たちと笑い合う。
だが、戦争がすべてを奪った。帝国の軍勢が村を焼き払い、家族は灰となった。
私は捕らえられ、鎖に繋がれ、遠い都の闘技場へ送られた。奴隷剣闘士。それが今の立場だった。

 闘技場は地獄そのものだった。砂埃が舞い、観客の咆哮が耳を裂く。
貴族たちの酒宴の余興、私たち奴隷の血が彼らの娯楽を彩る。

初戦の日、私は震えていた。相手は巨漢の男、鎖帷子を纏い、斧を振り回す獣のような男。私の剣は軽く、細身の体躯は彼の影に飲み込まれそうだった。

 闘技場に足を踏み入れる前、私は見た。
あの忌まわしい一戦を。巨漢の男が、弱々しい女性剣士と対峙する試合を。

 彼女は細い剣を握り、必死に構えていたが、男の斧は容赦なく空を裂いた。
だが、彼は殺さなかった。わざと刃を逸らし、彼女の腕を浅く斬り、足を払い、抵抗力を少しずつ削ぎ落とす。
砂に倒れ、息を切らす彼女の体を、男はゆっくりと追い詰めた。
観客席から、貴族たちの笑い声が降り注ぐ。あの嘲るような、獣じみた笑み。
ワイングラスを傾け、指を鳴らす音が、砂の上に響く。

 女性の目は、悔しさで燃えていた。
唇を噛み、涙を堪え、這うように逃げようとする。
だが、男は彼女を捕らえ、地面に押し倒した。男の目にも、涙が光っていた。
泣きながら、震える手で彼女の服を剥ぎ、慰み者とする。

 抵抗する彼女の叫びが、闘技場の風に掻き消される。あの光景が、私の胸を抉った。
男もまた、奴隷。強制された残虐の鎖に縛られ、心が砕け散る音が聞こえたようだった。
私はそうならない。絶対に。心の奥底に、その誓いを刻み、闘技場に向かった。
自分の刃で、己の運命を切り開く。誰かの玩具になるなど、許さない。


 私は対峙して構えた瞬間。
始めの合図の前に、相手は突っ込んできた。
相手の斧が空を裂き、私は転がるように避けた。
砂が口に詰まり、息が苦しい。
反撃の隙を狙い、足元を払う。
男が膝をついた瞬間、剣を喉に突き立てた。
血が噴き出し、私の顔を濡らす。観客の歓声が爆発した。
私は吐いた。自分の意志とは関係なしの殺しは初めてだった。
なんだか自分の魂を削る痛みを感じた。

 それから戦いは続いた。日々、相手を変え、命を賭ける。負ければ死か凌辱、勝てばいくばくかの生。そしてまた次の死か凌辱を待つ。

 私の体は傷だらけになった。左腕の古傷は、雨の日に疼く。
右の太ももには、槍の痕が残り、歩くたび引き裂かれるような痛みがあった。
だが、生き残るためには勝ち抜くしかなかった。
相手の命を糧として私は生き抜いて見せる。

 夜の独房で私は一人、壁に寄りかかった。
血の臭いを嗅ぎながら眠れぬ時を過ごした。
何人の奴隷が死んだんだろうとふと頭によぎったり、夢に家族が出てくる時もあった。
妹が手を伸ばすのに、届かない。目覚めると、鎖の音だけが響く。
そんな悪夢を

 そんな日々に、彼女が現れた。
名前はリナと言った。同じ奴隷剣士。黒髪を短く切り揃え、鋭い瞳を持つ。
共同訓練の場で、私たちは剣を交えた。彼女の動きは流れるようで風のように素早く、私は押され、息を切らした。

「甘いわよ、アヤ」と、彼女の声は響いた。
あざけるように笑いながら言われた。
私は激しい怒りを感じたのだが、リナの顔を見るとその瞳の奥に、優しさが覗いた気がした。
訓練後、看守の目を盗んで話した。

「あなた、強いわね。でも、目が死んでる」

 彼女の言葉に、私は胸を刺された。
死んだ目? そうかも知れない。
家族を失い、毎日人を殺す私に嫌気を感じてたのは本当だった。
たくさん勝てば解放されるという話も聞いたことがある。
生き残ってどうすると自問自答した時もある。
私には帰る場所も愛する家族もなく、人をたくさん殺した。
その怨念が、私の耳に聞こえて来る時もあった。
もちろん幻聴だとわかっていた。
もう私には、生きる輝きなどない。
リナは違う。彼女も戦争の敗者だった。
隣の村出身で、兄を失い、独りで闘技場に立ったという。

「生き残るのよ。一緒に」そう言って、彼女は私の傷を手当てしてくれた。
独房の薄暗い灯りで、彼女の指が私の腕に触れる。
冷たい水で布を濡らし、優しく拭う。痛みが和らぐ。

「ありがとう」と私は呟いた。
彼女は微笑んでくれた。
久しぶりの温かな人の笑みだった。

 それから、私たちは近づいた。
同じ檻のような独房で、夜を共に過ごすようになった。
看守の巡回が緩い時間、互いの体を寄せ合い、囁き合う。

「今日の戦い、どうだった?」

 彼女の声が耳元で響く。私
は頷き、彼女の肩に頭を預ける。彼女の体は細く、でも力強い。
剣士の体躯、筋肉が柔らかく、私の肌に溶け込むよう。

「いつも恐怖は感じるわ、怖いわ。でも、今はあなたがいると、少しだけ耐えられる感じがする」
そう答えると、彼女は私の髪を撫でた。指先が首筋を滑り、ぞくりとする感覚が走る。微かな、甘い疼き。

 ある夜、傷が深かった。昼の戦いで、相手の剣が私の腹を浅く裂いた。
血が止まらず、独房の床に赤い染みが広がる。リナが駆け寄り、私の服をめくり上げた。

「動かないで」

 彼女の息が熱い。傷口を口で吸い、血を吐き出す。
彼女の唇が私の肌に触れるたび、痛みが溶け、代わりに温かなものが広がる。

「リナ……」私は喘ぐように名前を呼んだ。
彼女は顔を上げ、瞳を潤ませて私を見る。

「痛い?」

「ううん、大丈夫、治療も受けてたんだけどね。傷が開いたみたいで、応急手当てしてくれたありがとう」

本当は、痛い。でも、彼女の唇が優しい。
彼女は傷の周りを、優しく息を吹きかけるように撫でた。ゆっくり、丁寧に。
私の体が震え、息が乱れる。痛みと安堵が混じり、私は彼女の背中に手を回した。

「アヤ……」

 彼女の声が甘く、彼女も私の体に寄り添う。
互いの傷をなめるように、夜を慰め合った。唇が重なり、柔らかなキスを交わす。
塩辛い血の味と、温かな吐息。彼女の胸が私の胸に押しつけられ、優しい鼓動が伝わる。
指が互いの頰を撫で、髪を梳く。心の奥が温まり、涙がこぼれる。

「愛してる、リナ」


「私も……ずっと」
彼女も同じく、私を抱きしめながら囁く。
そんな夜が、私の癒しだった。戦いの合間に、彼女の存在が光を灯す。
朝、訓練場で剣を交えても、それは遊びのよう。互いの技を教え、弱点を補う。

「ここ、隙があるわよ」

 彼女が私の脇腹を突くと、私は笑って反撃する。
汗が飛び、息が上がる。だが、それは殺し合いじゃない。愛の延長のようなやりとり。

 昼の戦いで勝ち抜くたび、夜に彼女を抱きしめる。彼女の肌は滑らかで、傷跡さえ美しい。
私の指がその傷を辿ると、彼女は身を寄せる。

「くすぐったいよ」
そう言って、彼女は私を引き寄せる。
独房の粗末な床で、体を重ねる。彼女の唇が私の首筋に優しく触れ、耳元で囁く。息が熱く、吐息が絡む。

 私は彼女の腰を抱き、引き寄せる。
互いの温もりが溶け合い、汗が微かに光る。
指が肩を撫で、背中を優しくさする。心が満たされ、静かな喜びが広がる。
彼女の瞳に映る私を、ただ見つめ合う。

 月日が過ぎ、私の名は闘技場で知れ渡った。
いつの間にか「薔薇の剣士」と呼ばれるようになった。
血に染まる剣が、薔薇の棘のように美しいからだと聞いた。
リナも「影の刃」と呼ばれ、共に勝ち抜く。貴族たちは私たちを玩具のように弄ぶ。特別な試合を組む。獣との戦い、複数相手の乱戦。私たちは生き残った。

 だが、心のどこかで知っていた。この地獄に終わりはない。奴隷は永遠に戦う。自由など、夢物語。
そして、あの宣告が来た。
グループ分けされ、複数人がこの境遇から解放されるという。
自由になる者、貴族の寵愛を受ける者、
人としての権利を得られるという。
嘘だと思う。
それは私たちの生の願望を煽るためのただの餌だと頭の中でわかっていた。
だが、戦うしかない。私はリナと目で語り合った。

「一緒に勝とう」

 彼女の瞳が、優しく頷く。
予選を勝ち抜き、最終戦の日だと言われた。
貴族は約束を守るみたいだった。
王子が産まれたので、その余興として組まれた取り組みらしい。

 門が開き、熱と叫びが襲ってくる。太陽は無慈悲に照りつけ、砂が私の足を滑らせる
。リナと目が合った瞬間に、世界は二人だけになる。歓声は刃のように耳を裂くけど、耳はもうその音を受け止められない。

「アヤ…」

 声は震えていた。私の胸も震えていた。
剣を握る手が血で滑りそうになるのを感じながら、思考は全部、夜の薄暗い独房に戻る。
リナの指先、彼女の唇、吐き捨てるような優しさ。全部が私の中で鋭く疼く。

 合図の銅鑼。最初の斬り合いは瞬きの間に済む。鍔が悲鳴を上げ、火花が散った。
それ以上に心臓の鼓動が大きい。彼女の刃が唇の端をかすめたとき、私の口は血の味を覚える。
それでも次の瞬間には斬り返し、彼女の肩を裂く。皮膚が裂ける感触が、私の中に新しい叫びを生む。

「ごめん」と言葉が出る。
けれど、それは謝罪じゃない。呼びかけでもない。呪いのように、私たちの喉に絡まる。

 彼女も目の奥は真っ赤になっていた。
そこに浮かぶのは恨みでも憎悪でもない。私を見ている瞳は、殴られ続けた子供のように濡れている。
彼女のいる世界と私のいる世界がぶつかって、そこだけ火花が散る。

 二人で交わす一撃一撃が、過去の夜を引き戻す。
リナの笑い声、リナの愛情そしてぬくもり。
剣はそれらを容赦なく削ぎ落とす。腕が折れるような痛み、肩が砕けそうな鈍い衝撃、骨が軋む音。
身体のどこかが断絶するたびに、心のどこかも確実に裂けていく。

「なんで、こんなことに…」
私は吐き捨てる。彼女の返事は、鋭い突き。
剣が私の脇腹を深く抉る。熱が内側から噴き出し、足がもつれた。
血が砂に吸われて、模様になる。
流れる血の一粒一粒が、夜の思い出を染めていく。

 リナだって多分同じはずだ。彼女の呼吸は乱れ、頬は汗と血で張り付いている。
誰も見ていない場所で彼女が見せた笑顔を思い出すたび、胸が締め付けられる。
でもここでの笑顔は死を招く。
私たちは、生き残るという生存本能だけの為に、互いの命を削りあっていた。

 私は左腕に激痛を感じた。古い縫い目が裂けるような感触。
剣を落としそうになるのを、ぎりぎりで踏ん張る。
リナもまた膝から血を流していて、歩くたびに呻き声が出る。
けれど立ち止まるわけにはいかない。誰かが止めるわけでも、救うわけでもない。
ここで止まれば終わりだと、二人とも知っている。
中途半端な決着は許されない。
もしこんな状態で生き残ったら、私たちはたぶん生き地獄を舞っている。

 最後の瞬間は、ゆっくりとやってきた。
二人とも意識が薄れていく中、それでも今までの経験で体が動いていた。
彼女の剣が私の胸を裂こうとしていたが、神がかり的な反射でその一撃を躱し、そして私の剣が彼女の腹を貫いた。
誰が見ても決着がついた感じだった。
互いに感じるのは、熱と湿り、そして驚くほど深いこれでいいという静けさだった。

 リナはよろめき、一度だけ踏みとどまった。
血の気の引いた唇で笑った。強がりじゃない、私の知ってるあの笑い方だった。

 私は彼女を抱きとめ、胸の奥で何かが崩れる音を聞きながら、額を合わせる。
観客が吠え、冠が差し出される。世界はやかましいのだに、ここはいやに静かだ。

 彼女のまつ毛が震え、次の瞬間、力が抜ける。
私は、死にゆく彼女にキスをした。
塩と鉄の味。唇を離すと、頬を撫でる指がもう震えていない。

 そして私は勝った。勝利の名が呼ばれる。
砂が光って見える。私は立ち上がり、彼女の眠る場所の上に膝をつく。
観客の歓声は遠い。刃はまだ手の中にある。

私は、自分の首を切り、彼女が眠る場所の上で私も眠る。

ごめんねみんな
私は勝った。
精いっぱい戦って勝った。
これで許してほしい
私は彼女のもとへ行く
今度は私の為に
愛してる

闘技場の喧騒が、砂に吸われて消えていく。
重なった体温は、やがて同じ温度になり、夜がゆっくりと降りてきた。
二人の呼吸は止まり、風だけが、砂をかすかに撫でていく。
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