百合短編集

南條 綾

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48 初デートはアイススケートで

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 駅前のアイススケートリンクの前で、私は待っていた。
吐く息が白くほどけていく。手には小さな紙袋。朝早く起きて作った、チョコレートブラウニーが入ってる。
甘すぎないようにレシピを三回見直して、焼き加減も何度も覗き込んだ。
先輩、ブラウニー好きだといいなって、そればっかり考えていた。

 寒い。指先も、頬もじんじんする。
スマホを握りしめて、たぶんさっきから五分おきくらいに時刻を確認している。

「……遅れてる?」

 小さく呟いた瞬間、胸の奥に不安がじわっと広がった。
用事が入ってキャンセル、なんてこと、ありえるかもしれない。
そう思ったそのとき。

「綾ちゃん! ごめん、待った!?」

 人混みの向こうから自分の名前が飛んできて、反射的にそっちを振り向く。
明音あかね先輩がこっちに向かって走ってきていた。
頬は寒さと息切れで真っ赤で、マフラーは少しずれていて、コートの裾がばさばさ揺れている。
そんな姿を見た瞬間、胸の奥がきゅっとなった感じがした。
私に早く会いたくて走ってきてくれたんだって思ったら、顔の筋肉が一気にゆるんで、はにゃ~って変な顔になってしまう。

「電車が遅れてて……本当にごめん!」

 肩で息をしながら、先輩は何度も頭を下げかけて、でも途中で止めた。

「い、いえ! 私も今来たところだから……」

 口が勝手にそう言っていた。
嘘。本当は三十分前から来てる。
でもそんなの言えない。
ただ単に、私がひとりで興奮しすぎて、早く着きすぎただけだから。

 先輩は息を整えながら、私の顔をじっと見つめてきた。
視線がくすぐったくて、思わず目をそらしそうになる。
でも、その前にふっと笑ってくれた。

「可愛いね、そのマフラー。去年、文化祭で綾ちゃんが編んだやつだよね?」

「あ……」

 喉がきゅっとなって、うまく言葉が出てこない。

「……覚えててくれたんですね」

 やっとそれだけ絞り出すと、先輩は当然みたいな顔で頷いた。

「忘れるわけないよ。綾ちゃんが『先輩とお揃いにしたい』って言ってくれたんだもん。あのとき、一生懸命編んでくれて、嬉しかったんだ」

 そう言って先輩は、自分の首に巻いているマフラーの端を指でつまんで、ひらっと見せてくれた。
ちゃんと、今日もつけてきてくれている。

 それを見た瞬間、一気に顔が熱くなる。
寒さで冷えていたはずの頬が、内側からじんわり燃えるみたいだった。
私は俯いたまま、小さく頷くことしかできない。

「さ、行こう。今日は私が全部リードするから、綾ちゃんは私の手を離さないでね」

 先輩が当たり前みたいな顔で手を差し出してくる。
デートでこんなセリフ言われることあるんだって、頭のどこかがふわっとしびれた。
その指先は少し赤くて、爪の先まできれいで、目がそこに吸い寄せられる。
この手を取ったら、もう後戻りできないみたいな気がして、心臓がまたうるさくなる。

 私は、そっと自分の手を重ねた。
指が絡まった瞬間、胸の奥でどくんと音がした気がする。
手袋越しなのに、ちゃんと先輩の体温が伝わってくる。
この手、絶対離したくない。

 入場料は、先輩が当たり前みたいな顔でさっさと払ってしまった。

「今日は私が誘ったんだから」

「あ、ありがとうございます……」

 言ったあとで、払わせちゃってるのに「すみません」も言えてないことに気づいて、良かったのかなって思っちゃう。
先輩が、気にしてないみたいにふわっと笑ってくれるから、それ以上なにも言えなくなった。

「靴紐、もっときつく締めないと危ないよ。ほら、こう」

 先輩の指が私の足首に触れた。
ひやっとした指先と、紐をきゅっと引き締める力強さ。
締められるたびに、足首だけじゃなくて胸のあたりまで一緒に掴まれるみたいで、思わず息が詰まってしまう。

「……ありがとうございます」

 やっとそれだけ絞り出すと、先輩は満足そうに微笑んだ。
近くで見るその笑顔がまぶしすぎて、私は慌てて視線を落とした。

リンクの入口に立つと、冷気が一気に押し寄せてきた。
さっきまでの室内とは空気が違う。顔に当たる風が、きゅっと肌を刺すみたいに冷たい。

目の前には、白く光る氷。
照明が反射していて、足元が少し眩しいくらいだ。

 遠くで流れている音楽と、スケート靴が氷を削るしゃりしゃりした音、人の笑い声。
いろんな音が混ざり合って、胸のあたりをふるふる震わせてくる。

「怖い?」

横から聞こえた声に、私は目をそらしたまま答える。

「……うん、少しだけ」

 正直に言ったら、先輩の手が、少しだけ強く握ってくれた。

「大丈夫。私がいるから」

 たったそれだけなのに、さっきまで固まっていた足が、ほんの少しだけ前に出せそうな気がした。
先輩が私の右手をしっかり握って、一歩踏み出す。
一緒に氷の上に乗った瞬間、足がつるっと滑った。


「きゃっ!」

 体が前に傾いて、視界が一気にぐらっと揺れる。
このまま前のめりに氷にキスしそうになったところで、繋いでいた手がぐいっと強く引かれた。

「わっ……!」

 勢いのまま、私は先輩の胸に飛び込むみたいな形になって、そのまま腕の中に収まる。
先輩の片腕が私の腰を、もう片方の手が肩を支えてくれていて、体は全然ぶれなくて、びくともしない。

「ほら、立てた。すごいじゃん」

「立ててないよ……先輩が支えてくれてるだけだよ……」

 情けなく抗議すると、先輩は楽しそうに目を細めた。

「それでいいよ。今日は全部、私に任せて」

 そのまま先輩は、私をそっと起こしてくれてから、片手だけを握り直して、ゆっくりと後ろ向きに滑りはじめた。
手を繋いだまま、私をやさしく引っ張っていく。

 前に進んでるのに、視界の中で先輩だけがこっちを向いてくれていて、なんだか本当にダンスみたいで、変に恥ずかしい。
でも、手を離したくなくて、指先に力が入る。

「膝を曲げて、重心を低く……そう、そう! いいよ綾ちゃん!」

 言われた通りにしてみると、さっきより足元が少しだけ安定した気がした。
氷の上をこすれるスケート靴の音と、先輩に引かれるリズムに、体がだんだん合ってくる。
少しずつ、少しずつ、氷の硬さと冷たさに、体が慣れていく。
さっきまで「怖い」が全部だったのに、今は「楽しい」が半分くらい混ざってきていた。

「先輩……私、滑れてる?」

 恐る恐る聞くと、先輩は嬉しそうに目を細めて頷いた。

「うん、ちゃんと滑れてる。見て、私の手、離してみるね」

「え、ちょっと……!」

 慌てて声を上げた瞬間、手が離れる。
足元がふらっと傾いて、心臓がひやっとした。
思わず両腕をばたばたさせるけど、それでもなんとか転ばなかった。

「ほら、一人で立てた!」

「ほ、ほんとだ……!」

 身体の奥から、むくむくと嬉しさが湧き上がってくる。
自分でも分かるくらい、頬がふにゃっと緩んで、きっとすごい間抜けな笑顔になってたと思う。
先輩も、同じように笑っていた。
その笑顔があまりにも綺麗で、目を奪われた瞬間、足がまたつるっと滑る。

「わっ……!」

 今度は完全に前に倒れかけた。
氷に顔面から突っ込む未来が一瞬でよぎって、全身がぎゅっと固まる。
その直前で、強い腕が私の腰をぐいっと引き寄せた。

「もう、調子に乗るから」

 耳元で苦笑まじりの声がする。
先輩の胸に顔を埋めたまま、うまく息ができなくて、それでも小さく呟いた。

「……だって、先輩の笑顔が眩しくて」

 自分で言ってから、あまりにもストレートすぎて後悔する。
一瞬、周りの音が消えたみたいに静かになって、先輩の鼓動だけが、すぐ耳元でどくどく鳴っているのがわかる。

「……綾ちゃん」

 名前を呼ばれて顔を上げると、先輩の瞳がすぐ目の前にあった。
リンクの光が反射して、瞳の中まできらきらして見える。
さっきまで遠くに聞こえていた音楽も、人の声も、少しだけ遠のいた気がした。

「今日は、絶対転ばせないって決めてたのに」

 息がかかるくらい近い距離でそんなこと言われて、心臓がまた忙しくなる。

「でも、転んでも、先輩がいてくれるから……全然怖くないですよ」

 正直な気持ちをそのまま口にしたら、先輩の目がふるっと揺れた。

「もう、ほんとに……ずるいよ」

 小さくそう呟いて、次の瞬間、私のマフラーをそっと掴まれる。
引き寄せられるように距離が詰まって、唇が重なった。
冷たい風が頬を打っているのに、その一点だけがありえないくらい熱かった。
時間の感覚が、そこで一度、ふっと途切れた気がする。
キスが離れたとき、先輩は少しだけ息を乱しながら、恥ずかしそうに微笑んだ。

「ごめん、急に……我慢できなくなっちゃって」

私は慌てて首を振る。

「私も……ずっと、したかったですから…」

 その言葉を聞いた瞬間、先輩の顔がぱっと明るくなる。

「じゃあ、もう一回?」

「……うん」

 自分で返事しておきながら、心臓がさらにうるさくなる。
今度は私の方から先輩のマフラーに手を伸ばして、そっと引き寄せた。
距離が詰まって、まつ毛の長さまで数えられそうなくらい近くなる。

 二回目のキスは、さっきより少し長くて、甘くて、さっきよりもちゃんと味わってしまう。
氷の上に立ってることなんて、完全に頭から抜け落ちていた。

 それから私たちは、手を繋いで何周も何周もリンクを回った。
先輩に引かれながら滑っているうちに、足が少しずつ言うことを聞いてくれるようになってくる。
怖かったはずの氷の感触が、だんだん心地いいスピードに変わっていく。
足が少し上達してきたころ、先輩が後ろに回って、そっと私の腰を抱えた。

「いくよ」

 耳元でそう囁かれたと思った瞬間、一緒にくるりとスピンしてくれる。

「きゃっ……! やだ、回る回る!」

 視界が一気に流れて、リンクの光と人影がぐるぐる混ざる。
目が回りそうで笑いながら抗議すると、先輩は耳元で声を立てて笑った。

「綾ちゃんの笑顔、最高だよ」

 名前と一緒に「最高」なんて言われて、胸のあたりがくすぐったくて仕方ない。
音楽が少しスローな曲に変わったとき、先輩がそのまま耳元で囁く。

「綾ちゃん、好きだよ」

 その言葉が、真っすぐ胸に刺さる。
一瞬、呼吸の仕方を忘れたみたいになって、それでも私は小さく、でもはっきりと返した。

「私も……明音先輩が、大好きです」

 言葉にした瞬間、体の奥がふわっと軽くなる。
リンクの照明が優しいオレンジ色に変わっていく。
氷の上に落ちた私たちの影がぴったりと重なって、遠くまで伸びていった。
この冬が始まったばかりだっていうのに、もう終わってほしくないって、心の底から本気で感じていた。

 スケートリンクを出ると、外はもう雪が降っていた。
ブラウニーは、帰り道で半分こして食べた。
紙袋から出した瞬間、カカオの匂いがふわっと広がる。

「甘さ、ちょうどいいね」

「……よかったです」

 本気でほっとしたら、先輩が私の頬についたチョコを、指でそっと拭った。
そのまま、その指を口に含む。

「甘い」

 たった一言なのに、心臓が破裂しそうだった。
顔から火が出そうで、ぜったい今、私の頬は由布の寒さなんてお構いなしになってる。

街の街路樹は、オレンジの街灯の下で、白い粒がひらひらと落ちてきていた。
先輩が私の手を握り直して、傘も差さずに歩き出す。

「雪、積もるかな」

「……積もったら、また来ましょうね」

「それもいいかもね。約束」

「はい、嬉しいです」

 指と指をぎゅっと絡めたまま、雪の中をゆっくり歩いていく。
私は歩きながら、そっと明音先輩の肩に頭を預けた。
それだけで、さっきまでの寒さなんてどうでもよくなる。
私と明音先輩の、初めてのデートは、素敵な思い出になった。
きっと、一生忘れない。
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