百合短編集

南條 綾

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73 新年なんて同じはずなのに、彼女の作ったおせちは幸せの味がした。

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 部屋の空気は、静かで冷えきっていた。布団から出ている鼻先に、チクチクするような正月らしい冷たさがあった。息を吐くたびに、白くかすむ息が自分の顔の前を通り過ぎていた。

 カーテンの隙間から差し込む光は、真っ白で澄んでいて、畳の上に細い筋を描いていた。

 隣では彼女がまだ寝ていて、すー、すー、という小さな寝息が聞こえる。規則正しくて、安心するようなリズムが聞こえてくる。

 私はそれをぼんやり聴きながら、目を閉じたり開けたりしていた。彼女の寝顔を横目で見る。長いまつ毛がぴくりとも動かず、唇が少し開いて、ほんのり息が漏れている。寝てる時の彼女は、いつもより無防備で、なんだか守りたくなっちゃう。

「新しい年だから、きっと何かいいことがある」なんて、明日を楽しみにする気持ちは、私には最初からない。別に悲観して諦めてるわけじゃない。ただ、未来に期待したりワクワクしたりする事が、私には元々ついてないだけのような気がする。

 今日が昨日になって、明日が今日になる。ただそれだけでしょ。新しい年が来ても、ただカレンダーの数字が変わるだけ。特別な意味をなぜみんなつけるんだろう?

 でも、彼女は、違う。彼女の体温が布団の中で伝わってきて、私の冷えた足が自然と彼女の方に寄っていく。期待はしてないのに、この温もりがなくなったら、きっと寂しいだろうな、と思う。自分でも不思議だ。

「……ん、綾……起きてる?」

 隣で布団がごそごそ鳴り、彼女が目をこすりながらこっちを見た。寝ぼけた顔で、ふにゃっと笑ってくれた。髪が少し乱れて、頬に跡がついてる。その笑顔を見ると、胸の奥が少しざわつく。期待なんてしてないのに、この温もりがなくなったら落ち着かない気がする。

 彼女はまだ半分夢の中みたいに、私の腕に絡みついてくる。温かくて、柔らかい。

「うん、起きてるよ」

 私は小さく答えて、彼女の髪をそっと撫でた。彼女は満足そうに目を閉じて、また少しだけ眠りに落ちそうになる。でもすぐに起き上がって、「おせち食べよ?」と笑いながら言ってきた。

 私たちはのろのろと布団から出て、リビングへ向かった。床が冷たくて、足の裏がひんやりする。テーブルの真ん中には、昨日から置いてあった黒い重箱。漆塗りの表面が朝の光を吸い込んで、深く輝いている。彼女が「せーの」と小さく言って、蓋をそっと開ける。

 ぱっと広がったのは、甘辛い醤油の匂い、出汁の優しい香り、それにほんのり柚子の爽やかさ。部屋全体が一瞬で温かくなったみたい。

「わあ、綺麗……。詰めてよかった」

 彼女が嬉しそうに呟く。重箱の中は色とりどりで、まるで宝石箱みたいだ。丁寧に詰められた料理一つ一つが、朝の光を浴びて輝いている。

 まず目に入ったのは、つやつやの黒豆。一粒一粒が光っていて、黒い真珠みたいに見える。表面に薄い蜜が絡まって、指で触ったら少しねっとりしそう。隣の伊達巻は黄金色で、くるくると巻かれた渦巻き模様がきれいだった。焼き目がこんがり香ばしくて、切った断面から甘い卵の香りが漂ってきた。紅白かまぼこは切り口がぴしっと揃って、表面がうっすら濡れてキラキラしている。白い部分は純粋で、桃色の部分は可愛らしくて、見てるだけで心が和む。

 その横には、田作り。細長くてカリカリしていそうな小魚が、甘辛いタレでコーティングされて、茶色く光っている。香ばしいゴマの匂いがほのかに混じっている。栗きんとんは琥珀色に輝いてて、表面がつるんと滑らか。ねっとりとしたあんが、光を柔らかく反射している。数の子は黄金色で、一粒一粒がぷっくり膨らんで、パチパチとはじけそうな張りがある。お正月らしい、縁起のいい黄色。海老は鮮やかな紅色で、背中がぴんと伸びて、威厳があるみたい。殻の艶が美しくて、くのがもったいないくらい。昆布巻きは黒く太く、しっかり巻かれていて、中から魚の旨みが染み出してきそう。お雑煮の具材も少し入ってて、里芋の丸い形が可愛い。

 私は割り箸を取って、まず黒豆を一口。ひんやりして、箸から伝わる重みが心地よい。口に運ぶと、唇に触れた瞬間の冷たさ。そっと噛むと、皮がぷつっと弾けて、中からとろりとした甘さが広がる。すごく甘い。でもその奥に、豆そのものの深い味わいがあって、喉を通るまで余韻が続く。彼女の努力が、舌の上にじんわり染みてくる。

「どう? おいしい?」

 彼女が顔を近づけて聞いてくる。目がキラキラしてて、期待に満ちてる。私は、人生が変わるなんて思わない。明日もいつも通りだってわかってる。それなのに、今この甘い余韻と、彼女の笑顔が重なって、なんだかこの瞬間を手放したくない気がしてしまう。彼女が作ってくれたものだから、特別に感じるのかな。

「……おいしいよ。丁寧に作った味がする。本当に」

 お世辞じゃなく、ただ感じたことを言っただけ。彼女は「よかったぁ」とほっとしたように笑って、頬を少し赤く染めて、次は栗きんとんに箸を伸ばした。栗きんとんをすくい上げると、ねっとりとした餡が箸に絡みついて、糸を引く。彼女がそれを口に運んで、幸せそうに目を細める。「ん~、甘くて美味しい……」と小さく呟く。

 その様子を見て、私も数の子に手を出す。ゴツゴツした食感が指先に伝わって、口に入れると一粒一粒がパチパチと弾ける音。塩気と出汁の旨みがちょうどいい。噛むたびに、口の中に広がるコクが心地いい。

 次は伊達巻。箸で切ると、しっとりとした感触がある。口に入れると、ふわっと甘い卵の味が広がって、焼き目の香ばしさが追いかけてくる。柔らかくて、溶けるみたい。

 私たちはほとんど喋らず、ただこたつに入って二人でおせちをつついていた。こたつの温もりが足元からじんわり伝わってきて、冷えていた体がゆっくり解けていく。

 外は風が吹いているのか、窓が時々ガタガタ鳴る。でもこの空間だけは、時間が止まったみたいに静かで、温かかった。彼女の肩が時々私に触れて、柔らかい感触が伝わってくる。

「ねえ、綾。お正月って、なんだか不思議だよね」

 彼女がエビの殻を剥きながら言う。紅い殻が彼女の白い指に映えて、美しい。パリッと音がして、白い身が出てくる。彼女は丁寧に殻を剥いて、私の方に差し出してくる。

「はい、綾の分」

「ありがとう」

 私はそれを受け取って、口に入れる。プリッとした食感と、甘い磯の香りが口いっぱいに広がる。彼女が剥いてくれたからか、いつもより美味しく感じる。

「何が不思議?」

「こうして一緒に美味しいもの食べてるだけで、なんだか……全部、大丈夫な気がする。去年の嫌なことも、今年はいいことありそうって思える」

 彼女の言う「大丈夫」が何を指してるのか、私にはよくわからない。未来が明るいってこと? それとも今この瞬間が満たされてるってこと? でも、彼女の言葉を聞いて、胸の奥が少し温かくなる。

彼女は続けて、「綾と一緒にいると、いつも落ち着くんだよね。今年も、ずっとこうしてたいな」と恥ずかしそうに笑う。私は言葉に詰まって、ただうなずくだけ。でも、心の中では同じことを思ってる。この時間が、ずっと続けばいいのに。

 重箱の中身が少しずつ減っていく。黒豆がなくなって、伊達巻が薄くなって、栗きんとんが最後の一個になる。寂しいような、満たされたような、不思議な気持ち。

 私たちはお雑煮も温めて、二人で食べた。出汁だしの香りが部屋に広がって、朝から幸せな気分。

 このお正月の朝、彼女と過ごした時間は、きっと忘れられない。重箱が空になっていくのが少し寂しくて、お腹が満たされていくのが心地いい。

 私は彼女の手にそっと触れた。彼女が驚いたようにこっちを見て、すぐに握り返してくれる。温かい。柔らかい。この琥珀色の静けさを、もう少しだけ味わっていたくて。私は目を閉じて、彼女の温もりに身を委ねた。
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