【百合】Liebe

南條 綾

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3章 土曜日

7話S 夕暮れの観測者

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 綾さんもいるのかな、と思ってグラウンドの方に目を向けると、ちょうど彼女がピッチに足を踏み入れるところだった。

 夕方の柔らかい陽射しが、彼女の背中をオレンジ色に染めている。ユニフォームに沿ったシルエットが、しなやかでとてもきれいだった。

 少しだけ、見ていこうかな。そんな軽い気持ちで、グラウンドに向かった。 
得点板を見上げると、スコアは3対0。女子チームはかなり押されている。
ボールを持つたびに相手のプレスに遭い、すぐに奪い返されてしまう。観客の歓声も、明らかに相手側の方が大きい。

 綾さんは孤立しているのかなって思っていたけれど、すぐに異変に気づいた。
綾さんが手で味方に合図を送っている。 
……あ。私が昨日言ったこと、実践してくれてるんだ。
そう思うと、胸の奥が少しだけ温かくなった。

 綾さんの前に二人のディフェンダーが立ちはだかる。
背丈の違う二人なのに、息の合ったように挟み込んで、逃げ道を塞ごうとしている。
けれど、彼女はスピードを全く落とさない。
 むしろ、わずかにボディを揺らして相手の目を引きつけ、右足の外側でボールを軽く外へ押し出したかと思うと
吸い付くようなしなやかな動きで、同じ足の内側へと瞬時に切り替え、ボールを逆方向へ弾き返した。

 昨日話していた、あのCMの技そのもの。 
一人のディフェンダーが完全に騙されて、重心を崩し、よろめきながら空振りする。
私も気になって動画サイトで探してみたけれど、それをあんなに鮮やかに、しかも実戦のプレッシャーの中でやってのけるなんて……。
調べたらエラシコっていう技名だった。

 続いてもう一人も、独楽が回るような鮮やかな回転で置き去りにした。
ボールを足裏で引き寄せ、体を軸にくるっと360度スピンしてディフェンダーを置き去りにしちゃった。
あっという間に二人を抜き去り、綾さんはゴール前へ広いスペースを独占していた。
格好いい。……ねえ、凄すぎるよ、綾さん。
見惚れていると、周囲の観客たちのざわめきが耳に届いた。

「え、何今のは?」

「連続で抜いたぞ!」

「すげぇ……」

「あんなの、男子のトッププロでも難しいだろ」

「女子っていうだけで日本サッカーの損失だよな」

 そんな声が、次第に大きな拍手と歓声に変わっていく。
私も、握る手に力が入っていた。
胸が熱くなって、頰が少し火照る。
綾さんのプレーを見ているだけで、こんなにドキドキするなんて。

 やっぱり、そう思う人はいるんだ。
私も仕事でアクションシーンを撮ったりするけど、あんな流れるようなドリブルや回転は、逆立ちしたって真似できない。
綾さんの動きは、まるで重力を無視しているみたいだった。
 
 敵に複数人に囲まれた瞬間綾さんが鋭く横パスを出した。
完璧なタイミング、完璧な強さ。受け手が少しでも動いていれば、決定的なチャンスになったはずのパスだったと思う。
けれど、味方の誰も反応できなかった。
ボールは無情にも相手に奪われ、カウンターの餌食になる。
胸が、ちくりと痛んだ。
際立ちすぎて、サッカーの中でも孤立してしまっている。

 まるでスポットライトだけが強すぎて、周りが影に隠れてしまう舞台みたい。
私のアクションシーンだってそうだ。
相手役やスタントマンが、私の動きに合わせてくれるからこそ、あの凄い映像が完成する。
でも今、綾さんの周りには、彼女のスピードに追いつける選手が一人もいない。
そのことが、なんだか無性にもどかしくて、拳を握りしめていた。 
……私だったら、こう動くのに。
気づけば、頭の中で自分がピッチに立って、綾さんのパスに走り出す姿を想像していた。
ちょっと恥ずかしくて、頰が熱くなる。 

 試合をそのまま見続けていると、突然、奇跡が起きた。 
相手のファウルで、三十メートルほどの距離からのフリーキック。
プロでも成功率の低い、難しい位置だと思う。 

 綾さんがボールの前に立つ。
一歩下がって、助走した。
右足が振り抜かれた瞬間、放たれたボールは高く上がり、ゴールの上を越えるかと思った。
ところが、空中で突然、激しく沈みながら揺れ、まるで魔法に操られたようにゴールネットの隅へ吸い込まれていった。
え? なんで? なんであんなふうに落ちるの?
手品か、魔法を見ているような感覚におちいった。

 スタンド全体が一瞬静まり、すぐに大歓声が沸き起こった。
あの曲がり方、きっと野球のナックルに近いと思うけど、サッカーボールのあの大きさでもできるのがびっくりしちゃった。

 驚きが冷めやらぬうちに、試合が再開されて五分ぐらいがたった時だった。 
ピッチ中央でボールを待っていた綾さんの元へ、ようやくまともなパスが通った。
彼女は一気に加速し、ディフェンダーを引き連れてゴール前へ。
キーパーがシュートコースを読んで、少し前に飛び出してくる。 
でも綾さんは慌てなかった。
軽くボールを浮かせて、ボールは優雅な弧を描き、必死に手を伸ばすキーパーの頭上を軽々と越えて、ゴールネットに吸い込まれて行った。 
 
 グラウンドの見学席からすごい歓声がしていた。
私も、思わず立ち上がって拍手をしていた。 
本当に、綾さんはすごい。

 試合は残り数分。
時計を見上げると、もう本当に終わりが近い。
グラウンドの空気が張り詰めて、みんなの息遣いが聞こえてきそう。
四人に囲まれて、綾さんが動きにくそうにしている。
男子部の選手たちが、わざと体を寄せてプレッシャーをかけているのがわかる。
……どうして今、しゃがみ込んだの? 靴紐? それとも疲れた?

 そう思った瞬間。彼女は弾かれたようにダッシュした。
味方のクリアボールが上がるのを、完璧に予測していたタイミングだと思う。
味方ゴール方向を見てた綾さんが、ジャンプして胸でボールを優しく受け止め、そのまま敵ゴール側にボールをそらして、着地して、ターンしてゴール方向へ走り去った。
 敵のスライディングがボールに行こうとした瞬間。綾さんは、ボール事ジャンプして相手をかわし、シュートをじゃなった。

 放たれたボールがゴールの上段のバーを叩き、真上に高く跳ね返った。
着地する間際、綾さんは迷わず体を反転させて空中でバク宙した。

 逆さまになった視界の中で、彼女の足が正確にボールを捉える。
私でも知ってる。オーバーヘッドキックだ。

 漫画やハイライトでしか見たことのない、神業そのものだった。
ボールがネットを強く揺らした瞬間、試合終了のホイッスルが鳴り響いた。
グラウンドがどよめき、歓声と拍手が爆発する。

 結局、綾さん一人で三点を奪ってしまった。
スコアは3-3の同点。

 男子部が先生にこっぴどく怒られているのが、遠目に見えた。
自業自得だよ。あのプレーは、セクハラじみたラフプレーばっかりだったから。

 少し綾さんを待っていようかな、と思ってベンチに座って景色を眺めていたら、
彼女は私に気づかずに校門の方へ歩き出していた。

 慌てて追いかけて、背中に声をかける。 

「綿津見さん!」 

 彼女は足を止め、無防備な顔で振り返った。
 汗で少し髪が乱れてるのに、それがかえって可愛い。

「なに?」

「すごい活躍だったね。最後のは特に……鳥肌立ったよ」

「ありがと」 
相変わらずの淡々とした返事だったけど、教室の時のような冷たい雰囲気はなかった。
私はもう少しだけ、彼女のそばにいたかったから。

「途中まで一緒に帰ろう?」

「私と一緒に帰って大丈夫なの?」

「んー、私は大丈夫だけど、綿津見さんの方がやばいかもね」
私みたいな仕事してる人間と一緒にいたら、変な噂が立つかもしれない。
分かってるけど、今の私は止まらなかった。

「二人抜いた技のことでしょ、この間言っていたの」

「あぁ、見てたんだ」

「校舎から出たらちょうど、試合に出るところだったから」

 ふと綾さんの横顔を見上げる。
夕日に照らされて、頰が少しだけ赤く染まっている。
照れてる? 可愛い。
カッコいいプレーとのギャップが、たまらない。

「なんで私に構うの?」
不意に問われて、私は迷わずに答えた。

「好きだから?」
嘘じゃない。本当だ。

「!!」 

 彼女の顔が、みるみるうちに真っ赤になっていく。
耳まで赤くなって、目を逸らして口ごもる姿。
こんな素直な反応、初めて見た。
綾さんって、かっこいいのに時もあるし、こんなに可愛いこともするんだ。
ヤバすぎ。これってギャップ萌えだよね。

 本当なら、このまま家まで送りたかった。
でも、限界だった。誰かが、私たちを尾行してる気配がする。
芸能人の勘が、背中をぞわぞわさせる。
ちょうど分かれ道のT字路についた時、綿津見さんが「私、こっちだから」と言ってくれたのが、救いだったかも。 

「気をつけてね」 
なんとなく、そう言ってしまった。
何に気をつけて、って自分でもわからないけど
尾行のことかな。

 綿津見さんが見えなくなったのを確認して、私はすぐにタクシーアプリを起動。
尾行者の気配を振り切るように、事務所へ向かうタクシーに乗り込んだ。

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