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一話「古き良き書物の香り」
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夏梅古書堂は古寺の前に佇む寂れた古書店である。
四条河原町から少し離れた田舎にあるこの店は、今日もビターな古書の香りを漂わせながらひたすら来客を待っていた。
閑古鳥が鳴いている店内とは対照的に、外では蝉時雨と呼称される宴会が開かれていて、その騒ぎに乗じて軒下の風鈴がチリンチリンと上機嫌に歌いながらそよ風と密会する。
そんな風物詩をよそに訪れる客は野良猫ばかりだ。
最初から冷やかし目的の彼ら…いや彼女ら…まあこの際どちらでも良いだろう。
それらは本に見向きもせず、店先で咲いている木天蓼に近寄って店の前を彷徨いていた。
「いらっしゃい。ほら、召し上がれ」
店主である俺、古渡 立葵はそんな気まぐれな来客をクッキーでもてなしてから奥のレジカウンターへと戻る。
椅子に腰かけ、開け放たれた引き戸の玄関の前で屯ってクッキーを食べる猫たちを眺めながら、レジスター横に置いてある湯のみに口をつける。
口当たりの良い緑茶は、ほのかにマスカットの甘い香りがする。
俺のお気に入りの一品。グリーンティーマスカットだ。
ものを口にしながら仕事をしているなんてと思うかもしれないが、自分で営んでいる店である以上何をするにも自由だ。
もちろん節度はあるが、どんな本を取り扱うのかも、店内に置物や絵画を飾るのも自由だ。
服装だってそうだ。エプロンさえしていれば仕事着として成立してしまう環境のため、色んなコーデを楽しんでいる。
トレードマークは乙女色のスカーフだ。
バイアス折りにして銀の指輪に通したリング留めスタイルは、俺の定番スタイルである。
そもそも本を買いに来る人自体いないのだから、口酸っぱく言われることなどありえない。
だから毎日自由気ままに店番をしているというわけだ。
俺がまだ子供だった頃はそれなりに繁盛していた店だったが、中学に上がった頃に向かいの寺が廃寺になったのと同時に客足が遠のき、今年で22になった今ではご覧の通り人っ子一人いない。
挙句の果てには、目の前の古寺のせいで、近所の子供たちからは「幽霊書店」だと気味悪がられる始末である。
ただ、丸一日誰も来ない日が365日ずっと続く訳ではない。
わりと小さい町だ。ご近所付き合いもあってか、一人二人顔見知りの常連さんがやってきて大量に本を買ってってくれるため、畳む心配は今のとこない。
ほっと一息ついていると、田舎町にはあまり似つかわしくないエンジン音が聞こえてきた。
バイクのような音だ。いつもくる郵便屋さんのバイクや、茶畑までひとっ走りしてるお隣の落合さんのスクーターと違い、スポーティーさを感じさせる重厚な音。
店前で寛いでいた猫たちも、聞き耳を立てるように耳をぴくぴくと動かしながらキョロキョロと辺りを見回している。
その異変に気づき、湯のみを置いて様子を見に行こうと立ち上がった時には、もう音はすぐそこまで迫っていた。
あくびをしたり、伸びをしていた猫たちは皆一斉に飛び起き、蜘蛛の子を散らすように走り去っていく。
そのすぐあとを真っ赤なバイクが通りかかり、猫たちと入れ替わる形で豪奢なボディーが店前に停った。
バイクに跨る人物は、赤いサイドラインの入った白のメッシュジャケットにワインレッドのジーンズを履き、そこに黒のフィンガーレスグローブと同じく黒のエンジニアブーツを合わせたスタイルにフルフェイスを被っていた。
体つきを見るからに男性だろう。
バイクから降りた彼は両手でメットをとると、汗を振り払うかのように頭を振った。
全体的にツンツンとハネた濃紅の毛が首を振る度にふわふわと揺れる。
遠くから見てもわかるくらいに、赤髪の男性は俺よりも身長が高い。
俺の身長が178cmなので、おそらく180cm代後半くらいだろう。
メットを小脇に抱え、堂々とした足取りで店に入ってくるその体躯は頭一つ分大きかった。
「いらっしゃい」
穏やかな口調で声がけをしている間も男は大股でこちらに近寄ってくる。
本に見向きもしないあたり、買い物に来たわけではなさそうだ。
道でも聞きに来たのだろうか?
ブーツが一歩一歩タイルの床を叩く度に、牛革の軋むような擦れるような音が鳴る。
レジ前まで来た仏頂面の男は、睨みつけるかのように俺を見下ろす。
良く言うと野性的な、悪く言うとガラが悪そうな面構えで、蜂蜜色に輝く三白眼が近寄り難い雰囲気を醸し出していた。
「あの…、何かお困りですか?」
「な、アンタ…」
俺の問いに間髪入れずに声をかけてくる男。
愛想のない顔から紡がれる声音は思いのほか若々しく、よく見るとその無愛想な顔つきにはまだあどけなさが残っている。
「はい?」
首を傾げて返事をすると、俺のフレッシュトーストの色に染まった髪が柔らかく流れる。
そんな俺を蜂蜜色の瞳は、一片の迷いもなく見つめ続ける。
瞬間、ふわりと風が店内に流れ込んでくる。風鈴の涼やかな音色が波打つ。
互いに髪を靡かせながら見つめ合っていると、男がはっきりとした口調で言葉を続けた。
「俺を、アンタんとこで雇ってくれ。アンタの店で働きたい」
「…え?」
俺は生まれて初めて、来店者の前で目を白黒させた。
それは蝉がいつにも増して騒がしく、猫がいつにも増して鳴いていない、熱い眼差しが降り注ぐ日のことであった。
四条河原町から少し離れた田舎にあるこの店は、今日もビターな古書の香りを漂わせながらひたすら来客を待っていた。
閑古鳥が鳴いている店内とは対照的に、外では蝉時雨と呼称される宴会が開かれていて、その騒ぎに乗じて軒下の風鈴がチリンチリンと上機嫌に歌いながらそよ風と密会する。
そんな風物詩をよそに訪れる客は野良猫ばかりだ。
最初から冷やかし目的の彼ら…いや彼女ら…まあこの際どちらでも良いだろう。
それらは本に見向きもせず、店先で咲いている木天蓼に近寄って店の前を彷徨いていた。
「いらっしゃい。ほら、召し上がれ」
店主である俺、古渡 立葵はそんな気まぐれな来客をクッキーでもてなしてから奥のレジカウンターへと戻る。
椅子に腰かけ、開け放たれた引き戸の玄関の前で屯ってクッキーを食べる猫たちを眺めながら、レジスター横に置いてある湯のみに口をつける。
口当たりの良い緑茶は、ほのかにマスカットの甘い香りがする。
俺のお気に入りの一品。グリーンティーマスカットだ。
ものを口にしながら仕事をしているなんてと思うかもしれないが、自分で営んでいる店である以上何をするにも自由だ。
もちろん節度はあるが、どんな本を取り扱うのかも、店内に置物や絵画を飾るのも自由だ。
服装だってそうだ。エプロンさえしていれば仕事着として成立してしまう環境のため、色んなコーデを楽しんでいる。
トレードマークは乙女色のスカーフだ。
バイアス折りにして銀の指輪に通したリング留めスタイルは、俺の定番スタイルである。
そもそも本を買いに来る人自体いないのだから、口酸っぱく言われることなどありえない。
だから毎日自由気ままに店番をしているというわけだ。
俺がまだ子供だった頃はそれなりに繁盛していた店だったが、中学に上がった頃に向かいの寺が廃寺になったのと同時に客足が遠のき、今年で22になった今ではご覧の通り人っ子一人いない。
挙句の果てには、目の前の古寺のせいで、近所の子供たちからは「幽霊書店」だと気味悪がられる始末である。
ただ、丸一日誰も来ない日が365日ずっと続く訳ではない。
わりと小さい町だ。ご近所付き合いもあってか、一人二人顔見知りの常連さんがやってきて大量に本を買ってってくれるため、畳む心配は今のとこない。
ほっと一息ついていると、田舎町にはあまり似つかわしくないエンジン音が聞こえてきた。
バイクのような音だ。いつもくる郵便屋さんのバイクや、茶畑までひとっ走りしてるお隣の落合さんのスクーターと違い、スポーティーさを感じさせる重厚な音。
店前で寛いでいた猫たちも、聞き耳を立てるように耳をぴくぴくと動かしながらキョロキョロと辺りを見回している。
その異変に気づき、湯のみを置いて様子を見に行こうと立ち上がった時には、もう音はすぐそこまで迫っていた。
あくびをしたり、伸びをしていた猫たちは皆一斉に飛び起き、蜘蛛の子を散らすように走り去っていく。
そのすぐあとを真っ赤なバイクが通りかかり、猫たちと入れ替わる形で豪奢なボディーが店前に停った。
バイクに跨る人物は、赤いサイドラインの入った白のメッシュジャケットにワインレッドのジーンズを履き、そこに黒のフィンガーレスグローブと同じく黒のエンジニアブーツを合わせたスタイルにフルフェイスを被っていた。
体つきを見るからに男性だろう。
バイクから降りた彼は両手でメットをとると、汗を振り払うかのように頭を振った。
全体的にツンツンとハネた濃紅の毛が首を振る度にふわふわと揺れる。
遠くから見てもわかるくらいに、赤髪の男性は俺よりも身長が高い。
俺の身長が178cmなので、おそらく180cm代後半くらいだろう。
メットを小脇に抱え、堂々とした足取りで店に入ってくるその体躯は頭一つ分大きかった。
「いらっしゃい」
穏やかな口調で声がけをしている間も男は大股でこちらに近寄ってくる。
本に見向きもしないあたり、買い物に来たわけではなさそうだ。
道でも聞きに来たのだろうか?
ブーツが一歩一歩タイルの床を叩く度に、牛革の軋むような擦れるような音が鳴る。
レジ前まで来た仏頂面の男は、睨みつけるかのように俺を見下ろす。
良く言うと野性的な、悪く言うとガラが悪そうな面構えで、蜂蜜色に輝く三白眼が近寄り難い雰囲気を醸し出していた。
「あの…、何かお困りですか?」
「な、アンタ…」
俺の問いに間髪入れずに声をかけてくる男。
愛想のない顔から紡がれる声音は思いのほか若々しく、よく見るとその無愛想な顔つきにはまだあどけなさが残っている。
「はい?」
首を傾げて返事をすると、俺のフレッシュトーストの色に染まった髪が柔らかく流れる。
そんな俺を蜂蜜色の瞳は、一片の迷いもなく見つめ続ける。
瞬間、ふわりと風が店内に流れ込んでくる。風鈴の涼やかな音色が波打つ。
互いに髪を靡かせながら見つめ合っていると、男がはっきりとした口調で言葉を続けた。
「俺を、アンタんとこで雇ってくれ。アンタの店で働きたい」
「…え?」
俺は生まれて初めて、来店者の前で目を白黒させた。
それは蝉がいつにも増して騒がしく、猫がいつにも増して鳴いていない、熱い眼差しが降り注ぐ日のことであった。
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