841 / 1,096
750回記念SS 『煌めきの岐路』(前編)
しおりを挟む
750回記念SS 『煌めきの岐路』(前編)
ということで2本目のSSは、Vtuber事務所『Fmすたーらいぶ』の4期生『皇ジャンヌ』として活躍している霧島栄美のデビューまでのショートストーリーです。
声優として成功していたのになぜ彼女はVtuberになるのか?
物語では語られていない彼女の想いとは?
そしてこちらも語られていない栄美だけが知る4期生の秘密とは?
ぜひ、聖騎士軍の皆さま!そしてジャンヌちゃん推し!4期生箱推し!の人はお楽しみくださいませ
まだ夏の熱気がじんわりと肌に残る9月の夜。仕事終わり、少し汗ばんだ肌に夜風が心地いい。街の喧騒から少し離れた、落ち着いた雰囲気のしゃぶしゃぶ屋さんへ向かう。暖簾をくぐると、木の温もりが感じられる空間が広がり個室へと案内された。
扉を開けると、すでにみんなが席について、談笑している。湯気を立てる鍋が中央に置かれ、照明がそれを優しく照らしている。最近忙しくて、久しぶりに顔を合わせるメンバーの笑顔はいつもよりどこか輝いて見える。
「ごめん遅くなっちゃって」
「ううん大丈夫だよ」
「アタシもさっき来たばっかりだから」
「栄美ちゃんは何飲みます?」
「じゃあレモンサワーにしようかな」
そして注文した飲み物が運ばれてきて、今日の祝賀会が始まる。
「改めて私たち4期生、全員バラエティーの公式枠決定おめでとう!乾杯!」
ひときわ明るい奏ちゃんの声が響き、私たちはグラスを持ち上げた。カチン、とグラスが触れ合う音。その音は、ささやかだけれど、私たち4期生全員の間に流れる喜びと絆を象徴しているように感じた。
(ああ、こうして皆で集まるのは本当に久しぶりだなぁ……そして、私たち全員で掴んだチャンスなんだよね)
目の前で笑い合う、奏ちゃん、明日香ちゃん、凛花さんの顔を見つめる。それぞれの活動で忙しい日々を送る中、こうして時間を合わせて集まれたことが何よりも嬉しい。そして、私たち4人全員でまた新しいスタートラインに立てたことが何よりも誇らしい。
窓の外はもうすっかり暗い。時折、遠くから車の走る音が聞こえてくるけれど、この個室の中は、私たちだけの特別な空間だ。温かい鍋の湯気が、私たちの言葉や笑顔を優しく包み込んでいる。
「本当に信じられないよね!まさか4人全員でバラエティーの公式枠をもらえるなんて!」
奏ちゃんが興奮した様子で言うと、明日香ちゃんと凛花さんも大きく頷いた。
「うんうん!聞いた時、鳥肌が立ったもん!」
「新しいことですからね、より一層頑張らねばです!」
新しいこと……その言葉を聞きながら、ふと、自分がデビューした頃のことを思い出した。あの時の不安と期待が入り混じったざわめきのような感情が、昨日のことのように蘇ってくる。
(本当に……私は新しい世界で頑張れているんだな……)
◇◇◇
春の柔らかな雨が窓ガラスを静かに叩いている。東京の街は、この雨音で一層静けさを増したように感じる。私はリビングのソファに深く腰掛け、ヘッドホンから流れる少しアップテンポな音楽に、ぼんやりと意識を委ねていた。
昔から歌うことが好きだった。幼い頃は、擦り切れるほどラジオにかじりつき、お気に入りのアーティストの曲を何度も何度も繰り返し歌ったものだ。声優という道を選んだのも、声を通して何かを表現することへの強い憧れと共に、いつか自分の歌を誰かに届けたいという、心の奥底にそっとしまっていた願いがあったからに他ならない。
私の名前は霧島栄美。26歳。職業は声優。15歳で声優の世界に足を踏み入れた。声優としての私のキャリアは、決して順風満帆ではなかったけれど、一歩ずつ確かに前に進んできた実感はある。18歳の時、幸運にも掴んだアニメ『錬金少女ミルカにお任せ!』のカトリーヌ役。あの意地悪な性格の、でも、どこまでもエネルギッシュな少女の声は、多くの人々の記憶に少しでも残っているだろうか。
イベント会場でも私の声が響き渡るたびに、笑顔と歓声が渦のように巻き起こり、その熱気が私に確かな手応えを与えてくれた。あの時の喜びは今でも鮮明に思い出せる。
けれど、あれから10年という月日が流れた。声優業界の景色もあの頃とは大きく変わってしまった。いつの間にか「声」だけではなく「顔」を出すことが当たり前になり、ライブイベントではダンスをしたり歌を歌ったりと、まるでアイドルのような活動が求められるようになった。私自身、ダンスも歌も嫌いではない。むしろ、人前で何かを表現することには、言葉にできない喜びを感じている。
それでも、心のどこかで拭えない焦燥感を覚えているのは、やはり年齢的な問題があるからだろうか。『今から、本格的にダンスレッスンを始めるなんて、少し遅すぎるかもしれない』『若い世代の、あの溢れるばかりのエネルギーには、もう到底敵わないのではないか』コンサートの楽しそうな映像を見るたびに、そんな不安が胸の奥を静かに締め付ける。
「このまま声優として、時代の変化の波にちゃんとついていけるのかな……」
私はヘッドホンをそっと外し、小さくため息をついた。カトリーヌという、過去の輝かしい足跡がある一方で、新しい挑戦への躊躇い、そして常に変化し続ける業界への、誰にも言えない焦り。それらの感情がまるで重い鉛のように、私の心を常に揺さぶっている。
そんな中、私は以前から表現の新しい形として、Vtuberの配信を参考に見ていた。特に温かいリスナーコミュニティを持つ『Fmすたーらいぶ』のライバーたちの配信は、私にとって、どこか懐かしいラジオのような、心地よい空間だった。
個性豊かなアバターを通して、自分の魅力を最大限に発揮し、リスナーと心を通わせる姿は、声優としての活動に行き詰まりを感じ始めていた私にとって希望の光のように見えた。実はそんな私も『すたリス』の一人だった。
そして、今年の夏に開催された『すたフェス』のオンライン配信を見た時、私の心は激しく揺さぶられた。アバターという、いわば仮の姿ではあるけど、自分の歌声を届け、画面の向こうの視聴者とまるで手を握り合っているかのような、強い感情的な一体感を生み出しているライバーたち。
顔が見えなくても、声とその奥にある想いだけで、これほどまでに人の心を深く動かすことができるのか。という言葉にできないほどの感動が私の全身を駆け巡った。
「私も、あの温かい光の中で歌いたい……自分の声で、自分の想いを、もっと自由に誰にも遠慮することなく表現したい……」
声優として、与えられたキャラクターを通して歌うことは、確かにある種の安心感を与えてくれた。キャラクターの背景や感情に寄り添いながら歌うことは、私にとって表現することの喜びの一つだった。
けれど、アバターという、もう一つの「私」を得ることで、画面の向こうの視聴者とより直接的な、剥き出しの感情的な繋がりを築き、私自身の内側から湧き上がってくる歌を、もっと自由に、もっとありのままの形で届けられるのではないか。そんな、まだ小さくけれど確かに熱を帯びた可能性が、私の心の中で、静かにしかし確実に膨らみ始めていた。
けれど、すぐに躊躇が押し寄せてきた。
今更、新しいことを始めるなんて、本当に私にできるのだろうか……?
長年続けてきた声優の仕事を、中途半端な気持ちで捨てるような真似はできない……
そんな不安が、頭の中で何度も何度も渦巻いた。勇気を出して『Fmすたーらいぶ』のオーディション情報ページを開いてはみるものの、応募資格を何度も確認しては、そっとページを閉じる。そんなことを数日間繰り返していた。
週末の午後、私は駅近くのカフェで元声優仲間の美咲と待ち合わせた。窓から差し込む柔らかな陽射しが、店内の穏やかな雰囲気を一層引き立てている。美咲は、少し遅れてやってきたけれどいつも通り笑顔だった。美咲は3年前に事務所を退所し、今は自分の夢であった舞台女優として活躍している。
「ごめんね、ちょっと道が混んじゃって」
「ううん。大丈夫」
私たちはそれぞれコーヒーを注文し、近況報告など他愛のない話でしばらく時間を過ごした。美咲は最近、舞台の仕事が立て込んでいるらしく、その充実した様子をキラキラとした瞳で語ってくれた。そして頃合いを見て、私は意を決して切り出した。
「美咲……実は、ちょっと相談があるんだ」
「どうしたの、栄美?そんな改まって」
私は、ここ数日悩んでいることを正直に打ち明けた。『Fmすたーらいぶ』というVtuber事務所のオーディションを見つけたこと、そこに強く惹かれる気持ちがあること、けれど、長年続けてきた声優の仕事を捨てることへの、拭いきれない迷いがあること……実はVtuberの配信を以前から見ていて『Fmすたーらいぶ』の温かい雰囲気に惹かれていること、そして何より、自分の歌をもっと自由に届けたいという、心の奥底にある願いを美咲に伝えた。
美咲は、私の言葉を一つ一つ聞いてくれた。そして、少し間を置いてコーヒーカップを両手で包み込みながら、ゆっくりと話し始めた。
「栄美。私もさ、今は舞台で頑張ってるけど、やっぱり新しい場所に飛び込むってすごく勇気がいることだよね。声優の世界で10年も続けてきたんだもん。それを手放すって並大抵の決意じゃできないと思う」
「そうだよね……」
「……でもね栄美。考えてもみて。栄美の声は、本当に色々な人に感動と笑顔を届けてきたじゃない?カトリーヌは今でもたくさんの人の心に残ってる。それは紛れもない事実だよ。でも、栄美自身はどうなの?本当に今のままで心の底から満足してる?」
美咲の言葉は、私の胸に深く突き刺さった。確かにカトリーヌ役は私の誇りだ。けれど、いつからだろうか……誰かの期待に応えることが、いつの間にか自分の表現の中心になってしまっていたのかもしれない。そして美咲は、さらに言葉を重ねた。
「私が事務所を辞めて舞台に挑戦するって言った時、栄美はなんて言ってくれたか覚えてる?『いいと思う。私は美咲の歌が好きだから、もっと自由に歌える場所に行ってほしい』って言ってくれたよね。今の私の気持ちも、あの時の栄美の気持ちと同じだよ。栄美の歌声は、もっともっとたくさんの人に届くべきだよ」
美咲は私の手をそっと握りしめ力強く言った。
「でも中途半端な覚悟じゃ、きっとうまくいかないよ。新しいことを始めるって想像以上にエネルギーがいるし、何よりこれまで積み上げてきたものを、一部でも残したまま新しいことに挑戦するって、どっちつかずになっちゃう気がするんだ。もし、本当にVtuberの世界に、心の底から惹かれていて、本気で挑戦したいと思うなら、それくらいの覚悟が必要なんじゃないかな。それに……栄美は『すたリス』って言ってたよね?自分が良いと思った場所なら、きっと素晴らしい仲間たちもいるはずだよ。人生は一度きりだよ、栄美。後悔しないように自分の心の声に正直になって頑張って」
「そうだよね…」
と、私は小さく呟いた。彼女の言葉は、私の心の奥底にずっと蓋をしていた感情に温かい光を当ててくれた。
私はもっと自由に歌いたい。もっと自分の心のままに表現したい。そして『すたフェス』のあの温かい光の中で歌いたい。後悔だけはしたくない。新しい世界に飛び込むなら、全身全霊で、後悔のないように挑戦したい。そう決意した。
ということで2本目のSSは、Vtuber事務所『Fmすたーらいぶ』の4期生『皇ジャンヌ』として活躍している霧島栄美のデビューまでのショートストーリーです。
声優として成功していたのになぜ彼女はVtuberになるのか?
物語では語られていない彼女の想いとは?
そしてこちらも語られていない栄美だけが知る4期生の秘密とは?
ぜひ、聖騎士軍の皆さま!そしてジャンヌちゃん推し!4期生箱推し!の人はお楽しみくださいませ
まだ夏の熱気がじんわりと肌に残る9月の夜。仕事終わり、少し汗ばんだ肌に夜風が心地いい。街の喧騒から少し離れた、落ち着いた雰囲気のしゃぶしゃぶ屋さんへ向かう。暖簾をくぐると、木の温もりが感じられる空間が広がり個室へと案内された。
扉を開けると、すでにみんなが席について、談笑している。湯気を立てる鍋が中央に置かれ、照明がそれを優しく照らしている。最近忙しくて、久しぶりに顔を合わせるメンバーの笑顔はいつもよりどこか輝いて見える。
「ごめん遅くなっちゃって」
「ううん大丈夫だよ」
「アタシもさっき来たばっかりだから」
「栄美ちゃんは何飲みます?」
「じゃあレモンサワーにしようかな」
そして注文した飲み物が運ばれてきて、今日の祝賀会が始まる。
「改めて私たち4期生、全員バラエティーの公式枠決定おめでとう!乾杯!」
ひときわ明るい奏ちゃんの声が響き、私たちはグラスを持ち上げた。カチン、とグラスが触れ合う音。その音は、ささやかだけれど、私たち4期生全員の間に流れる喜びと絆を象徴しているように感じた。
(ああ、こうして皆で集まるのは本当に久しぶりだなぁ……そして、私たち全員で掴んだチャンスなんだよね)
目の前で笑い合う、奏ちゃん、明日香ちゃん、凛花さんの顔を見つめる。それぞれの活動で忙しい日々を送る中、こうして時間を合わせて集まれたことが何よりも嬉しい。そして、私たち4人全員でまた新しいスタートラインに立てたことが何よりも誇らしい。
窓の外はもうすっかり暗い。時折、遠くから車の走る音が聞こえてくるけれど、この個室の中は、私たちだけの特別な空間だ。温かい鍋の湯気が、私たちの言葉や笑顔を優しく包み込んでいる。
「本当に信じられないよね!まさか4人全員でバラエティーの公式枠をもらえるなんて!」
奏ちゃんが興奮した様子で言うと、明日香ちゃんと凛花さんも大きく頷いた。
「うんうん!聞いた時、鳥肌が立ったもん!」
「新しいことですからね、より一層頑張らねばです!」
新しいこと……その言葉を聞きながら、ふと、自分がデビューした頃のことを思い出した。あの時の不安と期待が入り混じったざわめきのような感情が、昨日のことのように蘇ってくる。
(本当に……私は新しい世界で頑張れているんだな……)
◇◇◇
春の柔らかな雨が窓ガラスを静かに叩いている。東京の街は、この雨音で一層静けさを増したように感じる。私はリビングのソファに深く腰掛け、ヘッドホンから流れる少しアップテンポな音楽に、ぼんやりと意識を委ねていた。
昔から歌うことが好きだった。幼い頃は、擦り切れるほどラジオにかじりつき、お気に入りのアーティストの曲を何度も何度も繰り返し歌ったものだ。声優という道を選んだのも、声を通して何かを表現することへの強い憧れと共に、いつか自分の歌を誰かに届けたいという、心の奥底にそっとしまっていた願いがあったからに他ならない。
私の名前は霧島栄美。26歳。職業は声優。15歳で声優の世界に足を踏み入れた。声優としての私のキャリアは、決して順風満帆ではなかったけれど、一歩ずつ確かに前に進んできた実感はある。18歳の時、幸運にも掴んだアニメ『錬金少女ミルカにお任せ!』のカトリーヌ役。あの意地悪な性格の、でも、どこまでもエネルギッシュな少女の声は、多くの人々の記憶に少しでも残っているだろうか。
イベント会場でも私の声が響き渡るたびに、笑顔と歓声が渦のように巻き起こり、その熱気が私に確かな手応えを与えてくれた。あの時の喜びは今でも鮮明に思い出せる。
けれど、あれから10年という月日が流れた。声優業界の景色もあの頃とは大きく変わってしまった。いつの間にか「声」だけではなく「顔」を出すことが当たり前になり、ライブイベントではダンスをしたり歌を歌ったりと、まるでアイドルのような活動が求められるようになった。私自身、ダンスも歌も嫌いではない。むしろ、人前で何かを表現することには、言葉にできない喜びを感じている。
それでも、心のどこかで拭えない焦燥感を覚えているのは、やはり年齢的な問題があるからだろうか。『今から、本格的にダンスレッスンを始めるなんて、少し遅すぎるかもしれない』『若い世代の、あの溢れるばかりのエネルギーには、もう到底敵わないのではないか』コンサートの楽しそうな映像を見るたびに、そんな不安が胸の奥を静かに締め付ける。
「このまま声優として、時代の変化の波にちゃんとついていけるのかな……」
私はヘッドホンをそっと外し、小さくため息をついた。カトリーヌという、過去の輝かしい足跡がある一方で、新しい挑戦への躊躇い、そして常に変化し続ける業界への、誰にも言えない焦り。それらの感情がまるで重い鉛のように、私の心を常に揺さぶっている。
そんな中、私は以前から表現の新しい形として、Vtuberの配信を参考に見ていた。特に温かいリスナーコミュニティを持つ『Fmすたーらいぶ』のライバーたちの配信は、私にとって、どこか懐かしいラジオのような、心地よい空間だった。
個性豊かなアバターを通して、自分の魅力を最大限に発揮し、リスナーと心を通わせる姿は、声優としての活動に行き詰まりを感じ始めていた私にとって希望の光のように見えた。実はそんな私も『すたリス』の一人だった。
そして、今年の夏に開催された『すたフェス』のオンライン配信を見た時、私の心は激しく揺さぶられた。アバターという、いわば仮の姿ではあるけど、自分の歌声を届け、画面の向こうの視聴者とまるで手を握り合っているかのような、強い感情的な一体感を生み出しているライバーたち。
顔が見えなくても、声とその奥にある想いだけで、これほどまでに人の心を深く動かすことができるのか。という言葉にできないほどの感動が私の全身を駆け巡った。
「私も、あの温かい光の中で歌いたい……自分の声で、自分の想いを、もっと自由に誰にも遠慮することなく表現したい……」
声優として、与えられたキャラクターを通して歌うことは、確かにある種の安心感を与えてくれた。キャラクターの背景や感情に寄り添いながら歌うことは、私にとって表現することの喜びの一つだった。
けれど、アバターという、もう一つの「私」を得ることで、画面の向こうの視聴者とより直接的な、剥き出しの感情的な繋がりを築き、私自身の内側から湧き上がってくる歌を、もっと自由に、もっとありのままの形で届けられるのではないか。そんな、まだ小さくけれど確かに熱を帯びた可能性が、私の心の中で、静かにしかし確実に膨らみ始めていた。
けれど、すぐに躊躇が押し寄せてきた。
今更、新しいことを始めるなんて、本当に私にできるのだろうか……?
長年続けてきた声優の仕事を、中途半端な気持ちで捨てるような真似はできない……
そんな不安が、頭の中で何度も何度も渦巻いた。勇気を出して『Fmすたーらいぶ』のオーディション情報ページを開いてはみるものの、応募資格を何度も確認しては、そっとページを閉じる。そんなことを数日間繰り返していた。
週末の午後、私は駅近くのカフェで元声優仲間の美咲と待ち合わせた。窓から差し込む柔らかな陽射しが、店内の穏やかな雰囲気を一層引き立てている。美咲は、少し遅れてやってきたけれどいつも通り笑顔だった。美咲は3年前に事務所を退所し、今は自分の夢であった舞台女優として活躍している。
「ごめんね、ちょっと道が混んじゃって」
「ううん。大丈夫」
私たちはそれぞれコーヒーを注文し、近況報告など他愛のない話でしばらく時間を過ごした。美咲は最近、舞台の仕事が立て込んでいるらしく、その充実した様子をキラキラとした瞳で語ってくれた。そして頃合いを見て、私は意を決して切り出した。
「美咲……実は、ちょっと相談があるんだ」
「どうしたの、栄美?そんな改まって」
私は、ここ数日悩んでいることを正直に打ち明けた。『Fmすたーらいぶ』というVtuber事務所のオーディションを見つけたこと、そこに強く惹かれる気持ちがあること、けれど、長年続けてきた声優の仕事を捨てることへの、拭いきれない迷いがあること……実はVtuberの配信を以前から見ていて『Fmすたーらいぶ』の温かい雰囲気に惹かれていること、そして何より、自分の歌をもっと自由に届けたいという、心の奥底にある願いを美咲に伝えた。
美咲は、私の言葉を一つ一つ聞いてくれた。そして、少し間を置いてコーヒーカップを両手で包み込みながら、ゆっくりと話し始めた。
「栄美。私もさ、今は舞台で頑張ってるけど、やっぱり新しい場所に飛び込むってすごく勇気がいることだよね。声優の世界で10年も続けてきたんだもん。それを手放すって並大抵の決意じゃできないと思う」
「そうだよね……」
「……でもね栄美。考えてもみて。栄美の声は、本当に色々な人に感動と笑顔を届けてきたじゃない?カトリーヌは今でもたくさんの人の心に残ってる。それは紛れもない事実だよ。でも、栄美自身はどうなの?本当に今のままで心の底から満足してる?」
美咲の言葉は、私の胸に深く突き刺さった。確かにカトリーヌ役は私の誇りだ。けれど、いつからだろうか……誰かの期待に応えることが、いつの間にか自分の表現の中心になってしまっていたのかもしれない。そして美咲は、さらに言葉を重ねた。
「私が事務所を辞めて舞台に挑戦するって言った時、栄美はなんて言ってくれたか覚えてる?『いいと思う。私は美咲の歌が好きだから、もっと自由に歌える場所に行ってほしい』って言ってくれたよね。今の私の気持ちも、あの時の栄美の気持ちと同じだよ。栄美の歌声は、もっともっとたくさんの人に届くべきだよ」
美咲は私の手をそっと握りしめ力強く言った。
「でも中途半端な覚悟じゃ、きっとうまくいかないよ。新しいことを始めるって想像以上にエネルギーがいるし、何よりこれまで積み上げてきたものを、一部でも残したまま新しいことに挑戦するって、どっちつかずになっちゃう気がするんだ。もし、本当にVtuberの世界に、心の底から惹かれていて、本気で挑戦したいと思うなら、それくらいの覚悟が必要なんじゃないかな。それに……栄美は『すたリス』って言ってたよね?自分が良いと思った場所なら、きっと素晴らしい仲間たちもいるはずだよ。人生は一度きりだよ、栄美。後悔しないように自分の心の声に正直になって頑張って」
「そうだよね…」
と、私は小さく呟いた。彼女の言葉は、私の心の奥底にずっと蓋をしていた感情に温かい光を当ててくれた。
私はもっと自由に歌いたい。もっと自分の心のままに表現したい。そして『すたフェス』のあの温かい光の中で歌いたい。後悔だけはしたくない。新しい世界に飛び込むなら、全身全霊で、後悔のないように挑戦したい。そう決意した。
13
あなたにおすすめの小説
隣に住んでいる後輩の『彼女』面がガチすぎて、オレの知ってるラブコメとはかなり違う気がする
夕姫
青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】
主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。
そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。
「え?私たち、付き合ってますよね?」
なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。
「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
異世界帰りの俺、現代日本にダンジョンが出現したので異世界経験を売ったり配信してみます
内田ヨシキ
ファンタジー
「あの魔物の倒し方なら、30万円で売るよ!」
――これは、現代日本にダンジョンが出現して間もない頃の物語。
カクヨムにて先行連載中です!
(https://kakuyomu.jp/works/16818023211703153243)
異世界で名を馳せた英雄「一条 拓斗(いちじょう たくと)」は、現代日本に帰還したはいいが、異世界で鍛えた魔力も身体能力も失われていた。
残ったのは魔物退治の経験や、魔法に関する知識、異世界言語能力など現代日本で役に立たないものばかり。
一般人として生活するようになった拓斗だったが、持てる能力を一切活かせない日々は苦痛だった。
そんな折、現代日本に迷宮と魔物が出現。それらは拓斗が異世界で散々見てきたものだった。
そして3年後、ついに迷宮で活動する国家資格を手にした拓斗は、安定も平穏も捨てて、自分のすべてを活かせるはずの迷宮へ赴く。
異世界人「フィリア」との出会いをきっかけに、拓斗は自分の異世界経験が、他の初心者同然の冒険者にとって非常に有益なものであると気づく。
やがて拓斗はフィリアと共に、魔物の倒し方や、迷宮探索のコツ、魔法の使い方などを、時に直接売り、時に動画配信してお金に変えていく。
さらには迷宮探索に有用なアイテムや、冒険者の能力を可視化する「ステータスカード」を発明する。
そんな彼らの活動は、ダンジョン黎明期の日本において重要なものとなっていき、公的機関に発展していく――。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
うちの冷蔵庫がダンジョンになった
空志戸レミ
ファンタジー
一二三大賞3:コミカライズ賞受賞
ある日の事、突然世界中にモンスターの跋扈するダンジョンが現れたことで人々は戦慄。
そんななかしがないサラリーマンの住むアパートに置かれた古びた2ドア冷蔵庫もまた、なぜかダンジョンと繋がってしまう。部屋の借主である男は酷く困惑しつつもその魔性に惹かれ、このひとりしか知らないダンジョンの攻略に乗り出すのだった…。
ダンジョンに行くことができるようになったが、職業が強すぎた
ひまなひと
ファンタジー
主人公がダンジョンに潜り、ステータスを強化し、強くなることを目指す物語である。
今の所、170話近くあります。
(修正していないものは1600です)
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
少しの間、家から追い出されたら芸能界デビューしてハーレム作ってました。コスプレのせいで。
昼寝部
キャラ文芸
俺、日向真白は義妹と幼馴染の策略により、10月31日のハロウィンの日にコスプレをすることとなった。
その日、コスプレの格好をしたまま少しの間、家を追い出された俺は、仕方なく街を歩いていると読者モデルの出版社で働く人に声をかけられる。
とても困っているようだったので、俺の写真を一枚だけ『読者モデル』に掲載することを了承する。
まさか、その写真がキッカケで芸能界デビューすることになるとは思いもせず……。
これは真白が芸能活動をしながら、義妹や幼馴染、アイドル、女優etcからモテモテとなり、全国の女性たちを魅了するだけのお話し。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる