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プロローグ

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 もう恋なんてしない。絶望はいつだって煌めきの中にあるのだ。


 鳴海なるみれいは、にぎやかな街をいつもより軽い足取りで歩く。ショートの髪を冬の冷たい夜風がさらい細身の体がぶるりと震えるが、その程度の事は今日ばかりは気にもならない。
 仕事を終え、利用客の『この後夕飯でもどう?』なんて誘いを普段通り笑顔でかわし、通常ならスーパーに寄ってまっすぐ一人暮らしのアパートに帰るだけだが。電車に乗ってここへやって来た。

 たどり着いた、所謂アニメショップでCDの売り場へとまっすぐに向かい、新譜のコーナーで足を止める。ジャケットが見える様に整然と陳列された中から目当てのものを手に取り、そこに記された名前を人差し指でそっとなぞる。

 相山あいやまあずさ――このシチュエーションCDの、キャラクターボイスを担当している声優の名だ。ただの文字だとしても、それを目にしただけでここ数ヶ月の疲れだとか被り続けた笑顔の仮面が、ゴトンと鈍い音を立てて床に落ちる心地を覚える。この瞬間が、怜にとっていちばんの楽しみと言っても過言ではない。

 レジに並びCD一枚のみを差し出すと、店員がチラリと怜を見上げた。女性がターゲットの商品だからだろう。所謂“オタク”同士だからか、もしくは気に留めるものでもないのか、この様な視線を受けるのはありがたいことに稀ではあるが、皆無でもなかった。
 最初こそ肩身の狭い思いもあったが、気にするのは早々とやめにした。ネットで買って自宅に届けてもらえばいいのかも知れないが、レコーディングスタジオで働いているのも相まって、CDを買う時は店に足を運ぶのが怜のこだわりだった。所詮気まずさもこの場限りで、次の客の接客時にはこの店員も自分のことなど綺麗サッパリ忘れるだろうし、自身だってすぐに忘れる。

 唯一だと信じた想いがニセモノだったのだから、目まぐるしい日常に散らばるこんな事など些細なものだった。


 ありがとうございました、との言葉に軽い会釈で応え踵を返す。

 今日の夕飯は出来合いのもので済ませよう。酒は特別強くはないけれど、コンビニで軽いチューハイを買うのもいい。風呂を済ませ寝るだけになったらCDをスマートフォンに取りこんで、ちょっと奮発して買った気に入りのイヤホンでベッドの中で聴きたい。

 空気の澄んだ朝方の道をひとり歩く時よりも、さっき電車を下りた時よりも。軽やかな足取りで怜は自宅へと急いだ。
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