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春に崩れる
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春。
ここ数ヶ月で、恭生は村井と指名の数で抜きつ抜かれつの争いを繰り広げるようになった。とは言っても、お互いに相手を蹴落としたいわけではない。オーナーや他のスタッフは微笑ましそうにしているし、当の恭生たちも日々それを楽しんでいる。切磋琢磨し合える、いいライバルだ。
客とのコミュニケーション、スタッフたちとの人間関係。仕事の充実感は技術以外の部分でも得られるのだと、強く実感する毎日だ。
もちろん村井のように陽気にとはいかないし、腕だって磨き続けていくけれど。
休日の朝。いつもならもう少しゆっくり寝ているところだが、ちいさなベランダの窓を開けて恭生は伸びをする。今日はいつもより念入りに掃除して、万全の状態に整えよう。
そう思っていたのに。
鳴り響いたドアチャイムの音に、つい零れる笑みを抑えられない。
「恭兄、おはよう」
「ふ、おはよう」
「なんで笑ってるの?」
「だって、こんなに早いと思わなくてさ。何時に家出てきた?」
「あー……はは、じっとしてられなくて」
「そっか」
大きなリュックを背負った朝陽を招き入れる。室内にはすでに、昨日届いた布団一式と小ぶりの段ボールが2つ積み重なっている。
朝陽と本当の恋人になって、この部屋で共に朝を迎えたことは何度かあった。今までのように仕事と大学の終わりに外で待ち合わせ、共に帰ってきたり。思う存分夜景を撮影した朝陽を、とっぷり暮れた夜にここで迎えたり。
そして今日。朝陽が大学三年生になったのを機に、共に暮らすことになった。
「持ってくるの、これだけでよかったのか?」
「うん。服と勉強道具とかがあれば十分だし。冬服は置いてきたから、必要になったら取りに行く」
「そっか」
心が浮足立っていて、どこか照れくさい。それが自分だけではないと、目が合うと淡く染まった顔を逸らす朝陽を見ていると分かる。窓から入ってくる春の香りは、くすぐったい心地によく似合う。
「じゃあさっそく荷解きするか。これ開けていい?」
「うん。あ、恭兄待った!」
「んー? ……あ、これ」
元々あったデスクは、朝陽に使ってもらおうと何もない状態にしてあった。そこに向かった朝陽の背を見ながら段ボールを開けると、入っていたとあるものに恭生は目を見張る。見られたくなかったのか朝陽は項垂れるが、お構いなしに取り出してそっと撫でる。
もうずいぶんと見ていなかった、あのうさぎのぬいぐるみだ。
「まだ持ってたんだな。もうないのかと思ってた」
「ずっと持ってたよ。恥ずかしくて言えなかったけど」
「でも、部屋にもずっとなかったよな?」
朝陽の部屋で遊ぶなんてことは、それこそもう数年はなかったが。恋人に振られ励ましてもらうのに、高校の時には二度訪れたことがある。その時にはもう、定位置だった朝陽の勉強机の上から、うさぎの姿は無くなっていて。自分を嫌いになったから捨ててしまったのだろうと、苦しくなったのを覚えている。
ベッドのほうへ向かい、ヘッドボードに置いてある柴犬のぬいぐるみへ手を伸ばす。ふたつ揃ったのはもういつぶりだろう。久しぶりの再会に、ぬいぐるみたちも心なしか嬉しそうに見える。
一緒に抱きしめると、朝陽もこちらへとやって来た。
「恭兄に彼氏がいる、って分かった時に、クローゼットの奥にしまっちゃったんだよね。見ると辛かったから。でも捨てる気にはどうしてもなれなくてさ。このうさぎは俺にとって、恭兄だし」
「それは忘れてたじゃん」
「ううん。ちいさい時に恭兄のうさぎ、って言ったってのは忘れちゃったけど。それでもずっと、恭兄のつもりで大事にしてたよ」
「朝陽……」
ふたりの間でぬいぐるみたちを抱いたまま、どちらからともなくキスをする。窓から射しているのはまだまだ朝の光で。肩を竦めるようにして、小さく笑い合う。
「よし、引っ越し終わらせないとな」
「だね。そうだ、これうちのお母さんから。俺のこと、よろしくお願いします、だって」
「あ、クッキーじゃん。おばさんのクッキー大好き」
「恭くんにあげるの久々だー、って張り切って作ってた」
「マジか。後でお礼の連絡しとく」
「ありがとう、絶対喜ぶ」
「まあ、大事な息子をたぶらかしてるんだけどな」
「それはお互い様だよ」
「はは、そっか」
それじゃあ、と今度こそ仕切り直す。少ないとは言え、段ボールは全て今日中に片してしまいたい。そう思っているのだが。
ふと気づくと、カメラが恭生へと向けられていた。
「……え? ちょ、朝陽、もしかして撮ってる?」
「うん、撮ってる。気にしないで」
「いやいや気にするって」
普段から自撮りをする習慣もなく、たまにサロンのSNS用にカットしている様子を撮られるくらいだ。それだってスマートフォンやタブレットでの撮影で、本格的なカメラを向けられたことはない。気にしない、というのはさすがに難しい。
だがカメラを下ろした朝陽の表情が、どこか切なそうで。恭生はそっと息を詰める。
「俺、今まで人物には興味なくて、夜景ばっかり撮ってきたんだけどさ。最近、っていうか、恭兄とまたたくさん一緒にいるようになったら、人物も撮ってみたいって思うようになったんだよね」
「…………」
「それってさ、まんま俺自身の興味なんだと思う。元々恭兄がいちばんだったけど、話さなくなってからは余計に、他人はどうでもよくなっててさ。でも、余裕ができた、のかな。恭兄と一緒にいて、もっと友だちとか、周りの人のことも大事にしたいなって思うようになった。大学も、前より楽しい」
「朝陽……」
朝陽がそんなことを考えているなんて、思ってもみなかった。
確かにちいさい頃から、友だちの誘いを断ってまで恭生の元にやって来る朝陽だったけれど。でもそんな朝陽が、視野を広げようとしている。自分たちの時間が再び動き出したことに、きっかけを得て。
「恭兄さえよかったら、たまにこうやって撮らせてもらいたいんだけど……駄目、かな」
「っ、うん、分かった。恥ずかしいけど、頑張る」
「ほんと? ありがとう、うわー、めっちゃ嬉しい」
朝陽のおかげで変わった自分がいるように、朝陽自身にもまた、いい影響があるのなら。こんなに喜ばしいことはないとさえ思う。思わず視界が潤みかけて、恭生はこっそり鼻を啜る。
「よし! じゃあまずは片づけ! な!」
「はは、そうだった」
ここ数ヶ月で、恭生は村井と指名の数で抜きつ抜かれつの争いを繰り広げるようになった。とは言っても、お互いに相手を蹴落としたいわけではない。オーナーや他のスタッフは微笑ましそうにしているし、当の恭生たちも日々それを楽しんでいる。切磋琢磨し合える、いいライバルだ。
客とのコミュニケーション、スタッフたちとの人間関係。仕事の充実感は技術以外の部分でも得られるのだと、強く実感する毎日だ。
もちろん村井のように陽気にとはいかないし、腕だって磨き続けていくけれど。
休日の朝。いつもならもう少しゆっくり寝ているところだが、ちいさなベランダの窓を開けて恭生は伸びをする。今日はいつもより念入りに掃除して、万全の状態に整えよう。
そう思っていたのに。
鳴り響いたドアチャイムの音に、つい零れる笑みを抑えられない。
「恭兄、おはよう」
「ふ、おはよう」
「なんで笑ってるの?」
「だって、こんなに早いと思わなくてさ。何時に家出てきた?」
「あー……はは、じっとしてられなくて」
「そっか」
大きなリュックを背負った朝陽を招き入れる。室内にはすでに、昨日届いた布団一式と小ぶりの段ボールが2つ積み重なっている。
朝陽と本当の恋人になって、この部屋で共に朝を迎えたことは何度かあった。今までのように仕事と大学の終わりに外で待ち合わせ、共に帰ってきたり。思う存分夜景を撮影した朝陽を、とっぷり暮れた夜にここで迎えたり。
そして今日。朝陽が大学三年生になったのを機に、共に暮らすことになった。
「持ってくるの、これだけでよかったのか?」
「うん。服と勉強道具とかがあれば十分だし。冬服は置いてきたから、必要になったら取りに行く」
「そっか」
心が浮足立っていて、どこか照れくさい。それが自分だけではないと、目が合うと淡く染まった顔を逸らす朝陽を見ていると分かる。窓から入ってくる春の香りは、くすぐったい心地によく似合う。
「じゃあさっそく荷解きするか。これ開けていい?」
「うん。あ、恭兄待った!」
「んー? ……あ、これ」
元々あったデスクは、朝陽に使ってもらおうと何もない状態にしてあった。そこに向かった朝陽の背を見ながら段ボールを開けると、入っていたとあるものに恭生は目を見張る。見られたくなかったのか朝陽は項垂れるが、お構いなしに取り出してそっと撫でる。
もうずいぶんと見ていなかった、あのうさぎのぬいぐるみだ。
「まだ持ってたんだな。もうないのかと思ってた」
「ずっと持ってたよ。恥ずかしくて言えなかったけど」
「でも、部屋にもずっとなかったよな?」
朝陽の部屋で遊ぶなんてことは、それこそもう数年はなかったが。恋人に振られ励ましてもらうのに、高校の時には二度訪れたことがある。その時にはもう、定位置だった朝陽の勉強机の上から、うさぎの姿は無くなっていて。自分を嫌いになったから捨ててしまったのだろうと、苦しくなったのを覚えている。
ベッドのほうへ向かい、ヘッドボードに置いてある柴犬のぬいぐるみへ手を伸ばす。ふたつ揃ったのはもういつぶりだろう。久しぶりの再会に、ぬいぐるみたちも心なしか嬉しそうに見える。
一緒に抱きしめると、朝陽もこちらへとやって来た。
「恭兄に彼氏がいる、って分かった時に、クローゼットの奥にしまっちゃったんだよね。見ると辛かったから。でも捨てる気にはどうしてもなれなくてさ。このうさぎは俺にとって、恭兄だし」
「それは忘れてたじゃん」
「ううん。ちいさい時に恭兄のうさぎ、って言ったってのは忘れちゃったけど。それでもずっと、恭兄のつもりで大事にしてたよ」
「朝陽……」
ふたりの間でぬいぐるみたちを抱いたまま、どちらからともなくキスをする。窓から射しているのはまだまだ朝の光で。肩を竦めるようにして、小さく笑い合う。
「よし、引っ越し終わらせないとな」
「だね。そうだ、これうちのお母さんから。俺のこと、よろしくお願いします、だって」
「あ、クッキーじゃん。おばさんのクッキー大好き」
「恭くんにあげるの久々だー、って張り切って作ってた」
「マジか。後でお礼の連絡しとく」
「ありがとう、絶対喜ぶ」
「まあ、大事な息子をたぶらかしてるんだけどな」
「それはお互い様だよ」
「はは、そっか」
それじゃあ、と今度こそ仕切り直す。少ないとは言え、段ボールは全て今日中に片してしまいたい。そう思っているのだが。
ふと気づくと、カメラが恭生へと向けられていた。
「……え? ちょ、朝陽、もしかして撮ってる?」
「うん、撮ってる。気にしないで」
「いやいや気にするって」
普段から自撮りをする習慣もなく、たまにサロンのSNS用にカットしている様子を撮られるくらいだ。それだってスマートフォンやタブレットでの撮影で、本格的なカメラを向けられたことはない。気にしない、というのはさすがに難しい。
だがカメラを下ろした朝陽の表情が、どこか切なそうで。恭生はそっと息を詰める。
「俺、今まで人物には興味なくて、夜景ばっかり撮ってきたんだけどさ。最近、っていうか、恭兄とまたたくさん一緒にいるようになったら、人物も撮ってみたいって思うようになったんだよね」
「…………」
「それってさ、まんま俺自身の興味なんだと思う。元々恭兄がいちばんだったけど、話さなくなってからは余計に、他人はどうでもよくなっててさ。でも、余裕ができた、のかな。恭兄と一緒にいて、もっと友だちとか、周りの人のことも大事にしたいなって思うようになった。大学も、前より楽しい」
「朝陽……」
朝陽がそんなことを考えているなんて、思ってもみなかった。
確かにちいさい頃から、友だちの誘いを断ってまで恭生の元にやって来る朝陽だったけれど。でもそんな朝陽が、視野を広げようとしている。自分たちの時間が再び動き出したことに、きっかけを得て。
「恭兄さえよかったら、たまにこうやって撮らせてもらいたいんだけど……駄目、かな」
「っ、うん、分かった。恥ずかしいけど、頑張る」
「ほんと? ありがとう、うわー、めっちゃ嬉しい」
朝陽のおかげで変わった自分がいるように、朝陽自身にもまた、いい影響があるのなら。こんなに喜ばしいことはないとさえ思う。思わず視界が潤みかけて、恭生はこっそり鼻を啜る。
「よし! じゃあまずは片づけ! な!」
「はは、そうだった」
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