新宿プッシールーム

はなざんまい

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アメショとノラ猫(3)

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トワがプッシールームを訪れて、2週間が経った

九に会うのは怖かったが、撮影日は否応なくやってくる


「事前にお知らせしていた通り、テーマは【谷根千の春をめぐる旅】です。よろしくお願いします」

集まったモデルは6人

多かれ少なかれ、顔を会わせたことのあるモデルばかりの見慣れた光景

だが、その中に、普段【Toutトゥ】の撮影では見かけない、でも知ってる顔を見つけてトワは慄然とした

ホストクラブでトワにプッシールームの話をした【Joliジョリ】のモデルの男だった

トワが自分に気づいたことに男も気づき、手を振ってきた

トワはそれを無視してロケ車に乗り込んだ


しばらくして、メイクや着替えを済ませた者から順にロケ車を降りてきた

九はヴィンテージの着物姿だった

「かわいー」

スタッフやモデル仲間から歓声が上がった

九はその視線の中を堂々と歩き、指示された店の前に立った

トワが九の撮影を見ていると、後ろから声が聞こえた

「やっぱり、女物似合いますね」

トワが横目で見ると、【Joliジョリ】のモデルの男が立っていた

「やっぱりああいう風俗やってると色気が出るのかなあ」

トワが男をにらんだ

「何か用?」

男は下品なニヤニヤ笑いを隠しもせず、

「プッシールーム2号店、行ったんでしょ?お目当てのコはいましたか?」

トワが黙っていると、男がスマホの画面を見せてきた

そこには、プッシールームに入るトワの姿が写っていた

「これが何?」

さっきまで、ザワザワしていた頭が急に静かになった

「風俗通いするトワさんです」

「見ればわかる」

「これじゃ弱いかあ…」

男はまたスマホを弄った

「それじゃあこっちは?プロに頼んだから、結構投資したんだよね」

それは、ガラス越しに自慰行為をする九の動画だった

「セットなら、さすがにまずいでしょ?写真と動画の位置情報で同じ場所かどうかもわかっちゃうし」


プッシールームは撮影NGだ
ましてや盗撮など、見つかったら即通報され出禁になる
と表向きには書いてあるが、実際はもっと怖い目に合うかもしれない
そこを掻い潜って盗撮できる人物なのだから、よっぽど腕があるのだろう

トワはヤクザのお偉いさんの息子だが、そういう特殊なジャンルのプロとは関わったことがない

そういう意味では井の中の蛙、鳥かごの中の鳥であり、世間知らずの子供であった

トワはすがるような思いで九を見た

その時、カメラから目をそらした九がトワの方を見た

小道具の桜の枝が風で揺れた

その桜の枝の合間からトワを見つけた九が、目を細めて笑った

まるで耽美主義の絵画のような風景だった

「トワ、入って!」

カメラマンの声で、絵画の世界から現実に引き戻されたトワは、まさに引っ張られるように九の元に向かった

「大丈夫?」
「うん」

トワは体勢を整えて、九に向かい合った

九はトワの背後を遠く眺めるような視線に変えた

「九。ごめんな」
「どうしたどうしたー?トワらしくもない」

傲慢で、わがままで、俺サマで

そんな自分が嫌になった

「九、後で話がある。撮影が終わったら、根津神社で待ってる」
「うん?」

それっきり、撮影中に九と話すことはなかった



夕焼けだんだんで、夕焼けを背景にした撮影を最後にロケは終了した

いつの間にか九の姿は消えていた
トワは急いで根津神社に向かった


「トーワさん」

根津神社に向かって足早に不忍通りを歩いていると、後ろから間延びした声が聞こえた

「さっきの話、終わってないんですけど、どこに行くつもりですか?」

【Joliジョリ】のモデルの男だった

「帰るだけだけど?」

「バラされてもいいってこと?」

「お前が何をしたいか知らないけど、好きにしたら?」

早く根津神社に行きたかったが、九の待つ場所にこの男を連れていきたくない

トワは思い直して、「望みは?」と聞いた

男はニヤリと笑って、
「雑誌を降板してください」
と言った

「俺が【Toutトゥ】のモデルになれればいいんで、トワさんだけ辞めてくれれば、画像も動画も破棄します。全部バラされて、九さんと共倒れよりはいいでしょ?」

「どっちにしろ、俺は辞めなきゃならなくなるのね」

トワは、いつの間にか靴の裏にくっついていたガムを、路面にこすりつけた

「トワさんは俺とキャラが被ってるので、正直邪魔なんですよね。でも九さんは守れますよ。九さんと並んで写りたいし」

男のニヤけが増した
トワに逆鱗があるなら、いま触れられたと思った

トワは努めて冷静に声を落とした

「俺が降りても、お前が起用される保証はないだろ?」

「ありますって。今回撮影に呼ばれたのがその証拠です」

「だったら自力で勝ち取れよ」

力任せにグリグリと靴を動かしていると、ペタペタとした嫌な感触が消えていった

「うーん。そういう不確かなものには頼りたくない、というか、勝つためには勝率あげたいと思うのは当然じゃないですか?」

トワは目線を足元から男に移した
路面に黒く変色したガムのカスがくっついていた

「考えとくわ」

ガムが取れたので、トワは男をその場に残して歩きだした
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