新宿プッシールーム

はなざんまい

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ロシアンブルーは寝たい(2)

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二人は店を出て新宿方面に向かって歩き出した

「アットさん、秋葉原じゃなかったでしたっけ?」

「飯誘ったの俺なんだから送らせてよ」

「タクシーで帰るので、気にしなくてもいいですよ」

リンはスマホを取り出すと、タクシーの配車アプリを開いた


「できれば歩きで送りたいんだけど…」

「は?大久保ですよ?」

「歩けなくはないだろ?」

「そうですけど…」


それは【送る】と言えるのだろうか

昨日の夜からいままで、休みなく考え動いていた

明日にはまたマサトに会って話をしなければならない

正直、いまはただ泥のように眠りたかった



「歩ききる自信がないんで、そうなったら途中でタクシー拾いますけど…」

「それでいいよ」

リンは、スマホをポケットにしまって歩き出した

「さっきの話の続きだけど、あんた自身がそういう経験をしたから、歌詞を強烈に覚えていたってことはない?」

アットはリンを振り返るような格好で歩いた

「あいにく。語れるほどの恋愛経験ないですから」

リンは冷たく言いはなった

それは本当だ
複雑な家庭環境、父親の死、継母との確執、一人で生きていくためにしてきたこと



確かに一人だけ、好きになった人はいたけれど…


アットはと言えば、後ろ向きに歩きながら、リンから理想の答えを聞きたくてウズウズしているように見えた


それならば…

「そうですね。もしそうだとしたら、俺はずっと、その人【以外】の人を【以外】としてしかみられなくなるんでしょうね」



リンはそう言って立ち止まった



そこは、一昨日訪れたばかりの、新宿御苑沿いの散策路だった



リンは、拳を握りしめた

「そんな悲しい人生、俺はいやだ」

心の底から絞り出すような声だった

アットが後ろ向きに歩くのをやめた
ガツンとハンマーで頭を殴られたような気がした

リンは、あくびを噛み殺して、

「と思っているので、アットさんの仮説は間違っていると思います。それじゃあ約束通り、限界なのでタクシーで帰ります」

スマホを操作した

※※※※※※※※※※※※

アットの歌は、あくまで歌で、人生ではない


リンもそのことはきっとわかっているだろう
 

わかっていても、伝えたかった
誤解させたままでいたくなかった


まだ未来に希望しかないはずの歳若き青年に


アットはリンのスマホを持つ手をつかんだ

※※※※※※※※※※※※

アットをタクシーに同乗させたはいいものの、空腹が満たされた気持ちよさに車の揺れの心地よさが加わり、リンは一瞬で眠りに落ちた


アットは、リンが寝落ちしたのを見て、さっきの自分の行動を深く突っ込まれずに済んで、とりあえずホッとした


人恋しいわけでも、傷を舐め合いたいわけでもない


それはわかって欲しかった



だが、こんな流れの中では、とてもわかってもらえるとは思えない



だから時間がほしかった

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