新宿プッシールーム

はなざんまい

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手綱Ⅱ

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「ども」

マサトは開店の30分前に店に来る

リンもその時間を狙って店に来た

「リン、昨日はありがとな」

昨日の今日で疲れているだろうに、マサトはいつも通りだった

疲れを機嫌に出さないところが、マサトのいいところだ


そろそろ、何かあったときにマサトの仕事を代われる者を一人置きたい

そうでなければ、マサトは新婚旅行にも行けない

少し前ならエチゼンやアヤメ辺りが適任だったが、どちらも辞めてしまった

自分がやるという手もあるが、現場のスタッフとのやり取りを、マサトみたいに上手にやれる自信はない


「結婚式の写真、アットさんからたくさん見せてもらいました。やっぱり俺も直に見たかったです」

「お前はいつも貧乏くじばかりだな」

「そういう星のもとに生まれたんでしょうね。でも、得ているものも大きいから仕方がないと思います」

「そう思えるお前がすごいよ」

マサトがシャッターを上げて、電気をつけた


リンが辞めてから半年以上経つ

店内はほとんど変わっていなかった

「この落ち着きはなんなんでしょうね。世間的には結構ひどい仕事だったと思うんですが」

「そう言うな。タキや九は天職だと思ってるぞ」

マサトは受付カウンターに入ると端末の電源を入れた

業者からのメールや予約客のチェックをするのだ


リンが、控え室からその様子を見ていると

「昨日のことなんだろ?」

マサトが背中を向けたまま聞いた

「はい」

リンはこの3日間で知った【ハセ】の情報を、マサトに話した


【ハセ】の本名は【馳直之はせなおし】といい、継母の実弟である

継母は最初の結婚でハセ姓から離れ、さらにリンの父親と再婚して【副島そえじま】となった




昨日、鮭児が車につけたGPSが止まった場所は、新宿区上落合のマンションだった


「しまった。これじゃあ部屋がつきとめられないね」

鮭児は回収したGPSを手のひらの上で転がして言った

「十分です。ありがとうございます」

「他に調べたいことある?」

「ハセが捕まった時の状況を詳しく知りたいのですが」

「りょうかーい」

鮭児は、買い物でも頼まれたかのような調子で返事をすると、「また連絡するねー」と言って帰っていった


リンはそのマンションを知っていた

以前は、継母の登記だった建物のはずである

相続の時は、まだ17歳だったし、借金さえ相続しなければなんでもいいくらいに考えていた

代理人の手続きやらなにやらを、すべて長谷川に任せてしまったから気づかなかった

もしかしたら、継母の登記から、ハセに移った不動産物件が他にもあるかもしれない


そもそもリンは、義叔父がいるということを、継母が死んでから初めて知った

弁護士がついてくれたから安心しきっていたが、きっと元から【ハセ】の息がかかった者だったのだろう

ではなぜ【ハセ】は自分で出てこず、【長谷川】という影武者を寄越したのか



理由はひとつ


※※※※※※※※※※


「逮捕されていたからか…」

マサトが唸った

リンはうなすいた

「ハセが逮捕されたのは、2016年3月19日です。継母ははが死んだのは5月20日、約2か月のラグがありますが、時期が近いことが気になっていて、これも鮭児さんに調査してもらおうかと思っています」

リンがスマホのスケジュールアプリを読み上げた

自分のスケジュールは別のアプリで管理していて、こちらは長谷川やハセ関連の出来事をまとめてある


「それからサタのことですが…」

リンが2021年のカレンダーまで戻って話そうとすると、マサトが青ざめた顔でリンを見ていた


「いま、何て言った?」
「え?サタですか?」
「違う!その前だ」
「ハセが逮捕された日と、継母が死んだ日が近いのが気になる、と」
「ハセが逮捕された日だよ!」
「2016年3月19日ですけど…」





間違いない

マサトは頭を抱えた


その日を忘れはしない

16年秋冬コレクションの最終日

六本木のクラブで打ち上げがあった日

そして、滋が長谷川にホテルに連れ込まれた日ー


「何か気になることでも?」

マサトは首を横に振った

この事は、滋のプライバシーに関わる問題だ

いくら同志に近いリンでも言えない


リンは、そんなマサトを尻目に話を続けることにした

早くしないとプレイヤーが出勤してくる

仕事が終わったあとでもいいが、要件だけは伝えておきたい

「以前、サタゼンジが押し入った事件。サタがどうやってヒヤさんのことを知ったのか気になってたんですが、ようやくわかって」

一昨日、刑事の曽根から『ついでに』と聞かされたのだ

「サタの友だちが、ハセと同じ静岡刑務所に収監されていて、そこでヒヤさんの情報を得たみたいです。サタは、『プッシールームのオーナーには話をつけてあるから、ヒヤは自分のものだ』と警察で言ったそうです」

「ということは、やっぱりこの店の代理人は、長谷川じゃなくてハセだったんだな?」

リンがうなずいた

「長谷川は、ハセが収監されている間、影武者的なことをしてたのかもしれません。ヒヤさんを入れるとき、長谷川はハセにお伺いを立てたんじゃないでしょうか」

「ということは、実権は、あくまでハセが握っていたってことか」

「だと思います」




そのハセが出所してきたとしたら、まずやることはなんだろう

自分がハセだったらどうするか、マサトは考えた

まず、長谷川に預けていたはずの店が、リンの元に返ってしまったことに対する制裁

それから、リンを脅迫するなりして、奪われた店舗を取り戻す



あとは…


どうしても不安を拭えない

気休め程度にしかならないが、忠告しておかないと、きっと後悔する

「お前も気を付けた方がいい。あ、用心棒にアット使えよな。あいつああ見えても腕っぷしだけは結構強いから」


いきなりアットの名前を出され、リンは朝見たアットのたくましい背中を思い出して、唾を飲み込んだ
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