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第19話 慈愛溢れる殺戮の聖母
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「あの……大丈夫、ですか?」
困惑気味に、ミラは目の前で尻餅をついたままの若者へと右手を差し伸べる。
リゼルは微妙に困ったように頬の辺りを指先で掻きながら、その手を控え目に取って立ち上がった。
「あ、うん……すみません。僕なんかに気を遣って頂いて」
「えっと、敬語、なくていいですよ。私、別に偉くも何ともないし……普通にお話しして下さった方が私も気が楽なので」
ふにゃっと力のない微笑を浮かべるミラの様子に、リゼルは目を瞬かせた。
「え、でも……貴女の方こそ……」
「私のこれは、昔からの癖なので……色々な方から余所余所しく感じるから普通に喋ってほしいって怒られたんですけど、結局直せなくて。これが私にとっての普通なんです。だから気にしなくていいですよ? その……貴方がどうしても不快だと仰るのなら、頑張って直す努力はしますけど」
本当に、直そうとはしたものの直らなかったのだろう。
彼女にとっては、敬語遣いが既に当たり前のものとして身に染みついてしまっているため普通なのだ。逆に丁寧ではない言葉遣いをしようとした時の方がぎこちなくなってしまうのである。
彼女からの理由を聞いて、リゼルも一応は納得したのか、あっさりと言葉遣いを改めた。
「……ううん、僕は特に気にしていないけれど。それじゃあ、遠慮なく……ありがとう」
ふっと控え目に笑む彼の顔を見て、ミラの顔にもようやく安堵の色が戻った。
きっと……誰にでも優しい人なんだろうな、この人。
そんなことを考えて──彼女は、彼が先程自分のことを庇おうとしてくれていたことを改めて思い出した。
「……先程は、ありがとうございました。私のこと、庇ってくれて……私を庇っても、貴方の立場が悪くなってしまうのに」
「それくらい、何でもないよ。僕が下級貴族家の使用人だってことは本当のことだし。悪口を言われるのも馬鹿にされるのも今更って言うか、慣れてるしね。……それに」
リゼルは視線をミラから外してある方へと向ける。
「事実じゃないと分かってることを、見て見ぬふりしちゃ駄目だと思うんだ」
彼の様子につられて、ミラもそちらへと目を向ける。
二人が注目する先には──聖母のように微笑するアリステアの前で並んで正座をさせられているセトとナギの姿があった。
「も~、駄目よ~、セト君。それにナギ君も。女の子相手に凄んだりしたら」
説教……というよりも小言、の方がニュアンス的には近いだろう。やや困ったように眉尻を下げてやんわりと言葉を紡ぐアリステアを真正面から見上げるセトとナギの額には、うっすらと冷や汗が浮かんでいる。
両者共に先程までの迫力は何処へやら、全身がちがちに固まって置き物のようになっていた。
「女の子はね、いつでも男の子には『私が一番魅力的な女なんだ』って思ってもらいたいものなの。だから自分が想いを寄せてる人が自分じゃない別の女の子を好きだと知ったら、嫉妬してその子に意地悪しちゃいたくなるものなのよ。私だって、夫が誰か別の女性と仲良さそうにお食事していたら、やきもち焼いちゃうかもしれないわ」
「あはは、僕がそんなことをするような男に見えるのかい?」
いつの間にかファズの背後に立っていたリソラスが、微妙に困ったように苦笑している。
「アリステア、僕にとってはいつでも君が一番の女性さ。浮気なんて絶対にしないから安心してよ。……とても怖くてそんなことなんてできやしないからね」
最後の一言は物凄く小声で、すぐ前に立っていたファズ以外の耳には入らなかったようだ。
ファズは何事もなかったかのように、誰もいない方向へとそっと視線を向けた。俺は何も聞いてない知らないぞ、と言わんばかりのニュアンスがありありと口元に表情として表れていた。
「うふふ、ありがとう。光栄ですわ、あなた」
アリステアは本当に嬉しそうに夫へと微笑みかけて、再度セトたちの方へと視線を戻した。
「貴方たちにとって、ミラちゃんがとっても大事な子だってことは、分かってるわ。彼女が誰かに苛められていたら、守ってあげなきゃってつい飛び出しちゃう気持ちも分かるの。……でもね、事情もちゃんと知ろうとしないでいきなりああいう風にしちゃうのは駄目よ。分かった?」
びきっ。
人差し指を立てて二人に了承の意を求める彼女の足下で、石畳が音を立てながら爆ぜて捲れ上がった。
金色の聖母が無造作に踏み締めた爪先が、煉瓦を砕いたのだ。分厚い石が薄氷の如く扱われている有様に、次期王候補の二人は一気に青ざめて縮み上がってしまった。
「わ、分かった! もうしない! しません! 誓います! 申し訳ありませんでした!」
「ごめんごめんごめんごめんなさいごめんなさい二度と女の子相手に威嚇したり喧嘩売ったりしません! 約束するからぁぁ! 許してぇぇぇ!」
「分かってくれればいいの。もう二度とおいたしちゃ駄目よ? いいわね?」
『はいっ!!』
「いい子ね~」
ぶんぶんと何度も首を縦に振る男たちに、アリステアは満足そうに頷いて──次にその視線を、傍らで団子になったままの女生徒たちへと向けた。
「貴女たちがその子に嫉妬したくなっちゃう気持ち、よーく分かるわ。……でもね、彼女はセト君が正式に契りの誓いを立てて婚約を申し込んだ子なの。その約束は、この国が法の下に認めて神様が祝福して下さっている神聖なものなのよ。人間である貴女たちがそれに反対することは罪になる……私が言っていること、分かるわね?」
「ち、違います違うんです! わ、私はレオノーラに……あの女に無理矢理脅されて! 仕方なく! 私は嫌だって言ったのに──」
「ちょっとっ、何自分だけ助かろうとか言い訳してるのよ! 一番ノリノリだったのはあんたじゃないのっ!」
「何とでも言いなさいよ! 罪人の肩を持って自分の人生棒に振るとかまっぴら御免だわ!」
「…………」
自分たちのボスを呼び捨てにするばかりか、責任の所在をなすりつける始末。
何処までも我が身が一番可愛いのだろう。彼女たちにとっては。自分たちさえ良ければ、その他のことなどどうでも良いのだ。
ミラは、彼女たちのことを少しでも案じた自分が何だか情けなく思えてきた。
ひょっとしたら、先程ナギが彼女たちに尋問した時点で素直に事のあらましを話していたら、ここまでの大事には発展しなかったのかもしれないが……後悔先に立たずというやつだ。今更である。
「……貴女たちのお話は、校長室の方でゆっくりと伺うわ。貴女たちの責任者だっていう、レオノーラさんもお呼びしてゆーっくり……ね?」
アリステアに連れられて、女生徒たちは一人残らずこの場から去って行く。
その時の表情は、まるで斬首台まで連行される死刑囚のようであった。
別に拘束されているわけではないのだから、逃げようと思えば逃げ出せるのだろうが……誰一人として、走り出そうとする者はいない。
アリステアに窘められて心の底から反省したのだろうか。それとも……
「……自業自得とはいえ、哀れだな」
それまで全く姿を見せず、言葉も発しなかったシュイが小さく呟くのが聞こえた。
あっ、とそれまで大人しく正座していたナギが跳ねるように頭上を睨む。
「一人だけ逃げんな卑怯だぞシュイ!」
「戦略的撤退だ。いつまでもその場に残っているお前が悪い」
「ふざけんなこの野郎! お前がやったこと、後でアリステアさんに全部チクってやるから覚悟しとけよ!」
「やれるものならやってみるがいい。その時はお前が本棚の裏に後生大事に隠している珠玉牛のスモークチーズを残らず食ってやるからな」
「おまっ、何でそれを知って……汚ぇぞチーズ質取りやがって!」
「頭の悪い造語を使うな。アヴィル家の品格が落ちる」
ぎゃーす、と言い争いを始めるナギとシュイ。その様子を見つめるミラとリゼルの口が半開きになっている。
二人の背後にそっと近付いてきたファズが、溜め息混じりに説明してくれた。
「……俺たちは、全員此処に修学してたんだ。高等部までだが……当時、アリステアさんには特に世話になってたんだよ……あいつらはな」
特に、の部分に何とも言い難い奇妙なニュアンスが含まれているのを感じたリゼルは、言葉にこそしなかったものの瞬時に悟ったのだった。
……あ、問題児だったんだね……あの人たち。
「彼女はああ見えて、竜人の中で一、二を争う力を持ってるんだ。権力じゃなくて、物理的な意味でな」
その一言で、三人の視線が自然と先程までアリステアが立っていた場所へと向く。
彼女がほんの少し力を入れただけで破砕した石畳が、そこに残っていた。
「本気になったセトですら子供扱いになるような人だ……一応誤解がないように言っておくが、あの人はとてもおしとやかで母性愛に溢れた優しい人だぞ? ただ……いや、うん……世の中には知らない方が幸せなこともある。この話題はこれでおしまいにしておこう。単なるおっさんの思い出話として聞き流しておいてくれ」
イ・アリステア・ツェルティク・ティファレトは、竜人の中では知らぬ者のいない『竜人最強の女』である。
ティファレト種には二つの特徴がある。ひとつは『女性が割合の大多数を占める種』であること。そしてもうひとつは『竜人中最強の腕力を持つ種』であることだ。アリステアはその中でも突出した腕っ節の強さを誇る存在なのである。
彼女が魔法を扱う才能に恵まれなかったことと、何より当人が「自分は国の政治に関わるよりも子供たちの教育に携わっている方が性に合っている」と主張してリソラスと番になったことから、彼女が女王となることはなかったが──もしも彼女が統治者の椅子に座ることを承諾していたら、次の王は彼女になっていただろうと唱える竜人は少なくない。現王も、彼女が独身であったなら息子との再婚を勧めていたかもしれないと語っていたほどだという。
あんなにお菓子作りが上手で、上品で、とても他人に手を上げるようには見えない人なのに……
セトさんたちが学生だった頃はあの人をそんなに困らせてばかりだったことも、何だか想像しづらい……ナギさんは悪戯好きみたいだけど。
やっぱり、竜人ってよく分からない。
未だに地べたに正座したまま項垂れているセト。姿の見えないシュイと、彼に八重歯を剥き出しにして吠え声を上げているナギ。
自分のことを過保護を通り越して異常とも言えるレベルで可愛がってくれる未来の家族たちに、ミラは複雑な表情を向けたのだった。
困惑気味に、ミラは目の前で尻餅をついたままの若者へと右手を差し伸べる。
リゼルは微妙に困ったように頬の辺りを指先で掻きながら、その手を控え目に取って立ち上がった。
「あ、うん……すみません。僕なんかに気を遣って頂いて」
「えっと、敬語、なくていいですよ。私、別に偉くも何ともないし……普通にお話しして下さった方が私も気が楽なので」
ふにゃっと力のない微笑を浮かべるミラの様子に、リゼルは目を瞬かせた。
「え、でも……貴女の方こそ……」
「私のこれは、昔からの癖なので……色々な方から余所余所しく感じるから普通に喋ってほしいって怒られたんですけど、結局直せなくて。これが私にとっての普通なんです。だから気にしなくていいですよ? その……貴方がどうしても不快だと仰るのなら、頑張って直す努力はしますけど」
本当に、直そうとはしたものの直らなかったのだろう。
彼女にとっては、敬語遣いが既に当たり前のものとして身に染みついてしまっているため普通なのだ。逆に丁寧ではない言葉遣いをしようとした時の方がぎこちなくなってしまうのである。
彼女からの理由を聞いて、リゼルも一応は納得したのか、あっさりと言葉遣いを改めた。
「……ううん、僕は特に気にしていないけれど。それじゃあ、遠慮なく……ありがとう」
ふっと控え目に笑む彼の顔を見て、ミラの顔にもようやく安堵の色が戻った。
きっと……誰にでも優しい人なんだろうな、この人。
そんなことを考えて──彼女は、彼が先程自分のことを庇おうとしてくれていたことを改めて思い出した。
「……先程は、ありがとうございました。私のこと、庇ってくれて……私を庇っても、貴方の立場が悪くなってしまうのに」
「それくらい、何でもないよ。僕が下級貴族家の使用人だってことは本当のことだし。悪口を言われるのも馬鹿にされるのも今更って言うか、慣れてるしね。……それに」
リゼルは視線をミラから外してある方へと向ける。
「事実じゃないと分かってることを、見て見ぬふりしちゃ駄目だと思うんだ」
彼の様子につられて、ミラもそちらへと目を向ける。
二人が注目する先には──聖母のように微笑するアリステアの前で並んで正座をさせられているセトとナギの姿があった。
「も~、駄目よ~、セト君。それにナギ君も。女の子相手に凄んだりしたら」
説教……というよりも小言、の方がニュアンス的には近いだろう。やや困ったように眉尻を下げてやんわりと言葉を紡ぐアリステアを真正面から見上げるセトとナギの額には、うっすらと冷や汗が浮かんでいる。
両者共に先程までの迫力は何処へやら、全身がちがちに固まって置き物のようになっていた。
「女の子はね、いつでも男の子には『私が一番魅力的な女なんだ』って思ってもらいたいものなの。だから自分が想いを寄せてる人が自分じゃない別の女の子を好きだと知ったら、嫉妬してその子に意地悪しちゃいたくなるものなのよ。私だって、夫が誰か別の女性と仲良さそうにお食事していたら、やきもち焼いちゃうかもしれないわ」
「あはは、僕がそんなことをするような男に見えるのかい?」
いつの間にかファズの背後に立っていたリソラスが、微妙に困ったように苦笑している。
「アリステア、僕にとってはいつでも君が一番の女性さ。浮気なんて絶対にしないから安心してよ。……とても怖くてそんなことなんてできやしないからね」
最後の一言は物凄く小声で、すぐ前に立っていたファズ以外の耳には入らなかったようだ。
ファズは何事もなかったかのように、誰もいない方向へとそっと視線を向けた。俺は何も聞いてない知らないぞ、と言わんばかりのニュアンスがありありと口元に表情として表れていた。
「うふふ、ありがとう。光栄ですわ、あなた」
アリステアは本当に嬉しそうに夫へと微笑みかけて、再度セトたちの方へと視線を戻した。
「貴方たちにとって、ミラちゃんがとっても大事な子だってことは、分かってるわ。彼女が誰かに苛められていたら、守ってあげなきゃってつい飛び出しちゃう気持ちも分かるの。……でもね、事情もちゃんと知ろうとしないでいきなりああいう風にしちゃうのは駄目よ。分かった?」
びきっ。
人差し指を立てて二人に了承の意を求める彼女の足下で、石畳が音を立てながら爆ぜて捲れ上がった。
金色の聖母が無造作に踏み締めた爪先が、煉瓦を砕いたのだ。分厚い石が薄氷の如く扱われている有様に、次期王候補の二人は一気に青ざめて縮み上がってしまった。
「わ、分かった! もうしない! しません! 誓います! 申し訳ありませんでした!」
「ごめんごめんごめんごめんなさいごめんなさい二度と女の子相手に威嚇したり喧嘩売ったりしません! 約束するからぁぁ! 許してぇぇぇ!」
「分かってくれればいいの。もう二度とおいたしちゃ駄目よ? いいわね?」
『はいっ!!』
「いい子ね~」
ぶんぶんと何度も首を縦に振る男たちに、アリステアは満足そうに頷いて──次にその視線を、傍らで団子になったままの女生徒たちへと向けた。
「貴女たちがその子に嫉妬したくなっちゃう気持ち、よーく分かるわ。……でもね、彼女はセト君が正式に契りの誓いを立てて婚約を申し込んだ子なの。その約束は、この国が法の下に認めて神様が祝福して下さっている神聖なものなのよ。人間である貴女たちがそれに反対することは罪になる……私が言っていること、分かるわね?」
「ち、違います違うんです! わ、私はレオノーラに……あの女に無理矢理脅されて! 仕方なく! 私は嫌だって言ったのに──」
「ちょっとっ、何自分だけ助かろうとか言い訳してるのよ! 一番ノリノリだったのはあんたじゃないのっ!」
「何とでも言いなさいよ! 罪人の肩を持って自分の人生棒に振るとかまっぴら御免だわ!」
「…………」
自分たちのボスを呼び捨てにするばかりか、責任の所在をなすりつける始末。
何処までも我が身が一番可愛いのだろう。彼女たちにとっては。自分たちさえ良ければ、その他のことなどどうでも良いのだ。
ミラは、彼女たちのことを少しでも案じた自分が何だか情けなく思えてきた。
ひょっとしたら、先程ナギが彼女たちに尋問した時点で素直に事のあらましを話していたら、ここまでの大事には発展しなかったのかもしれないが……後悔先に立たずというやつだ。今更である。
「……貴女たちのお話は、校長室の方でゆっくりと伺うわ。貴女たちの責任者だっていう、レオノーラさんもお呼びしてゆーっくり……ね?」
アリステアに連れられて、女生徒たちは一人残らずこの場から去って行く。
その時の表情は、まるで斬首台まで連行される死刑囚のようであった。
別に拘束されているわけではないのだから、逃げようと思えば逃げ出せるのだろうが……誰一人として、走り出そうとする者はいない。
アリステアに窘められて心の底から反省したのだろうか。それとも……
「……自業自得とはいえ、哀れだな」
それまで全く姿を見せず、言葉も発しなかったシュイが小さく呟くのが聞こえた。
あっ、とそれまで大人しく正座していたナギが跳ねるように頭上を睨む。
「一人だけ逃げんな卑怯だぞシュイ!」
「戦略的撤退だ。いつまでもその場に残っているお前が悪い」
「ふざけんなこの野郎! お前がやったこと、後でアリステアさんに全部チクってやるから覚悟しとけよ!」
「やれるものならやってみるがいい。その時はお前が本棚の裏に後生大事に隠している珠玉牛のスモークチーズを残らず食ってやるからな」
「おまっ、何でそれを知って……汚ぇぞチーズ質取りやがって!」
「頭の悪い造語を使うな。アヴィル家の品格が落ちる」
ぎゃーす、と言い争いを始めるナギとシュイ。その様子を見つめるミラとリゼルの口が半開きになっている。
二人の背後にそっと近付いてきたファズが、溜め息混じりに説明してくれた。
「……俺たちは、全員此処に修学してたんだ。高等部までだが……当時、アリステアさんには特に世話になってたんだよ……あいつらはな」
特に、の部分に何とも言い難い奇妙なニュアンスが含まれているのを感じたリゼルは、言葉にこそしなかったものの瞬時に悟ったのだった。
……あ、問題児だったんだね……あの人たち。
「彼女はああ見えて、竜人の中で一、二を争う力を持ってるんだ。権力じゃなくて、物理的な意味でな」
その一言で、三人の視線が自然と先程までアリステアが立っていた場所へと向く。
彼女がほんの少し力を入れただけで破砕した石畳が、そこに残っていた。
「本気になったセトですら子供扱いになるような人だ……一応誤解がないように言っておくが、あの人はとてもおしとやかで母性愛に溢れた優しい人だぞ? ただ……いや、うん……世の中には知らない方が幸せなこともある。この話題はこれでおしまいにしておこう。単なるおっさんの思い出話として聞き流しておいてくれ」
イ・アリステア・ツェルティク・ティファレトは、竜人の中では知らぬ者のいない『竜人最強の女』である。
ティファレト種には二つの特徴がある。ひとつは『女性が割合の大多数を占める種』であること。そしてもうひとつは『竜人中最強の腕力を持つ種』であることだ。アリステアはその中でも突出した腕っ節の強さを誇る存在なのである。
彼女が魔法を扱う才能に恵まれなかったことと、何より当人が「自分は国の政治に関わるよりも子供たちの教育に携わっている方が性に合っている」と主張してリソラスと番になったことから、彼女が女王となることはなかったが──もしも彼女が統治者の椅子に座ることを承諾していたら、次の王は彼女になっていただろうと唱える竜人は少なくない。現王も、彼女が独身であったなら息子との再婚を勧めていたかもしれないと語っていたほどだという。
あんなにお菓子作りが上手で、上品で、とても他人に手を上げるようには見えない人なのに……
セトさんたちが学生だった頃はあの人をそんなに困らせてばかりだったことも、何だか想像しづらい……ナギさんは悪戯好きみたいだけど。
やっぱり、竜人ってよく分からない。
未だに地べたに正座したまま項垂れているセト。姿の見えないシュイと、彼に八重歯を剥き出しにして吠え声を上げているナギ。
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