三十路の魔法使い

高柳神羅

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第83話 愚かな男に制裁を

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「アッハハハァ、威勢がいいな! いいぞ、威勢のいい奴は嫌いじゃない!」
 哄笑しながら、ガクは俺との間合いを一瞬で詰めてきた。
 裸足だというのに床に落ちている砂粒の感触をものともせず、いや裸足だからこそ逆にできることなのか、普通の人間が体現した動きとはとても思えない脅威のスピードで、奴は俺の懐に飛び込む。
 そのまま、右の拳を打ち抜くように垂直に振り上げる!
 俺は咄嗟に顎を引いて、何とか奴のアッパーカットを避けた。
 しかし続けて繰り出された左の拳に頬を真横から殴られて、俺は派手に体制を崩してしまった。
 両足を踏ん張って、何とか転倒だけはするまいと堪える。
 その思いを見透かされたかのように、踵から右足を掬われる。
「っ!」
 俺は尻から仰向けに床に倒れた。
 ぶつけた尻が痛いと考えた俺の意識が、一瞬だけガクに対する注意力を疎かにさせる。
 その一瞬の隙を突いて、無防備になっていた俺の左腕を、ガクは力一杯に踏み潰した。
 かつてユーリルに粉砕された骨が、悲鳴を上げる。
 魔法とて、万能の力ではない。砕けた骨を完璧に痕跡すら残さずに治すには、天性の才能が必要なのだ。
 かつてミライは俺のちぎれた右足を元通りに治療してみせたが、その所業は円卓の賢者と言われる彼女の才能があってこそ可能とされるもの。俺は確かに神から魔法の力を授かりはしたが、天性の才能までもを与えられたわけじゃない。俺の魔法の才能では、粉砕骨折レベルの負傷ともなると、どうしても治療した痕跡というものが幾分かは残ってしまうのである。
 言わば、俺の左腕には古傷があるようなものなのだ。
 そこをピンポイントで攻撃されて、平然としていられるはずがない。
 踏まれた左腕に、雷で撃たれたかのようなショックが走る。俺は思わず体を弓なりに反らして、叫んでいた。
「あぁあああああッ!」
「痛いか? そうだよな、痛いだろうな。あの時、でっかいハンマーで盛大にぶっ叩かれてたもんなぁ……きっと骨なんぞ粉々になってただろうな? 元通りくっついて良かったなぁ、おれも嬉しいよ。もういっぺん、心置きなくぶち折ることができるんだもんなぁ!」
 ぐりっ、と左腕を踏みつけている足に捻りが加えられる。
 こいつ、本当に生身の人間か!? 力が非常識すぎる!
「……エンチャント・ストレングス!」
 痛みに抗いながら必死に魔法を唱える。
 魔法の効果によって、俺の全身に力が満ちる。増幅された腕力で、俺はガクの足を無理矢理振り払った。
「!……おっと」
 よろけるガクを尻目に、俺はその場を転がりながら起き上がった。
 左腕が痛む……が、辛うじて骨を折られることは免れたらしい。
 立ち上がる俺に、ガクは興味津々の眼差しを向けた。
「あんた……対価もなしに魔法が使えるのか? こいつは驚いた」
 その表情は──物珍しい生き物か骨董品でも見ている時の顔だった。
 ぺろりと唇を舐めて、口の端を上げる。
「魔道士の奴隷を欲しがってる貴族連中に高値で売れそうだなぁ……よし、あんたは殺さずに捕獲することにしようか。ちょいとばかり歳食ってるのが惜しいが……まあ、探せばおっさんでも構わんって客はいるだろう」
「おっさんって言うな。そう言うあんただって似たようなもんだろうが」
 俺の言葉に奴は肩を竦めた。
「生憎だが、おれはまだ二十五だ。あんたと違って若い」
「はぁ!?」
 てっきり俺と同じくらいだと思ってたぞ。老け顔だな、おい!
 というか、四捨五入したら結局三十だろうが! 威張るな!
 俺は真っ向から奴に殴りかかった。
 もちろん、俺の力など世の同年代の男たちと比較したら平均的なレベルでしかない。普通に殴った程度では相手を昏倒させることなどできやしない。
 しかし、今の俺の体には先程掛けた腕力強化の魔法の効果が残っている。まともに顔に入れば、一撃で行動不能にすることも不可能じゃない!
 俺の繰り出した右の拳が、相手の顔の中心へと吸い込まれていく。
 鼻頭に命中する──その寸前のところで、奴は拳を軽々と受け止めた。
 それも、右手一本で。無造作に。
 ……まさか、太い丸太すら一撃でへし折る威力があるんだぞ!? それを、こうもあっさりと……
 ガクは両目を細めて笑った。
「……ただの人間に、何でこうも人間離れした力があるんだって思っただろう。不思議だなぁ、何でだろうなぁ?」
 拳が掴まれて、そのままぐっと握り潰される。
 みし、と拳の骨が軋んだ気がした。俺は慌てて奴の手を振り払い、奴から距離を置いた。
 奴はにやついたまま、腰に辛うじて引っ掛かった状態だったズボンに両手を掛けた。
「サービスだ。特別に見せてやるよ」
 何の躊躇いもなく、ズボンを下ろす。
 左の足の付け根に、奇妙な形をした刺青があった。葡萄の皮みたいな微妙に赤味がかった紫色で、ちょっとだけ形の雰囲気は梵字に似ている。文字は形の異なるものが幾つか連なっており、輪っかのように腿をぐるりと囲っていた。
「こいつは『魔紋』っていう強化魔法の一種だ。何でも魔法の力を文字にして直接体に植え付けることで、魔法が使えない奴でも文字に秘められた魔法の力を使えるようになる代物らしい。まだ研究中の魔法らしいから、付与できる魔法の種類は限られてるらしいがな」
 魔法が使えない人間に、魔法の力を与える……?
 俺の脳裏に、一瞬ユーリルの姿がよぎった。
 彼も、何もない場所から武器を作り出すという魔法の力を自在に操れるようになっていた。彼にその能力を与えたのは十中八九魔帝だろうが、あれと、この魔紋という魔法の力はよく似ている気がする。
 おそらく奴は、この魔紋の力とやらで人間離れした怪力を手に入れたのだろう。
 奴が持っている妙なまでの自信も、そこから来ているものか。
 奴が誰から魔紋を施してもらったのかという疑問はあるが、とりあえずあれもれっきとした魔法の一種であることは理解した。
 それならば──
 俺は奴に人差し指の先を突きつけて、叫んだ。

「アンチ・マジック!」

 虹色の光がガクの全身を包み込んだ。
 アンチ・マジックは全ての魔法を『例外なく』元の何の力も持たないただの魔力に戻す力だ。それが文字の形をしていて直接体に埋め込むような形式のものだろうが関係はない!
 アンチ・マジックの効果を受けた奴の魔紋が、水で洗われたかのように溶けて消えていく。
 それを目にした奴から、一瞬にして余裕の色が消えた。
「なっ……魔紋が、消え……!?」
 俺は奴の懐に飛び込んだ。胸の前で拳を構えながら。
 奴が慌てて身構える。
「てめぇっ、一体何をしやがっ──」
「エンチャント・ストレングス!」
 効果が消えていた腕力強化の魔法を掛け直し、思い切り拳を打ち込んだ!

 どずん!

「おごぉ!?」
 鳩尾に深々と拳が突き刺さる。
 ガクは開いた口から唾を吐き出して、かくんと両膝を折った。
 今の一撃で全身が小刻みに震えている。丸太を折るほどの力の塊が叩きつけられたのだからそれは当然だ。
 だが──これだけで終わりにしてやるほど俺は甘くはない。
 俺はガクを仰向けに押し倒し、奴の顔に背を向ける形で腹の上に馬乗りになった。
 そして、さっきから奴が動く度に左右に揺れ動いていた、未だに頭を擡げているそれを──玉ごと鷲掴みにして力一杯握り潰した!
「あぎゃあああああッ!?」
 ガクが絶叫して足をばたつかせた。
 そりゃそうだろう。普通に掴まれただけでも痛い男の急所なのだ。人間の腕力を遥かに超える力で握り潰されようものなら、その時に感じる激痛とショックは推して知るべしである。
「こんな汚いもんをフォルテに見せやがって……二度とそんな真似ができないように潰してやるよ。ああ、それとももぎ取ってその口に突っ込んでやろうか? 自分で好きなだけ自分に奉仕してやるといい」
「あっ……ひっ……い、痛い痛い、そこだけは、それだけはっ、勘弁……」
 先程までの威勢の良さは何処へやら。一変してみっともなく懇願し始めた奴に、俺は肩越しに冷酷な眼差しを向けた。
「どの口が言えた義理だ、この男の風上にも置けない糞野郎が。フォルテが受けた心の痛みは……こんなもんじゃないんだぞ!」
「やめぇあああああっ!」
 指の間で潰されて変形したそれの先端から、ちょろちょろと生温かい液体が出てきて俺の手を濡らした。
 通常ではありえない形に折り曲げられたことによって生じた激痛と、潰されるという恐怖に襲われて、耐え切れずに失禁してしまったらしい。
 汚物で手を汚されたということも許し難いが──それ以上に、フォルテに言葉では表現できないほどの恐怖を与えておいて自分はみっともなく許しを乞うというこいつのその態度が、俺には何よりも許せなかった。
 慈悲はない。予定通りに綺麗さっぱりもぎ取って、二度と男として生きていくことができないようにしてやる!
 俺は引きちぎらんばかりの勢いで、握り潰したそれを引っ張った。
 今までにないほどの声量で悲鳴が上がる。奴の全身が、もはや暴れる体力すら失ってしまったのか、びくんびくんと大きく痙攣を繰り返している。
 ──ぽん、と俺の右肩に優しく置かれる誰かの手。
「それくらいにしといてやれ。おっさん」
 リュウガが、剣を肩に担いだ格好で俺のことを見下ろしていた。
「一応の目的は果たしたんだし、あんたがそれ以上やる必要はねぇよ。この野郎もオレたちに手を出したらどうなるか十分思い知っただろうしな、なぁ?」
 彼がガクの顔に視線をずらして問いかけると、奴は涙と鼻水と涎にまみれて汚くなった顔を必死に縦に何度も振った。
「ほれ、離してやりな」
 俺としてはまだまだやり足りないのだが……渋々、手を離してガクの上からどいてやる。
 ガクは震える全身を何とか動かして、立ち上がった。
「……恩に着るよ、あんた……」
「なぁに……」
 リュウガはにやりとして、担いでいた剣を無造作に一閃させた。
 赤い雫が床に散る。ぽとり、と落ちる、透明な液体に濡れた棒状の肉。
「……え」
 一瞬何が起きたのか分からなかったらしい。ガクは、目の前に落ちたそれを信じられないものを見るような目で見つめた。
 振るった剣を肩に担ぎ直して、リュウガが嗤う。
「玉は勘弁してやる。さっさとその汚ぇのを持って此処から消えな。新鮮なうちに腕のいい神官に治療してもらえば、ひょっとしたらくっつくかもしれねぇぜ?」
「ひっ……あぁあああああっ!」
 先端から未だに血の混ざった尿を吐き出しているそれを慌てて拾い上げ、ガクは全裸のまま部屋の外へと飛び出していった。
 俺は横目でリュウガを睨んだ。
「……俺には勘弁してやれって言っときながら、言動が一致してないじゃないか」
「オレは『あんたがそれ以上やる必要はねぇ』って言ったんだぜ。オレが何もしねぇとは一言も言ってねぇよ」
「……子供の屁理屈だぞ、それは」
「別にいいじゃねぇかよ。オレだって嵌められて頭にきてたんだ、一発くらい仕返しさせろよな」
 悪びれた様子もなく肩を竦めて笑っているリュウガをとりあえず放置して、俺は床に縛られ転がされたままのフォルテに近付いた。
 手を差し伸べると、フォルテはびくっと身を震わせた。
 一瞬、俺に触られることを嫌がったようにも見えたが……気にしないようにして、彼女の手足を縛っている縄を解いてやる。
 近くに、彼女が着ていた服は落ちていない。その辺の箱に突っ込まれているか、それとも破り捨てられてしまったか……どちらであるにせよ裸のままでいさせるのはまずいので、俺は自分が着ていた外套を脱いで着せてやった。一応前が閉じられるやつだしフォルテの身長なら全身が隠れるから、万が一服が見つからなかったとしても何処かの街で代わりの服を探すまでの繋ぎにはなるだろう。
「……来るのが遅くなって、すまん」
 床の上に身を小さくして座り俯いているフォルテに、優しく声を掛けると。
 彼女は潤んだままの瞳で俺の顔を上目遣いに見つめて、小さくこくんと頷いた。
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