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第2話 旅館は来る者を拒まない
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「お名前の確認が取れました。それではこれより、お部屋に御案内致します」
台帳を閉じて、アレクはカウンターから出てきた。
どうやら、無事に名前の照合が済んだようだ。
若者は未だに信じられないものを見るような目でアレクのことを見ているが、まがりなりにも世界渡りをする勇者なのだ。そのうち慣れるだろう。
「お荷物はございますか?」
アレクの問いかけに、ようやく受け答えができる程度には落ち着いたらしい若者が首を振って答える。
「小さい鞄しかないんで自分で持ちますよ」
確かに、若者が持っているのは小さな学生鞄ひとつだけだ。
「分かりました」
アレクは頷いて、腰に下げていた鍵の束を手に取った。
古めかしい形状の鍵ひとつひとつに、小さな番号札が付いている。宿泊客を部屋に案内したら、此処から対応する鍵を取り外して渡しているのだ。
「どうぞ、こちらに」
アレクはゆっくりとした足取りで歩き始めた。
その後を若者が小股で付いていく。
カウンターの横にある階段を一段ずつ上がり、二階へと移動する。
二階は主に客室が並ぶフロアだ。臙脂色の絨毯が敷かれた廊下の左右に、ナンバープレートの付いた扉が規則正しく並んでいる。
アレクは二〇六号室と書かれた扉の前で立ち止まった。
「ミツルギ様のお部屋は二〇六号室になります」
「あの、お兄さん」
鍵の束から二〇六と書かれた札の付いた鍵を取り外しながら説明するアレクに、若者が尋ねた。
「お兄さんは……怪物なんですか?」
「……まあ、人間ではありませんね」
アレクは若者の方に振り向きながら、苦笑した。
アレクにとって、この質問は既に何百回とされたことのある馴染みの質問なのだ。これもひとつのコミュニケーションとして彼は捉えているのである。
嫌な顔ひとつせずに、笑顔だけを客人に見せて。
それが彼の此処での役割であり、大事な勤めなのだ。
「それでも……心は人間と同じだと、僕は思っていますよ」
手にした鍵を、扉の鍵穴に差し込む。
かちゃり、と鍵を回して扉を開き、若者に部屋に入るように促した。
「お食事は七時、十二時、十八時に一階の大広間にて御用意しております。浴場は二十四時間常に開放しておりますので、お好きな時に御利用下さい。タオルや着替えはクローゼットの中に用意してあります。何か困ったことがありましたら、フロントの方にお声掛け下さい」
「……分かりました」
「それでは、良きひと時をお過ごし下さいませ」
若者に鍵を手渡し、深々と一礼をする。
また頭が首から取れて落ちたのを、慣れた手つきでキャッチした。
扉がぱたんと閉まる。
アレクは体勢を元に戻して、頭を首の上に乗せた。
「やっほ、アレクちゃん」
そんな彼の肩を背後からぽんと叩く、メイド姿の女性。
くるくると巻いた金髪を花のように結い上げた、ルビーのような赤い瞳が妖艶な雰囲気を漂わせている女性だ。
手には使い古された室内用の箒を持っている。
「リルディア」
「新しいお客さん、結構いい男じゃない。あれだけ若いと精気もたんまり持ってそうよねぇ」
リルディアは閉じた扉を見つめて、ぺろりと唇を舐めて笑った。
彼女はリリスだから、人間の若い男が持つ精気が好きなのだ。
新しい客人が来る度にそのことを口にしては、アレクに呆れられている。これも毎度の遣り取りなのである。
「寝静まった頃を見計らって襲いに行っちゃおうかしら」
「……駄目だよ、リルディア。大切なお客様にそんなことをするんじゃない」
アレクは溜め息をついて、踵を返した。
カウンターに戻ろうとする彼の後を、リルディアが箒で床をこつんこつんと叩きながら付いていく。
「冗談よ、冗談。ほんとアレクちゃんには冗談通じないんだから」
「仕事は終わったのか? 三一二号室の掃除とか」
「それはこれからやるところ」
階段を下りてカウンターの中に戻ったアレクを、リルディアは腰に手を当てながらじっと見つめた。
「アレクちゃんもたまには遊ばなきゃ駄目よ。あたしが夜伽の相手でもしてあげよっか?」
「……悪趣味なことを言うんじゃない」
眉間に皺を寄せて頭を掻くアレク。
彼は生真面目すぎる故に、こういう大人の冗談というものが苦手なのだ。
顔はそれなりに整っているしスタイルもまあまあ見える方だというのに、何とももったいない話である。
リルディアはあははと笑って手を振りながらアレクの前から去っていった。
再び静かになったフロントで、アレクは台帳のチェックを始めた。
今日は何人の客人が来て、どの部屋に泊まっているのか。受けた要望はあるか。それを事細かに見ていく。
そうして三十分ほどが過ぎた頃。
玄関扉が、重たい音を立てて開いた。
「いらっしゃいませ」
台帳を閉じて、アレクは一礼をする。
中に入ってきたのは、だぼっとした白いシャツを着た一人の少女だった。
明らかに部屋着と分かる緩めのズボンを履いており、足は裸足。背中まで伸びた茶色の髪はぼさぼさで、虚ろに前を見つめる目には生気がまるでない。
年齢は……十二、三歳といったところか。歳の割には少々大人びて見える、そんな少女である。
「ホテル・ミラージュにようこそ。お客様は……」
そこまで言って、アレクは口を噤んだ。
彼が注目しているのは、少女の手首。
幾重にも折られた袖口から覗く少女の細い手首には、赤い線が何本も刻まれている。
そして、少女の右手には。
血の付いた小さな剃刀が握られていた。
それ以外には何も持っていない。
どうやら……訳ありの客人のようだね。
アレクはカウンターを出て、まっすぐに少女の元へと歩いていった。
台帳を閉じて、アレクはカウンターから出てきた。
どうやら、無事に名前の照合が済んだようだ。
若者は未だに信じられないものを見るような目でアレクのことを見ているが、まがりなりにも世界渡りをする勇者なのだ。そのうち慣れるだろう。
「お荷物はございますか?」
アレクの問いかけに、ようやく受け答えができる程度には落ち着いたらしい若者が首を振って答える。
「小さい鞄しかないんで自分で持ちますよ」
確かに、若者が持っているのは小さな学生鞄ひとつだけだ。
「分かりました」
アレクは頷いて、腰に下げていた鍵の束を手に取った。
古めかしい形状の鍵ひとつひとつに、小さな番号札が付いている。宿泊客を部屋に案内したら、此処から対応する鍵を取り外して渡しているのだ。
「どうぞ、こちらに」
アレクはゆっくりとした足取りで歩き始めた。
その後を若者が小股で付いていく。
カウンターの横にある階段を一段ずつ上がり、二階へと移動する。
二階は主に客室が並ぶフロアだ。臙脂色の絨毯が敷かれた廊下の左右に、ナンバープレートの付いた扉が規則正しく並んでいる。
アレクは二〇六号室と書かれた扉の前で立ち止まった。
「ミツルギ様のお部屋は二〇六号室になります」
「あの、お兄さん」
鍵の束から二〇六と書かれた札の付いた鍵を取り外しながら説明するアレクに、若者が尋ねた。
「お兄さんは……怪物なんですか?」
「……まあ、人間ではありませんね」
アレクは若者の方に振り向きながら、苦笑した。
アレクにとって、この質問は既に何百回とされたことのある馴染みの質問なのだ。これもひとつのコミュニケーションとして彼は捉えているのである。
嫌な顔ひとつせずに、笑顔だけを客人に見せて。
それが彼の此処での役割であり、大事な勤めなのだ。
「それでも……心は人間と同じだと、僕は思っていますよ」
手にした鍵を、扉の鍵穴に差し込む。
かちゃり、と鍵を回して扉を開き、若者に部屋に入るように促した。
「お食事は七時、十二時、十八時に一階の大広間にて御用意しております。浴場は二十四時間常に開放しておりますので、お好きな時に御利用下さい。タオルや着替えはクローゼットの中に用意してあります。何か困ったことがありましたら、フロントの方にお声掛け下さい」
「……分かりました」
「それでは、良きひと時をお過ごし下さいませ」
若者に鍵を手渡し、深々と一礼をする。
また頭が首から取れて落ちたのを、慣れた手つきでキャッチした。
扉がぱたんと閉まる。
アレクは体勢を元に戻して、頭を首の上に乗せた。
「やっほ、アレクちゃん」
そんな彼の肩を背後からぽんと叩く、メイド姿の女性。
くるくると巻いた金髪を花のように結い上げた、ルビーのような赤い瞳が妖艶な雰囲気を漂わせている女性だ。
手には使い古された室内用の箒を持っている。
「リルディア」
「新しいお客さん、結構いい男じゃない。あれだけ若いと精気もたんまり持ってそうよねぇ」
リルディアは閉じた扉を見つめて、ぺろりと唇を舐めて笑った。
彼女はリリスだから、人間の若い男が持つ精気が好きなのだ。
新しい客人が来る度にそのことを口にしては、アレクに呆れられている。これも毎度の遣り取りなのである。
「寝静まった頃を見計らって襲いに行っちゃおうかしら」
「……駄目だよ、リルディア。大切なお客様にそんなことをするんじゃない」
アレクは溜め息をついて、踵を返した。
カウンターに戻ろうとする彼の後を、リルディアが箒で床をこつんこつんと叩きながら付いていく。
「冗談よ、冗談。ほんとアレクちゃんには冗談通じないんだから」
「仕事は終わったのか? 三一二号室の掃除とか」
「それはこれからやるところ」
階段を下りてカウンターの中に戻ったアレクを、リルディアは腰に手を当てながらじっと見つめた。
「アレクちゃんもたまには遊ばなきゃ駄目よ。あたしが夜伽の相手でもしてあげよっか?」
「……悪趣味なことを言うんじゃない」
眉間に皺を寄せて頭を掻くアレク。
彼は生真面目すぎる故に、こういう大人の冗談というものが苦手なのだ。
顔はそれなりに整っているしスタイルもまあまあ見える方だというのに、何とももったいない話である。
リルディアはあははと笑って手を振りながらアレクの前から去っていった。
再び静かになったフロントで、アレクは台帳のチェックを始めた。
今日は何人の客人が来て、どの部屋に泊まっているのか。受けた要望はあるか。それを事細かに見ていく。
そうして三十分ほどが過ぎた頃。
玄関扉が、重たい音を立てて開いた。
「いらっしゃいませ」
台帳を閉じて、アレクは一礼をする。
中に入ってきたのは、だぼっとした白いシャツを着た一人の少女だった。
明らかに部屋着と分かる緩めのズボンを履いており、足は裸足。背中まで伸びた茶色の髪はぼさぼさで、虚ろに前を見つめる目には生気がまるでない。
年齢は……十二、三歳といったところか。歳の割には少々大人びて見える、そんな少女である。
「ホテル・ミラージュにようこそ。お客様は……」
そこまで言って、アレクは口を噤んだ。
彼が注目しているのは、少女の手首。
幾重にも折られた袖口から覗く少女の細い手首には、赤い線が何本も刻まれている。
そして、少女の右手には。
血の付いた小さな剃刀が握られていた。
それ以外には何も持っていない。
どうやら……訳ありの客人のようだね。
アレクはカウンターを出て、まっすぐに少女の元へと歩いていった。
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