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第30話 またいつか
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何の夢を見ていたのかは覚えていない。しかし何だか満たされたような幸せな気分で、俺は目を覚ました。
昨日あれだけ動いてくたくたになったというのに、体には疲れが全く残っていない。
きっと、このベッドの寝心地が良かったからだろうな。高級ホテルにあるようなふわふわなベッドだもんな。
寝癖が付いてちょっぴり跳ねた髪を姿見を見ながら手櫛で整えて、旅装束を着込んで鎧を身に着けて身支度を整える。
部屋の外に出ると丁度使用人が俺を迎えに来ていたところで、俺は使用人に案内されて食堂へと連れて行かれた。
席には既に料理が並べられていた。ふんわりと焼かれたオムレツ、彩り豊かな野菜のサラダ、焼き立てで香ばしい香りを放っている窯焼きパン、粒々のコーンが大量に浮かんだスープ……朝飯らしい、胃に優しい軽食だった。
アーシャは先に席に座っていて、パンにバターを塗っているところだった。
「おはようございます、勇者様。すみません、お先に頂いておりました」
彼女は俺の方を見てにこりと微笑んだ。
その様子は、出会った時と同じ俺に対して友好の意を示した領主としてのものだった。
昨日、俺の腕の中で見せていた女としての顔はそこにはない。
魅了の力が切れたから、彼女も落ち着きを取り戻したのだろう。
あれだけのことをしたのだから、そのことを覚えていて俺に何らかの感情を抱いていても不思議ではないと思っていたのだが。
ほっとしたような、残念なような……複雑な気分だった。
俺は料理を食べながら、彼女と他愛のない話をした。
彼女は終始微笑みながら俺の話を聞いていて、彼女の方からも、これから俺が訪れることになるであろう遠くの街についての話を聞かせてくれた。
そこは東部の国境付近にある街で、関所として重要な役目を持っている場所だという。
何でも、アーシャには今年二十歳になる妹がいて、彼女はそこの街の領主をやっているのだそうだ。
アーシャはその妹に宛てた紹介状を書いて俺に渡してくれた。それには俺がその街に訪れた時には色々と取り計らってくれるようにといった旨のことが書かれているらしい。
風呂釜のことといい、アーシャには何から何まで世話になりっぱなしだ。
俺は彼女のことを己の欲のままに抱いてしまったというのに。
こんな勇者で、ごめん。胸中でそっと彼女に謝りながら、俺は料理を口に運び続けたのだった。
「それじゃあ……俺、行くよ。招待してくれただけじゃなくて色々としてくれて、ありがとう」
屋敷の門の前で。見送りに来てくれたアーシャに笑いかけながら、俺は世話になった礼を言った。
「最近、色々と物騒になっていると聞きます……道中は御気を付けて。これからの勇者様の旅が、安寧なものとなりますように」
アーシャはにこりと微笑んだ。
そして、俺の傍までやって来て──そっと、正面から俺を抱き締めた。
「いつか、また……此処にいらして下さい。また勇者様とお会いできる日を、心待ちにしておりますから」
その抱擁が単純に親愛の情を示すものなのか、それとも女としての感情を含んだものなのか、俺には分からなかった。
でも、これは紛れもない彼女から俺に向けられた気持ちだ。
その気持ちを無碍にする気は、俺にはない。
俺は、軽く彼女を抱き締め返した。世話になった感謝の気持ちを込めて。
「元気でな」
小さくそう言葉を掛けて、彼女の体から手を離す。
背を向けて歩き出す俺を、アーシャは微笑んだままいつまでも見送ってくれた。
巨大ゴーレムが破壊した壁の修復のために、多くの人やゴーレムが集められている。そんな賑やかな工房の前に行くと、先に到着していたらしいソルとリンネが工房を何気なく眺めている姿が目に入った。
「悪い。待たせたか?」
声を掛けると二人はこちらに振り向いて、うーんと少し考え込んだ後に言った。
「そんなに待ってないよ。二十分くらいかなぁ……本当はもう少し早く来る予定だったんだけど、ソルが宿屋でもたもたしてたから遅くなっちゃった」
「よく言うぜ。鞄の中身をぶちまけて仕度に手間取ってたのはお前の方だろ」
「あれはぶちまけたんじゃない! 道具の状態をチェックしてたんだよ!」
「どっちでも大して変わらないだろうが」
「……あんたたち、事あるごとに言い争うのはいい加減やめろよ。旅仲間なんだから、もう少し仲良くしてくれよ」
いつもの調子で喧嘩しかける二人を嗜めて、俺は溜め息をついた。
この空気。やっぱり俺には、何の遠慮もなしに過ごせるこの空間が一番だ。
呆れ顔が、つい緩んでしまう。
その頬を軽く叩いて、俺は二人に行こうと声を掛けた。
「この街を出る前に、昨日行った風呂釜屋に寄るぞ。そこで風呂釜を貰えることになってるんだ」
「風呂を? そんな高級品、一体どうしたってんだよ」
「ああ。話せば長くなるんだけど、実は──」
──今日も、天気が良い。この分なら夜になっても十分に晴れているだろう。
夜になったら、早速手に入れた風呂を試そう。満天の星空の下でゆったりと入る風呂……きっと最高だろうな。
弾んだ気分で風呂釜屋に向かって歩きながら、俺は目の前で輝く太陽に視線を向けたのだった。
昨日あれだけ動いてくたくたになったというのに、体には疲れが全く残っていない。
きっと、このベッドの寝心地が良かったからだろうな。高級ホテルにあるようなふわふわなベッドだもんな。
寝癖が付いてちょっぴり跳ねた髪を姿見を見ながら手櫛で整えて、旅装束を着込んで鎧を身に着けて身支度を整える。
部屋の外に出ると丁度使用人が俺を迎えに来ていたところで、俺は使用人に案内されて食堂へと連れて行かれた。
席には既に料理が並べられていた。ふんわりと焼かれたオムレツ、彩り豊かな野菜のサラダ、焼き立てで香ばしい香りを放っている窯焼きパン、粒々のコーンが大量に浮かんだスープ……朝飯らしい、胃に優しい軽食だった。
アーシャは先に席に座っていて、パンにバターを塗っているところだった。
「おはようございます、勇者様。すみません、お先に頂いておりました」
彼女は俺の方を見てにこりと微笑んだ。
その様子は、出会った時と同じ俺に対して友好の意を示した領主としてのものだった。
昨日、俺の腕の中で見せていた女としての顔はそこにはない。
魅了の力が切れたから、彼女も落ち着きを取り戻したのだろう。
あれだけのことをしたのだから、そのことを覚えていて俺に何らかの感情を抱いていても不思議ではないと思っていたのだが。
ほっとしたような、残念なような……複雑な気分だった。
俺は料理を食べながら、彼女と他愛のない話をした。
彼女は終始微笑みながら俺の話を聞いていて、彼女の方からも、これから俺が訪れることになるであろう遠くの街についての話を聞かせてくれた。
そこは東部の国境付近にある街で、関所として重要な役目を持っている場所だという。
何でも、アーシャには今年二十歳になる妹がいて、彼女はそこの街の領主をやっているのだそうだ。
アーシャはその妹に宛てた紹介状を書いて俺に渡してくれた。それには俺がその街に訪れた時には色々と取り計らってくれるようにといった旨のことが書かれているらしい。
風呂釜のことといい、アーシャには何から何まで世話になりっぱなしだ。
俺は彼女のことを己の欲のままに抱いてしまったというのに。
こんな勇者で、ごめん。胸中でそっと彼女に謝りながら、俺は料理を口に運び続けたのだった。
「それじゃあ……俺、行くよ。招待してくれただけじゃなくて色々としてくれて、ありがとう」
屋敷の門の前で。見送りに来てくれたアーシャに笑いかけながら、俺は世話になった礼を言った。
「最近、色々と物騒になっていると聞きます……道中は御気を付けて。これからの勇者様の旅が、安寧なものとなりますように」
アーシャはにこりと微笑んだ。
そして、俺の傍までやって来て──そっと、正面から俺を抱き締めた。
「いつか、また……此処にいらして下さい。また勇者様とお会いできる日を、心待ちにしておりますから」
その抱擁が単純に親愛の情を示すものなのか、それとも女としての感情を含んだものなのか、俺には分からなかった。
でも、これは紛れもない彼女から俺に向けられた気持ちだ。
その気持ちを無碍にする気は、俺にはない。
俺は、軽く彼女を抱き締め返した。世話になった感謝の気持ちを込めて。
「元気でな」
小さくそう言葉を掛けて、彼女の体から手を離す。
背を向けて歩き出す俺を、アーシャは微笑んだままいつまでも見送ってくれた。
巨大ゴーレムが破壊した壁の修復のために、多くの人やゴーレムが集められている。そんな賑やかな工房の前に行くと、先に到着していたらしいソルとリンネが工房を何気なく眺めている姿が目に入った。
「悪い。待たせたか?」
声を掛けると二人はこちらに振り向いて、うーんと少し考え込んだ後に言った。
「そんなに待ってないよ。二十分くらいかなぁ……本当はもう少し早く来る予定だったんだけど、ソルが宿屋でもたもたしてたから遅くなっちゃった」
「よく言うぜ。鞄の中身をぶちまけて仕度に手間取ってたのはお前の方だろ」
「あれはぶちまけたんじゃない! 道具の状態をチェックしてたんだよ!」
「どっちでも大して変わらないだろうが」
「……あんたたち、事あるごとに言い争うのはいい加減やめろよ。旅仲間なんだから、もう少し仲良くしてくれよ」
いつもの調子で喧嘩しかける二人を嗜めて、俺は溜め息をついた。
この空気。やっぱり俺には、何の遠慮もなしに過ごせるこの空間が一番だ。
呆れ顔が、つい緩んでしまう。
その頬を軽く叩いて、俺は二人に行こうと声を掛けた。
「この街を出る前に、昨日行った風呂釜屋に寄るぞ。そこで風呂釜を貰えることになってるんだ」
「風呂を? そんな高級品、一体どうしたってんだよ」
「ああ。話せば長くなるんだけど、実は──」
──今日も、天気が良い。この分なら夜になっても十分に晴れているだろう。
夜になったら、早速手に入れた風呂を試そう。満天の星空の下でゆったりと入る風呂……きっと最高だろうな。
弾んだ気分で風呂釜屋に向かって歩きながら、俺は目の前で輝く太陽に視線を向けたのだった。
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