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11 キャンベル婦人1
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「お嬢様! まあ、綺麗になって。ああ、私の天使ちゃん!」
涙を流しながら、私に抱き付くのは、中年の女性だ。
く、苦しい。女性の細い腕が、ぎゅうぎゅうと締め付けてくる。助けを求めて、後ろにいるルカに視線を送る。
「キャンベル婦人。こちらにどうぞ」
優秀な護衛は、私を守るために、客人に着席を勧めた。
「おまえ、何者なの?」
小柄な婦人は、私に抱き付いたままルカをにらみつけた。
彼女は昔から、私に男が近づくのを嫌がる。
「お嬢様の護衛です」
「ふん、男の護衛など、汚らわしい。お嬢様を守ることができるのは、男などではなく、聖女様の祈りの力だけなのです! ああ、聖女様は偉大なり。聖女様は偉大なり……」
婦人は口の中で、聖女をたたえる言葉を10回つぶやいた。
彼女はことあるごとに、こんな風にお祈りするのだ。
結婚して領地を離れるまでずっと、毎日毎日、この祈りの言葉を聞かされてきた。
もういい加減にしてくれって思う気持ち、分かるでしょう?
アリーちゃんは、ずっとこんな乳母に育てられてたの。
「あー、キャンベル婦人。まあまあ、落ち着いて。クッキーはいかがです? 少し甘すぎるけれど、うまいですよ」
ベンジャミンさんは、客人が座らないうちから、茶菓子をバリバリかじっている。
ああ、もう。めちゃくちゃだ。
裁判の証人として、私の元乳母を呼んだのだ。できることなら、二度と会いたくなかった。
彼女は、熱心な聖女教の信者だからだ。
「えー、それでですね。キャンベル婦人には、裁判で証言してほしいんですよ。卵から赤ちゃんが生まれるってことを、アリシア様が信じていたって」
椅子に座った婦人に、ベンジャミンさんは、紅茶を勧めてから打ち合わせを始めた。
ルカは護衛騎士として、私の後ろに立っている。
「まあ、弁護士さんは、何を言っているのやら。おほほ」
彼女は、紅茶に角砂糖をぽとぽと落としながら、おかしそうに笑った。
「信じるも何も、赤ちゃんは、卵から生まれるに決まってるじゃありませんか」
ほら、出た。全ての元凶の発言!!
「え? ええっ?」
「もうっ、弁護士さんは、聖女経典を読んだことがないんですの? 聖女様は、卵から生まれたって書いてありますでしょう? そうです、清らかな赤ちゃんは、卵から産まれるのです! 優れた女性は、男の種など必要としません! 偉大なる聖女様を生むのは、清らかな女性だけなのです!」
「え? ああ、ええと……。ええ、その……」
ベンジャミンさんは、つばを飛ばさんばかりの婦人の剣幕に、たじたじとなった。
元乳母のキャンベル婦人は、決して悪人ではない。愛情深く子供を世話する献身的な乳母だった。アリーちゃんを心から愛して、自分の全てを与えようとしていた。
でも、ただ、たった一つだけ、大きな欠点があった。聖女経典を本気で信じているってこと。
建国の聖女が、卵から生まれたっていう話を信じているのだ。
そんなわけないのに……。
実際の所、聖女は卵から生まれていない。未婚の平民の母から生まれて、父親は誰だか分からなかったそうだ。
今でもそうなんだけど、昔はもっと、未婚の母に対する差別がひどかった。娼婦呼ばわりされて、村八分にされていたらしい。だから、聖女が活躍して、信者が増えるにつれ、卵から生まれたというおとぎ話で出生をごまかしたのだ。
今でも、教会で語られるその話を、幼い子供たちは信じている。けれど、年を取るにつれて、真実を知っていく。前世で言えば、子供の頃に信じていたサンタクロースは、本当はいないってことを知るみたいな感じかな。だから、この世界の子供も、赤ちゃんは卵から生まれない。本当は、男女間のアレで生まれるんだよ、みたいに、成長したら知っていくんだよね。でも、まあ、中には、乳母のように、大人になっても真実を受け入れない変わり者もいるけどね。
「まあ、普通の女性は、男との交尾でしか、子供を生むことはできませんわね。でも、お嬢様は違うのです。こんなにも清らかで、完璧で、特別なお嬢様は、新たな聖女の母となる運命を持つのですわ! ですから、薄汚い男を近づけてはなりません!」
婦人は、私の後ろに立つルカをにらみつけた。
ルカは、薄汚くなんてないよ。髪はサラサラだし、服も清潔で、石鹸のいい匂いがするよ。
「お嬢様、ご立派に成長されてなによりです。あんな男と結婚させられた時には、わたくし、死んで抗議しようと思いましたわ。でも、結婚後も、穢されずに清いままで、本当に良かったです。それに、わたくしが常日頃から言ったとおりに、男の力など借りずに、見事に卵から赤ちゃんを生みましたね。さすが、わたくしのお嬢様です」
「えーと。赤ちゃんは生んでないよ。ドラゴンだよ」
「人間でなかったのは、残念ですが、次は、ぜひ聖女様を生んでくださいね」
それは無理だよ。だって聖女のヒロインちゃんを生むのは、男爵家のメイドだからね。
当て馬キャラのディートと同学年だったから、ヒロインちゃんは、今頃はもう、メイドのお母さんのおなかの中にいるんじゃないかな?
涙を流しながら、私に抱き付くのは、中年の女性だ。
く、苦しい。女性の細い腕が、ぎゅうぎゅうと締め付けてくる。助けを求めて、後ろにいるルカに視線を送る。
「キャンベル婦人。こちらにどうぞ」
優秀な護衛は、私を守るために、客人に着席を勧めた。
「おまえ、何者なの?」
小柄な婦人は、私に抱き付いたままルカをにらみつけた。
彼女は昔から、私に男が近づくのを嫌がる。
「お嬢様の護衛です」
「ふん、男の護衛など、汚らわしい。お嬢様を守ることができるのは、男などではなく、聖女様の祈りの力だけなのです! ああ、聖女様は偉大なり。聖女様は偉大なり……」
婦人は口の中で、聖女をたたえる言葉を10回つぶやいた。
彼女はことあるごとに、こんな風にお祈りするのだ。
結婚して領地を離れるまでずっと、毎日毎日、この祈りの言葉を聞かされてきた。
もういい加減にしてくれって思う気持ち、分かるでしょう?
アリーちゃんは、ずっとこんな乳母に育てられてたの。
「あー、キャンベル婦人。まあまあ、落ち着いて。クッキーはいかがです? 少し甘すぎるけれど、うまいですよ」
ベンジャミンさんは、客人が座らないうちから、茶菓子をバリバリかじっている。
ああ、もう。めちゃくちゃだ。
裁判の証人として、私の元乳母を呼んだのだ。できることなら、二度と会いたくなかった。
彼女は、熱心な聖女教の信者だからだ。
「えー、それでですね。キャンベル婦人には、裁判で証言してほしいんですよ。卵から赤ちゃんが生まれるってことを、アリシア様が信じていたって」
椅子に座った婦人に、ベンジャミンさんは、紅茶を勧めてから打ち合わせを始めた。
ルカは護衛騎士として、私の後ろに立っている。
「まあ、弁護士さんは、何を言っているのやら。おほほ」
彼女は、紅茶に角砂糖をぽとぽと落としながら、おかしそうに笑った。
「信じるも何も、赤ちゃんは、卵から生まれるに決まってるじゃありませんか」
ほら、出た。全ての元凶の発言!!
「え? ええっ?」
「もうっ、弁護士さんは、聖女経典を読んだことがないんですの? 聖女様は、卵から生まれたって書いてありますでしょう? そうです、清らかな赤ちゃんは、卵から産まれるのです! 優れた女性は、男の種など必要としません! 偉大なる聖女様を生むのは、清らかな女性だけなのです!」
「え? ああ、ええと……。ええ、その……」
ベンジャミンさんは、つばを飛ばさんばかりの婦人の剣幕に、たじたじとなった。
元乳母のキャンベル婦人は、決して悪人ではない。愛情深く子供を世話する献身的な乳母だった。アリーちゃんを心から愛して、自分の全てを与えようとしていた。
でも、ただ、たった一つだけ、大きな欠点があった。聖女経典を本気で信じているってこと。
建国の聖女が、卵から生まれたっていう話を信じているのだ。
そんなわけないのに……。
実際の所、聖女は卵から生まれていない。未婚の平民の母から生まれて、父親は誰だか分からなかったそうだ。
今でもそうなんだけど、昔はもっと、未婚の母に対する差別がひどかった。娼婦呼ばわりされて、村八分にされていたらしい。だから、聖女が活躍して、信者が増えるにつれ、卵から生まれたというおとぎ話で出生をごまかしたのだ。
今でも、教会で語られるその話を、幼い子供たちは信じている。けれど、年を取るにつれて、真実を知っていく。前世で言えば、子供の頃に信じていたサンタクロースは、本当はいないってことを知るみたいな感じかな。だから、この世界の子供も、赤ちゃんは卵から生まれない。本当は、男女間のアレで生まれるんだよ、みたいに、成長したら知っていくんだよね。でも、まあ、中には、乳母のように、大人になっても真実を受け入れない変わり者もいるけどね。
「まあ、普通の女性は、男との交尾でしか、子供を生むことはできませんわね。でも、お嬢様は違うのです。こんなにも清らかで、完璧で、特別なお嬢様は、新たな聖女の母となる運命を持つのですわ! ですから、薄汚い男を近づけてはなりません!」
婦人は、私の後ろに立つルカをにらみつけた。
ルカは、薄汚くなんてないよ。髪はサラサラだし、服も清潔で、石鹸のいい匂いがするよ。
「お嬢様、ご立派に成長されてなによりです。あんな男と結婚させられた時には、わたくし、死んで抗議しようと思いましたわ。でも、結婚後も、穢されずに清いままで、本当に良かったです。それに、わたくしが常日頃から言ったとおりに、男の力など借りずに、見事に卵から赤ちゃんを生みましたね。さすが、わたくしのお嬢様です」
「えーと。赤ちゃんは生んでないよ。ドラゴンだよ」
「人間でなかったのは、残念ですが、次は、ぜひ聖女様を生んでくださいね」
それは無理だよ。だって聖女のヒロインちゃんを生むのは、男爵家のメイドだからね。
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