密教僧・空海 魔都平安を疾る

カズ

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その一 怪し(あやかし)の森

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やおの家を訪れた翌日の夕暮れ。都のはずれにの家に大きな男が入って行く。庶民レベルの家の大きさではあるが、見る者が見ればにそこかしこに金のかかった作りとなっていることが分かる。
大男の体は見事に均整がとれ、大型のネコ科肉食獣のようなしなやかな動きをしている。よほどに鍛えぬいたのであろう。
家の中に入ると土間があり、土間の先に一段高く床が張られている。
「失礼する。綱虫殿はおられるか」
家の中はうす暗い。この時代(江戸時代でも)、灯りは大変貴重なものであり、よほどの場合以外は、昼間に仕事をすまし、夜は灯りなどはつけず早々に寝てしまう。
それでも、この家の片隅には油(おそらく魚油であろう)が燃えており、かすかな明るさを作り出していた。
「誰だい?こんな時分に何だっていうんだい?」
部屋の真ん中にわだかまっている黒い塊が声を出した。
「人を呪ってほしい。金は出す」
男は苦いものを吐き出すように、その塊に向かい声をかけた。
「はっ、冗談はよしておくれ。誰から聞いたかは知らないけど、あたしはそんなことはしないよ。さっさと出ていきな」
男は声の主に近づいていき、懐から革袋を取り出し、黒い塊の前に置いた。
「急いでいる。とぼけなくていい」
黒い塊がすすっと革袋に近づき、すっとその顔を男に向けた。柔和な顔をしている。目も鼻も口も小造りで、頬に少しばかり肉が付いている。優しげな老婆の顔がそこにはある。しかし、優しい老婆にしか見えない顔でありながら、何か怖い。ニコニコ笑いながら、平気で人の目に指を入れるような剣呑さがある。
呪術師・綱虫である。
「そうは言われてもね・・・・。さっきから言っているように、あたしはねぇ・・・・」
目を革袋に吸い寄せられながら、綱虫はまだ認めようとはしない。
男が更もう一つ革袋を置いた。
「やり方は任せる。早めに取り掛かってくれ」
「・・・・困ったねぇ。あたしはね・・・」
男が、更に一つ革袋を置く。
「・・・・・」
「どうやら人違いのようだな。邪魔をした」
そう言うと男は、綱虫の目の前にある三つの革袋をつかみ、懐に戻そうとする。
「待っておくれ!分かったよ!あんたの勝ちだ。あんたの話、聞こうじゃないか」
そう言うと綱虫は大急ぎで手を伸ばし、革袋をつかみ懐に入れた。
「へへへっ。悪く思わないでおくれな。一見の客は断ることにしてるんだ。お上にでも知れたらお咎めを食らうからね。下手すれば命にも関わるだろう。慎重にならざるをえないのさ。わかるだろう。で要件は?」
「空海という坊主だ。この男を呪って欲しい」
「・・・・空海ねぇ。ああ知っているよ。唐の国から戻ってきたばかりの若造だろう。唐で少しばかり名を上げたものだから、ずいぶんといきがっているらしいじゃあないか。気に食わない坊主だと思っていたところさ。いいよ、あたしに任せな。あんたの顔を見ると余程、空海のことを恨んでいるようだね」
「・・・・・・」
「まあ、理由(わけ)は聞かないよ。でねぇ、用意してもらいたいものがある。そいつの身に着けているものが要る。それがあると無いとじゃあ、効き目が大きく違ってくるのさ」
「身に着けているものか、例えばどの様なものが良いのだ」
「普段身につけているものだね。一番いいのは髪の毛だ。髪の毛があれば呪いはうんとやりやすくなる。あっ、相手は坊主だったね。髪の毛なんかありゃあしないやねぇ、あはははは」
綱虫はさも楽しそうに大声を上げて笑い出した。
「ああ、確かに髪の毛は無理だが、他のものならどうにでもなる。任せてくれ。いつ持ってくればいい?」
「そりゃあ、あんたの都合のいいときでいいよ。そうしたら、早速始めることにしよう」
「ならば、今渡そう」
「えっ、今?どういうことだい?」
男は家の入り口に顔を向けた。
「そういうことだ、空海。お前の何かが要るのだそうだぜ」
「髪の毛がなくて良かった。呪われなくて済むからな」
自分の頭をなでながら空海が現れた。口元にかすかな笑みを浮かべながら。
「空海!何だい、お前たち、あたしを騙したんだね!どういうことだい、これは!」
綱虫が金切り声を上げながら後ずさっていく。
「あんたが呪いを生業にしていることは明白となった。呪詛は重罪だ。わかっているな?」
男・田村麻呂が綱虫に詰め寄る。

「呪い」が公式の文書に出てくるものでは、用明天皇2年(587年)に「像を作り『マジナウ』」との記述が最古であろうか。用明天皇と言えば「飛鳥時代」の天皇であり、この国ではさらに前の古墳、弥生、そして縄文時代から「呪い」が行われていたと考えられる。
つまり人は集団生活を始めた時から「呪い」をしていたのである。
度々勅令や律令の規定に「蟲毒」・「厭魅」を禁じた記録が見られる。県犬養姉女(あがたのいぬかいのあねめ・奈良時代中期の女官)は、「呪咀」を行ったとして流罪、井上内親王(聖武天皇の第一女・光仁天皇の后)も呪詛を疑われ、皇后の位を廃された。
「呪咀」は重罪であり、それを職業としていたとすれば、死刑も十分に考えられる。

「お前、検非違使の役人か!やり方が汚いじゃあないか!この嘘つき野郎がぁ!」
綱虫は部屋の隅に座り込みながら、憎悪の目を田村麻呂に向けた。
「お前を騙したかもしれないが、嘘はついておらん。『空海を恨んでいる』というのは本当のことだからな。出来れば呪って欲しいくらいさ。まあ、こいつに呪いをかけたら、十倍にして返されるだろうがな。綱虫、お前のやってきたことを考えれば、極刑も致し方ないところだ。だがな、我らに手を貸してくれれば、今までのことは無かったことにしてやるぜ。次からやったら許さんがな」
憎悪に燃える綱虫の視線など、全く気にすることもなく田村麻呂は淡々と語りかける。
「見逃してくれるのかい?分かったよ、何でもするよ。言っておくれ、あたしは何をすればいいんだい?」
「難しいことじゃあない。明日、俺たちをお前の使っている場所に案内してもらいたいだけだ」
空海が言った。
「『あたしの使っている場所』?どういうことだよ、それは?」
「お前が師匠から受け継いだ『森』のことだ。その森の中で、お前が『使っている場所』があるはずだな。そこに連れていけ」
「分かったよ。それで見逃してくれるなら、やるさね。けど、あんたら一
体、何者なんだい?あそこでなにをしようっていうんだい?」
「それは俺にも分からん。何が起こるかは、行ってみないことにはな・・・」
空海は珍しく顔をくもらせた。
           
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