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その二 不動明王呪
五
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高雄山寺の中、空海と田村麻呂の二人しかいない。
空海が『明日、家に伺おう』と言ったので、安麻呂は全身で喜びを表しながら、帰って行った。
「空海、本当に行くのか?今回のことは、分からないことが多すぎる。もう少し、「田主」や「安麻呂」の事が分かってから動いた方がいいぞ。俺はどうも危ない気がするのだ。こういった時の俺の勘は確かだ」
田村麻呂の顔が曇っている。
自分の事以上に空海については心配してしまう田村麻呂なのだ。
「行くしかあるまいよ。大勢の前で『私に全てお任せください』などと言ってしまったからな。しかも俺を名指しだ。行くしかないだろうよ」
「だから危ないと言っている。お前、人だけでなく物の怪にまでも恨まれていたか?何か心当たりはないのか?」
「分からんさ。「無い」と言えば「無い」。俺は仏に使える身だ、非道なことはしてはいない。だが、「有る」と言えば「有る」。裏の者たちには、容赦はないからな、俺は。恨んでいる者も多くいるだろう」
ふーっと田村麻呂が大きく息を吐いた。
「まあ、俺には『天下一の武勇の男・坂上田村麻呂』がいる。どうにかなるさ」
「なっ、何だと!お前、俺も一緒に行かせようというのか?」
「違うのか?お前がさも俺を心配しているから、てっきりついて来るものだとばかり思っていたぞ。そうか、俺一人で行かせるつもりだったのか。そうだったのかぁ」
空海が悲しげに田村麻呂を見る。
「その様な顔で見るなっ。わざとらしい!分かった、行くよ。行けばいいのだろうっ」
「さすがは、わが友・坂上田村麻呂だ。俺は良い友に恵まれた」
そう言うと空海は頭を下げた。
「勝手にしろ。代わりに教えろ、空海。先ほどの護摩祈祷の時、水が燃えたな。あれは何だ?どんなまやかしだ?俺は気になって仕方がないのだよ」
「まやかしなどではない。あれは『臭水(くそうず)』だ。『燃える水』というものだな。俺が見てきた中では、越後の『臭水』が一番よく燃える。もっぱら俺はそれを使っている」
「『臭水』?初めて聞いたぞ。『燃える水』などというものがあるのか?」
「どこにでも有るというものではないが、それほどに珍しいものではない」
「臭水」とは原油(石油)の事である。日本における原油の発見はかなり古く、天智天皇の7年(668年)には「越の国から燃ゆる土、燃ゆる水を献ず」とある。
「俺は十年間、山野を駆け巡り、方々の寺社を回り、密を求めていた。その時に越後の国で見つけたのだ。それにな、俺は佐伯氏(さえきうじ)の出だからな」
佐伯氏。古代の名族・大伴氏から出た一族であるという。もっぱら軍事にたけた集団であったらしい。「佐伯(さえき)」は「外敵を(さえぎる)」に通ずる。
一方、砂鉄・水銀などの鉱物の錬成にも優れた技術を持っていた一族であった。
空海は佐伯一族の者として、鉱物を発見・錬成する技術を身に着けていたことは十分に考えられるのである。
「では、お前の手から時折出るあの火球も『臭水』のなせる技か?」
「うーん、確かに『臭水』も使うのだが、おおもとは、唐の国で学んだものだ。かの国で生まれた『燃える粉』を使っている。かの国の方術士が生み出したものだ」
古来より中国では練丹術が深く研究されてきた。目的はただ一つ。「不老不死」である。
そのために国家規模の費用と施設が費やされてきた。
方術士たちは、ついに不老不死にはたどり着けなかったが、研究・探求の課程で様々なものを生み出した。その中の一つが、『燃える粉』、つまり「火薬」である。
この「火薬」は、空海の時より後年、宋の時代に「火槍(かそう)」・「火箭(かせん)」と呼ばれる兵器のエネルギーとして実戦で投入された。
「火槍・火箭」とは「火薬の力で遠方まで槍・矢を飛ばす兵器」であり、今でいえばさしずめ「遠距離ミサイル」とでも言えようか。
「長安(ちょうあん)の市はな、人であふれかえる。様々なものが売り買いされ、多くの大道芸人が各々の芸を披露し、日銭を稼いでいた。西域(=中国では西方の地域をそう呼んだ。ここでは中央アジア・西アジアの総称と考えていい)の大道芸人は良く炎を使う者が多くいるのだ。俺はその者たちから、火球を生み出す技を教えてもらった。その中の一人は、俺に『坊主にしておくのは、もったいない。大道芸人となれ、大金が稼げるぞ』と言ってくれたぜ。俺は筋が良かったらしい」
空海は目を細め、往時を懐かしんだ。
空海が手から生み出す火球は、「火薬」を基とし、西域の「芸」を使用し作り出す「技」というわけである。
「空海、俺はもっと気になることがある。あの安麻呂という男の頬にはうっすらと傷跡がある。何かに鋭く切り裂かれたに違いない」
田村麻呂の顔は真剣だ。
「ああ、俺も気がついていた。使用人二人は、妖物に切り裂かれて死んだと言っていたな。あの男の顔も何かに切られたのだろうよ。これは『たまたま』なのか」
「どうも空海よ、危ない話だ。明日は『臭水』でも『燃える粉』でも、なんでもいい。持っていけるものはすべて持っていけ。何が起きてもいいようにな」
「ああ、そのつもりだ。なに大丈夫だ。何と言っても俺には坂上田村麻呂がいるからな」
そう言った空海の口元には、いつもの笑みが浮かんでいた。
空海が『明日、家に伺おう』と言ったので、安麻呂は全身で喜びを表しながら、帰って行った。
「空海、本当に行くのか?今回のことは、分からないことが多すぎる。もう少し、「田主」や「安麻呂」の事が分かってから動いた方がいいぞ。俺はどうも危ない気がするのだ。こういった時の俺の勘は確かだ」
田村麻呂の顔が曇っている。
自分の事以上に空海については心配してしまう田村麻呂なのだ。
「行くしかあるまいよ。大勢の前で『私に全てお任せください』などと言ってしまったからな。しかも俺を名指しだ。行くしかないだろうよ」
「だから危ないと言っている。お前、人だけでなく物の怪にまでも恨まれていたか?何か心当たりはないのか?」
「分からんさ。「無い」と言えば「無い」。俺は仏に使える身だ、非道なことはしてはいない。だが、「有る」と言えば「有る」。裏の者たちには、容赦はないからな、俺は。恨んでいる者も多くいるだろう」
ふーっと田村麻呂が大きく息を吐いた。
「まあ、俺には『天下一の武勇の男・坂上田村麻呂』がいる。どうにかなるさ」
「なっ、何だと!お前、俺も一緒に行かせようというのか?」
「違うのか?お前がさも俺を心配しているから、てっきりついて来るものだとばかり思っていたぞ。そうか、俺一人で行かせるつもりだったのか。そうだったのかぁ」
空海が悲しげに田村麻呂を見る。
「その様な顔で見るなっ。わざとらしい!分かった、行くよ。行けばいいのだろうっ」
「さすがは、わが友・坂上田村麻呂だ。俺は良い友に恵まれた」
そう言うと空海は頭を下げた。
「勝手にしろ。代わりに教えろ、空海。先ほどの護摩祈祷の時、水が燃えたな。あれは何だ?どんなまやかしだ?俺は気になって仕方がないのだよ」
「まやかしなどではない。あれは『臭水(くそうず)』だ。『燃える水』というものだな。俺が見てきた中では、越後の『臭水』が一番よく燃える。もっぱら俺はそれを使っている」
「『臭水』?初めて聞いたぞ。『燃える水』などというものがあるのか?」
「どこにでも有るというものではないが、それほどに珍しいものではない」
「臭水」とは原油(石油)の事である。日本における原油の発見はかなり古く、天智天皇の7年(668年)には「越の国から燃ゆる土、燃ゆる水を献ず」とある。
「俺は十年間、山野を駆け巡り、方々の寺社を回り、密を求めていた。その時に越後の国で見つけたのだ。それにな、俺は佐伯氏(さえきうじ)の出だからな」
佐伯氏。古代の名族・大伴氏から出た一族であるという。もっぱら軍事にたけた集団であったらしい。「佐伯(さえき)」は「外敵を(さえぎる)」に通ずる。
一方、砂鉄・水銀などの鉱物の錬成にも優れた技術を持っていた一族であった。
空海は佐伯一族の者として、鉱物を発見・錬成する技術を身に着けていたことは十分に考えられるのである。
「では、お前の手から時折出るあの火球も『臭水』のなせる技か?」
「うーん、確かに『臭水』も使うのだが、おおもとは、唐の国で学んだものだ。かの国で生まれた『燃える粉』を使っている。かの国の方術士が生み出したものだ」
古来より中国では練丹術が深く研究されてきた。目的はただ一つ。「不老不死」である。
そのために国家規模の費用と施設が費やされてきた。
方術士たちは、ついに不老不死にはたどり着けなかったが、研究・探求の課程で様々なものを生み出した。その中の一つが、『燃える粉』、つまり「火薬」である。
この「火薬」は、空海の時より後年、宋の時代に「火槍(かそう)」・「火箭(かせん)」と呼ばれる兵器のエネルギーとして実戦で投入された。
「火槍・火箭」とは「火薬の力で遠方まで槍・矢を飛ばす兵器」であり、今でいえばさしずめ「遠距離ミサイル」とでも言えようか。
「長安(ちょうあん)の市はな、人であふれかえる。様々なものが売り買いされ、多くの大道芸人が各々の芸を披露し、日銭を稼いでいた。西域(=中国では西方の地域をそう呼んだ。ここでは中央アジア・西アジアの総称と考えていい)の大道芸人は良く炎を使う者が多くいるのだ。俺はその者たちから、火球を生み出す技を教えてもらった。その中の一人は、俺に『坊主にしておくのは、もったいない。大道芸人となれ、大金が稼げるぞ』と言ってくれたぜ。俺は筋が良かったらしい」
空海は目を細め、往時を懐かしんだ。
空海が手から生み出す火球は、「火薬」を基とし、西域の「芸」を使用し作り出す「技」というわけである。
「空海、俺はもっと気になることがある。あの安麻呂という男の頬にはうっすらと傷跡がある。何かに鋭く切り裂かれたに違いない」
田村麻呂の顔は真剣だ。
「ああ、俺も気がついていた。使用人二人は、妖物に切り裂かれて死んだと言っていたな。あの男の顔も何かに切られたのだろうよ。これは『たまたま』なのか」
「どうも空海よ、危ない話だ。明日は『臭水』でも『燃える粉』でも、なんでもいい。持っていけるものはすべて持っていけ。何が起きてもいいようにな」
「ああ、そのつもりだ。なに大丈夫だ。何と言っても俺には坂上田村麻呂がいるからな」
そう言った空海の口元には、いつもの笑みが浮かんでいた。
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