密教僧・空海 魔都平安を疾る

カズ

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その三 ファースト・コンタクト

二十

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「嘉智子、大丈夫?怪我は無い?無茶をしては駄目じゃないのっ」
「母上ーっ」
母と娘が涙を流しながら抱き合う。
三千媛が慌てて嘉智子を放し、下がり平伏する。
「嘉智子夫人様に対し無礼の数々、どうぞお許しくださいませ」
嘉智子は三千媛のそばにより、母の手を握りしめる。
「母上、私は嘉智子です。いつまでも母上の娘です。私は母上の娘で本当に幸せです」
「嘉智子ーっ」
顔を上げた三千媛は、嘉智子に抱き着く。娘は母を強く抱擁する。泣いている。橘一族を統率する者でも、帝の寵妃でもない。
ただの母と娘が慈しみあっている。
「和尚様、本当にありがとうございました。嘉智子を守る結界を作ってくださっていたのですね。本当にお見事にございます。和尚様はすごい方にございます」
涙を流しながら、三千媛は空海に頭を下げる。
「三千媛様、あれは、私ではありませぬ。むろん田村麻呂でもない。夫人様でもありえない。どなたかがおられるのですよ、夫人様のおそばに」
三千媛は不思議そうに空海と嘉智子を見る。
「えっ、何ですか?誰がいると言うのです!またあのような式神が近くにいると言うのですか!」
空海は嘉智子に目を向けた。
「夫人様、いかがにございます。おそばにどなたかおられますね。もし差支えが無ければ教えてくださいませぬか」
嘉智子はしばらく空海を見つめていたが、やがて口を開いた。
「それは・・・私にもよくわかりません。ですが、幼少より時折、声が聞こえるのです。他の人に言っても、気味悪がられるので、誰にも話したことはございません。その方が式神から私を守ってくださったのです」
「毒が盛られたことも教えてくださったのですね」
「はい。空海様に会うように薦めてもくださいました」
空海は三千媛に顔を向けた。
「三千媛様、夫人様はご幼少より、どなたかにずっと守られていたのです。夫人様だけでなく、三千媛様もでございましょう。知草が短刀を落としたのは、たまたまではないのです。間違いなく、その方のお力です」
嘉智子がうなづいた。
「空海様、何なのです?嘉智子を守っているものとは?誰がそのようなことを?」
空海は智拳印を結んだ。
「唵阿毘羅吽欠婆訶(オン・アビラウンケン・ソワカ)。我が前に現れ給え」
大日如来の呪である。
小さな風が起こる。部屋の一角に「霧」のような白い靄(もや)がわだかまる。
靄は徐々に人の型となっていった。
両足が現れた。
次は腰だ。
胴体・両腕そして顔が現れた。
一人の大柄な男性が現れた。
三十代前半だろう。
美麗な男だ。
美しく品があり、優しい目をしている。
「あなたはっ!」
三千媛が叫んだ。三千媛の目が大きく見開かれ、取り乱している。
「母上、この方をご存じなのですか?この方は一体」
「嘉智子、この方は橘清友様。我が夫であり、あなたが三歳の時に亡くなった、あなたの父です」
「えっ、お父様!ではお父様はずっと私の側にいて、私を守ってくださっていたのですかっ!」
橘清友は優しく妻と子を見つめ、そして空海に深々と頭を下げた。
そして徐々に消えていく。
「清友様!」
「父上!」
三千媛と嘉智子が叫んだ時には、完全にその姿を消していた。
優しい目を最後まで二人に向けながら。
三千媛が空海に顔を向けた。
その顔は涙で濡れている。
だが何と幸福そうな顔であろうか。
涙をぬぐう事もせず、三千媛は空海に語りかけた。
「空海様、夫は若き時、渤海(現中国東北部・朝鮮半島北部に栄えた国・926年に遼に滅ぼされる)の大使様から『橘一族の未来』について言われたのです」
「・・・・・」
「『あなたの相を見ると、子孫は繫栄します。ですが、あなたは三十二の時に厄をむかえるでしょう。お気をつけください』と。その言葉の通り、夫は三十二歳でこの世を去りました。夫は病の床で、私にこう言ったのです」
空海、嘉智子夫人、田村麻呂は黙って聞いている。(今の田村麻呂は、ほとんど何も聞こえないが)
「『橘一族の復権を私は叶えることが出来なかった。後はお前に頼む。しかし、それよりも私が望むのは、お前と子供の幸せだ。それなくして一族の繁栄などないのだから』と」
「なるほど。清友様は、死した後も夫人様を心配し、お側にいたのでしょう」
空海は三千媛と嘉智子夫人の顔を交互に見つめた。
「空海様は、以前、私にお尋ねになられました。『嘉智子と橘一族、どちらが大切なのか』と。決まっております。嘉智子です。ですが私は一族の復権を果たさなければなりません。それは、若くして亡くなった夫の遺志だと考えておりました。ですが我が娘を犠牲にしてしまったのですね。ひどい親です。私こそが娘に呪いをかけていた張本人なのです」
「母上、私はとても幸せよ。帝はとても優しい方。そして私をとても愛(いつく)しんでくださいますのよ」
嘉智子はそう言うと、母親の顔に優しく手を伸ばし、母の顔に残る涙をぬぐうのであった。
廊下から騒がしい足音が聞こえてきた。
どたどたと走り込んでくる。
「空海ーっ、叔母上、大丈夫かぁ!」
空海にとって懐かしい声が聞こえてきた。
肩で息を切らした男が走り込んできた。
その男は、足元に転がる首や手足を見て腰を抜かす。
「何じゃこれは!どうした事ぞ!何が、何があったのじゃぁ!空海、お前の行くところはいつもこうではないか!」
「何があったのか後で教えるさ、逸勢。今は疲れた。この国に帰ってきて良かったぞ。この国はなかなかに面白い!唐に負けずにな」
空海は、そう言って留学時代の親友・橘逸勢に笑いかけたのであった。
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