密教僧・空海 魔都平安を疾る

カズ

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その五 地獄変

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三日後。そろそろ未の刻(午後一時くらい)となる。焼け落ちたたたら場に空海、田村麻呂、やおの三人がいる。いや、三人しかいない。焼けたたたら場の熱もようやくにおさまった。
「来るかねぇ。あたしたちが何もせず、ここでただ待っているだけとは思っちゃいないよ。罠と知って来るかねぇ」
やおがあごに手を当てながら言った。
「奴は来る。奴は己の強さに自信を持っている。自分が負けるなんて露ほどにも思っちゃいない。堂々とやってくるだろうさ」
田村麻呂である。
「やお殿、戦で死んでいくのはどんな奴だと思う?」
更に田村麻呂が続ける。
「それは弱い奴だろ。それに臆病な奴も駄目だろうね」
「いや違う。戦で死んでいく奴は『自分の強さに自信を持っている者』さ。周りから一目置かれるほど強い奴が真っ先に死んでいく。奴にそれを教えてやるさ。まあ、それを活かすことは奴には出来ないがな」
じっと目を閉じていた空海の目がかっと開いた。
「田村麻呂、来たようだぜ」
じっと南を見つめる。空海の視線を田村麻呂、やおが目で追う。
矮小な人影が現れた。良秀である。驚くほどに痩せこけている。骨と皮の上に、衣服が掛けられている。そんな感じだ。その衣服は汚れ、所々破れ、至る所に染みがついている。その染みは血に違いない。
「田村麻呂、お前は日本一の勇者だそうだな。蝦夷征伐では、千人という蝦夷を殺してきたらしいじゃないか。で、こちらが唯一の密教伝承者の空海和尚様なんだって。どうりで化け物じみているはずだ」
「お前は立派な化け物になったな、良秀。そんな奴から『化け物じみてる』と言われる筋合はない」
空海が厳しく言い放つ。
「俺たちの事を誰から聞いた?その者たちはどうしたんだ?」
田村麻呂の声も厳しい。
「全く手ごたえがなかったぜ。指を切り落としたり、腹を裂いたら、泣き叫びながら小便を漏らしやがった。あれはあまり楽しいもんじゃないなぁ」

ヒューッ ヒューッ

空海の手から火球が飛んだ。良秀が刀で打ち落とす。
「割と短気なんだねぇ、空海和尚は」
良秀はそう言うと、一気に空海との間合いを詰めてきた。
「ちぃ」
速い。人間の速さではない。あっという間に空海の眼前に迫る。
その時、横から疾風のごとく、田村麻呂が走り込み、剣を振る。
その剣を良秀が受けた。
空海の火球が良秀を襲う。
良秀が大きく後ろに跳躍し、火球をかわした。
「これは分が悪い」
そう言うと良秀は、西へ駆け出した。
空海と田村麻呂が追う。
細い道を下る。川に出た。良秀は構わず川の中に入っていく。南北に流れる川の中で、良秀に対して東に空海、西に田村麻呂という位置関係が出来た。
「良秀、これ以上お前は生きていてはいかん。俺がお前をここで断つ」
空海はそう言うと火球を投げた。一つ、二つ、三つ、四っ。
次々と良秀は打ち落とした。難なく。
川の中に落ちた火球は、たちまち燃え尽きていく。
「空海よう、俺は逃げ出したんじゃないんだ。ここに、この川にお前たちをおびき出したん だよ。俺にとって厄介なのはお前の火だけだからな」
良秀の顔に笑みが浮かぶ。笑みを浮かべながら、ゆっくり、ゆっくり空海に近づいていく。
「おい順番が違うだろ、良秀。お前の息の根を止めるのは俺だ」
田村麻呂の凛とした声が響き渡る。
良秀が田村麻呂の方へ体を向けた。
いきなり走りだした。水しぶきが上がる。川の中を走っているとは思えない速さだ。
田村麻呂が剣を構える。田村麻呂の前にはあの「罠」が仕掛けられている。
水しぶきをあげながら、良秀が田村麻呂に、罠に迫る。空海、やおがじっと見つめる。綱に足を取られ体勢が崩れた瞬間、田村麻呂の剣が走る。それで勝負は決まるはずだ。
あと少し。あと少しで綱にかかる。
「残念だな、田村麻呂。見え見えだ」
良秀が「罠」の前で止まった。
「駄目かっ」
「そんな」
空海とやおが思わず声を漏らす。
良秀は、綱を跳び越すような愚は犯さず、張られている綱を避け、北側から田村麻呂に向かい、回りこもうと動き出す。
田村麻呂もその動きに合わせて北に向かう。
「蝦夷には通用したかもしれんが、俺には通じない。残念だったな、田村麻呂」
「・・・・・」
良秀が張られている綱の北端に近づいた。ここを回りこめば、「罠」は終わりだ。
「行くぞ!田村麻呂」
良秀が叫ぶ。
田村麻呂が剣を構える。空海、やおが走り出す。
「おおおおっ、何だ!」
良秀が狼狽の声をあげた。沈んだのだ。良秀の身体の半分が川の中に沈んだ。
「ぬおおおおおおおおっ」
田村麻呂が走り込んだ。大剣を振り上げ、一気に振り下ろす。
ガツン!
良秀の両肘が斬り落とされた。
ボトッ
刀を握ったままの腕が川の中に沈んだ。
「ぎゃあああああああっ」
良秀が絶叫し身もだえる。両腕の切断面からは黒い血が流れ出ている。
刀を放した良秀には、もう刀の妖力は伝わらない。傷は修復されない。
「良秀。川底というのは同じではない。今まで歩いていた川底が急に深くなったりする。お前は綱を『罠』だと思ったのだろうが、本当の『罠』は、綱を避けたところにある『川の深み』だ。戦(いくさ)とは騙し合い。戦をしたことのないお前は俺には勝てない。絶対にな」
田村麻呂は静かに、むしろ悲しそうに言った。
「ぎゃああああああああああ」
絶叫はまだ終わらない。
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