密教僧・空海 魔都平安を疾る

カズ

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その五 地獄変

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翌朝、やおはいつもよりも遅くに目を覚ました。
「・・・ちょっと飲みすぎた。なんだか頭がくらくらする」
足元がふらつきながらも、起き出し歩き出した。
「とりあえず水を飲もう」
井戸へ向かうために外へ出ると、屋敷の縁に空海が座り、木の板に筆を走らせている。
「やお殿、ずいぶんと遅いお目覚めだな。顔色も良くないな」
空海が筆を止め、やおに語りかける。
「あんたと田村麻呂のおかげでね。空海、水」
やおはそう言うと、縁に腰を下ろした。
空海は縁から降り、井戸に行き水をくみ上げる。
組んだ水を椀に注ぎ、やおに渡した。
「ありがとう、そういう優しいところが好きだよ。ところであんた、何をしてんだい?」
見れば、縁の上には二十本ほどの木の板がある。幅は15㎤、長さは1mほどであろうか。
その板に空海が文字を書いていたのである。無造作に筆を走らせているが、書かれた文字は相変わらずに美事だ。力強く、それでいて優美。空海以外にこれほどの字を書ける者はいないであろう。
板にはこう書いてある。
『たたら場にて 田』
これだけだ。
「あとは田村麻呂に日時を聞いて、それを書き入れる。日と刻(とき)が判らなければ、行きようがないからな」
「どうしてもやるのかい?そう簡単な相手じゃないと思うけどね。肝心の田村麻呂はどこにいるんだい?」
やおはそう言うと水を飲み干し、青白い顔を空海に向けた。
「もう起きて、一人でたたら場に向かった。そこで決着をつけるつもりだ」
空海はやおの椀をとり、水を注ぎ、やおに渡した。
やおは軽く頭を下げ、椀の水を飲む。
「あんたたちの凄さは十分に知っている。だがね、少しばかりあいつを、良秀という化け物を簡単に考えてないかい?田村麻呂と互角に渡り合う上に、斬られても傷がすぐにふさがっちまうんだよ。それに・・・あいつは歪んでいる」
「やお殿、田村麻呂とは何だ?」
空海は縁に座り前を向いたままで語りかけた。
「『何だ』って何さ。まあ、めちゃくちゃに強くて、でかくて、途方もなく力持ちで、後は女の体臭には興奮するってとこかね」
「坂上田村麻呂という男の本質は戦人(いくさびと)。生粋の。何十という戦場(いくさば)で戦い、そして生き抜いてきた。数え切れないほどの敵を殺してね。田村麻呂と戦い、勝てる奴などいない。あいつはこの国の誰よりも人を殺すことには長けた男なんだ」
「・・・そうかもしれないけど、ずいぶんと酷い言い方だね、空海」
空海は空を見上げ、何も語ろうとはしなかった。

空海とやおは二人並んで歩いている。都の郊外にある良秀のたたら場に向かっているのだ。
僧が女性と一緒に居ることは、最大の禁忌で許されることではないが、空海は全く気にすることなく歩いて行く。あまりにも堂々としているため、行きかう人々も特に奇異の目を向けたりしない。
中には空海に向け、手を合わせ深々と頭を下げる者もいる。
たたら場に着いた。いや、昨日まで「たたら場だった」場所だ。黒焦げになった柱が何本か立っている。床も壁も焼け落ちていた。白い煙が、まだいたる所から立ち昇っている。
「まだ無理だな。三日ほど経たなければ、熱はおさまらないだろう」
空海は黒焦げになった、たたら場を見つめながらそう言った。
「空海、見なよ、あそこ!あいつらがいるよ」
やおが指さした。黒焦げの焼跡の上に十人の人が立っている。良秀の刀の材料とされた人々だ。
その下から銀色の光が垣間見える。
「たたら場はまる焼けだが、刀は残ったようだな」
「空海、田村麻呂はどこだい?全く見えないけど」
「恐らく川だ。この近くに川が流れている。そこにいるはずだ」
「えっ、何故そんなところに?一体、田村麻呂は何を考えているのさ!」
空海とやおは、たたら場を西に歩いていく。すると下へと続く道があり、その道を歩いて行くと、川岸に出た。思った以上に大きく、豊かな水量をたたえる川であった。流れもこの時期としては、かなり急だ。
川の真ん中あたりに田村麻呂がいた。上半身を露出し、大槌(つち)を振り上げ川に何かを打ち込んでいる。
「おーい、田村麻呂。何をしているのだっ」
空海が大声を出し呼びかけた。
「おっ、空海にやお殿。ちょうどよかった。手伝ってくれないか?一人では、なかなかに進まんのだ」
田村麻呂は汗で光る顔を空海たちに向け、笑顔を見せた。

 空海とやおは田村麻呂の手伝いを始めた。それは川の中に杭を打ち、その杭に長さ10m、太さ5cmほどの綱を結び付ける事だ。
水面の下に杭を打ち込む。杭は北から南に向けて30cmほどの間隔で打ち込まれていく。その杭に綱を結び付けていくのだ。綱は三本ある。水面の下に北から南にかけて三本の綱が平行に沈んでいる。
綱と綱の間隔は20cmほどであろうか。
三人で1時間ほどかけてその作業をやり終えた。
「田村麻呂、これは何だい?あいつに対する仕掛け何だろうけど。上から見えるよ。これでいいのかい?」
「十中八九大丈夫だろう。戦場では、結構こんな仕掛けが効くものだ」
「そもそもこの川に来るのかい?」
「あいつは川に来る。それは間違いない」
田村麻呂は力強く断言した。
「唯一、あいつが怖れているのは、空海の火球だ。火球を防ぐためには、この川で戦うしかない。あいつは必ずここへ来る」
田村麻呂が更に続ける。
「空海、日時を書いておいてくれ。三日後の未の刻(午後1時頃)。俺の家人に渡しておいてくれ。その者達が都中の人目につきそうなところに、板を立てることになっている」
そう言うと田村麻呂は、水面の下の綱と杭の強度を確かめたり、川底を調べたりしだした。
空海は田村麻呂の様子をじっと見ている。
不意に田村麻呂が顔をあげ、空海に目を向けた。
「空海、何か言いたそうだな?」
「そんなことはない。言いたいことなど何もないさ」
空海は静かに答えた。
田村麻呂が口を開く。
「まあ、だいたいの予想はつくがな。俺が楽しんでいるように見えるんだろう?俺は、本当に戦(いくさ)ばかりしてきた。戦の虚しさ、悲惨さ、愚かさを俺ほど知っている者はいないだろう。だが、その一方で戦になると、心が沸き立つ自分がいる。こうして戦の準備をしていると、それに夢中になり、没頭している自分がいる。『鎌鼬の良秀』と同じさ。俺も奴も戦や刀打ちでしか、己を見出せない。俺も奴も歪んでいるのさ」
せせらぎの音がする。小鳥がさえずる声がする。それしか聞こえない。
「田村麻呂、お前は奴とは違う。お前ほど真っ直ぐな男はいない」
空海が田村麻呂の顔をまっすぐに見つめ言った。静かに。
田村麻呂は川面に目を移し、綱の張り具合を確かめ始めた。
二人はもう何も言わない。

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