密教僧・空海 魔都平安を疾る

カズ

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その七 鏡よ、鏡

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「徐市」。紀元前100年頃に書かれた司馬遷の「史記」に登場する。
徐市が生きた時代は、それよりも百年ほど前である。斉の国(今でいう所の中国の山東省)に生まれた方士という事になっている。方士とは天文術、医術、錬金術など各種の学問に秀でたこの時代の最先端科学を身につけた知識人、科学者である。
その徐市が史上初の中華統一を成し遂げた秦の始皇帝と出会った。全土を統一した始皇帝が全国周遊を行っていた時の事である。
中華統一を成し遂げた始皇帝にとって唯一手に入らなかったもの。それが「不老不死」。不老不死を必死に求める始皇帝の姿は滑稽を通り越して哀れでさえあった。
多くの方士が始皇帝の命により、不老不死を探し求めた。その中で、始皇帝が最も信頼し、期待した方士が徐市という事である。
徐市は不老不死を求め、東の海の彼方に存在する蓬莱山に数千人を引きつれ旅立ったと史記には書かれている。史記がそう書く以上、それは史実なのであろう。
だが、旅立った徐市が始皇帝の前に現れることはなかった。
そして数年後、始皇帝は死ぬ。
徐市が向かった「東の海の彼方の蓬莱山」とは「日本」ではないか。そう考える人は多いが、果たしてそれは・・・。

「やお殿、何か異変が起きていないか調べてくれないか」
唐突に空海が言った。
「何かが起きている。まだそれは小さなものかもしれないが、そのうちに大きくなるような気がする」
「分かったよ。それがあたしの仕事だからね。ただ『何かが起きている』だけでは動きにくい。何を中心に調べればいい?」
「田村麻呂だな。あいつの様子について探ってくれないか。いつも俺に様々な事を持ち込んでくるあいつが、今回は全く姿を見せん」
「でも、それは田村麻呂が忙しいからだろ。あいつは、ああ見えて朝廷のお偉いさんだからね」
「そうなのだが、今、あいつは俺に会おうとはしていないように思える。あえて俺を避けているような気がする。それがどうにも気になってな」
やおがニヤリとほほ笑む。
「それが本音だろ、空海。何が気になるって、田村麻呂の事が心配なんだろう?」
「そうではないさ。そうではないのだ。ただあいつの周りを調べれば、何かが分かるような気がする。それとやお殿、今回の仕事はいつも以上に危ないかもしれん。まずいと思ったら、引いてくれてかまわない」
空海は強いまなざしで、やおを見つめる。
「あたしは今までやりかけた仕事を途中で降りたことは一度もない。どんなにヤバい仕事もね。でも、あんたがそう言うならそうする」
やおも強いまなざしで空海を見る。
「よろしく頼む」
「あんたは本当に優しいね、空海」
やおがとびきりの笑顔を空海にみせた。

夜の京の都。この時期ともなると、夜の寒さが身にこたえる。月明りしかない。このぼーっとした光だけが唯一、この世界を照らしている。
「明るさ」ではなく、生命を護ってくれている暖かな温もりである。
大きな男が一人歩いている。ただ歩いているのだが、隙がなく、無駄がなく、これだけ大きな体にもかかわらず軽やかである。
田村麻呂である。
田村麻呂が立ち止まり、剣を引き抜いた。
凄まじい速さだ。剣を抜く動きなど全く見えない。

ガキン

するどい金属音がした。田村麻呂の剣が剣を受けている。暗闇から突如として現れ、打ち下ろされた剣を田村麻呂の剣が受けたのだ。
「よくぞ受けたな、田村麻呂。まあそう簡単に殺してはつまらんがな」
暗闇から声がする。
暗闇から人が現れる。
大きな男だ。
身長は田村麻呂の方が高いが、肩幅や胸幅では劣る。熊のような、岩のような大きな質量を持つ男である。
刀をあわせ状態で、男は凄まじい力で田村麻呂を押し込む。田村麻呂が押し返す。
ギリ ギリ ギリ
刀のきしむ音が聞こえてくる。ふいに田村麻呂が体を右に開き、男の力を受け流す。力まかせに押していた男はバランスを崩した。
田村麻呂は、更に男に足をかけ、男は大きな地響きを立て、転倒した。
男の側頭部めがけ、田村麻呂の太刀が走る。男が剣で受ける。休む間もなく、田村麻呂の太刀が襲いかかる。男は防戦一方となった。
「ぬおーっ」
田村麻呂が雄たけびをあげ、男に太刀を振り下ろす。男が剣で受けた。
ガキン
高く響く金属音がした。
田村麻呂の太刀が中ほどから無くなった。男の剣に折られたのだ。打ちかかって来る剣を受けて、折る。人を超えた剛力のみがなせることだ。
「お前の負けだ、田村麻呂。切り刻んでやる」
男は歓喜の表情を浮かべ、剣を振り上げる。その男の顔に向け、田村麻呂は折られた剣を投げつけた。男が払う。その瞬時、田村麻呂は大きく横に飛び、体勢を立て直す。しかし無手である。
「まだだ、まだだ。まだあがけ、逃げ回れ、そして命乞いをしろ。お前が泣いて許しを乞うまで切り刻んでやる」
男がにじり寄る。田村麻呂は身構える。田村麻呂の額から汗が流れ落ちてくる。
「あっ、あそこだ。そこにいたぞ!」
「田村麻呂様ーっ。今すぐに参りますぞ」
後方から大勢の足音がしてきた。武装した兵が十人以上はいる。
「お前たち、来るなと言ったろう!ここから逃げろ!こいつはお前たちの手に負える相手じゃあない!」
「田村麻呂様をお一人で戦わせるわけにはいきませぬ」
「何とも水臭い事を申されるか。我ら、あなた様のためなら命など要りませぬ」
「お叱りは後で。まずはこ奴を」
兵たちはそう言いながら、男を囲んだ。
「つまらん奴のためにな・・・。つまらん命を捨てるか」
男はそう言った瞬間に動いた。無造作だ。素早くもない、緊張もない。ただ単に歩いて兵たちの側に寄っていく。そして剣を振る。

ゴロン

一人の兵士の首が落ちた。
「えっ、何?」とその口が言ったままの形で首が転がっている。
自分の身に何がおきたのか分からないまま、死んでいっただろう。
男は落とした首を見ることもせず、違う兵士に向かい切りつけた。
その兵は体が真っ二つに切断された。左右から兵士二人が剣を振り下ろした。
「ぐはっ」
「げええっ」
兵の剣は、男でなく互いの体を切り裂いていた。
男が消え、男に振るう筈の剣は、互いの体を切ってしまったのだ。
男は自分の体に剣が届く瞬間、身をかがめ、前転し逃れていた。この大きな体で、野生の小動物の如き動きだ。
二人の兵が口から大量の血を吐きながら倒れた。
あっという間に四人が殺された。
残った兵たち、全員の顔から表情が抜け落ちた。人は本当の恐怖に襲われると感情を失ってしまうのだろう。
自分たちとは次元が違う、とんでもない化け物を相手にしている恐怖が兵たちを襲っている。
「どうした?もう終わりか?」
全身を返り血で赤く染め、真っ赤な顔で男がほほ笑む。
「お前の相手は俺だろ?」
男は振る向き、ニヤッと笑った。田村麻呂だ。死んだ兵士の刀を手に、田村麻呂が立っている。
「ああそうさ。お前を殺すのは俺だ。さあ続きをやろうぜ」
男が剣を構えた。
剣を振った。
何かが男に向かっ飛んできたのだ。それを切った。
男の足下に飛んできたものが二つに割れ、火を燃え上がらせている。
「誰だっ。ふざけた真似をしやがって」
「お前こそ、何者だ?まっとうな人ではないとは分かるがな。これ以上、好き勝手な真似ははさん」
暗闇の中にから一人、男が出てきた。右手のひらに燃えた火球が乗っている。
中肉中背、田村麻呂や男から見ればはるかに小さい。兵たちのように武器も持っていない。
にもかかわらず、大きな存在感がある。見る者を安心させる力が男にはあった。
「空海!お前、なぜここにいる!」
田村麻呂が叫んだ。
「お前のあとをつけていた。最近のお前の様子がおかしいのでな。何かあるとは思っていたが、このでかい奴は誰だ?」
空海は口元にかすかな笑みを浮かべ、火球男に投げつける。男はかわし、空海に迫る。
男の横から田村麻呂の太刀が襲いかかった。
「むん」
「チッ」
男が剣を受ける。と同時に男の体に火がついた。空海の投げた火球が当たったのだ。
男は空海と田村麻呂から離れ、体を叩き火を消す。
空海が投げ込んだ火球により、周囲が明るくなる。
男の顔が浮かんだ。
真っ赤な目が田村麻呂をにらみ上げる。
「田村麻呂、こいつは誰だ?何者だ?」
「こいつは母禮。蝦夷の副将だ。十年ほど前に死んだのだがな」
母禮は田村麻呂をじっと見据える。
「ああ俺は死んだ。・・・いや違う、殺されたのだっ!お前に騙されてな!」
母禮の体から瘴気が立ち昇ってきた。
空海は田村麻呂に目を向けた。
田村麻呂は立っている。目を細め、何かを考えている。
そんな田村麻呂を空海は心配そうに見つめるのであった。

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