密教僧・空海 魔都平安を疾る

カズ

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その七 鏡よ、鏡

十六

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河内国、男山。現在の京都府・八幡市にある山である。ここは京都府と大阪府の国境ともいえる地点である。
そしてその場所は阿弖流為と母禮の終焉の地。二人はそこで処刑されたのだ。
馬上で揺れる田村麻呂の脳裏には、数日前の藤原仲成がいる。
仲成が口を開いている。
「母禮は河内国の男山あたりにいるらしい。まるまる一つの村を奪い、そこの寺に居るとのことだ」
「そこの村人たちはどうしたのだ?逃げ出したのか?」
田村麻呂が聞く。
「さあてね。そりゃあ、何人かは逃げられたろうさ。小さな村とはいえ、二百人、三百人はいるだろうからな。いくら母禮でも村人全員を殺せるはずがない」
「あいつ、何の罪もない村人を殺し、村を奪い取ったというのか。何という事を・・・。あんた、なんでそんなことを知っている?なんで俺にそんなことを教える?」
「俺は藤原式家の当主だ。これくらいの事を知っていてもおかしくはないだろう」
「・・・」
「母禮が多くの地下人を殺しておる。本来ならば、朝廷から兵を出し征伐するべきことだが、帝は動かれぬ。母禮に朝廷の力を頼まずとも戦えるのは坂上田村麻呂しかおるまい?」
仲成が真剣な表情で田村麻呂を見つめる。
「変な芝居はよせ。あんたの本意は何だ?俺にも俺なりの耳がある。今回、朝廷が兵を動かさないのは、さる権門がそれを止めているという話だ。それはあんたら藤原式家ではないのか?」
「俺たちではないさ。そんなことをするはずがないだろう?とにかく、俺はお前に母禮の居場所を伝えただけ。それからどうするかは、お前次第。俺を怪しみ行かぬのも、苦しむ地下人を救いに行くのもお前が決める事。では、私はここで失礼しますよ、田村麻呂卿」
仲成はそう言うと慇懃に礼をし、田村麻呂から去って行った。
去って行く仲成の後姿を田村麻呂はしばらく見つめ、そして踵を返し歩き出した。

馬から降り、歩き出すと田村麻呂の脳裏から、仲成は消えた。
村の風景が目に入って来る。
師走の昼、もうすぐ新年を迎えるという忙しい時季にも関らず、人の気配が全くしない。村人たちの住まいである小さく粗末な竪穴式の住居が肩を並べている。
だが誰もいない。無人である。まるで作り物の世界に迷い込んだような気分だ。
この集落の奥、男山の麓に古刹があり、そこに母禮がいるという。そのことは事前に調べてきた。
目指すのはそこだ。田村麻呂は歩き出した。

ザザザッ

「何?」
誰もいないと思っていた住居から、突然何かが飛び出してきた。田村麻呂は身をひるがえし、避け太刀を抜く。
「何だお前は!」
そこに一人の少年がいた。粗末な筒袖を着た十二、三歳ほどの少年だ。
ここの作人の子供なのだろう。土と汗で汚れ、手足も驚くほどに細い。
この貧相な少年が燃えるような目で田村麻呂を見つめている。手には小刀を握りしめて。
握りしめた両手はブルブルと震えている。
「殺してやるっ!殺してやるぞっ。よくも、よくも父ちゃんと母ちゃんと弟を・・・」
少年が小刀を握りしめ、田村麻呂に向かい突っ込んできた。
「おい、やめろ。俺はこの村に来たばかりだ。お前の恨みを買った覚えなどない」
少年の攻撃をいなしながら田村麻呂は叫んだ。
「何を言いやがるっ!お前、何人殺したっ!村中の人達を殺しやがって。許さないっ。絶対に許さない」
少年はそう言うと、全身の力でまた田村麻呂に突きかかる。田村麻呂は身をひるがえしながら、右手で少年の腕を軽く叩いた。少年の手から小刀が落ちた。
田村麻呂の右手にその小刀が握られている。
「ぐおおおおっ」
少年は獣のような声を出して、無手で田村麻呂に突きかかってきた。
「よしなよ坊主。その男は坂上田村麻呂。お前の家族を殺した男じゃない。その男をやっつけに来たんだぜ」
声がした。殺伐としたこの場が一瞬で和むような声だ。その声の持ち主を田村麻呂は知っている。
「坊主はお前だろう、空海」
田村麻呂は後ろを振り向いた。空海がいた。あの口元に微妙な笑み。仏像の様な笑みをたたえる空海がそこに立っていた。

少年の名は「青丸」。母禮に全ての家族が殺されたという。父親が必死に母禮にしがみつき、その間に逃げ出すことが出来たという事だ。
「ある日、突然にあいつはやって来たんだ。そして村の人たちを片っ端から殺していった。俺の父ちゃんも、母ちゃんも、弟なんてまだ五歳だったのに・・・」
田村麻呂が母禮ではないと分かり、落ち着いた少年・青丸は大きな樹の根元に座りながらぽつりぽつりと話し出した。
空海と田村麻呂もその場に座っている。
「この村の領主は誰だ?そこから人を呼べば、助けが来たのではないか?」
田村麻呂が尋ねた。
「来たさ。二十人近くの兵(つわもの)たちが。だけど歯が立たなかった。二十人の兵があっという間に殺されちまった。それからは誰も来なくなった」
空海と田村麻呂が互いの顔を見る。
「青丸、待っていろ。俺がそいつをやっつけてやる」
そう言って田村麻呂は立ち上がった。
「おじさん、本当にあいつをやっつけてくれるの?あいつものすごく強いんだよっ。俺も行くよ。行かせてくれよっ!」
青丸は飛び上がるように立ち上がった。
「青丸、お前の家族を殺したのは母禮という奴だ。これはおじさんと母禮で片をつけなくてはならない事なんだ。お前はここで待っていろ。大丈夫だ、必ず敵をとってやる」
「そんな、そんなの嫌だよ」
「青丸、もうお前は十分に辛い思いをした。そんな思いはこれ以上しなくていいんだ。ここで俺たちの帰りを待っていろ」
空海はそう言うと立ち上がる。
「空海、お前もここで待っていろ。前にも言ったが、これは俺と母禮の私怨だ。俺たちだけの事なんだ」
「やお殿がいない。間違いなく母禮に連れ去られた。だから俺は助けに行く。お前と母禮の事とは関係ない」
空海は田村麻呂の顔を見つめ、きっぱりと言った。
「好きにしろ。だが、俺はお前を助けられぬかもしれんぞ」
田村麻呂が静かに、そして悲しそうに言った。
「そんなことは当てにはしていない。俺は俺の好きなようにやる」
空海が言った。
空海と田村麻呂は互いの顔を見つめ、そして歩き出した。母禮の居るという寺に向かい。
田村麻呂が足を止め、振り返った。青丸を見る。
「青丸、この刀良い刀だな、貸してくれ。お前は連れて行けぬが、代わりにこの刀を母禮に突き刺してくる」
青丸は大きく二度三度頷いた。地面に涙が落ちる。
田村麻呂は小刀を懐に入れ歩き出す。足を止めていた空海と並び二人で歩いていく。
「俺は刀には詳しくはないが、その刀は良いのか?」
空海が小声で田村麻呂に尋ねた。
「いいや、どこぞの野鍛冶が叩いた刀だろう。そこらにいくらでもあるものだ」
田村麻呂は更に小さな声で答えた。
「お前、良い奴だな」
空海は歩きながら、ぽつりと言った。
「今頃、気づいたのか。遅すぎるだろう」
田村麻呂が顔をほころばせる。
空海と田村麻呂がほぼ同時に足を止め、互いの顔を見る。
「ハハハハハ」
「アハハハハッ」
二人の笑い声が無人の村に響き渡る。
空海は思った。
「笑ったのは何日ぶりだ?こいつの笑い声を聞くのはいつ以来だ?」

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