アネモネ

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13,14話

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13話【お泊り】

「おじゃまします。」

いつものように、雪が玄関で小さく言う。
もう何度目かになるはずの“お泊り”だけど、直哉はそのたびにどこか少しだけ緊張していた。

「飲む? アイスティーとかあるけど。」

「……うん。もらう。」

二人で並んでソファに座り、ドラマを観たり、ちょっとしたゲームをしたり、笑って、たわいのないことでふざけて、時間はゆっくり流れていく。

夜が更け、明かりを少し落とした部屋の中。
並んで座った距離は、もうお互いに自然なものになっていた。

「なんか、こうやってここに来るの……もう慣れたかも。」

雪がぽつりと呟いた。

「そっか。……慣れた、か。」

「うん。なんか、落ち着く。変な意味じゃなくて」

「変な意味でもいいけど?」

そう言った瞬間、雪が一瞬だけ視線をずらした。

「……うるさい。」

でもそのあと、雪はソファに座る直哉の肩に、そっと頭を預けてきた。

心臓の音が急にうるさくなる。

静かな部屋に、何も言葉がなかった。

そのまま、ほんのわずかに顔を向けた雪の瞳が、真正面から直哉を見つめてくる。

――このまま触れても、きっと拒まれない。

そう思ったときには、身体が動いていた。

お互いの顔がゆっくり近づき、自然に――唇が触れ合った。

長くはなかった。

でも、それは間違いなく、二人にとって最初のキスだった。

離れたあと、雪は少しだけ頬を赤らめながら、けれどいつものような表情だった。

ふたりは笑い合い、少し照れたまま、静かに夜を過ごした。


朝、キッチンの隅でトーストをかじっていた雪が、ふと口を開いた。

「……うち、三連休で家族が旅行行くらしい。」

「え、そうなんだ。温泉とか?」

「山のほう。親戚も一緒で、毎年恒例。」

「雪は?」

「行かない。バイトあるし。」

「そっか……。」

言葉が一度途切れて、直哉は少しだけ考えてから言った。

「じゃあ、うち来る? 二泊三日。」

雪がトーストの手を止めて、ゆっくり顔を向ける。

「……二泊三日?」

「うん。普段みたいに、映画とか、ゲームとか。特に何も特別なことしないけど。」

雪は数秒の間を置いて、小さく頷いた。

「……うん。」

その返事がやけに自然で、うれしくて、
直哉はなぜか少しだけ背筋が伸びた気がした。





14話【一日目】

チャイムの音が鳴ったのは、夕方の六時半過ぎだった。

「バイトおつかれさま。」

「……うん。今日、忙しかった。」

雪はいつものシンプルな服装で、肩に小さなトートバッグを提げていた。

少しだけ疲れた顔をしていたが、家に入ると表情がゆるんでいった。

「今日はカレー。って言ってもレトルトだけど。」

「カレーはカレー。おいしければ問題ない。」

並んで食べながら、雪はふっと口元を緩めた。

食後はいつものように缶チューハイを開けて、ソファに座る。

「……たとえばさ。」

不意に直哉が切り出す。

「好きな人ができたとして、どんな風に関係が始まったらいいなって思う?」

雪は缶を唇に当てたまま少し考えたあと、答えた。

「……あんまり急じゃないほうがいいかも。」

「急って?」

「なんか、一気に距離詰められると、どこまで本当なのか分からなくなる。」

「うん、それ、ちょっと分かるかも。」

「私、人にあんまり期待しないようにしてるから。特に恋愛は。」

「……だから、付き合ったことないの?」

雪は少しだけ笑った。

「それもある。自分から好きになったこともないし、誰かからの好意に応えるのって難しい。」

直哉は缶を手の中でくるくる回しながら、視線を雪の横顔に向ける。

「前言ってた、一回だけデートしたって話、あれって、どんな感じだったの?」

「……普通にカフェ行って、ごはん食べて。悪い人じゃなかったけど、楽しいって思えなかった。相手の話もあんまり頭に入らなかったし、自分も何話してたか覚えてない。」

「そっか……。」

しばらく沈黙があって、直哉がぽつりと呟いた。

「でも、俺といるときは、楽しそうにしてくれるよね。」

雪は少しだけ首を傾けたあと、静かに言った。

「うん。直哉とは……なんか、ちがう。」

その言葉が胸に残ったまま、直哉は息を整えるように缶を置いた。

「俺、たぶん雪のこと、好きだと思う。」

雪は驚いた様子も見せず、ただ視線を逸らして、ソファの背にもたれた。

答えはなかった。否定も肯定も。

けれど、その沈黙がまっすぐに重くのしかかってきて、直哉は少し笑ってごまかした。

「……ごめん、変なこと言ったかも。」

雪は何も返さなかった。

「……もう、寝ようか。」

「うん。シャワー、借りるね。」

その夜、二人は同じ空間にいながら、どこか離れていた。

肩が触れる距離でも、心の輪郭はぼやけたまま。

明かりが落ちた部屋で、直哉は天井を見つめながら、雪の呼吸の音だけを聞いていた。
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