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Alcatraz 07
しおりを挟むとても静かな夜だった。いつだって監獄の夜は静かだが、その日は殊更に静かで、世界から隔離された小さな箱の中に居る事実を認識させるような静寂があった。
不眠症気味なセレッソは、いつも眠りが浅い。ラガルトは寝ない時は寝ないし、眠る時は深く長く眠った。
この夜は眠る夜じゃなかったらしい。ラガルトはセレッソのベッドに横になり、座っているセレッソの膝の上に頭を載せていた。始めは嫌がっていたセレッソも、セックスまでしてしまえばあまり抵抗も無くなり、徐々に好きにさせるようになった。
パーソナルスペースは寧ろ人より広い方であったはずのセレッソは、他人に躊躇いなく踏み込まれる強引さに慣れていない分、流されてしまうのも早かった。結局、ラガルトにペースを持って行かれるのだ。
ラガルトは煙草を持っていない手を持て余したように、セレッソの掌に触れては眺めていた。関節を撫で、血管を辿る。
何の変哲もない自分の手を、物珍しそうに観察するので、セレッソはそんな様子に首を傾げた。手だって身体だって、その瞳だって、ラガルトの方がずっと整った造りをしている。セレッソはそう思いながら、ラガルトに触れられていない方の手で、ラガルトの長い銀糸の髪に指を絡めた。さらりと解ける一房が、闇に浮かぶ。
「セレッソの手はあったかいな」
「お前の手はいつも冷たいな」
ラガルトの肌はいつも蛇のようにひやりと冷たい。透き通るような白い肌の下に、青く見える血管が、まるで温度を知らないと告げているようだった。
指先を絡めた掌越しに、瞳が合う。
「セレッソの瞳は本当に綺麗だ」
「お前の方が整ってるだろ。大体、暗くてよくわからないだろ、今…」
「わかるよ。俺には見える」
「なんでもわかるんだな、お前」
子供が言い張るような言葉に、セレッソは目だけで微笑う。ラガルトはその微かな変化を見逃さず、自分も微笑んだ。
「俺の右眼はよく見えないんだ。極端に視力が弱くて、ちょっと色覚障害があるんだよ」
「…お前の右眼は、左目より少し色が明るいよな」
「…よく気付いたね」
ラガルトは少し驚いたように言った。そして、笑う。
「なんか色の見え方、ちょっと違うみたい。そのせいか解らないけど、感覚的に右眼が波長を掴むんだよ。なんか、色がわかるみたいな、感じ。あらゆる物から」
「…オーラが見えるってやつか?」
「うーん。まあそんな感じなのかな。説明できないんだけど…相手がどんな人間か、感覚に入ってきて、自然にわかる。だから、ストリートに居た頃は、毎日、もう…汚くて…全部が…ひどくて」
セレッソはラガルトの長い髪を弄りながら、彼の言葉を聴いていた。
「あそこで生きてた奴等の目には虚像しか映ってなかった。映す気がないのさ」
ラガルトは眼を伏せて、セレッソの指の関節に唇でそっと触れながら続ける。
「あいつらの前に立つと、奴等の瞳に、俺の虚像が映っているのがわかるんだ。俺じゃない俺を見てた。あいつ等みんな、誰もが虚像だし、世界がもう虚像なんだ。なのに見ないふりをしてる。あんなうらぶれた通りで、幸せだなんて嘯く。神なんかとうに化学で殺したくせに、都合だけで形骸化した教会に通うんだ」
ラガルトは目蓋を上げ、セレッソの瞳を真っ直ぐに視た。そしてその頬に触れ、そのまま手を髪へ入れて引き寄せた。セレッソの顔が降りてくると、至近距離で視線が絡む。
「だけどあんたは違う。あんたの瞳はなにも映してない。それは、映すべきものがなにもないからさ。あんたはそれを知っていたんだ。この世界に、もう何もないことを」
この途方も無く広い銀河に、形骸化した生が過去から繋げられてきた。けれどそこには、ディスプレイやホログラムが生み出した、合成音声入りの洗脳染みた幸せがあるだけで、それに騙されてくれない脳を持った人間には、ゆるぎない孤独だけがあった。
硝子や鏡のように、ただ形をそのまま反射するだけのセレッソの瞳には、ラガルト自身もまたそのままの姿で映った。セレッソはラガルトを自分の知っている限りあるカテゴリに無理やり当てはめることをしなかったし、彼に何も望まなかった。
あるがままを視ているだけのその瞳は、きっとどこまでも無気力で、輝きすら失われている。
それでもその瞳が、ラガルトには美しく感じられた。彼の波長こそが自身と共存できる唯一であり、それさえ在れば、他に望むものはなにもないと感じた。
触れることのできる確かな温度は、この宇宙でただ此処だけにあると、ラガルトは悟っていた。
触れ合った唇で、体温を繋ぐ。自分でない誰かの温度。誰かの存在。ずっと捜していた、共に在れる命。この果て無い銀河の中で、閉ざされた場所で、血に濡れた手を伸ばし、それだけを探していた。
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