Alcatraz

noiz

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番外編

音の外れたオルゴール

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独房には古いメロディが流れていた。
タブレットPCから飛び出したホログラムのオルゴールは、そこに在るように見せながら、半透明で半端にリアルだ。
デスクの上で周り続ける紳士と貴婦人は、飽く事なく同じ曲で踊り続けている。

「お前ラリってんのか?」

セレッソは怪訝な目で訊いた。ラガルトは硝子球のような瞳で、もう十分以上頬杖をついてそのオルゴールを眺めているのだ。

「ん…いや、なんか聴いたことあるんだよこの曲」
「…そんなことか。有名な曲なんじゃないのか。俺は知らないけど」
「うーん…なんか引っ掛かるんだよなぁ。もうちょっとで思い出せそうなんだけど」

そうしてまた黙ってしまうラガルトに、セレッソはそれ以上話し掛けるのをやめて煙草に火をつけた。

小さな箱の中に、曖昧に溶け出す紫炎。
肺を汚して身体を出て行く煙は揺らめきながら空間を満たしていった。

セレッソが煙草を吸い終わる頃に、ラガルトは声を漏らした。

「思い出した」
「なんだよ」

どうでもいいけど。とは敢えて言わずに、セレッソは一応返してやった。ラガルトはオルゴールを眺めたまま、ほんの少し沈黙して、また口を開いた。

「俺がストリートのやつ皆殺しにした時、部屋に転がってたんだ」

ラガルトは呟くように言った。記憶に蘇る、あの日の光景。

「ピンクのワンピース着た子供が居て…たぶんオルゴール、聴いてたんだな」
「…殺したのか」
「…あぁ。マシンガンで撃った時、血溜まりにオルゴールが落ちて、まだ音が鳴ってた」

床に広がる血溜まりと、オルゴール越しの少女の亡骸。
無感情に踵を返したわりには、鮮明に覚えていた。

「俺、べつにイカれた殺人鬼になりたかったわけじゃないんだ」

ラガルトはオルゴールから視線を外して、デスクに背を向けるとそこへ肘をかけて重心を後ろへやった。見るともなく天井を眺めて、続ける。

「人とは違うことをしたいとか、俺を知らしめてやりたいとか、逆恨みとか…そんなこと思ったこともない。だけど気が付いたら、イカれてたんだ。気付くまではイカれてるってことに気付かなかっただけでさ…多分最初からどっか…ズレてた」

セレッソは独白のようなラガルトの言葉を聴いていた。

「女だとか子供だとか、強いとか弱いとか、全然頭になかった。ただ内臓がいつも気持ち悪くて…脳が崩れるみたいだった…ずっとそうだった」

たとえ笑っていても、破壊していても。身体が内側から悲鳴を上げていた。

「あの時はそれが沸点になって、俺は勝手に人を殺しまくってた」

そう、勝手に。意識があるのに飛んでるように。自分のものではないように、身体は勝手に血に塗れていった。"物理的には"なんの害も無い他人たちを破壊していった。生まれる前に、そうなるようにセットされていたみたいだった。

「今でもまるで罪悪感がないんだ」

ラガルトの淀んだ瞳は、光も闇もなく、ただそこに在るだけの色をして、言葉を口から漏らした。

「なぜそんなことを俺に話す?」

セレッソが二本目の煙草に火をつけて言う。

「本当は許されたいのか?」

セレッソの瞳にも、批難や憎悪は浮かばない。

「…わからない。誰かに殺されても仕方ないとは思ってる。最初から。けどそれは、“そういう世界だから”ってだけだ」

因果応報だからではなく、不条理なものだから。

「だけど俺は、"普通"とか、一般論を知らないわけじゃない」

理性も狂気も、飼いならさずに放任してきた。その結果がこの人格形成だろうか。頭の片隅で、知っている思想や論理が再生されるが、照らし合わせた自己分析も暇つぶしのように無気力でしかない。

「ズレてることを確認したって意味はないぞ、ラガルト」
「…そうだな」

たとえば。ラガルトが目の前で無害で非力な誰かを殺そうとしたなら、セレッソは止めるだろう。誰かを失う痛みを知っているセレッソは、誰かにそれを味わわせるのを望まない。

「お前を嫌悪しない俺も大概ズレてるな」

今更、というには酷い過去ではある。
しかしここは独房だ。倫理も非道も無い。行われる全ては、それはそれでしかない、というただの現実だった。
ラガルトが無感情に少女を惨殺するような現実は、今ここには無かった。

呵責の無いところに背徳は存在するのか。

「セレッソがズレてなかったらきっと噛み合ってないな」

そう微笑むラガルトの瞳に、自分は飼い馴らされているのかもしれない。セレッソはそんなことを思う。
嫌悪するには遠い過去だ。そして自分の遠い過去には、感情を置いてきたのだろう。今では残滓が反応するぐらいのものだ。

「ラガルト、」

呼び掛けて視線を投げれば、ラガルトは椅子から降りてベッドのセレッソの元へ来る。
セレッソの脚を跨いでラガルトがベッドに膝を付けば、唇が重なる。絡む粘膜の心地。

今はこの熱だけが、あればいい。



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