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2-1 魔法学園の編入生
113 へんてこ世界の謎について
しおりを挟む「あー……」
俺は黄昏の空を見上げ、わざとらしく声を出してため息をついた。
このもやっとしたものが息と一緒に吐き出され、消えてなくなればいいのにと願う。
あのあと、俺は呆然としてしまって、どうやってハナと別れたのかもよくわからない。
自宅から通っているハナは、俺のことをひとしきり心配したあと、自宅に向かって帰って行った。俺のことを送ると行って聞かないハナを、押し戻すのは大変だった。
気づいたら俺は学園に戻ってきていた。
食堂から夕食が部屋に届くまでには少し時間がある。夕陽に照らされた中庭を、俺は意味もなくふらふらと歩いていた。
本当は、リンに会いに行かなくちゃと思ってたことも忘れて、ただ足を動かしている。
ここが異世界だということは、わかっていた。
魔法だってあるし、モンスターも竜もいる。
違う地図、違う理、違う言語。
そもそも俺は、この世界の理に乗っ取れば、人間ですらないのだ。
時代背景的には……タイムトリップしたようなイメージであっていると思うのだ。行ったことはないし、体験したこともないから、そりゃあ正確にはなんとも言えないけど、だいぶ昔の世界だ。
妙に中世っぽいところもあるけど、産業革命よりは前っていう印象だ。学園の作りがおかしいということはつねづね感じていたことだけど。
(――……で、カレールーだけど?)
カレーは……あってもおかしくないと思う。
どこの国が発祥かってところまでは正確にはわからないけど、でも、スパイス自体はもとからあったはずだ。カレーのスパイスが売ってるだけなら、そこまで驚きはしないんだけど。
(あれは……ないよね)
俺が知らないだけで、江戸時代にもカレールーがあったのかどうか……という話になるが、おそらくないだろう。
だとすれば、この世界は……どちらかというとマンガやゲームであるような、いわゆるファンタジーの……というか『とんでもファンタジー』みたいな世界観な気がしている。
蒸気機関とかなんとかって言ってる世界観の中に、スマホが出てくるような奇妙さ。
だけど、よく考えてみたら、俺がダンジョンで使ってるモニターだとか、あの玄関ベルみたいな呼び出し音とかも……よく考えてみたら、おかしいことに、今気がついた。
(なんで気がつかなかったのかっていうと、まあ、ゲーム感覚だったってことになるけど)
俺が土壁さんに頼んで作ってみた、ミシンとか洗濯機とか全自動掃除機とか……そういう、俺が作ったということにカウントされるものと違って、ダンジョンでもはじめから玄関ベルが鳴ったし、モニターみたいなの表示されていた。
異世界だからファンタジーだからと適当に流していたけど、よく考えたら……この世界はすごくおかしい。
(ところどころ『現代』が混ざってる……)
ここって時代どうのうじゃなくて『なんちゃって異世界』なのか?
これは現実? 本当に存在する世界?
俺は、この世界に飛ばされてきたと思っていて、その世界の中で生きてみようと思って……ここまできた。
でも、本当にこの世界は実在しているんだろうか。
――――ここは〝誰〟が作った世界なんだ。
そう考えると、なんかここにいる人間が怖くなってきてしまう。自分がここにいることも、よくわからなくなってきてしまった。
いや――でも。
オリバーだってベラだって、リンだってアッカ村のやつらだって、ユエだってハナだってシアだって、生きてる人間だった。
――フェルトだって。
(大丈夫……大丈夫だ。フェルトが……存在してないわけない。俺の頭がオカシイわけじゃないはずだ……)
俺は深く息を吸いながら、どくどくと早鐘を打っている胸に手を当てた。
いろんなことが起きていて、その上で、立っている足もとの地盤から崩れていくような……心許なさに、めまいがした。
左目から、心配そうな声が聞こえた。
『レイ、大丈夫?』
俺はビクッと肩を揺らした。
そして、ユエの存在まで忘れてしまっていたことに気がついた。はあはあと息を吐き出しながら、ようやく少し頭が冷えてきた。これは、ひとりで考えてたって答えに行き着くような内容ではなかった。
「な、なあ、ユエ。この世界って……お前って、本当にいるんだよな?」
『え、どういうこと?』
どう伝えるべきか、落ちついて考える。
「俺は違う世界で生まれたって言っただろ。でもこの世界って……本当に存在してるんだよ? 誰かの夢……とかじゃないよな?」
『うーん? その質問に俺がどう答えたら、レイが安心するのかはわからないけど、俺にとってはこの世界しか知らないから、この世界は実在してると思うよ』
たしかに、ユエの言う通りだ。
ユエがどう答えたって、俺は安心することができないかもしれない。
俺だけが異物で、俺だけが異質な……この世界の中では、俺以外の誰かがなにを肯定して、なにを否定したとしても、俺はそこに確証を得ることはできない。
映画や小説でよくある夢オチだとか、誰かの妄想だった……みたいな話の中に放り込まれたとは考えたくないのだ。フェルトたちが〝流れ人〟の話については教えてくれたけど、でも、今のところ出会ったことがない。
(それが……怖い)
そもそも、俺はどうやってこの世界に来てしまったのかを覚えていないのだ。
創作物でよくある〝異世界転生〟は、死んだあとの話だと思うが、死んだ記憶はない。では、神隠しみたいなものだと思うのだが、きっかけになるような記憶もない。
(俺はあの日、大学の入学式を終え――そして、迎えの車に乗ろうと思って、校舎を歩いていた)
それが最後の記憶だった。
俺が記憶喪失っていう可能性はあるだろうか。
いや――だとすれば、地球の記憶はどうなるんだ。俺が十八年過ごした地球は……『地球が実在する』という俺の確固たる感覚は……疑うことはできない。
でも、この世界に来てから俺が経験したことだって、夢ではないはずだ。
記憶がある。こと細かな記憶がある。
ダンジョンの記憶。
オリバーと出会ったこと。
ベラとはじめて話たこと。
(――フェルトと出会ったことの……)
大丈夫。現実だ。俺の妄想だとか、誰かの妄想だとか、そういう類いのフィクションではないはずだ。
まさか、たかだかカレールーのせいで、自分の存在だとか世界の輪郭だとか、わけのわからないことを考える日が来るとは思わなかった。
俺は、ふうとため息をついた。
『――レイ、大丈夫だよ。俺は流れ人にも会ったことがある。その流れ人がこの世界の流れに関与してるときもある。あの調味料? がなんだか知らないけど、レイがそんなにパニックになるほどのことではないよ』
「流れ人が……? あーッ! そうか……そうだよな。もしかしたら、前に来た流れ人がカレー作ったかもしれないってことか」
そう言われてみて、ようやく思い出した。
たしかに俺は、この世界に来てからわりとすぐに――。
(……俺、カレーとか食べたい的なこと考えてたわ)
俺みたいに料理ができないやつじゃなければ、どうにかあの味を再現したいって思うやつがいたとしても、それはおかしくない。
〝ヤマト〟っていう国に流れたやつが作ったのかもしれない。むしろ、ヤマトっていうくらいだから、建国したやつが日本人の可能性すらある。
そこまで考えて、今まで興味がなかったことが、気になり出した。
「流れ人ってなんなんだ?」
『まあ、違う世界から来た人っていう認識だけど、召還された以外にも、前世の記憶を持ってるとか? そういう人もいるみたいだよ。レイはそのまま転移してきたパターンだけど』
「前世の記憶?」
『この世界で普通に生まれたんだけど、前世が違う世界の人間だったり』
地球上でも、前世の記憶があるとか言ってるやつがいたりする。
赤ちゃんのときからペラペラしゃべったりする……みたいな話も聞いたことがある。あとは、輪廻転生とか。
もしも、これが単純に〝タイムスリップ〟であったならば、「歴史を変えてはいけない!」みたいな流れに沿って進行するフィクションは多い。
でも、ここは日本でもなければ、地球でもない。
俺がダンジョンでそうしてしまったように、〝流れ人〟っていう人たちは、やりたい放題している可能性が高い。
(そうすると……技術や歴史的なことは、ぐちゃぐちゃに入り乱れることになるわけか……)
俺も特に考えずに、ベラにいろんなことを教えたりしてしまったけど、本当はもっと慎重に動かなくてはいけなかったのかもしれない。
頭をかいてから、俺は腕を組んだ。
「結構いるのか?」
『いや――いない。俺が会ったのは、レイで二人目だ。あとは、ほかの竜に聞いたぐらい』
「ふうん。そうか。少し落ち着いてきた」
『そう? よかった。ていうか、俺はいいんだけど、さっきのハナちゃんだっけ? ずっとなにか言いたそうにしてたぞ』
俺は「あ」と口を開けた。
たしかに、ハナが妙に覚悟を決めたような顔をしていたことを思い出した。
なんでハナは、あの変な店に俺を連れてきたかったんだろう。買い物忘れた、みたいなくだりが棒読みだったことも気になる。
「あー……それにしても、わけわかんねー」
『立て続けにいろいろ起きるね』
「そもそも、魔法っていうのがさ。なにができて、なにができないとかも、俺……よくわかんねーんだよ」
編入試験のときに基礎知識は頭に入れたけど、そもそもの常識が理解できていない面もまだある。
アレクサンダー殿下のことも、ロザリー殿下のことも、ニアの雇い主のことも、それからフェルトのことも……なんか全部おかしい気がするけど、どこまでが魔法で説明可能なのかがわからないから。
なにが本当に『おかしい』のかも、正確には理解できていないのだ。
「魔法ってさ、たとえば精神に干渉するような魔法ってあるのか?」
『ある』
フェルトのことを探しているのに、フェルトの状態も、どうなっているかという可能性も、日本の常識ではわからない。
編入試験に必要な知識の中には、一般常識的な問題は含まれていないのだ。
だからこうして、カレールーに遭遇しただけで、俺はうろたえて……この世界や自分の存在までを疑うなんていう、弱さをさらしてしまった。
まずは常識を学び直さなくてはいけないなと、俺はがっくり肩を落とした。
「たとえば人の思考を読んだり、洗脳したりみたいなことができる人もいるのか」
『いる。火、風、水、土、光、闇、からなる魔法が基本だけど、そのほかにも、この前アンドレアが使っていたみたいな、今は使い手の限られる古代魔法のようなものもあれば、レイみたいな特殊な固有魔法が存在する。ただし、その使い手はかなり稀少だ。それゆえに、固有魔法に秀でた人間が……国を治める側の人間になることも多い』
「なんでもあり?」
『……と、までは言わないけど、いろんな魔法がある』
ユエの言う通り、立て続けにいろんなことが起きすぎだった。
少し整理しようと思って、俺は近くにあったベンチに腰を下ろした。夕暮れの学園を歩いている生徒は少ないから、俺がユエとぶつぶつ話していても問題がなくてよかった。
さて、今、俺の前には――いくつかの謎がある。
まずは、第一王子アレクサンダーが、なにかしらの精神干渉系の魔法を使っている気がするということ。
二つ目は、第二王女の噂のこと。
それを操っている誰かがいるはずだ。少なくとも……ニアと俺の認識では、ロザリーがそんな狡猾な女だという認識はない。
ただし、リンやフェルトを含む……『奴隷騎士をはべらせている』という認識を持つ者たちが、王城に出入りする人間の中に、一定数いるということ。
(それによって……誰がなにを得するのかということ)
革命派による王族の印象操作なのか。
王女の印象を悪くするためなのか。
(そして、どうやってということも……)
きっと、また……精神干渉系の魔法なはずだ。使い手が稀少なのだとしたら、アレクサンダーが関与している可能性もあるだろうか。
そして、三つ目だ。
(――フェルトの存在)
革命前から、誰かがフェルトを王都に呼び戻そうとしていた。
それはおそらく……カイルが言っていたように、ロザリー殿下……ではない。
もしかしたら、関わっている可能性はあるが、その大もとにそれらを操作している人間がいるはずだ。だとすれば、フェルトは……その人間のそばにいる可能性が高い。
それは、誰なのか――。
「……謎が多すぎんだろ」
『ほんとだね。とりあえずはリンゼイとハナ、あと……シアッ‼ その三人から知ってる情報をもらうべき!』
「……………三人目だけテンション高いな」
『まーね!』
胸を張っているちょっと抜けた竜の姿が目に浮かぶようだった。
でも……ユエの言う通りだ。
とにかく、なにかを知ってそうな人間からは、なんでも知ってる情報を得なければ、なにもわからなそうだ。
(俺は……なんでこんなに必死なんだろう)
周りにいた人間がひとりいなくなったなんて、どうでもいいことのはずなのに。
これが……失いたくないってことなんだろうか。
拾ってきた犬を飼いたかったときも、こんなかんじだったかもしれない。
(……失いたくないかあ、考えたことなかったな)
俺の周りから去ることになった人たちがいても、それでも俺の人生は続いたし、俺もまた……俺の周りの人間にとってそんなに重要なこともないだろうと思ってた。
自然と手が左耳に伸びる。
硬い感触。
俺が盗賊にナイフつきつけられたときの、フェルトの様子を思い出す。
俺の首が落ちたと思った時の、フェルトの様子を思い出す。
震える姿を見て、涙を流す姿を見て、ああ……フェルトにとって、俺は少しは大切な存在なんだと、思った。
それでもフェルトの感情はよく理解できなくて、からかうことしかできなかったけど、でも……生きていていいんだなという気になった。いや、別に死のうとしたことはないけど、日本ではただ……毎日が流れていくだけだったから。
俺は今、どんな顔をしているんだろう。
オリバーが優しくするくらいだ。きっとすごくひどい顔なんだろう。――不思議だ。
あったものがなくなるなんて、いたものがいなくなるなんて、日本では当たり前だったはずなのに。
俺はフェルトを失いたくない――らしい。
それからもう一度、思った。
「――……変なの」
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