キ・セ・*

朱音

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第三話 ~秋守と冬夜~

13 (秋守)

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 鼻を一つすすって、短く溜め息を漏らして、精神の落ち着きを取り戻す努力をした時だった。
 ベンチに置きっぱなしにしていたコンビニの袋を漁る北原さん。もしかしてタバコでも吸うのかな? と思ったのに、振り向いた両手に持っていたのはカフェオレと微糖のコーヒーだなんて。
「どっちがいい?」
 てっきりタバコが登場するものだと思い込んでいたのに加えて、突然投げられた質問にきょとんとしてしまう。
「えぇ……? じゃ、じゃあコーヒーで」
「ん。おれはカフェオレが好きだから、ちょうど良かったわ」
 さっきと同じように、大袈裟に音を立ててベンチに着席した。けれどさっきと違うのは、横にずれて空いた箇所を軽く叩く。これは、隣に座れと言う合図だよね。静かに、端の方に腰掛ける。
 一服は一服でも煙たいそれだと思っていたのに、実際は穏やかなコーヒータイム。しかも北原さんがカフェオレを好きだとは何だか意外だ。
 プルトップの軽い音が、二人しかいないマンションの庭に響く。冷えた缶が唇の熱を奪って、少し甘みを持った苦みが喉を走る。
「悪い。おれ……、勘違いしてたみたいだ」
 ぽつりと吐き出された台詞は聞き違いだろうか? 聞き違いでないのなら、勘違いってどう言うこと? 視線を向けると、今度は俺を真っ直ぐに見ながら言ってくれた。
「話を聞いて、あんたが夏歩の家族で良かったと心底思ったんだよ」
 夏歩さんとの関係を認めてもらえるなんて想像してもいなかったので、今の言葉は素直に嬉しい。
 だけど、自分で気が付いてしまったんだ。俺はしょせん、願望を叶えるために夏歩さんと仲良くなりたかっただけ。
 靄がかかり始めていた胸の奥で、広がりを見せた濁り色。この言い表せない気持ちは、どうすれば晴れるだろうか。
「でも……、俺は一方的に家族になりたいと願って、夏歩さんを困らせてしまっていたんですよ」
「理由はどうであれ、あいつの存在を認めてくれてるんだろ? その事実が何よりも嬉しいし、変に綺麗事を言わないところに安心したんだよ」
 嘘だろ、信じられない。自己満足のために彼女に近付きやがって、と怒られると思っていたのに。格好悪いながらも偽りなく本音を話したのが良かったとは。
 自分の薄汚れた下心に気付いてしまったけれど、夏歩さんとまみさんと家族になりたいとの願いはいつだって本物で。澄田家は四人でいることが普通になってほしいんだ。
 誰かが帰って来たら玄関を開けて、何も考えずに『おかえり』を唱えられる。そんな毎日が、そう遠くない未来で待っていればいいな。
 ……あぁ、もう。また夢見てしまった。油断するとすぐに甘い夢を見てしまうことに気付いて、我ながら苦笑してしまうよ。心配性なくせに、変に楽観的なところがあるのは自覚しているんだ。

 寒風に千切られた落ち葉が地面を這っていき、かさこそと立てる音に混じって聞こえた独り言。
「あんたのことを、ババアの味方か、飛生でおれの噂を聞いて夏歩と引き離そうとする奴なのかと思ってた……」
 俯き加減な横顔からはあまり表情が読み取れないけれど、声が涙ぐんでいる。カフェオレの缶を弱く包んでいる両手が、やけに頼りなさそうに見えてしまうのはどうしてだろう。
「お気を悪くされたらすみません。確かに、学校で北原さんの噂を耳にしました」
 クラスメイトから聞いた、北原なる人物の噂――悪ぶっていて、教師からは見放され、人を殴ったことがある、学校一の嫌われ者。春平から聞いた目撃情報によると、チャラい男だったっけ。
「同時に、夏歩さんが北原さんと仲良しだと聞いて。俺には冷たい対応しかしてくれない夏歩さんが、心を開ける人ってどんな方なんだろうと気になってました」
 人から聞いた北原さん像は、怖くて近寄りがたい人。昨日は突然胸倉を掴まれたし、話し方は不愛想で。黒色の瞳で睨みつけられると、その鋭い眼光に刺されて動けなくなってしまう。
 でも、時間をかけて会話をしてみたら、徐々に印象が上書きされていく。
 俺の本音を否定せず、むしろ綺麗事でないのが良いと認めてくれて。そして自分が間違っていたと判断すると謝罪してくれる。非を認めるって難しいことなのに。
「俺も北原さんと友達になりたいと思っていて、お話をすれば更にその想いが強まりました。北原さんっ、友達になってくれませんか!?」
 勢いに任せて正直な気持ちをぶつける。緊張のあまり心臓が激しく音を立てて、下手をすれば止まってしまいそうだ。
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