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幕間 ~冬夜と夏歩~
02 (冬夜)
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「だったらさ、夏歩もおれと一緒に秋兄って呼んだらいいじゃん」
「そこまで親しくないのに、あだ名で呼ぶ勇気がないわ。かと言って澄田くんじゃ、今の私と同じ苗字だし。いきなり下の名前で呼ぶのも失礼かと思うし……」
秋兄は夏歩と仲良くなりたがっていたから、どんな呼ばれ方をしたって喜びそうだけどな? だけどまぁ、夏歩からいきなり親しげに呼ばれたら、あの人は動揺しそうだな。そんな想像をした時、冷え切った綺麗な指達が、おれの右手を包む。
「あの子の口から冬夜の名前が出て、ココアやグラタンを見せられた時は警戒したわ」
「そうだよな。おれが勝手に……」
今一度謝罪しようとした唇は、細い人差し指によって開くことを禁じられる。
「違うの。冬夜があの子と仲良くなってくれたおかげで、昨日はとても特別な時間を過ごせたの。ありがとう」
ありがとう、って何? 怒られるとばかり思い込んでいたので、まさかお礼を言われるなんて予想外で。唇を塞がれた以上に何も言えないでいると、昨日何があったのかを語ってくれた。
「テーブルを囲んで、あの子と一緒に食事をさせてもらったの。出来合いのグラタンを買って来てくれて、それにお隣さんからのお裾分けの煮物も頂いたわ。私、冬夜のお家以外でこんなに充実した食事をしたのは初めてよ」
家族と一緒に食事をする――どうってことなさそうに見えて、それは実は平和な光景。
前に聞いた話では、ババアは夏歩がテーブルを囲むことさえ許さないそうだ。つまり一緒に食事なんてあり得ない話で。
今まで家族団らんを経験したことがない彼女にすれば、ものすごく重大な出来事だったはずだ。淡々と語っているように装っているけれど、話すテンポがいつもより速いもん。
「そして、これを見て」
カーディガンのポケットから取り出して、目の高さで揺らしたのは細いリングが付いている銀色。何をどう見ても、あれだよな。
「鍵?」
「そう。家族だからと言って、家の鍵をくれたのよ。……信じられる? こんなこと、私が一番信じられないわ」
そんな風に言いながら、両手で顔を覆ってしまった。隠しきれていない耳が少し赤くなっていて――あぁ、そっか。夏歩が纏っていた緊張は怒りじゃなかったんだ!
照れ、喜び、幸せ。きっと色んな感情が溢れかえって、どう飲み込めばいいのか分からなくて険しい顔になってしまっていたんだな。
大好きな人に良い出来事が起こった。めちゃくちゃ嬉しいよ。だけど、その感情を生んだのはおれじゃない。
「夏歩がそんなに喜んでる姿を見るのは、初めてかも。秋兄にちょっと嫉妬だわ」
茶化して言うと、ハッと顔を上げて、興奮のあまり潤んでしまっている瞳を挙動不審にさせる。
「喜ぶ……? 私は喜んでいるのかしら。どちらかと言うと戸惑っているように感じるわ」
「え? 秋兄が家族として迎えてくれて、嬉しかったんじゃないのか?」
「……嬉しいわ。だけど、この幸せは続かないと知っているから……」
明るい感情を認めているはずなのに、口元はしっかりと引き結んで。揺れる瞳は諦めの色を濃くして。
ババアのせいで、夏歩は『今』よりも『未来』を見るようになっているんじゃないだろうか。
どうか、今ここにある幸せを感じて。いずれ失くすかもしれない幸せは、失くしてしまった時に嘆こうよ。……なんて前向きに励ますふりをして、おれだって夏歩と同じ考え方をしてしまうんだけどな。だからこそ、彼女の気持ちが痛いほどに分かるんだ。
そっと肩を抱き寄せると、何の抵抗もなく預けてくれる身体。細くて、強く抱きしめると折れてしまいそう。
「何があったって、おれが夏歩の傍にいるよ」
耳元で囁くと、静かに頷いて。あぁ、あぁ。夏歩の心の支えが、おれで在れればいいのに……。どれだけ願ったって叶わなさそうな欲望に、少しだけ涙が滲んで鼻をすする。
「ごめんなさい。寒いわよね」
「そうじゃなくて……いや、寒いもんな! そろそろ家に入るか」
何もないのに涙ぐんでいる格好悪い顔は見られたくない。取り繕うべく、勢いよくベンチから立ち上がって一緒の帰宅を促そう。
並んで歩いてエレベーターへ向かう途中、ふと伝えられた内容に上がるテンション。
「そうだわ。今度の金曜日は、午前中で学校が終わるの。職員会議で学校にも居残れないんですって」
「ちょうど良かった! おれもバイトを休みにしておいたんだ。校門まで迎えに行くな」
「どういうこと?」
「どういうこと、って。金曜日は夏歩の誕生日だろ?」
毎年、心の中で捧げたお祝いの言葉。だけど、今年はようやく本人に直接伝えられる。もう何日も前から楽しみで仕方なかったんだ。
しかし、当の本人はすっかり忘れていた様子。一瞬だけ呆けた後、見た目に分かりやすく表情を曇らせる。
「誕生日なんてどうでもいいわ。気持ちだけもらっておくわね」
「おれがお祝いしたいんだ。だから、な? お願い!」
懇願するも、視線を逸らして何も答えてくれない。分かってるよ、夏歩がそう言った類のイベントが苦手だってことは。ましてや自分に関する祝い事など、興味なさそうだもんな。
「ケーキを買っていくからさ、一緒に食べような」
実は、生クリームと苺がたっぷりのホールケーキを予約済み。二人じゃ食べきれないかとも考えたんだけど、大好きな人のお祝いだもん。盛大にしたかったんだ。
今日は口をへの字にさせている夏歩の、金曜日の予報です。今は戸惑っていますが、当日はケーキの甘さで、きっと笑顔を見せてくれることでしょう。
「そこまで親しくないのに、あだ名で呼ぶ勇気がないわ。かと言って澄田くんじゃ、今の私と同じ苗字だし。いきなり下の名前で呼ぶのも失礼かと思うし……」
秋兄は夏歩と仲良くなりたがっていたから、どんな呼ばれ方をしたって喜びそうだけどな? だけどまぁ、夏歩からいきなり親しげに呼ばれたら、あの人は動揺しそうだな。そんな想像をした時、冷え切った綺麗な指達が、おれの右手を包む。
「あの子の口から冬夜の名前が出て、ココアやグラタンを見せられた時は警戒したわ」
「そうだよな。おれが勝手に……」
今一度謝罪しようとした唇は、細い人差し指によって開くことを禁じられる。
「違うの。冬夜があの子と仲良くなってくれたおかげで、昨日はとても特別な時間を過ごせたの。ありがとう」
ありがとう、って何? 怒られるとばかり思い込んでいたので、まさかお礼を言われるなんて予想外で。唇を塞がれた以上に何も言えないでいると、昨日何があったのかを語ってくれた。
「テーブルを囲んで、あの子と一緒に食事をさせてもらったの。出来合いのグラタンを買って来てくれて、それにお隣さんからのお裾分けの煮物も頂いたわ。私、冬夜のお家以外でこんなに充実した食事をしたのは初めてよ」
家族と一緒に食事をする――どうってことなさそうに見えて、それは実は平和な光景。
前に聞いた話では、ババアは夏歩がテーブルを囲むことさえ許さないそうだ。つまり一緒に食事なんてあり得ない話で。
今まで家族団らんを経験したことがない彼女にすれば、ものすごく重大な出来事だったはずだ。淡々と語っているように装っているけれど、話すテンポがいつもより速いもん。
「そして、これを見て」
カーディガンのポケットから取り出して、目の高さで揺らしたのは細いリングが付いている銀色。何をどう見ても、あれだよな。
「鍵?」
「そう。家族だからと言って、家の鍵をくれたのよ。……信じられる? こんなこと、私が一番信じられないわ」
そんな風に言いながら、両手で顔を覆ってしまった。隠しきれていない耳が少し赤くなっていて――あぁ、そっか。夏歩が纏っていた緊張は怒りじゃなかったんだ!
照れ、喜び、幸せ。きっと色んな感情が溢れかえって、どう飲み込めばいいのか分からなくて険しい顔になってしまっていたんだな。
大好きな人に良い出来事が起こった。めちゃくちゃ嬉しいよ。だけど、その感情を生んだのはおれじゃない。
「夏歩がそんなに喜んでる姿を見るのは、初めてかも。秋兄にちょっと嫉妬だわ」
茶化して言うと、ハッと顔を上げて、興奮のあまり潤んでしまっている瞳を挙動不審にさせる。
「喜ぶ……? 私は喜んでいるのかしら。どちらかと言うと戸惑っているように感じるわ」
「え? 秋兄が家族として迎えてくれて、嬉しかったんじゃないのか?」
「……嬉しいわ。だけど、この幸せは続かないと知っているから……」
明るい感情を認めているはずなのに、口元はしっかりと引き結んで。揺れる瞳は諦めの色を濃くして。
ババアのせいで、夏歩は『今』よりも『未来』を見るようになっているんじゃないだろうか。
どうか、今ここにある幸せを感じて。いずれ失くすかもしれない幸せは、失くしてしまった時に嘆こうよ。……なんて前向きに励ますふりをして、おれだって夏歩と同じ考え方をしてしまうんだけどな。だからこそ、彼女の気持ちが痛いほどに分かるんだ。
そっと肩を抱き寄せると、何の抵抗もなく預けてくれる身体。細くて、強く抱きしめると折れてしまいそう。
「何があったって、おれが夏歩の傍にいるよ」
耳元で囁くと、静かに頷いて。あぁ、あぁ。夏歩の心の支えが、おれで在れればいいのに……。どれだけ願ったって叶わなさそうな欲望に、少しだけ涙が滲んで鼻をすする。
「ごめんなさい。寒いわよね」
「そうじゃなくて……いや、寒いもんな! そろそろ家に入るか」
何もないのに涙ぐんでいる格好悪い顔は見られたくない。取り繕うべく、勢いよくベンチから立ち上がって一緒の帰宅を促そう。
並んで歩いてエレベーターへ向かう途中、ふと伝えられた内容に上がるテンション。
「そうだわ。今度の金曜日は、午前中で学校が終わるの。職員会議で学校にも居残れないんですって」
「ちょうど良かった! おれもバイトを休みにしておいたんだ。校門まで迎えに行くな」
「どういうこと?」
「どういうこと、って。金曜日は夏歩の誕生日だろ?」
毎年、心の中で捧げたお祝いの言葉。だけど、今年はようやく本人に直接伝えられる。もう何日も前から楽しみで仕方なかったんだ。
しかし、当の本人はすっかり忘れていた様子。一瞬だけ呆けた後、見た目に分かりやすく表情を曇らせる。
「誕生日なんてどうでもいいわ。気持ちだけもらっておくわね」
「おれがお祝いしたいんだ。だから、な? お願い!」
懇願するも、視線を逸らして何も答えてくれない。分かってるよ、夏歩がそう言った類のイベントが苦手だってことは。ましてや自分に関する祝い事など、興味なさそうだもんな。
「ケーキを買っていくからさ、一緒に食べような」
実は、生クリームと苺がたっぷりのホールケーキを予約済み。二人じゃ食べきれないかとも考えたんだけど、大好きな人のお祝いだもん。盛大にしたかったんだ。
今日は口をへの字にさせている夏歩の、金曜日の予報です。今は戸惑っていますが、当日はケーキの甘さで、きっと笑顔を見せてくれることでしょう。
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