キ・セ・*

朱音

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第三話 ~秋守と冬夜~

07 (夏歩)

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 速く、とても速く。夕暮れ時の景色が、意思とは関係無しに後ろへと流れていく。強く握られたまま引っ張られる手首は痛みを覚えて、でもそれを訴えることは出来ない。
 無言のまま早足を続ける歩幅についていけなくて、つい小走りになってしまう。
「冬夜……」
 少し切れ始めた息に混じって名前を呼んでみたのに、こちらを振り向いてくれない。
 どうしよう。どうすればいいかしら? 焦り、戸惑うばかり。
 コンビニからだいぶ遠ざかったし、振り返った先に同い年の兄が追いかけて来ている様子は無い。
 だから、もうそろそろ落ち着いて。怒りを鎮めて。……なんて勝手な言い分よね。怒らせた元凶は他でない私なんだもの。
 心臓が落ち着かない音を立てて、込み上げて溢れる緊張。
「冬夜っ」
 強めに名前を呼んで、空いている方の指で服の裾を引っ張ってみると、はっと気付いたように歩みを止めてくれた。
 安心したのも束の間、振り返った表情に胸が一層締め付けられるの。黒い瞳は潤み、口元は強張っていたから……。
 音も無く静かに放された手首の熱は、すぐに寒風が攫って行ってしまう。
「ごめん! あの、おれ……、気が動転して。手、痛かったよな」
「ううん。私こそ気分を悪くさせてごめんなさい」
 頭を軽く下げると、今度は眉までが八の字になってしまった。
 強気で、目付きが悪いから威嚇しているように見えると本人は言うけれど、本当は全然そんなことは無いのにね。誰よりも気遣い屋さんで、真っ直ぐで、優しい人なのに。

 一つ呼吸を整えてから周りを見ると、北原家のあるマンションにまで辿り着いていた。
 ふらりと導かれるように、敷地内の庭のベンチに力無く腰掛ける冬夜。前にもこのベンチに座ってお喋りしたことがあったわね。
 あの時はちょうど良い気候だったけれど、今はひんやりとした風が通って行く。カーディガンを持っていれば、いつも支えてくれている人へと掛けられるのに。
「ババアの名前を聞いたら一瞬で頭に血が昇ってさ。本当にごめんな」
 ぽつりと呟いたかと思えば、とても自棄気味な声を出しながら笑うの。
「あー、もう。やっぱりだめだな。言葉よりも先に殴りかかろうとしてしまう辺りが、中学の時から変われてないわ」
「そんなことは言わないで? 私のせいであなたが悪者になってしまうのが一番辛いの」
 開いている両足の間に割り入って、いつもは見上げている顔を見下げてみる。すると、一瞬だけ切なげな表情を見せたかと思ったら、すぐに俯いてしまった。
「ははっ……、今更何を言ってるんだよ。さっきのあいつだって、飛生で噂を聞いたんだろ」
 上体を屈み気味にして、右手を左手で抑え込んでいる。けれど、細かく震えている全身。高いはずの背をしているのに、今この時ばかりはとても小さく見えてしまうわ。
『北原は乱暴だし性格が悪いから、青柳さんも近付かない方が良いよ。先生達だって関わりたくなくて無視してるんだから』
 新森第三中に転校して来たその日に、クラスメイトの一人から聞かされた台詞がふと過ぎる。この言葉以外にも、様々な汚い噂を聞いたっけ。
 冬夜と一緒に過ごす内に、全てが根拠も無い嘘ばかりだと分かったけれど。
「妹をおれの傍に置いておきたくないと思って、仲を裂きに来たんだろうよ」
「そんなことないわ」
「そうだって! じゃなかったら、何をしに来たって言うんだよ!?」
 怒鳴るような口調で言い放ちながら、顔を上げたので両頬を手で包む。心無い噂で塗り固められた虚像のあなたに、本当のあなたが染まってどうするの?
 もしも冬夜が皆の言う通りの人ならば、私は一緒にいたいと感じないわ。ちっぽけな証明かもしれないけれど、小さな答えが確かにあることをどうか認めて。
「学校で彼に言われたの。『いつも一緒にいる友達はどんな人なの? 俺も友達になりたい』って。だから、その言葉を実行しようとしただけじゃないかなと思うのよ」
 同い年の彼と仲良くするつもりは無いけれど、数か月学校で過ごしてみて分かったの。
 彼は噂に左右されるような人ではないはず。ついでに、人生を損しているんじゃないかと思うほどにお人好しなようで、優しい。
 そうよね。そんな人で無かったら、嫌な態度ばかり見せる私に、飽きずに声を掛けてはくれないでしょう。
「今日は家に帰って来る?」の真意を、最初は単なる興味だと思っていた。
だけど見捨てることなく、幾度と聞いてくれて。本当に帰って来ることを待っていてくれているのかしら。……なんて、少しだけ期待してしまったの。
「はぁ? 友達? あいつ、何を言ってるんだよ。信じられねぇ……!」
 そうよね。私にも信じられない。信じられる訳がない。
 誰とも仲良くなりたくないから、頑なに冷たい態度を貫いている。どうせ、そう遠くない内にオバサンの身勝手な行動に付き合わされて、離れることになるのよ。
 仲の良い人と出会ってしまうと別れの辛さが深くなってしまうじゃない。冬夜と別れたあの日の痛みは、もう味わいたくない……。
 今まで出会って来た人達は、私の態度に腹を立てて離れて行ってくれた。なのに、どうして彼はいつまでも気に掛けてくれるのかしら。
 見ず知らずで会ったことの無い冬夜と友達になりたいなんて、いつもの私ならば聞き流すだけだった。なのに、いつの間にか、あの優しさだけは本物だと思うようになってしまっている……。
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