泥々の川

友谷 祢留

「おー、祢留
さすがはワシの息子や。
ゼニも無しでビールをせしめてくるとは。」

誠は珍しく、笑みをこぼしながら祢留からビールを受け取った。


「せやけど、先月のツケを払わんかったら、もう渡されへん言うて、釘を刺されたわ。」


「何を言うとるねん！大和屋のガキめ！
守銭奴みたいな事言いくさってからに！」

すぐに不機嫌になった誠は、その場にでんっと座り込み、ビールの栓を抜いた。


祢留はため息をついて、玄関に行き靴を履いた。


「おい、祢留！
お前どこに行くねん！」


「バイトや

夕刊配りに行かなあかんねん」


「おう、そうか

給料日はいつや！？」



「来週の水曜日。」



「せや！
その金でツケ払えるやないか。


頑張って一円でも多く稼いでこい。」


誠はそう言うと、勢いよくビールを口に運んだ。


袮留は、ため息をつきながら家を出て、新聞屋に向かった。


友谷祢留
15歳になったばかりの中学3年生だ。

とんでもない家庭で育ったがために、最近は満足に学校にも通えていないが、元々は勉強もよく出来て、スポーツ万能でもあった。
容姿は、紅顔の美少年といった感じで、親に恵まれていないことだけが非常に残念だと、周囲の人々は口々に言った。

高度経済成長期の日本にあって、このような家庭は、沢山とは言わないが、少なからずあり、祢留もまたそのうちの一人であった。

しかし、この年は戦後初めて日本の経済成長がマイナスとなり、誠のような失業者が増えた年でもあったのだ。



「友谷君」

新聞配達のアルバイトに向かう袮留に声をかけてくる者がいた。

袮留が振り返ると、そこには同じクラスの女子生徒、佐野恭子が立っていた。


「あ、佐野さん」


「どないしたん？
元気なさげに歩いてたけど」


「えっ、そんな事ないよ。
佐野さんこそ、こんなとこで何してんの？」


「私は今からそろばん行くねん。」

「あー、そっか、森そろばんか。」

この先にあるそろばん塾の看板を見ながら、袮留は頷いた。

「友谷君はどこ行くん？」


「僕はアルバイトや。
新聞配達の。」


「そう…大変やな。」


「しゃあないわ。」


「最近、あんまり学校にも来えへんし…」


「それも、しゃあないねん。
ウチ、貧乏やし、義務教育や言うてもなかなか。」


「今度、ウチに遊びに来えへん？

ノート見せたげるから。」


「えっ、ホンマ？」


「うん。もし、わからんとこあったら私に聞いてくれたらええし。」


「ありがとう。助かるわ

それじゃあ、時間やし、行くわ。」


袮留は、恭子にそう言うと、手を振って去っていった。