そんな目で見ないで。

春密まつり

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3 近づく距離

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 一応、つき合うことになって数日。真子は司の新しい一面を知る日々だった。というよりも今までが知らなさすぎたのだ。彼のことを意識してもいなかったので、つき合うようになってから彼の動向を気にするようになった。
 無口だという印象は変わらないままではあるものの、毎日発見があった。
「……あ」

 会議室へ向かう途中で司とすれ違う。目は合ったけれどお互い話しかけたりはしない。二人で決めたわけではないけれど、自然とそうしていた。でもすれ違う瞬間、彼の手がそっとふれて離れていった。偶然ぶつかるにしては不自然なので、わざとだとわかった。
 どきりとして振り返りたくなる衝動に駆られたけれど我慢をした。
 司は意外と大胆らしい。
 それからお昼には、社員食堂でよく会うこともわかった。一緒に食べたりはしないけれど、見えるところに必ずいる。そして、彼はいつもカレーを食べていた。
 どうやら、カレーが好きらしい。


「ねえ聞いた? 新規プロジェクト、君島くんの企画だって」
 加奈が真子のほうに身体を寄せ、高揚しながらも小声で話しかけてくる。

「聞いた。すごいね」
「あんたんとこのチームまた忙しくなるんじゃない?」
「企画元は君島くんだけど、プロジェクトとして動くのは他のチームらしいよ。ほら、私のチーム今は他の進行中だから」
「今の進行しつつ他の企画出すって何者なの君島くん」
「ほんとだよ……」

 現にいまコンペに向けて動いている企画も、彼が考えたものだ。先輩として情けなくなるくらいに彼には企画力があった。新鮮さや斬新さではなく、今あるものをより良くしていく案だったり、些細だけれどみんなが気づかないようなことに誰よりもはやく気づく能力がある。正直、チームの一番下っ端ではもったいないくらいだ。

「あいつのプレゼンすごいよ」
 前の席に座っている男性の先輩が、めずらしく話に入ってきた。例のプロジェクトの担当になったのは彼だった。真子たちの話題が気になったのだろう。
「え、そうなんですか? 無口なのに?」
 加奈が失礼なことを言う。真子は心の中でひっそりと駅前でしたキスのことを思い出していた。あんな情熱的なキスをする人だなんて、誰も思わないだろう。

「部長への企画提案の時同席したけどさ、堅くはあるし饒舌ではないけど、わかりやすくて丁寧だし、悔しいけどつい聞き込んでた」
「へえ……意外」

 真子は彼のそんな姿が想像できなくて、見たいと思った。つき合うことになっても司は忙しく、週に一回土曜日の昼間に会うくらいだった。それでも十分なのかもしれないが、彼との会話はまだ満足がいっていない。こんな人づてではなく、自分の目で彼のことを知りたいという欲が出てきていた。
 昼休みにスマートフォンを取り出し、司にメッセージを送る。

『今週の金曜日空いてる? 飲みに行きたいな』
『仕事終わらせます』
『ありがとう。でも無理しなくていいからね』
『大丈夫です』

 普段は土曜日のお昼くらいから会って夜に帰るというパターンだったからたまには夜、飲みに行きたい。お酒が入ったり、お店の雰囲気によって彼も饒舌になるかもしれない。真子は週末を楽しみに、仕事に励むことにした。



「店、予約ありがとうございます」
「ううん。前は予約してもらったから」

 今回は真子のほうからお店を予約したいと伝えた。前のようなレストランもデートらしくていいけれど、司が選んだお店とは違う、もっとラフなお店を選んだ。ほどよく騒がしくて、人の会話があまり聞き取れないような場所だ。司が話しやすくなるといいな、と期待を込めて。
 お店に入り個室に通される。中に入ってぎょっとした。男女で座る用なのか、ソファ席で横並びに座るようになっていた。小さい二人用のソファは普通に座っているだけで身体が密着しそうだ。
 個室を変えてほしいなんて言えるはずもなく、真子たちは大人しくソファに座った。

「ちょっと、狭いね」
「……はい」
 司の反応はいつも通りだ。
 狙ったわけではないけれど、司の声がよく聞こえてきてちょうどいい。お酒と、適当なおつまみを注文した。
「お疲れさま。仕事は大丈夫だった?」
 司が頷く。

「……急に」
「え?」
「めずらしいですね。金曜に」
「うん。たまには夜飲みたいなと思って」
 微笑むと司は目をそらした。

 お酒を飲み進めていっても彼の表情は変わらない。口数にも、変化はなかった。無口だと社内で評判の彼が、お酒が入ったくらいで変わらないものかとひっそりと落胆したものの、司と二人でいる時間は心地よくもあった。

「先輩に聞いたんだけど、君島くんってプレゼンすごいんだってね」
「いえ、そんなことないです」
「同じチームなのに知らなかったの悔しかったな」

 司が飲んでいるものは日本酒だ。強くはないと言っていたのに日本酒を嗜むくらいには好きなのだろうか。飲む姿はワインとは違う男性らしさを感じていた。真子が飲んでいるのは甘いカクテルで、ジュースのようにお酒を感じることがほとんどないので、もう三杯目だ。

「私も見てみたいなあ、君島くんのプレゼン。ていうか、もっと君島くんのこと知りたい」
 何気なく放った言葉に、司はわかりやすく真子を驚いた表情で見た。
「どうしたの?」
 黙ったままなのはいつもと同じだ。けれど彼の目が、じっとりと真子を見つめる。

「……俺、も。糸井さんのことをもっと知りたいです」

 お酒のせいなのか、司の頬はほんのり赤くなっている。鼓動が高鳴るのを感じている。
「……前に、教えてくれるって言ったよね。どうして告白してくれたの?」
 恥ずかしいことを聞いている自覚はあったけれど、お酒の勢いか羞恥は薄れていた。目を見張る司の表情の変化が見ていて楽しい。社内の誰も、きっと彼のこんな顔なんて知らないだろう。
 もっと、誰も知らない顔が見たかった。
 隣合ってくっついているせいで司の体温が伝わってくる。お酒が入っているからか、熱い。真子の体温が熱いのか、司のものなのかはわからなかった。

「好きだから」
「どこが?」
「……目です」
「そんなの、言われたことない」

 微妙な答えだ。どう返せばいいかわからない。顔でも性格でもなく、目。好きになるポイントの一部として上がることはあるかもしれないけど、まさかそれを最初に言われるとは思わなかった。猫目ではあるけれど、それだけで特別大きいわけでもない、普通の目だ。
「もういいですか」
 ふい、と顔を背けてお酒を飲み始める横顔をじっと見ていた。もしかして照れてる? なんて気のせいだろうか。彼の表情から感情を読み解くにはまだ彼のことを知らなさすぎる。
 そんな甘い会話を交えながらも仕事の話もしつつ、距離が近くなった気がして初めて2人で食事した時よりも楽しく、時間はあっという間に過ぎていた。金曜日の夜だ。遅くなっても明日に響くことはないし、問題はない。

「そろそろ行こうか?」
「……うす」
 司は、少し酔っているみたいだった。表情は変わらないけれど顔はしっかり赤くなっていて、手も熱い。
 店を出ると外の風が火照った身体を冷やしてくれる。

「……俺の家来ませんか」
「え」
 聞き間違いかと思い司の顔を見上げると、彼は真子をじっと見つめていた。

「明日いつも会ってるし帰るの面倒じゃないかと思って……嫌なら、あの」

 司からの提案に、真子は頷いた。真子は自分が誘った時から、こういう展開を期待していた。大人だし、彼のことを知るには一番いい方法だと思った。
「……行こうかな」
 司のことをもっと深く知ることができるだろう。
「うす」

 店を出ると司は道路に向かって手を上げた。タクシーが止まり、二人で乗り込む。初めてのことに、真子は高揚していた。お酒が入っているからだろうか。店を出てからずっと手を繋いだままだ。タクシーに乗っている間、会話はひとつもなかった。真子は指を絡める彼の骨張った手に胸を高鳴らせていた。
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