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ワイがナニワのイスレーサー!
第16話 これがイスと台車の異種交流戦 1
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「アホ、ボケ、カス! ナンボこと遅れとると思っとんねん、このハゲ!」
「む、テイブンを個人攻撃するな」
「ハゲにハゲいうたんちゃうわ、ボケ!」
試合会場の大阪城公園に到着するなり、おれたちは一列に並ばされて、逢坂太郎から声の限りに罵倒された。まあ、彼が怒りたくなる気持ちはとてもよくわかる。
動物園を出た後、小腹がすいたというエンツォと近くのラーメン屋で軽く食事を済ませ、まったりした後に「そろそろ行くか」といわれて、どこに行くのかたずねたところで、例によってエンツォに馬鹿にされた。
「パヤオ、もう忘れたのか。今日は椅子部の連中とレースだ」
椅子部……?
しまった! 温泉や動物園で楽しみすぎてすっかり忘れていた! おれは店の柱にある小汚い壁掛け時計を見た。時刻はすでに午後六時を過ぎていた。試合開始時刻って、たしか午後五時じゃなかったっけ?
「ちょ、めちゃくちゃ遅刻してますよ! 急いでむかっても一時間半以上の遅刻じゃないですか!」
「そう慌てるな、パヤオ。急いては事を志尊淳というだろう」
「志尊淳関係ねえ!」
「む、紫吹淳だったか?」
そういうことじゃねえよ! だいたい、それは遅刻している側の人間がいう言葉じゃない。
「と、とにかく。早く会場に行かないと、相手に怒られますよ」
「では、着替えて朝と同じ場所に集合だ」
というわけで、今に至るわけだが、そりゃあもうナニワのブルドーザーは烈火のごとくお怒りですよ。日が西に傾きかけ、帰宅する人波もまばらな時間帯だったのが幸いだった。衆人環視の中であれだけ罵倒されたら、レース前に心が折れるところだった。
それと、エンツォが何をいわれても、飄々と相手の言葉を受け流してしまうのも、多少は心の負荷の軽減になった。
「ホンマ、この格好でここで二時間待たされるこっちの身になれっちゅうねん」
黄色の縦縞のタンクトップとショートパンツは、この高校のレースユニフォームなのだろう。その場にいた六人全員が同じ格好だった。確かに、このスタイルで二時間待ちぼうけはきつい。
もっとも、おれたちも駅のトイレでレース用のツナギに着替えてここまで来たので、その点ではイーブンだろう。
「とりあえず、ウチのメンバーの紹介したるわ。お前ら、こっち来い」
逢坂に呼ばれて、後方に控えていた五人がぞろぞろと横並びになる。
「ワシら、事務椅子競技部の精鋭部隊の五人や。背の高いやつが生駒、隣の派手な顔した奴は兎我野、メガネかけた奴が天王寺、小太りなんが戎橋、最後にちびっこい女が弁天や」
紹介された五人は頭を下げて「お願いしまーす」の間延びした挨拶をした。どうやらこの五人は逢坂ほどには気を悪くしていないみたいだ。
「ほんなら、さっさと始めんで。スタートは午後七時の時報と同時や。ルールは前に説明した通り、四チーム同時スタート。二チーム合計の周回距離の多いほうの勝ち。コースの途中でイスや台車から降りたらDNFや。ええな」
「構わん」
ようやくブルドーザーによるお説教タイムが終わり、あわただしくレースの準備が始まった。噴水前まで移動したところで、コウバン先輩がエンツォに質問した。
「エンツォ、チームと出走順は?」
「チームはオレのほうにテイブンとパヤオ。コウバンチームにカオルと赤いソニックだ。チーム名はそうだな……」
「美女と野獣なんてどう?」
カオルがいう。あー、なるほど。でも、おれは野獣というより草食獣ですけど。
「うむ、それでいこう。では、オレたちがチーム美女、コウバンがチーム野獣だな」
逆だろ!! まったく反対!! しかもテイブン先輩ちょっと嬉しそうな顔してるじゃん!
「それで、出走順は?」
コウバン先輩、華麗にスルー。
「ビーストの一番手はカオルだ。こっちはテイブンでいく。二番は赤いソニックとパヤオ。最後にコウバンとオレだ。カオル、確かお前は長距離が得意だな? スタートしたら、やつらの前に出て序盤で距離を稼げ。テイブンはやつらがカオルの妨害をしないように、ブロックして抑えろ」
「つまり、攻撃はカオル、防御をアタシがやるってことね」
「そうだ。それとパヤオ。お前にはちょっとした任務がある。それはあとで説明する。少なくとも、お前にとってはかなり厳しいレースになるのを、覚悟しておけ」
任務? 厳しいレース? そんなことを開始直前にいわれても困惑するだけじゃないか!
「レースそのものは、このコースをひたすらぐるぐる回るだけだ。難しく考えるほどじゃない。ただし」
エンツォの眼光がギラリと鋭くなる。
「そう単純でもないことを肝に銘じておけ!」
どっちだよ。
難しくないけど単純じゃないって、その考えが難しいわ。
ただ今はそんなことを気にしている場合じゃない。非公式戦とはいえ勝負は勝負。この前みたいな悔しい思いをするのは嫌だ。やるからには勝つ。
ふつふつと沸き上がる闘志を胸におれもみんなと一緒にスタート地点へむかう。
花咲里さんは初めてのレースに、不安げな表情を浮かべていた。おれが横目で彼女を見ると、一瞬目が合った。
「頑張ろう」
もっと気の利いた言葉はでないのか、と自分自身にがっかりした。けれど、「はい!」と、花咲里さんが少しだけ顔を輝かせたので、ホッと胸をなでおろす。
いよいよ、台車と椅子、世にも奇妙な異種交流戦の開幕だ!
浪速工業高校のエントリーオーダーは、ブルドーザーこと逢坂チームに、どこからどう見てもホスト崩れの兎我野とオタク感が滲む小太りの戎橋。もうひとつのチームには、背の高い生駒、メガネの天王寺、紅一点の弁天となった。チーム名をつけるなら、チーム「不適合者」とチーム「インテリ」って感じだ。うん、我ながらナイスネーミング。
不適合者の第一走者、兎我野は椅子の背もたれを体の正面に抱きかかえるようなスタイル。一方のインテリの第一走者、天王寺は普通に座っている。ただし、ふたりとも、スタートラインに背を向けた状態だ。それを見て、おれは逢坂にたずねた。
「コースって時計回りですよね?」
「せや。この道をぐるぐるぐるぐる、時計回りやで」
「どうして後ろ向きなんですか?」
「おまえ、なんも知らんねんな」
何を当たり前のことを、といわんばかりに鼻で笑う逢坂。いや、普通の人は事務椅子レースとか興味ないから。
「I-1は座面に座って足で椅子を漕ぐんがルールや。つまり、後ろ向きにかかとで蹴って進むんが、力学的に一番エネルギー効率がいいんや」
エネルギー効率とかいわれると、さすが工業高校とも思うけど、やってることは馬鹿丸出し。まあ、おれもその馬鹿の一人であることは変わらないけれど。
「ほな、そろそろスタートや! 生駒、お前スターターせい」
逢坂の声に長身の生駒がスタートラインに立った。やがて、手にしたスマホのスピーカーから、機械的な女性の声で「午後七時ちょうどをお知らせします」と流れ、生駒が頭上にフラッグを掲げた。スタート地点の噴水前に一気に緊張が走る。
「じゃあ、いきまーす。3、2、1、ゴー!」
時報の音をシグナル代わりにして、旗が振り下ろされると同時に、四人が一斉にスタートラインを飛び出した。
まず先行したのはカオルだった。その後方をほぼ横並びにテイブンと兎我野、そして天王寺がついていく。日没後にかすかに残る熱気を切り裂きながら、キャスターがアスファルトを転がる音が街灯の光が滲む公園に響く。
カオルは地面をリズミカルに蹴って、スピードを維持しながら軽快にコースを走り、やがて、その後ろ姿は森の陰に隠れてしまった。
当然ながら、ハントラと違いこのレースには加速制限がない。コースは一周約800メートル。レース時間は二時間だから、ひとり四十分で交代だとすると、だいたい十二、三周がノルマといったところか。
「予備の台車は持ってきているな、パヤオ」
ライダーたちが見えなくなるとエンツォが声を掛けてきた。
「はい。ただ、本当に予備なので、何のカスタムもしてない安物ですよ」
「構わん。その台車の自在コマを今すぐこれに交換しろ」
エンツォはどこから取り出したのか、銀色に鈍く光るキャスターを投げてよこした。それを手にした瞬間、そのずしんとした重量を受け止めきれず、危うく落としそうになった。
「重っ! なんですか、このキャスター!?」
「ダクタイル鋳鉄製のスペシャルキャスター、一個一万五千円だ」
ダクタイル鋳鉄!? なにその秘密兵器感満載のキャスター! しかも高い!
普通に考えたらこんな重たい金属のキャスター、アスファルトの路面じゃまともに転がらないんじゃないか? そもそも、こんなクソ重いものどこに隠し持っていたんだ!?
しかし、エンツォはおれの疑問には答えず、口元に不穏な微笑を浮かべて、
「さっさと作業しろ。交代まで三十分しかないぞ」
とだけいって、今度はチームビーストのメンバーと作戦会議を始めた。
キャスターは台車の中で最も負荷がかかる部分で、一般的に車輪にはゴムやウレタンといった緩衝性の高い素材が用いられる。金属性のキャスターは重荷重用といって、一トン以上の物を運ぶような台車に用いられるが、もちろん人間はそんなに重くない――てか、普通は台車に乗らない。
要するに、このキャスターを装着する意味が分からなかった。けど、考えている暇はない。エンツォの考えは二の次だ。
ツールボックスからトルクレンチを取り出し、予備台車についているキャスターを取り外す。交換するのは方向を変えるための、くるくる回る自在コマだ。通常は台車の取っ手の反対側、手で押すことを前提とするならば(普通はその使い方しかないのだが)、台車の前方に取り付けられるキャスターだ。
重量のある車輪は当然、軽いものに比べて、転がすのにはより大きな力が必要になり、ライダーの体力の消耗が激しくなる。なぜそんなリスクを負ってまで、この鋳物キャスターに交換する必要があるのか、エンツォからの説明はない。この台車に誰が乗るのかさえ知らされていない。
そんな状態でおれは黙々と作業を続け、なんとか二十分でキャスターの交換を終えた。緩みもなく、ばっちりだ。
「エンツォさん、終わりましたよ。それで、今はどういう状況ですか?」
たずねると、ちょうどそのタイミングでカオルがおれたちの前を通過していった。それを見送りながらエンツォはいう。
「八周目を終えて、カオルのリードは約200メートル。テイブンはこのラップで抜かれてたようだ。さすがにブロックしながらのライドは体力を消耗するからな」
「それで、この台車はどうするんですか?」
キャスターを交換し終えた台車を見せると、エンツォは表情を変えずにいった。
「パヤオはそれに乗れ」
「はあっ!?」
思わず頓狂な声が出た。
「ちょっと待ってください! こんな重たい車輪の台車、今まで乗ったこともないですし、どう考えても耐久レースには不向きじゃないですか!」
「昔からスポコン漫画では鉄下駄を穿いて特訓するのはお約束だろう」
「それは勝負の前にするもんであって、勝負の最中にやるもんじゃないでしょ! 勝負の最中に負荷を上げてどうするんですか!」
「大丈夫だ。お前ならできる」
できるもなにも、具体的なものはなに一つ聞いてないって! この人、本当に勝つ気があるのか?
「テイブンの状態を見て早ければ次の周回で交代だ。いつでも出れるように準備をしておけ」
「わかりましたよ……」
諦めた。この人におれの常識は通用しない。
そんなやり取りをしていると、今度は椅子部の二人が噴水前を通過していった。その姿を見て、
「なんじゃ、ありゃ!」
と、おれはまたも驚嘆の声を上げた。
椅子部の二人は前に兎我野、後ろに天王寺がピッタリとくっついた状態、いや、よく見ると、右手で背もたれを抱えるようにして座る兎我野が、天王寺の椅子の背もたれ部分も掴んでいる。いわゆる連結状態だ!
「驚いたか?」
得意げな声に振り返ると、自信たっぷりに胸を張る逢坂の姿があった。
「あれこそが、浪工椅子部がI-1三連覇を果たすべくあみ出した秘技『ジェントリー・ダウン・ザ・ストリーム』や!」
無駄にかっけぇ! なんだその必殺技!
「二人の呼吸、漕ぐスピード、角度。すべてがピッタリ合ったとき、より大きな推進力を生み出すんや!」
「た、確かに……ボート競技の二人乗りでも、オールを差し入れるタイミング、漕ぐ角度、スピードを合わせて漕ぐことで、ものすごいスピードが出るってきいたことがある……」
「せや。あれができるんはウチの部でも一握りの精鋭たちだけや。最初にワシらのチームに先行させんようにした作戦は悪くあらへんかったが、結局、一人では余計に体力を消耗してもうたようやな。見てみい」
逢坂が顎をしゃくってコースを指し示すと、兎我野たちから50メートルは離されて、テイブン先輩が噴水前を通過していった。通過するとき、テイブン先輩は左手で交代のハンドサインを送っていた。
テイブン先輩が必死にブロックして作ったカオルとのアドバンテージは200メートル。あの珍妙な椅子部のライディングがどこまでその差を詰めるのかはわからないが、安心できる距離ではない、というのが正直な感想だ。つまり、勝つためには、おれが浪工に追い付かなきゃいけない。
心臓がいよいよ、大きく強く鼓動を打つ。しかし、それを鎮めるように、エンツォはおれの背中をその大きな手のひらでパンと叩いた。
「パヤオ、準備はいいか。次で交代だ」
「はい!」
力強く返事をして、レース用のヘルメットをかぶった。いよいよ出番だ。
「む、テイブンを個人攻撃するな」
「ハゲにハゲいうたんちゃうわ、ボケ!」
試合会場の大阪城公園に到着するなり、おれたちは一列に並ばされて、逢坂太郎から声の限りに罵倒された。まあ、彼が怒りたくなる気持ちはとてもよくわかる。
動物園を出た後、小腹がすいたというエンツォと近くのラーメン屋で軽く食事を済ませ、まったりした後に「そろそろ行くか」といわれて、どこに行くのかたずねたところで、例によってエンツォに馬鹿にされた。
「パヤオ、もう忘れたのか。今日は椅子部の連中とレースだ」
椅子部……?
しまった! 温泉や動物園で楽しみすぎてすっかり忘れていた! おれは店の柱にある小汚い壁掛け時計を見た。時刻はすでに午後六時を過ぎていた。試合開始時刻って、たしか午後五時じゃなかったっけ?
「ちょ、めちゃくちゃ遅刻してますよ! 急いでむかっても一時間半以上の遅刻じゃないですか!」
「そう慌てるな、パヤオ。急いては事を志尊淳というだろう」
「志尊淳関係ねえ!」
「む、紫吹淳だったか?」
そういうことじゃねえよ! だいたい、それは遅刻している側の人間がいう言葉じゃない。
「と、とにかく。早く会場に行かないと、相手に怒られますよ」
「では、着替えて朝と同じ場所に集合だ」
というわけで、今に至るわけだが、そりゃあもうナニワのブルドーザーは烈火のごとくお怒りですよ。日が西に傾きかけ、帰宅する人波もまばらな時間帯だったのが幸いだった。衆人環視の中であれだけ罵倒されたら、レース前に心が折れるところだった。
それと、エンツォが何をいわれても、飄々と相手の言葉を受け流してしまうのも、多少は心の負荷の軽減になった。
「ホンマ、この格好でここで二時間待たされるこっちの身になれっちゅうねん」
黄色の縦縞のタンクトップとショートパンツは、この高校のレースユニフォームなのだろう。その場にいた六人全員が同じ格好だった。確かに、このスタイルで二時間待ちぼうけはきつい。
もっとも、おれたちも駅のトイレでレース用のツナギに着替えてここまで来たので、その点ではイーブンだろう。
「とりあえず、ウチのメンバーの紹介したるわ。お前ら、こっち来い」
逢坂に呼ばれて、後方に控えていた五人がぞろぞろと横並びになる。
「ワシら、事務椅子競技部の精鋭部隊の五人や。背の高いやつが生駒、隣の派手な顔した奴は兎我野、メガネかけた奴が天王寺、小太りなんが戎橋、最後にちびっこい女が弁天や」
紹介された五人は頭を下げて「お願いしまーす」の間延びした挨拶をした。どうやらこの五人は逢坂ほどには気を悪くしていないみたいだ。
「ほんなら、さっさと始めんで。スタートは午後七時の時報と同時や。ルールは前に説明した通り、四チーム同時スタート。二チーム合計の周回距離の多いほうの勝ち。コースの途中でイスや台車から降りたらDNFや。ええな」
「構わん」
ようやくブルドーザーによるお説教タイムが終わり、あわただしくレースの準備が始まった。噴水前まで移動したところで、コウバン先輩がエンツォに質問した。
「エンツォ、チームと出走順は?」
「チームはオレのほうにテイブンとパヤオ。コウバンチームにカオルと赤いソニックだ。チーム名はそうだな……」
「美女と野獣なんてどう?」
カオルがいう。あー、なるほど。でも、おれは野獣というより草食獣ですけど。
「うむ、それでいこう。では、オレたちがチーム美女、コウバンがチーム野獣だな」
逆だろ!! まったく反対!! しかもテイブン先輩ちょっと嬉しそうな顔してるじゃん!
「それで、出走順は?」
コウバン先輩、華麗にスルー。
「ビーストの一番手はカオルだ。こっちはテイブンでいく。二番は赤いソニックとパヤオ。最後にコウバンとオレだ。カオル、確かお前は長距離が得意だな? スタートしたら、やつらの前に出て序盤で距離を稼げ。テイブンはやつらがカオルの妨害をしないように、ブロックして抑えろ」
「つまり、攻撃はカオル、防御をアタシがやるってことね」
「そうだ。それとパヤオ。お前にはちょっとした任務がある。それはあとで説明する。少なくとも、お前にとってはかなり厳しいレースになるのを、覚悟しておけ」
任務? 厳しいレース? そんなことを開始直前にいわれても困惑するだけじゃないか!
「レースそのものは、このコースをひたすらぐるぐる回るだけだ。難しく考えるほどじゃない。ただし」
エンツォの眼光がギラリと鋭くなる。
「そう単純でもないことを肝に銘じておけ!」
どっちだよ。
難しくないけど単純じゃないって、その考えが難しいわ。
ただ今はそんなことを気にしている場合じゃない。非公式戦とはいえ勝負は勝負。この前みたいな悔しい思いをするのは嫌だ。やるからには勝つ。
ふつふつと沸き上がる闘志を胸におれもみんなと一緒にスタート地点へむかう。
花咲里さんは初めてのレースに、不安げな表情を浮かべていた。おれが横目で彼女を見ると、一瞬目が合った。
「頑張ろう」
もっと気の利いた言葉はでないのか、と自分自身にがっかりした。けれど、「はい!」と、花咲里さんが少しだけ顔を輝かせたので、ホッと胸をなでおろす。
いよいよ、台車と椅子、世にも奇妙な異種交流戦の開幕だ!
浪速工業高校のエントリーオーダーは、ブルドーザーこと逢坂チームに、どこからどう見てもホスト崩れの兎我野とオタク感が滲む小太りの戎橋。もうひとつのチームには、背の高い生駒、メガネの天王寺、紅一点の弁天となった。チーム名をつけるなら、チーム「不適合者」とチーム「インテリ」って感じだ。うん、我ながらナイスネーミング。
不適合者の第一走者、兎我野は椅子の背もたれを体の正面に抱きかかえるようなスタイル。一方のインテリの第一走者、天王寺は普通に座っている。ただし、ふたりとも、スタートラインに背を向けた状態だ。それを見て、おれは逢坂にたずねた。
「コースって時計回りですよね?」
「せや。この道をぐるぐるぐるぐる、時計回りやで」
「どうして後ろ向きなんですか?」
「おまえ、なんも知らんねんな」
何を当たり前のことを、といわんばかりに鼻で笑う逢坂。いや、普通の人は事務椅子レースとか興味ないから。
「I-1は座面に座って足で椅子を漕ぐんがルールや。つまり、後ろ向きにかかとで蹴って進むんが、力学的に一番エネルギー効率がいいんや」
エネルギー効率とかいわれると、さすが工業高校とも思うけど、やってることは馬鹿丸出し。まあ、おれもその馬鹿の一人であることは変わらないけれど。
「ほな、そろそろスタートや! 生駒、お前スターターせい」
逢坂の声に長身の生駒がスタートラインに立った。やがて、手にしたスマホのスピーカーから、機械的な女性の声で「午後七時ちょうどをお知らせします」と流れ、生駒が頭上にフラッグを掲げた。スタート地点の噴水前に一気に緊張が走る。
「じゃあ、いきまーす。3、2、1、ゴー!」
時報の音をシグナル代わりにして、旗が振り下ろされると同時に、四人が一斉にスタートラインを飛び出した。
まず先行したのはカオルだった。その後方をほぼ横並びにテイブンと兎我野、そして天王寺がついていく。日没後にかすかに残る熱気を切り裂きながら、キャスターがアスファルトを転がる音が街灯の光が滲む公園に響く。
カオルは地面をリズミカルに蹴って、スピードを維持しながら軽快にコースを走り、やがて、その後ろ姿は森の陰に隠れてしまった。
当然ながら、ハントラと違いこのレースには加速制限がない。コースは一周約800メートル。レース時間は二時間だから、ひとり四十分で交代だとすると、だいたい十二、三周がノルマといったところか。
「予備の台車は持ってきているな、パヤオ」
ライダーたちが見えなくなるとエンツォが声を掛けてきた。
「はい。ただ、本当に予備なので、何のカスタムもしてない安物ですよ」
「構わん。その台車の自在コマを今すぐこれに交換しろ」
エンツォはどこから取り出したのか、銀色に鈍く光るキャスターを投げてよこした。それを手にした瞬間、そのずしんとした重量を受け止めきれず、危うく落としそうになった。
「重っ! なんですか、このキャスター!?」
「ダクタイル鋳鉄製のスペシャルキャスター、一個一万五千円だ」
ダクタイル鋳鉄!? なにその秘密兵器感満載のキャスター! しかも高い!
普通に考えたらこんな重たい金属のキャスター、アスファルトの路面じゃまともに転がらないんじゃないか? そもそも、こんなクソ重いものどこに隠し持っていたんだ!?
しかし、エンツォはおれの疑問には答えず、口元に不穏な微笑を浮かべて、
「さっさと作業しろ。交代まで三十分しかないぞ」
とだけいって、今度はチームビーストのメンバーと作戦会議を始めた。
キャスターは台車の中で最も負荷がかかる部分で、一般的に車輪にはゴムやウレタンといった緩衝性の高い素材が用いられる。金属性のキャスターは重荷重用といって、一トン以上の物を運ぶような台車に用いられるが、もちろん人間はそんなに重くない――てか、普通は台車に乗らない。
要するに、このキャスターを装着する意味が分からなかった。けど、考えている暇はない。エンツォの考えは二の次だ。
ツールボックスからトルクレンチを取り出し、予備台車についているキャスターを取り外す。交換するのは方向を変えるための、くるくる回る自在コマだ。通常は台車の取っ手の反対側、手で押すことを前提とするならば(普通はその使い方しかないのだが)、台車の前方に取り付けられるキャスターだ。
重量のある車輪は当然、軽いものに比べて、転がすのにはより大きな力が必要になり、ライダーの体力の消耗が激しくなる。なぜそんなリスクを負ってまで、この鋳物キャスターに交換する必要があるのか、エンツォからの説明はない。この台車に誰が乗るのかさえ知らされていない。
そんな状態でおれは黙々と作業を続け、なんとか二十分でキャスターの交換を終えた。緩みもなく、ばっちりだ。
「エンツォさん、終わりましたよ。それで、今はどういう状況ですか?」
たずねると、ちょうどそのタイミングでカオルがおれたちの前を通過していった。それを見送りながらエンツォはいう。
「八周目を終えて、カオルのリードは約200メートル。テイブンはこのラップで抜かれてたようだ。さすがにブロックしながらのライドは体力を消耗するからな」
「それで、この台車はどうするんですか?」
キャスターを交換し終えた台車を見せると、エンツォは表情を変えずにいった。
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「はあっ!?」
思わず頓狂な声が出た。
「ちょっと待ってください! こんな重たい車輪の台車、今まで乗ったこともないですし、どう考えても耐久レースには不向きじゃないですか!」
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「それは勝負の前にするもんであって、勝負の最中にやるもんじゃないでしょ! 勝負の最中に負荷を上げてどうするんですか!」
「大丈夫だ。お前ならできる」
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「わかりましたよ……」
諦めた。この人におれの常識は通用しない。
そんなやり取りをしていると、今度は椅子部の二人が噴水前を通過していった。その姿を見て、
「なんじゃ、ありゃ!」
と、おれはまたも驚嘆の声を上げた。
椅子部の二人は前に兎我野、後ろに天王寺がピッタリとくっついた状態、いや、よく見ると、右手で背もたれを抱えるようにして座る兎我野が、天王寺の椅子の背もたれ部分も掴んでいる。いわゆる連結状態だ!
「驚いたか?」
得意げな声に振り返ると、自信たっぷりに胸を張る逢坂の姿があった。
「あれこそが、浪工椅子部がI-1三連覇を果たすべくあみ出した秘技『ジェントリー・ダウン・ザ・ストリーム』や!」
無駄にかっけぇ! なんだその必殺技!
「二人の呼吸、漕ぐスピード、角度。すべてがピッタリ合ったとき、より大きな推進力を生み出すんや!」
「た、確かに……ボート競技の二人乗りでも、オールを差し入れるタイミング、漕ぐ角度、スピードを合わせて漕ぐことで、ものすごいスピードが出るってきいたことがある……」
「せや。あれができるんはウチの部でも一握りの精鋭たちだけや。最初にワシらのチームに先行させんようにした作戦は悪くあらへんかったが、結局、一人では余計に体力を消耗してもうたようやな。見てみい」
逢坂が顎をしゃくってコースを指し示すと、兎我野たちから50メートルは離されて、テイブン先輩が噴水前を通過していった。通過するとき、テイブン先輩は左手で交代のハンドサインを送っていた。
テイブン先輩が必死にブロックして作ったカオルとのアドバンテージは200メートル。あの珍妙な椅子部のライディングがどこまでその差を詰めるのかはわからないが、安心できる距離ではない、というのが正直な感想だ。つまり、勝つためには、おれが浪工に追い付かなきゃいけない。
心臓がいよいよ、大きく強く鼓動を打つ。しかし、それを鎮めるように、エンツォはおれの背中をその大きな手のひらでパンと叩いた。
「パヤオ、準備はいいか。次で交代だ」
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