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HTRICワールドチャンピオンシップ開幕!
第30話 これが恐怖のデビルズウェイ!
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「死ぬ! 間違いなく死ぬ!!」
試しにおれ一人で坂道を下って最初に発した言葉がそれだった。
最初にゆるい右カーブを通過すると、突如現れる半径の小さな直角右コーナー。その先は間を置かずに左のヘアピンになっている、超絶テクニカルな複合コーナー。
そして、どうにかその左コーナーを抜け直線に入った途端、いきなり下り勾配がきつくなり、20メートルほど坂道を下った先には、180度のターンをする曲率の小さな右のヘアピンカーブ。そのイン側は公園の滑り台かと思うほどの急勾配だ。こんなところに台車で突っ込んだら、一発でコントロールを失うのは間違いない。これは上の四連続ヘアピンの側溝よりも厄介だ。
イン側だけでなくアウト側も危ない。外側は安全柵のない石積みの壁だが、高さはせいぜい70センチメートル程しかない。無謀な突っ込みをして、勢いよくアウト側に膨らんだりしたら、台車から吹っ飛ばされて数メートル下の路面に真っ逆さま、リアルガチで死ねる。
それが左右交互に合計四回繰り返されるのだ。はっきりいって、ここをコースにした大会運営の正気を疑う。
なんとかコースを下りきって一息ついていると、コウバン先輩がアカネの補助につきながらゆっくりと坂を下ってきた。その様子を眺めながら、おれは、もうひとつ、この坂道が悪魔の道の名を冠することになったであろう、理由をみつけた。
「コウバン先輩、この六連続ヘアピンの第三から第五コーナーって、逆バンクになってますよね」
「その通りだよ、パヤオ君」
「ギャクバンクっちば、なに? 農協みたいなもん?」
いや、JAバンクは関係ないから。モーターレースでは馴染みある言葉だけど、そうでなければきいたことがない単語だろう。アカネが首をひねるのも無理はない。
「普通、サーキットのカーブってコーナーの外側がやや高く設計されているんだよ。逆バンクっていうのは、その逆。コーナーの内側が高くなってるカーブのことだよ。ここは側溝がないから、そのぶん排水の関係で谷側に勾配が下がってるんだ」
「はげー、そうなの? それでイン側が高いとどうなるの?」
「コーナーにバンクをつけることで、遠心力を抑えてより速いスピードで小さくコーナーを曲がることができるんだ。ところが、逆バンクになると、外側のほうが低くなっているから、遠心力に重力も加わり、外側への力が増大して曲がりにくくなるし、下手をするとバランスを崩して転倒してしまう」
とりあえず、自分の知っている程度の知識を披露する。コウバン先輩はうなずきながら、急斜面をなぞるように、悪魔の道を見上げた。
「この逆バンクになる第三コーナー以降は、コーナーの一番外側を走るのがセオリーだよ。外側はバンク角度も浅くほぼフラットになっているからね。けれど、そうすると、当然コーナーを大回りせざるを得ないし、インをつかれたら、抜かれてしまう。つまり、外側からどこまでコーナーの内側を責められるかがこのコースの攻略ポイントだね」
つられて見上げたその坂道が、おれには地獄の門のように思えて、気が重くなる。
まさに悪魔の道。おれには残り三日でこの坂の攻略ができるとは思えなかった。
「とにかく、おれたちのタンデムでどうやってこのコースを走るか、二人で考えてみます」
おれとアカネはいったんショートコースのゴール地点でもある広場まで戻る。まずは、この六連続コーナーをどうすればクリアできるか、走ってみないことには何も始まらない。
「どう? いけそう」
アカネを荷台に乗せて押しながら、おれは彼女に問いかける。ちょうど、おれが初めてカオルに台車に乗せられたときのような感じ。両袖台車なので、アカネの前に取っ手がある分、ちょっとだけ乗りやすいはずだ。
「ゆっくりなら、行けるけれど、レースとなると……」
「そうだよなぁ」
おれは深いため息をつく。なんでエンツォはいつもこう、余裕をもったスケジュールを教えてくれないんだよ。
と、そのとき坂の上のほうから、勢いよく下ってくるキャスター音が耳に飛び込んできた。案の定、エンツォが低く構えたハングオンの姿勢で第三コーナーをクリアして、おれたちのいる第四コーナーに突っ込んでくるところだった。
慌ててコース脇の退避ゾーンに台車を逃がす。エンツォはおれたちを気にも留めないで、ちょうどコースのセンターライン上をなぞるように曲がっていった。
「はげー、さすがエンツォさんは速いね」
「シングルライドとはいえ、あの走りはバケモンだよ。おれたちは堅実にコーナー進入前に早めにアウト側に寄せて、荷重移動も一気に倒し込むんじゃなく、コーナー出口のセンターを狙うくらいで曲がろう。インからのオーバーテイクはよほどじゃない限り警戒しなくてもいいだろうし」
「わんもそう思う。コースの半分しか使えないなら、インからクロスラインでオーバーテイクするのは、難しいっち思う」
アカネのいう通りだろう。もし、イン側から抜きにかかろうとして、強引に突っ込んで、コーナリングが少しでも外側に膨らんだら、サイドウォールにぶつかるし、そもそも、あの短い急勾配をまともに走れるわけがない。インからのオーバーテイクを警戒するよりも、アウト側で進路のブロックに専念すべきだろう。
いろいろと考えながらラインをどり考えたりしたものの、結局、この日は、まともに走ることもなく練習が終わってしまった。
翌日、ようやく悪魔の道のコーナリング練習に取り掛かかった。昨日よりもペースを上げてコースを走ってみる。しかし、問題の第三ヘアピンに差し掛かったところで、台車がくるんとスピンしてしまった。
「きゃあ!」
小さな悲鳴をあげてアカネが荷台の上でバランスを崩してしりもちをついた。逆バンクのコーナーは思った以上に、台車の挙動がシビアだ。おまけに、おれたちの台車は後輪が自在コマになっている。それをコントロールしようと後ろ荷重にしたと途端、台車があらぬ方向に曲がってしまうのだ。
意図せず、おれとアカネのため息が二つ重なった。そこに前を走っていたコウバン先輩が坂道を登ってきた。
「どう? いけそう?」
「いや、厳しいですね。この悪魔の道に関していえば、リアフォワードが仇になりますね。後ろが重いんでどうしてもリアが滑ってしまうんですよ」
「シュン君、ダイエットする?」
そうじゃないし、今からじゃ間に合わないって。
「まあ、今から多少体重を減らしても、結局タンデムだと、重量配分は後ろにいくからね。逆にアカネちゃんは体重軽いし、前寄りに乗らないとね」
「でも、そうすると今度は重心上がっちゃって、コーナリングでコケそうで怖いんですよね」
「ね、シュン君。こんなのどうかな?」
そういってアカネは前方の取っ手の外側にぶら下がった。ちょうど鉄棒の斜め懸垂のような状態だ。
「これなら、今よりも前荷重になるんじゃない?」
「それでどうやってハンドリングするの? アカネ後ろ向きじゃん」
「あ、そうか」
今気づいたという風にアカネは目をぱちくりとさせた。また小さいため息が一つ。コウバン先輩も苦笑いだ。
「まあ、前荷重にするってのは悪くはないけれど、それでサイドウォールにぶつかったら怪我じゃすまないよ?」
「うー、それは確かに怖い……」
「今はオーソドックスにこのコーナーの外側のラインを攻略するほうがいいね」
確かに。今回は公式ルールなので、前回のカオルとの勝負の時みたいに、なにかを掴んでターンするわけにもいかないし、タンデムでそんなターンをすれば確実におれの腕がもげる。
「やっぱり、そうですね……」
おれも唸って、何かいい攻略法がないかを考えてみたものの、それしか方法はなさそうだった。
その後も繰り返し悪魔の道攻略にトライしてみるものの、一度も満足に走り切ることができずに焦りばかりが先に立ち、おれもアカネも口数が減っていた。おまけにこの暑さだ。おれたちの疲労もピークに達していて、二人してゴール地点にへたり込んでいた。
「パヤオ」
その声に顔をあげると、エンツォがいた。
「苦戦しているようだが、どうする? 今からシングルに変えても構わんぞ」
「今からシングルに変えたところで、ここを乗れるようになるわけじゃないし、それにやっぱりタンデムで大熊のジョージに勝ちたい」
「勝ちたいか。ならば、今のようなオーソドックスな走りではダメだ。お前たちは第三コーナーを押さえれば有利だと思っているだろうが、大熊はもともとこのコースを知り尽くしている。前半で差をつけられてしまったら、それこそ後半で取り返すのは至難の業だ」
「でも、どうすればこの無茶苦茶なコーナーを越えられるのか、見当がつかないんですよ!」
エンツォに八つ当たりをしてもなんの解決にもならないことはわかっているのに、おれは苛立ちを投げつけるようにいう。しかし、エンツォは飄々としている。
「うむ。ならば、ついてこい」
エンツォはおれとアカネをその場に置き去りにして、台車に乗ってコースの外へと走り去る。訳がわからず、エンツォの後ろ姿を見送っていると、
「早くしろ!」
と怒られてしまった。なんでこの人はいつも突然行動しはじめるんだよ……
台車に乗って走るエンツォを必死に追いかけてたどり着いた先は、マリンプラザホテルよりさらに先にある漁港だった。
漁港とはいっても、海はガラスのように透き通っていて、係留されている漁船が宙に浮いているように見えるほどだ。いつも地元の中学生や高校生がプール代わりに堤防から飛び込んだりする場所で、堤防の脇には漁船を陸に引き揚げるためのスロープが海中へと続いている。
「まさか、今から泳ぐとか言い出すんじゃないでしょうね?」
「えぇ!? わん、水着もってきとらんよ?」
そこじゃないよ! 三日後の大会の練習をしなきゃいけないんでしょ?
「パヤオ、このスロープは約10メートルほどある。上から、まっすぐ台車で走ってきて、この海面ギリギリの部分で、横向きに方向転換してみろ」
「はあ? そんなことどうやったらできるんですか?」
「パヤオと赤いソニックの息を合わせればできなくはない」
なんか漠然としすぎ! 第一、それって何のためにやるの?
「パヤオ、あのヘアピンコーナーは退避エリアからだとどう見えた」
「どうって、逆バンクのヘアピンですよ」
「逆バンクというよりも、下り勾配がそのまま続いて曲がっているように見えないか?」
いわれてみれば……確かにコーナー内側の頂点を越えても下り勾配が続いていて、折り返し階段の「踊り場」的な平坦な部分があるコーナーではない。
「お前はこのヘアピンを一つのカーブと考えるから逆バンクになって見えるのだ。コースの形にとらわれずに、二つの直角コーナーの複合だと考えてみろ」
「二つの直角……もしかして、それでこのスロープですか!? このスロープで寸止めならぬ、寸コーナリングしろと!?」
「その通りだ! 行け、パヤオ!」
そういってエンツォは前蹴りで台車もろともおれをスロープへと突き飛ばした。
当然、なす術なくおれは「ぎゃあああ」と悲鳴をあげて、台車ごと海中へダイブ! しかも、コースでの転落時に台車の暴走を防ぐためのバンジーロープを繋いだままだったため、海中に沈んでいく台車に身体ごと引きずり込まれる。スロープを掴もうとして手を伸ばすが、コンクリートに張り付いた藻に滑って掴むことすらできない。
「死ぬ! ちょ、死ぬ!」
「シュン君!?」
海面でもがくおれをアカネが引っ張り上げてくれたので、なんとか一命をとりとめた。マジで死ぬかと思った。台車もおれとつないであったので、なんとか無事引き上げられた。
おれもアカネもびしょ濡れになって、這いつくばってスロープを上がってきたら、すでにエンツォはいなくなっていた。
「なんだよ! もう!」
そう叫んだものの、急におかしくなってきて、気付いた時にはアカネと二人でげらげらと大笑いしていた。
「おれ、なんでエンツォに殺されそうになってるんだよ、マジで!」
「本当、びっくりしたっちょ! でも……なんだか、こうやって二人で大笑いするのって久しぶり」
「そういえば、そうだな。このところ、ずっとコースの攻略でピリピリしっぱなしだったもんな」
アカネを見遣ると、彼女も楽し気に顔をほころばせている。海に飛び込んだので髪の毛もぺしゃんこになっている。
「ああ、ジャージもびしょ濡れだりょんやぁ。堤防に干しておいたら乾くかな」
アカネはおもむろにジャージの上着を脱ぐと、それを力いっぱい絞った。アカネのその姿におれの視線が釘付けになっていた。
こ、これは!
男の夢ランキング、トップテン入り間違いなしといわれる、濡れT&透けブラのコンボじゃないか! ああ、ありがとうエンツォ! ありがとう台車ダイブ! しかも、なんですか! この破壊力抜群の肉感ボディは! これはスク水どころの騒ぎじゃありません! 反則ですよ、レフェリー! 反則っ!!
アカネは堤防の上にジャージを広げて置くと、小走りに戻ってくる。いかん、視線がぽよぽよ弾む胸に……!
「さ、もう一回やろう! このスロープ練習をこなせば、あのヘアピンカーブなんてきっとへっちゃらになるっちば!」
アカネは台車が海に沈んでしまわないように、ロープで係船柱につなぐと、ひょいと台車に飛び乗った。
その途端、おれは「あっ」と小さな声をこぼした。
……タンデムだと後ろ姿しか見えないじゃん!!
試しにおれ一人で坂道を下って最初に発した言葉がそれだった。
最初にゆるい右カーブを通過すると、突如現れる半径の小さな直角右コーナー。その先は間を置かずに左のヘアピンになっている、超絶テクニカルな複合コーナー。
そして、どうにかその左コーナーを抜け直線に入った途端、いきなり下り勾配がきつくなり、20メートルほど坂道を下った先には、180度のターンをする曲率の小さな右のヘアピンカーブ。そのイン側は公園の滑り台かと思うほどの急勾配だ。こんなところに台車で突っ込んだら、一発でコントロールを失うのは間違いない。これは上の四連続ヘアピンの側溝よりも厄介だ。
イン側だけでなくアウト側も危ない。外側は安全柵のない石積みの壁だが、高さはせいぜい70センチメートル程しかない。無謀な突っ込みをして、勢いよくアウト側に膨らんだりしたら、台車から吹っ飛ばされて数メートル下の路面に真っ逆さま、リアルガチで死ねる。
それが左右交互に合計四回繰り返されるのだ。はっきりいって、ここをコースにした大会運営の正気を疑う。
なんとかコースを下りきって一息ついていると、コウバン先輩がアカネの補助につきながらゆっくりと坂を下ってきた。その様子を眺めながら、おれは、もうひとつ、この坂道が悪魔の道の名を冠することになったであろう、理由をみつけた。
「コウバン先輩、この六連続ヘアピンの第三から第五コーナーって、逆バンクになってますよね」
「その通りだよ、パヤオ君」
「ギャクバンクっちば、なに? 農協みたいなもん?」
いや、JAバンクは関係ないから。モーターレースでは馴染みある言葉だけど、そうでなければきいたことがない単語だろう。アカネが首をひねるのも無理はない。
「普通、サーキットのカーブってコーナーの外側がやや高く設計されているんだよ。逆バンクっていうのは、その逆。コーナーの内側が高くなってるカーブのことだよ。ここは側溝がないから、そのぶん排水の関係で谷側に勾配が下がってるんだ」
「はげー、そうなの? それでイン側が高いとどうなるの?」
「コーナーにバンクをつけることで、遠心力を抑えてより速いスピードで小さくコーナーを曲がることができるんだ。ところが、逆バンクになると、外側のほうが低くなっているから、遠心力に重力も加わり、外側への力が増大して曲がりにくくなるし、下手をするとバランスを崩して転倒してしまう」
とりあえず、自分の知っている程度の知識を披露する。コウバン先輩はうなずきながら、急斜面をなぞるように、悪魔の道を見上げた。
「この逆バンクになる第三コーナー以降は、コーナーの一番外側を走るのがセオリーだよ。外側はバンク角度も浅くほぼフラットになっているからね。けれど、そうすると、当然コーナーを大回りせざるを得ないし、インをつかれたら、抜かれてしまう。つまり、外側からどこまでコーナーの内側を責められるかがこのコースの攻略ポイントだね」
つられて見上げたその坂道が、おれには地獄の門のように思えて、気が重くなる。
まさに悪魔の道。おれには残り三日でこの坂の攻略ができるとは思えなかった。
「とにかく、おれたちのタンデムでどうやってこのコースを走るか、二人で考えてみます」
おれとアカネはいったんショートコースのゴール地点でもある広場まで戻る。まずは、この六連続コーナーをどうすればクリアできるか、走ってみないことには何も始まらない。
「どう? いけそう」
アカネを荷台に乗せて押しながら、おれは彼女に問いかける。ちょうど、おれが初めてカオルに台車に乗せられたときのような感じ。両袖台車なので、アカネの前に取っ手がある分、ちょっとだけ乗りやすいはずだ。
「ゆっくりなら、行けるけれど、レースとなると……」
「そうだよなぁ」
おれは深いため息をつく。なんでエンツォはいつもこう、余裕をもったスケジュールを教えてくれないんだよ。
と、そのとき坂の上のほうから、勢いよく下ってくるキャスター音が耳に飛び込んできた。案の定、エンツォが低く構えたハングオンの姿勢で第三コーナーをクリアして、おれたちのいる第四コーナーに突っ込んでくるところだった。
慌ててコース脇の退避ゾーンに台車を逃がす。エンツォはおれたちを気にも留めないで、ちょうどコースのセンターライン上をなぞるように曲がっていった。
「はげー、さすがエンツォさんは速いね」
「シングルライドとはいえ、あの走りはバケモンだよ。おれたちは堅実にコーナー進入前に早めにアウト側に寄せて、荷重移動も一気に倒し込むんじゃなく、コーナー出口のセンターを狙うくらいで曲がろう。インからのオーバーテイクはよほどじゃない限り警戒しなくてもいいだろうし」
「わんもそう思う。コースの半分しか使えないなら、インからクロスラインでオーバーテイクするのは、難しいっち思う」
アカネのいう通りだろう。もし、イン側から抜きにかかろうとして、強引に突っ込んで、コーナリングが少しでも外側に膨らんだら、サイドウォールにぶつかるし、そもそも、あの短い急勾配をまともに走れるわけがない。インからのオーバーテイクを警戒するよりも、アウト側で進路のブロックに専念すべきだろう。
いろいろと考えながらラインをどり考えたりしたものの、結局、この日は、まともに走ることもなく練習が終わってしまった。
翌日、ようやく悪魔の道のコーナリング練習に取り掛かかった。昨日よりもペースを上げてコースを走ってみる。しかし、問題の第三ヘアピンに差し掛かったところで、台車がくるんとスピンしてしまった。
「きゃあ!」
小さな悲鳴をあげてアカネが荷台の上でバランスを崩してしりもちをついた。逆バンクのコーナーは思った以上に、台車の挙動がシビアだ。おまけに、おれたちの台車は後輪が自在コマになっている。それをコントロールしようと後ろ荷重にしたと途端、台車があらぬ方向に曲がってしまうのだ。
意図せず、おれとアカネのため息が二つ重なった。そこに前を走っていたコウバン先輩が坂道を登ってきた。
「どう? いけそう?」
「いや、厳しいですね。この悪魔の道に関していえば、リアフォワードが仇になりますね。後ろが重いんでどうしてもリアが滑ってしまうんですよ」
「シュン君、ダイエットする?」
そうじゃないし、今からじゃ間に合わないって。
「まあ、今から多少体重を減らしても、結局タンデムだと、重量配分は後ろにいくからね。逆にアカネちゃんは体重軽いし、前寄りに乗らないとね」
「でも、そうすると今度は重心上がっちゃって、コーナリングでコケそうで怖いんですよね」
「ね、シュン君。こんなのどうかな?」
そういってアカネは前方の取っ手の外側にぶら下がった。ちょうど鉄棒の斜め懸垂のような状態だ。
「これなら、今よりも前荷重になるんじゃない?」
「それでどうやってハンドリングするの? アカネ後ろ向きじゃん」
「あ、そうか」
今気づいたという風にアカネは目をぱちくりとさせた。また小さいため息が一つ。コウバン先輩も苦笑いだ。
「まあ、前荷重にするってのは悪くはないけれど、それでサイドウォールにぶつかったら怪我じゃすまないよ?」
「うー、それは確かに怖い……」
「今はオーソドックスにこのコーナーの外側のラインを攻略するほうがいいね」
確かに。今回は公式ルールなので、前回のカオルとの勝負の時みたいに、なにかを掴んでターンするわけにもいかないし、タンデムでそんなターンをすれば確実におれの腕がもげる。
「やっぱり、そうですね……」
おれも唸って、何かいい攻略法がないかを考えてみたものの、それしか方法はなさそうだった。
その後も繰り返し悪魔の道攻略にトライしてみるものの、一度も満足に走り切ることができずに焦りばかりが先に立ち、おれもアカネも口数が減っていた。おまけにこの暑さだ。おれたちの疲労もピークに達していて、二人してゴール地点にへたり込んでいた。
「パヤオ」
その声に顔をあげると、エンツォがいた。
「苦戦しているようだが、どうする? 今からシングルに変えても構わんぞ」
「今からシングルに変えたところで、ここを乗れるようになるわけじゃないし、それにやっぱりタンデムで大熊のジョージに勝ちたい」
「勝ちたいか。ならば、今のようなオーソドックスな走りではダメだ。お前たちは第三コーナーを押さえれば有利だと思っているだろうが、大熊はもともとこのコースを知り尽くしている。前半で差をつけられてしまったら、それこそ後半で取り返すのは至難の業だ」
「でも、どうすればこの無茶苦茶なコーナーを越えられるのか、見当がつかないんですよ!」
エンツォに八つ当たりをしてもなんの解決にもならないことはわかっているのに、おれは苛立ちを投げつけるようにいう。しかし、エンツォは飄々としている。
「うむ。ならば、ついてこい」
エンツォはおれとアカネをその場に置き去りにして、台車に乗ってコースの外へと走り去る。訳がわからず、エンツォの後ろ姿を見送っていると、
「早くしろ!」
と怒られてしまった。なんでこの人はいつも突然行動しはじめるんだよ……
台車に乗って走るエンツォを必死に追いかけてたどり着いた先は、マリンプラザホテルよりさらに先にある漁港だった。
漁港とはいっても、海はガラスのように透き通っていて、係留されている漁船が宙に浮いているように見えるほどだ。いつも地元の中学生や高校生がプール代わりに堤防から飛び込んだりする場所で、堤防の脇には漁船を陸に引き揚げるためのスロープが海中へと続いている。
「まさか、今から泳ぐとか言い出すんじゃないでしょうね?」
「えぇ!? わん、水着もってきとらんよ?」
そこじゃないよ! 三日後の大会の練習をしなきゃいけないんでしょ?
「パヤオ、このスロープは約10メートルほどある。上から、まっすぐ台車で走ってきて、この海面ギリギリの部分で、横向きに方向転換してみろ」
「はあ? そんなことどうやったらできるんですか?」
「パヤオと赤いソニックの息を合わせればできなくはない」
なんか漠然としすぎ! 第一、それって何のためにやるの?
「パヤオ、あのヘアピンコーナーは退避エリアからだとどう見えた」
「どうって、逆バンクのヘアピンですよ」
「逆バンクというよりも、下り勾配がそのまま続いて曲がっているように見えないか?」
いわれてみれば……確かにコーナー内側の頂点を越えても下り勾配が続いていて、折り返し階段の「踊り場」的な平坦な部分があるコーナーではない。
「お前はこのヘアピンを一つのカーブと考えるから逆バンクになって見えるのだ。コースの形にとらわれずに、二つの直角コーナーの複合だと考えてみろ」
「二つの直角……もしかして、それでこのスロープですか!? このスロープで寸止めならぬ、寸コーナリングしろと!?」
「その通りだ! 行け、パヤオ!」
そういってエンツォは前蹴りで台車もろともおれをスロープへと突き飛ばした。
当然、なす術なくおれは「ぎゃあああ」と悲鳴をあげて、台車ごと海中へダイブ! しかも、コースでの転落時に台車の暴走を防ぐためのバンジーロープを繋いだままだったため、海中に沈んでいく台車に身体ごと引きずり込まれる。スロープを掴もうとして手を伸ばすが、コンクリートに張り付いた藻に滑って掴むことすらできない。
「死ぬ! ちょ、死ぬ!」
「シュン君!?」
海面でもがくおれをアカネが引っ張り上げてくれたので、なんとか一命をとりとめた。マジで死ぬかと思った。台車もおれとつないであったので、なんとか無事引き上げられた。
おれもアカネもびしょ濡れになって、這いつくばってスロープを上がってきたら、すでにエンツォはいなくなっていた。
「なんだよ! もう!」
そう叫んだものの、急におかしくなってきて、気付いた時にはアカネと二人でげらげらと大笑いしていた。
「おれ、なんでエンツォに殺されそうになってるんだよ、マジで!」
「本当、びっくりしたっちょ! でも……なんだか、こうやって二人で大笑いするのって久しぶり」
「そういえば、そうだな。このところ、ずっとコースの攻略でピリピリしっぱなしだったもんな」
アカネを見遣ると、彼女も楽し気に顔をほころばせている。海に飛び込んだので髪の毛もぺしゃんこになっている。
「ああ、ジャージもびしょ濡れだりょんやぁ。堤防に干しておいたら乾くかな」
アカネはおもむろにジャージの上着を脱ぐと、それを力いっぱい絞った。アカネのその姿におれの視線が釘付けになっていた。
こ、これは!
男の夢ランキング、トップテン入り間違いなしといわれる、濡れT&透けブラのコンボじゃないか! ああ、ありがとうエンツォ! ありがとう台車ダイブ! しかも、なんですか! この破壊力抜群の肉感ボディは! これはスク水どころの騒ぎじゃありません! 反則ですよ、レフェリー! 反則っ!!
アカネは堤防の上にジャージを広げて置くと、小走りに戻ってくる。いかん、視線がぽよぽよ弾む胸に……!
「さ、もう一回やろう! このスロープ練習をこなせば、あのヘアピンカーブなんてきっとへっちゃらになるっちば!」
アカネは台車が海に沈んでしまわないように、ロープで係船柱につなぐと、ひょいと台車に飛び乗った。
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……タンデムだと後ろ姿しか見えないじゃん!!
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