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春待つ花の章

花咲く都の路ゆけば(その一)

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 茉莉花堂が定休日のときも、その店員であるメルの朝はやはり早い。

「ユイハとユウハは今日来るって言ってたし……、お出かけカバンの中身どうしようかな、木炭筆とスケッチブックが確定だから大きい手提げは必須だけど」
「あれれ、カバンの用意をしてるということはお出かけかい?」
 朝起きたときはいなかった白が、いつのまにかメルのベッドの上で寝そべって毛布にくるまっている。
「そう、ユウハの兎のぬいぐるみさんたち用お洋服作るから、その相談」
「お出かけしちゃうのかー。むー、今日はメルと一日中ごろごろしたかったなー、ごろごろー」
 白がいじけた瞳でこちらをじっと見つめてくる。その瞳に負けそうになるが、ユウハたちとの先約があるのだから、どうしたって今日は白とごろごろはできないのだ。
「白も一緒に来ればいいじゃない」
「……」
 すこし考えるような仕草をしたあと、白は悲しそうにこうつぶやく。
「メルと、メルのお友達がおいしそうにケーキを食べてるとき、僕は見てるしかできないからやだ。他の人と一緒にいるとき、メルが僕の声に答えてくれないからやだ。メルが楽しそうにしてるのを、心から喜べない自分がやだ」
 最後まで言い終わると、白は毛布の中に隠れてしまう。
 メルが白の背中があるだろうあたりの毛布に手をかけると、震えているのが伝わってきた。
「白……」
「ねぇ、あのねメル。ごめんね。本当は、こんな風にメルを困らせたくはないし、僕はメルにはいつも幸福でいてほしいんだよ。でも、でも」
「私も白に幸福になってほしいよ」
 メルは白の背中をなでてやる。ずっと昔、一人で眠るのが怖い風の強い夜なんかに、よく白が幼いメルにそうしてくれたように、優しく。
「メルを、僕は幸せにできないんだよ。だって、僕は、僕は」
「白……?」
 そこで、毛布から真っ白な頭がぴょこんと飛び出してきた。
「……ごめんね、朝からいじけちゃって。ほら、早く準備しないと、お友達が来ちゃうよ。ちゃんと、僕もお出かけついていくから。僕が食べれなくてもメルが美味しそうに食べててくれれば、僕も嬉しいんだから、ね」
 白が精一杯の無理しているのが、メルにも手に取るように分かった。
 だから、メルは
「……白、ありがとうね。そんな白が大好き」
「……僕も好き。大好き、メルのこと大好き」
 だから、メルは大好きなその人のその精一杯の気持ちを壊さないように、ただ笑って大好きだよと伝えるのだ。



「そのカバン、ちゃんとハンカチとか入ってるかい? お財布もわすれてないよね」
「……うん、大丈夫、大丈夫だよ。ちゃんとスケッチブックと木炭筆も持ったし、忘れ物は無いはずだよ」
 忘れ物はないかと、カバンの中を白と指差し確認をしていると、一階からプリムローズおかみさんの呼ぶ声がした。どうやらユイハとユウハが迎えに来てくれたらしい。
「今行きまーす!」


「おはよう、二人とも」
「おはよう、メル」
「おはよう、メル。今日のドレスも可愛いわね。あ、もちろん中身だってとっても可愛いわ」
「ユウハもね、今日のドレスは東方風なの?」
「そうよ、東方風というか、正確に言えば極東列島風のつくりの襟と袖ね、それでこの飾り帯の部分が――」
「話は歩きながらでもできるだろ、まったく」
 さっそく服装談義で華がさきそうなところを、ユイハがすばやく遮る。
「どうして女は集まると服の話ばっかりしてるんだろう」
 その言葉に、白もうんうんと無言で頷いている。
 ……メルとしては、そんなに服装の話ばかりしているつもりもないのだが。というかむしろ、話をするなら服は服でもドールの服の話がしたいと思っている。
「もう、だったらユイハ兄さんは来なくてもいいのに。そしたら私とメルとでデートだったのよ」
「来ないとお前が何しでかすかわからない。んじゃ、行こうか」
「えぇ、行きましょう」
「行ってきますね、おかみさん!」
「行ってらっしゃい三人共、気をつけてね」
 プリムローズの微笑みに見送られながら、騎士学院時代からの仲良し三人組は花咲く都ルルドの道を歩くのだった。

「このあたりは、小人族のキュルテが随分多いよね」
 ユイハが視線だけで周囲をぐるりと見回して、何気なくそんなつぶやきをした。
「職人通りだもの。ものをつくることにかけては、キュルテの右に出る種族はないんじゃないかな」
「まぁ、手先の器用さだけで言えばそうかもね、ただ、私達人間とは趣味が微妙に違ったりもするから、キュルテのつくるものが常に絶対に優れているとは限らないけれど」
 そのユウハの言葉が聞こえていたのか、たった今通りすがった、いかにも頑固そうなキュルテの中年男性が睨むような目でこちらを見ていた。
「……ユウハ、今のは睨むぐらいで済ませてくれたけど、もうちょっとキュルテの前では言葉を選んだほうがいいかもね。花咲く都にはいろんな種族がいるけど一番に熱くなりやすいのは、キュルテ一択なんだからね」
「わかってるわよユイハ兄さん」
「ふふっ、ユウハ怒られたー」
 メルがからかうように笑っていると、上からもくすくす声が聞こえた。なんだろうと思い上を見ると、そこにはアゲハ蝶の羽が生えたピシュアーの女性が笑っていたのだった。
「ふふふ、ごめんなさいね。あまりにも楽しそうでつい聞いちゃった。若い子たちが元気にしてると楽しくなるのよねぇ、うふふ」
 ピシュアーの女性はそう言ってそのまま、ぱたぱたと何処かへ飛んで行ってしまう。
「あんななりをしてるけど、一番に油断ならないのがピシュアーだよな……」
「そうよね……自分たちのことをよくわかった上での振る舞いをしてるわよね、ピシュアー達って」
 ピシュアーは小妖精族とも呼ばれる、背中にトンボや蝶、カブトムシなどの羽が生えた身長四十センチほどの種族だ。その外見は他の種族たちから見るとみんな可愛らしくて儚いすがたなのでついつい保護対象と考えてしまいがちなのだが……実際には彼らは見た目ほど脆い存在でもない。彼らはたいてい、魔法の才能に恵まれているし、武器を持てば飛行能力を活かした変幻自在の戦い方で敵を翻弄する。もちろん、その小さい体を活かした隠密の技も油断ならない。
 今さっきのピシュアーも、仮にも騎士学院で学んでいたメルと、現役で学んでいるユイハとユウハにさえも気配を悟られていなかった。このように、彼らはいつのまにかそこにいる油断ならない存在だが、その可愛らしい外見から大抵のことは許されてしまう、そんな愛すべき存在でもあった。


 職人通りをずっと南にまっすぐ行くと、ルルデアの都の商業区の一つに出る。
 この商業区をさらに南に行くと大きな船がたくさん停泊している港区があり、あちこちの国や地域とつながっているどこまでも広い海があるのだ。
 メルは外国に行くような大きな船に乗ったことはないのだが、この港の恩恵はずいぶん受けていると思う。
 この間タルトを作ったときのお砂糖は海を渡って大陸の南方からはるばる運ばれてきたものだし、ドールドレスを作るときの布やレースだって、大陸のあちこちから貿易でやってきたものだ。
 この都の生活水準の高さも、世界のあちこちから技術や文化や学問、それに流行をとりいれているからこそ。

 花咲く都ルルデアこそ、まさに大陸いちの華やかな場所である。
 ルルドの都に住まうものなら、誰もがごく自然にそう信じている。


「メルー? ちょっとメル! お店通り過ぎちゃったわよ?」
「え、あ、ごめん! ちょっと考え事してた!」

 ルルドの都でも老舗であり、香草茶がおいしいと評判の喫茶店の前でユイハとユウハは止まっていたが、メルはぼんやりして通り過ぎてしまっていた。
 あわてて小走りで二人のもとに戻る。

「ごめんふたりともー……」
「メルってば……。それより今日は何のお茶にするのかしら?」
 店の扉を押し開けながら、ユウハが尋ねる。
「わたしは、ローズと紅茶のにするつもりだよ、ユイハは?」
「僕はジャスミンに緑茶かな」
「私はハイビスカスにローズヒップのかなぁ、あ、すみません、三人なんですけど席空いてますか?」
「ちょうどテーブル席が空いたところだよ。入って入って」
 振り返って応えた喫茶店のまだ若いおかみさんは大きく胸の部分があいたドレスを着ている。その胸元には大きな青い宝石が輝いている。といっても、首飾りなどのアクセサリーではない。宝石は胸に埋まっている状態だ。ここのおかみさんはジュエリゼと呼ばれる宝石核を体内に持つ珍しい種族なのだった。

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