20 / 88
春待つ花の章
宴の陰で
しおりを挟むメアリーベルが、ベルグラード男爵家の正式な娘だということを社交界に知らせるための、お披露目のパーティが開かれたのは、それから半月ほど後のこと。
男爵家で行われているそのめでたい席には、メルも招かれていた。
令嬢メアリーベルがまだ年若いこともあって、パーティはいわゆる夜会形式ではなく、室内でのティーパーティ形式となった。
春の花で飾り付けられた会場は見事で、用意された茶器も、飲み物やお菓子も上級貴族のパーティにもひけをとらないような立派なものだった。
それを見た招待客たちは、ベルグラード男爵夫妻はどれだけあのメアリーベル嬢に愛情を注いでいることだろう! こんな見事な茶器を娘のお披露目パーティの客人に使わせるとは! とささやきあっているのだった。
今日のメアリーベルは、ミモザのような黄色のドレスを着ていた。帯にはラピス・ラズリの青い色が効いた、まるで花のような印象のドレス。
そして腕に大事に抱く、雪のように白い髪がみごとな人形のレナーテイアも、同じデザインのドレス。
……そう、男爵令嬢メアリーベルと人形のレナーテイアはおそろいのドレスを纏っていたのだ。
ドレスは、男爵夫人が自らの馴染みの仕立て屋にずいぶん無理を言って、かなり短い日数で『春待ちの花』と同じようなデザインに仕立てあげさせたものらしかった。
いったいどんな風に無理を通してみせたのだろう。もしかしたら仕立て屋の建物に、あのとき見たのと同じ魔炎の突撃でもしたのだろうか。などとメルはジルセウスとこそこそと言い合って笑った。
ジルセウスは今日はメアリーベルの個人的な友人であると同時に、リヴェルテイア侯爵家の代表として出席してくれていた。リヴェルテイア家の者がメアリーベルのお披露目パーティに居るということは、それすなわちリヴェルテイア家がメアリーベル嬢を認めたことになり、彼女の箔にもなり得る。それはいずれ、彼女の役に立つはずだった。
ユイハとユウハも招待状を送られたらしいのだが、今日は銀月騎士学院のほうでどうしても外せない講義があるということで、やむなく欠席だった。
メルはジルセウスと会場となっている大広間を離れ、あの日に皆で小さなお茶会をした庭園を散策していた。
メルは大勢の人の中ですこし気分が悪かったのが顔に出ていたようで、ジルセウスが気を使って外に連れ出してくれたのだ。
「これで一件落着。でしょうかね、ジルセウス様」
「……」
「ジルセウス様?」
「あぁ、いやなに、メアリーベル男爵令嬢のことは、たしかに落ち着いたのかもしれない。が……ベルグラード男爵のお役目のことは、まだ終わってないだろうとね」
「男爵のお役目のことがどうなっているか、ジルセウス様が尋ねてみてもだめなんですか?」
「本来は駄目なんだよ。なにせ、男爵の本当のお役目は秘密も秘密、極秘であるべきことだ。それをあのとき我々に教えてくれたのは――そこまでしてでもメアリーベル嬢を護る、という覚悟を決めた状態だったのだろうね。……まぁ、それはさておき、だ」
「はい?」
メルは、ふわふわの金の髪を揺らしながら首をかしげる。結ばれている淡い緑色のリボンもそれにあわせて揺れる。
今日のメルはほとんど白に近いごく淡い緑色のドレスを着ていた。昼のパーティ用なので露出こそほとんど抑えられているが、かえって清楚さがあって可愛らしい装いだ。
「先程、どこぞの豪商の若旦那らしいのに絡まれていただろう?」
「絡まれていた、というか……その、私が茉莉花堂の店員と知って、いろいろと話を聞きたいからいる自分のいるテーブルに席を移動しないか、とお誘いを受けただけですよ」
「そういうのを絡まれているというのだよ。君は――君は……」
……ジルセウスは、明らかに怒っていた。
なぜ、ジルセウスが怒っているのかメルにはわからず、困惑してしまう。もしかして、淑女ならばああいうのはすぐに断るはずだ、はしたない、などと言われるのだろうか、しかしメルは貴族の令嬢ではないのだから、淑女の礼儀など関係ないだろうし、仕事の話かもしれないので――
「メルレーテ、君はあまりにも美しいから」
いつもとは違いすぎる、あまりにもまっすぐな言い方。
その言葉の意味を理解できた瞬間、メルの頬には紅色がうかぶ。
「ジルセウス様、あの」
「メルレーテ、いいやメル、君のふわふわしてさわり心地のよさそうな金の髪がいけない。君のいつまでも見つめていたくなる海底に沈んだ宝石のような青い瞳がいけない。君の陶磁器のようになめらかですべすべしているのにいかにもふっくらと柔らかそうな肌はもっといけない。中でも特別にいけないのはこの唇だね、ところ構わずとき構わず、いつもキスしたくなる」
「ジルセウス様、さすがにそれ以上のお戯れは」
ジルセウスから逃れようとするメルの声は、メル自身でも泣きそうになる手前のそれだとわかった。
こんな風に、ジルセウス様にからかわれるだなんて。
……ずっと憧れてた、好きな、人に、こんな、こんなの。
「戯れではないよ、今回でようやく確信したんだ」
ジルセウスが、メルの両肩のあたりをつかむ。
その力はたしかに強いが、メルならいつでも振りほどける程度だ。
「君は、美しいだけじゃなくて、強くて、そして優しくて、悲しみも苦しみも知っている優しい女の子だ。温室の薔薇ではなく、谷底に咲く花だ。そんな花に惹かれ、手に入れようとしても、仕方がないじゃないか」
「ジルセウス様、私はそんな大層なものじゃないの。……ただの、ただの、夢を押し付けられて、夢を叶えることができなったお人形の残骸なの」
「あぁ、たしかにかつてはそうかもしれないけれど――だけど君は今はちゃんと花を咲かせたじゃないか、茉莉花堂でね。というか、もうこれ以上焦らすのはやめにしてくれるかい? それとも僕が嫌いかい?」
メルはほとんど反射的に首を振る。
立場だとか、身分だとか、そんなことはもう、頭にはなかった。
「そんなことない!」
「じゃあ愛してる?」
「決まってるじゃない!」
まるで噛み付くような勢いの返答なのに、ジルセウスは笑っていた。
「じゃあ問題ない、キスするよ」
彼の唇が近づいてくる、ゆっくりと、ゆっくりと。
「や、あの、待って、心の準備……ジルセウス…………ジル……!」
そして、二人の人影は一つになって――
「その、ひどいわ……男の人との、ちゃんとしたキスなんて、はじめてなのに、あんな……あんな、キスの仕方」
ようやく、一つの人影が二つにほどけたとき、メルの口から出たのは苦情だった。ちなみにちゃんとしたキスがはじめてなのは紛れもない真実だ。なお、騎士学院時代の海上訓練における人工呼吸などはものの数に数えないものとする。
「メルが可愛いからいけないのだよ、お陰で加減できなくなったのだからね、あと、いきなり敬称外して呼んできたし、その上略称で呼ばれるんだよ? これで我慢できるほど、僕が聖人君子じゃないことはわかってるだろう?」
「わかってるもん、ジルのあの買い物の仕方はとても聖人君子のそれじゃないもの」
「僕は欲にまみれた人間だからね。ねぇ、ところで――もう一度キスしてもいいかい? メルに敬称なしの略称で呼ばれるのはやっぱり効くね」
「……今度はやさしくしてね、ジル」
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
そのご寵愛、理由が分かりません
秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。
幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに——
「君との婚約はなかったことに」
卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り!
え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー!
領地に帰ってスローライフしよう!
そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて——
「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」
……は???
お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!?
刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり——
気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。
でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……?
夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー!
理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。
※毎朝6時、夕方18時更新!
※他のサイトにも掲載しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました
らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。
そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。
しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような…
完結決定済み
【完結】領主の妻になりました
青波鳩子
恋愛
「私が君を愛することは無い」
司祭しかいない小さな教会で、夫になったばかりのクライブにフォスティーヌはそう告げられた。
===============================================
オルティス王の側室を母に持つ第三王子クライブと、バーネット侯爵家フォスティーヌは婚約していた。
挙式を半年後に控えたある日、王宮にて事件が勃発した。
クライブの異母兄である王太子ジェイラスが、国王陛下とクライブの実母である側室を暗殺。
新たに王の座に就いたジェイラスは、異母弟である第二王子マーヴィンを公金横領の疑いで捕縛、第三王子クライブにオールブライト辺境領を治める沙汰を下した。
マーヴィンの婚約者だったブリジットは共犯の疑いがあったが確たる証拠が見つからない。
ブリジットが王都にいてはマーヴィンの子飼いと接触、画策の恐れから、ジェイラスはクライブにオールブライト領でブリジットの隔離監視を命じる。
捜査中に大怪我を負い、生涯歩けなくなったブリジットをクライブは密かに想っていた。
長兄からの「ブリジットの隔離監視」を都合よく解釈したクライブは、オールブライト辺境伯の館のうち豪華な別邸でブリジットを囲った。
新王である長兄の命令に逆らえずフォスティーヌと結婚したクライブは、本邸にフォスティーヌを置き、自分はブリジットと別邸で暮らした。
フォスティーヌに「別邸には近づくことを許可しない」と告げて。
フォスティーヌは「お飾りの領主の妻」としてオールブライトで生きていく。
ブリジットの大きな嘘をクライブが知り、そこからクライブとフォスティーヌの関係性が変わり始める。
========================================
*荒唐無稽の世界観の中、ふんわりと書いていますのでふんわりとお読みください
*約10万字で最終話を含めて全29話です
*他のサイトでも公開します
*10月16日より、1日2話ずつ、7時と19時にアップします
*誤字、脱字、衍字、誤用、素早く脳内変換してお読みいただけるとありがたいです
【完結】「別れようって言っただけなのに。」そう言われましてももう遅いですよ。
まりぃべる
恋愛
「俺たちもう終わりだ。別れよう。」
そう言われたので、その通りにしたまでですが何か?
自分の言葉には、責任を持たなければいけませんわよ。
☆★
感想を下さった方ありがとうございますm(__)m
とても、嬉しいです。
溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~
夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」
弟のその言葉は、晴天の霹靂。
アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。
しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。
醤油が欲しい、うにが食べたい。
レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。
既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・?
小説家になろうにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる