花咲く都のドールブティック

冬村蜜柑

文字の大きさ
51 / 88
秋色なる舞姫たちの章

真紅の舞姫(その一)

しおりを挟む


 がくん!

 馬車が小さく揺れて、リゼッタはごく浅い眠りから覚めた。
 一瞬、なにかあったのではないかと不安になるが、どうやら馬車の車輪が小石か何かに乗り上げただけのことのようだ。

 驚かせないでよ。もう。

 リゼッタが口の中だけで小さく呟いてため息をつくと、くるくると渦を巻く真っ赤な髪の毛がひとふさ垂れてきて視界に入る。
 真っ赤も真っ赤。人参なんかよりもっともっと赤い、醜くて、不恰好で、いまいましい髪。
 おぞましくて、見ていたくなくて、無造作に髪の毛を肩の後ろに戻す。

 まったく、嫌になる。
 どうして自分はこんな髪の色なんだろう。

 ぱっちりとした茶色の目も、なめらかでミルクみたいな肌の色も、遅咲きの八重桜のような唇の色だって全部それなりに気に入っているというのに、髪の色だけが忌々しく醜く悪目立ちする。

 混じり気のない黄金の色をした綺麗な金髪だなんて高望みはもう、しない。
 せめて、せめて今馬車の向かいの席に座っている従兄弟のジルセウスのような黒髪だとか、あるいは目立つような色にしたって、隣にいる自分の従者であるゼローアのような銀の髪がよかった。
 ゼローアの髪の色は、リゼッタから見てもとても綺麗だ。
 本人曰くエアルトという種族にはありふれた色なのだとはいうが、それでも綺麗な色であることには変わりはない。
 せっかくなので髪を伸ばしてみてはどうかと彼に勧めたこともあるが、本人は髪になど興味はないようで、いつもばっさりと短く刈ってしまっている。
 だが、それが彼の、細身だがよく鍛えられた身体にはよく合っている。
 エアルトというのは身体中に浮き出た魔法文字が象徴するように、どちらかというと魔法と智慧を武器とする種族だ。そのため、ゼローアもてっきり貧弱な身体つきをしているものとばかりリゼッタは思っていたので、最初に知った時は意外な思いだった。

 ゼローアは二年ほど前、花咲く都の郊外にある大きな橋の下に倒れていた少年だ。
 それを、ちょうど馬車で通りかかったリゼッタが、助けて拾った。
 ……助けた、というか……数日間ほどんど飲まず食わずだったがゆえの空腹で倒れていた彼に、リゼッタがたまたま偶然に持っていたチョコレート菓子を気まぐれで与えたら、そのままなつかれてついてこられてしまった、というのが正しいところだろう。

「リゼッタさま?」

 じっと見られているのに気づいたらしい、何か用でもあるのかとゼローアはごく軽く首をかしげる。
 自分の名前を呼ぶ、その声は十六歳かそこらだというのにかなり低く落ち着いていて、ついどきりとしてしまう。

 ――私は今、何を……相手は自分より六歳も年下のほんの子供なのに?

「なんでもないわよ。それより、ねぇ、ジルセウス」
 わざと機嫌の悪そうな声で、年の近い従兄弟を呼ぶ。

「なんだい?」

 従兄弟のジルセウスはリゼッタとは反対に、どこか楽しそうだった。
 それもそうだろう。これから向かうのは、ジルセウスが趣味としているドールのお店。それも、ドールのものならなんでも揃うという店なのだから。
「その、これから向かうお店――なんだったかしら、ドールブティック……」
「ドールブティック茉莉花堂、だね」
「えぇ、そのお店よ。案内してもらって悪いわね。今家出中の私なんかに付き合わせて」
 すると従兄弟殿は苦笑いを返してくる。
「どうやら、うちの母は俺をそろそろ落ち着かせたいし、君の家も君にはそろそろ戻ってきてほしいようだからね。そろそろ戻って、落ち着いてみたらどうだい? そしたら僕も君と結婚するように、なんて言われずに済むし」
 リゼッタはおもわず顔をしかめる。
「それはごめんあそばせ。でも、嫌よ。私は舞劇で、一人でやっていきたいのよ。結婚なんてごめんだわ。結婚なんてして、舞劇をやめて、子供を作って、ぶくぶく不恰好に太って年老いていくなんて、そんなこと恐ろしくて考えたくもないわ」

 考えただけでぞっとする未来図だった。

 リゼッタは舞劇が好きで、子供が嫌いで、醜いのも、大人しく歳をとるのもごめんだった。
 リゼッタは美しいものだけが好きだ。
 その中には、踊っている自分も含まれる。
 踊っている時だけは、リゼッタは自分の髪の赤いことからの憂いもすべて忘れて、美しくなれる。幸せになれる。

 今度の舞台では、ようやく初めてヒロインを演じることができるのだ。

 ようやく、ようやく。

 貴族だからとあれこれ嫌味を言われて嫌がらせもされた。

 ダンスシューズにピンが潜まされていたことだって、一度や二度じゃない。
 せっかくの衣装を無残に破かれたことだってある。
 自分のかばんにだけ、生ゴミが詰め込まれたことだってあった。
 ほかにも、いろいろ。数えていたらキリがない。

 そんなのに耐えてきたのは、全部全部、ヒロインを目指していたからだ。ヒロインになりたかったからだ。
 そのために……踊ることに専念するために、家出をして、今では花咲く都の貸し家にゼローアだけを従者として暮らしているのだ。

「君は嫌っているけれど、素直に年老いていくのも悪くないんじゃないかと僕は最近思うよ」
「なによ、それ」
「一緒に歳をとりたいと思えるような相手と一緒なら、そういうのも悪くないんじゃないかな」
「……ばっかみたい」

 そんな相手、見つかるわけがない。
 リゼッタは醜いのが嫌いだ。
 ただでさえ、醜い自分がさらに醜くなっていくのを、ずっと見られ続けたいなんて思わない。

 ましてや、愛したり恋したりした相手になんて、そんなの絶対に見られたくない。

「収集家小路に入ったよ。もうすぐ茉莉花堂だ」
「……えぇ、わかったわ」

 いちだんと狭い道に馬車が入り、しばらくして一軒の建物の前で止まった。

 降りるときにジルセウスが手を差し出してくれたのを断って、リゼッタはさっさと店のドアを開けて入る。


「いらっしゃいませ」

 出迎えた店員は、金髪の若い娘。
 それもリゼッタが常日頃から憧れてやまないような、美しい黄金の波打つ髪をしていた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。 幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに—— 「君との婚約はなかったことに」 卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り! え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー! 領地に帰ってスローライフしよう! そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて—— 「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」 ……は??? お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!? 刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり—— 気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。 でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……? 夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー! 理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。 ※毎朝6時、夕方18時更新! ※他のサイトにも掲載しています。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました

らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。 そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。 しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような… 完結決定済み

【完結】領主の妻になりました

青波鳩子
恋愛
「私が君を愛することは無い」 司祭しかいない小さな教会で、夫になったばかりのクライブにフォスティーヌはそう告げられた。 =============================================== オルティス王の側室を母に持つ第三王子クライブと、バーネット侯爵家フォスティーヌは婚約していた。 挙式を半年後に控えたある日、王宮にて事件が勃発した。 クライブの異母兄である王太子ジェイラスが、国王陛下とクライブの実母である側室を暗殺。 新たに王の座に就いたジェイラスは、異母弟である第二王子マーヴィンを公金横領の疑いで捕縛、第三王子クライブにオールブライト辺境領を治める沙汰を下した。 マーヴィンの婚約者だったブリジットは共犯の疑いがあったが確たる証拠が見つからない。 ブリジットが王都にいてはマーヴィンの子飼いと接触、画策の恐れから、ジェイラスはクライブにオールブライト領でブリジットの隔離監視を命じる。 捜査中に大怪我を負い、生涯歩けなくなったブリジットをクライブは密かに想っていた。 長兄からの「ブリジットの隔離監視」を都合よく解釈したクライブは、オールブライト辺境伯の館のうち豪華な別邸でブリジットを囲った。 新王である長兄の命令に逆らえずフォスティーヌと結婚したクライブは、本邸にフォスティーヌを置き、自分はブリジットと別邸で暮らした。 フォスティーヌに「別邸には近づくことを許可しない」と告げて。 フォスティーヌは「お飾りの領主の妻」としてオールブライトで生きていく。 ブリジットの大きな嘘をクライブが知り、そこからクライブとフォスティーヌの関係性が変わり始める。 ======================================== *荒唐無稽の世界観の中、ふんわりと書いていますのでふんわりとお読みください *約10万字で最終話を含めて全29話です *他のサイトでも公開します *10月16日より、1日2話ずつ、7時と19時にアップします *誤字、脱字、衍字、誤用、素早く脳内変換してお読みいただけるとありがたいです

【完結】「別れようって言っただけなのに。」そう言われましてももう遅いですよ。

まりぃべる
恋愛
「俺たちもう終わりだ。別れよう。」 そう言われたので、その通りにしたまでですが何か? 自分の言葉には、責任を持たなければいけませんわよ。 ☆★ 感想を下さった方ありがとうございますm(__)m とても、嬉しいです。

溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~

夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」  弟のその言葉は、晴天の霹靂。  アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。  しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。  醤油が欲しい、うにが食べたい。  レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。  既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・? 小説家になろうにも掲載しています。

処理中です...