喫茶「のばら」

冬村蜜柑

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第一章

ミント茶に砂糖(そのニ)

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 荷馬車の車輪を直してくれる工房はすぐに見つかった。あの気のいい衛兵が(それも無料で)描いてくれた地図のおかげだろう。
 ただ、その衛兵本人も言っていた通り工房は注文がずいぶんとつまっているようで、早く済んでも二日から三日はかかるよ。と言われてしまった。
 車輪を直さないわけにもいかないので、とりあえず修理を予約をしておく。ついでに、もうこんなことになっても慌てないために積み込んでおくための替えの車輪の注文も忘れない。
 その後は、ぎぃぎぃきゅうきゅうぎゅいぎゅいぎゅいと、うなり続ける車輪をどうにかこうにかなだめながら移動して、荷馬車も厩にとめられると紹介された「白百合の丘亭」という名前の宿に向かう。
 その宿はそれなりの宿賃をとられるというだけあり、妙な客なぞも居そうにないし、ふれこみどおりにベッドはふかふかでリネン類も清潔に白くゆっくりと眠れそうな、長旅をしてきた夫婦にとってもいい宿屋と見えた。
 ただ、唯一ともいえる不満点が、
 
「……しょっぱいな、このスープ」
「……えぇ、ずいぶんと塩辛いです、このスープ。スープどころか、お肉も野菜も塩味だけしかしないし、パンですら、甘みが感じられないですね、あなた」
 深い溜息をつきながら、サーディクのぼやきに答えるウィラータ。
 この宿の唯一ともいえる不満点、それは食事である。
 いや、この宿に限った話ではない。
 大陸西方のひとはずいぶんとまぁ、料理には塩だけという素朴で素材の味を生かし過ぎの味付けを愛しているようだ。というのがウィラータがこの旅で得た知識のひとつである。
 とくに、このあたりは内陸で、交易によって大陸南方などからもたらされる香辛料やその他の調味料が手に入りづらく、比較的安く手に入るのが岩塩だけなのだ。という事情をさっぴいたとしても、あまりにも塩味だけというのが過ぎる。
 食事後に塩辛くなってしまった口の中をどうにか洗い流そうとして、故郷の街でもなじみ深いミントティーを注文したはいいが故郷で飲みなれたそれと違い、砂糖がまったく入っていないし、給仕が砂糖を運んでくれるような気配もない。
 そういうわけで、サーディクとウィラータの夫婦は塩辛くなってしまった口の中へさらにミントティーの辛さと苦さとを流し込む、という味覚の苦行をする羽目に陥っていたのであった。

 そんな二人のテーブルに、ついさっき聞いたばかりの声が降ってくる。
「あぁ、やっぱりですかい」
「お前、わかっていたならなぜ先に言ってやらなかったのだ」
「いや、言いましたよ、言いましたよ俺! いいましたよね、そこの御両人!」
 先ほどの、城門の衛兵とその衛兵隊長の女性だ。
 なぜか衛兵の男は上司である女性に耳をつねられ、こちらに助けを求めてきている。
 ウィラータは困ったようにサーディクと少しの間見つめ合う。
「ちぎれる、ちぎれる、ちぎれるんで! 俺の耳ちぎれるんで! 頼んますっ!」
「あー、確かそのようなことも言ってもらったような記憶があるので、彼の耳を離してやってはくれませんかな」
「……すまない」
 小柄な衛兵隊長の女はどちらに謝ったのか、とりあえずは衛兵男の耳から手を離してくれる。
 こうしてサーディクは、一人の男の危機を救ったのであった。


「それで、やっぱり南方の人にはアレですかい」
「こら、声が大きい」
 サーディクが相席をすすめたので、女衛兵隊長と衛兵男は遠慮なくテーブルについて、遠慮なく葡萄酒や麦酒、それにつまみも注文した。
 そして彼らは、夫婦にとってはただ塩辛いだけの味付けをされたよく焼けた肉の切れ端を実にうまそうに食べる。
「まぁまぁ、隊長。というか、わりともうこの街ではみんなもわかってることじゃないですか、南方から来る人たちの口にはこの地域の食事は合わないらしいってことは」
 とはいうが、宿の者に聞かれるのはさすがに今後も気持ちよく入店するためにもまずいと思っているらしく、声は低めだ。
「……まぁ、己に正直になって言ってしまえば、そうなる、申し訳ないけれど」
「えぇ、同意せざるを、得ないわね……」
 サーディクとウィラータはあえて、不味いとも、口に合わないとも、言うことなく、だが、ただ真実だけは述べる。
「……この街は、その、どうしても内陸にあるわけで、港街のようには豊富には……大陸南方産の香辛料や砂糖は手に入らなくて、だな」
 なぜか、衛兵隊長が言い訳をするように、しどろもどろ、つっかえつっかえ、歯切れ悪く説明をする。
「聞くことろによると、南方ではミントティーにもたっぷりと砂糖をいれて楽しむという地域もあるそうだが、この街ではそのような贅沢はなかなかに」
「いや、出来る店があるじゃないっすか隊長どの」
「え?」
「え……?」
「あー……そういえば、ある、な。あるにはある、うん、あるにはあるが」
 夫婦はともに驚きの声を漏らす。
 それに対し、なぜか歯切れの悪いままの衛兵隊長は気分を落ち着けるように赤葡萄酒を飲み塩味のナッツを口に放り込んで、長い長い咀嚼が終わって、まだ夫婦が自分の言葉の続きを待ち望んでいるのを悟ったのか、その店について説明を始める。
「この街には……とある喫茶店がある、そこでは、紅茶を出しているし、ミントティーなどの香草茶もいくらかある、そして、茶に入れるための砂糖は匙に何杯でも入れられるのだが……」
「とんでもなく代金が高いとか?」
 旅をする関係上、結構な路銀はあるしお金に換金できるものもかなり持っているのだが、やはり長い旅ということで無茶な出費は避けたい。
「いや、ちょっとした金がある者ならば、毎日でも通ってしまうぐらいだし、金が無くても茶ぐらいは飲める程度には価格は抑えられている。ちゃんと儲けが出ているのかと、こちらが心配になるぐらいに、だ。それに、それに、甘い菓子も定番のモノから名前も知らないような珍しいものまで取り揃えているし……」
「……?」
 ますますもって、この衛兵隊長がその店を勧めたがらない意味がわからない。
 茶に砂糖をいれ放題、甘い菓子も各種取り揃え、価格もそれほど高いわけではなさそうだし……。
「その、あの」
 衛兵隊長は、目をそらしながら、ようやく言葉を紡ぎ出す。
「……そこの店主夫人が、な、美人なのだ。ものすごく、とても、美しい女性だ」
 それがどうして、と夫婦が言う前に、衛兵隊長が続きを話した。
「独身男ならば半数は口説きだすというし、妻のいる男にも口説かれたことのあるという話だし、夫婦が離縁の危機に陥るきっかけをつくったという噂だっていくつかは聞いたことがある」
「……」
「……」
 思わず、ウィラータはサーディクの目をのぞきこんでしまう。
 この旅で最大の、危機が夫婦の身にふりかかろうとしているのかも、しれない。





 次の日、砂の街から訪れた交易商人夫婦は、山と湖の街サフィロにある決して広くはない通りの一つを慣れない様子で歩いていた。
 夜、寝る前に夫婦会議をして、結論として出た答えは、件の喫茶「のばら」とやらに行ってみることだった。
 そろそろ砂糖たっぷりの甘いミントティーが恋しいこともあるし、名前もしらないような甘い菓子が気になることもあったし……それになにより、あんな言いかたをされては、逆に、怖いもの見たさというか、その店主夫人とやらがどれだけ美人なのか見てやろうという気持ちもあった。

 昨晩相席をした衛兵の男は(衛兵隊長の女が止める言葉もかまわずに)とてもとても丁寧に、喫茶「のばら」の場所を教えてくれた。
 だが、
 なにせ、知らない街、それも異国のまったく知らない足を踏み入れたこともない街ということも、そして喫茶「のばら」の場所がとりたててわかりやすいわけでも大きな通りにあるわけでもなく、その上に喫茶「のばら」はこの辺りでは目立つつくりの建物でもないというダメ押し付きとあっては、長旅でこういうことに慣れたはずのサーディクとウィラータにもなかなか見つけることができないでいた。
 あっちでもない、こっちでもないと言い合いながら、通りを行ったりきたり、戻ったり、また進んだりやっぱり戻ったり。
 そんなことを繰り返しに繰り返し、ずいぶんと時間が過ぎた(時間を告げるための鐘がなるのを二回ぐらいは聞いた)頃に、ようやく親切な人が、教えてくれた。
 その人は(彼は夫婦が行ったり来たりしていた通りにある靴屋の職人で、いつまでも異国人らしい男女が通りをうろうろしているので、仕事を中断してまで店から飛び出してきてくれたらしかった)、喫茶「のばら」ならこっちにある、とわざわざ店のドアの前まで夫婦を案内してくれた。

 ……そこは、いちど見ただけではそれとわからない、さんど、よんどばかりそれと教えられてようやくわかりそうな入口。このあたりではごくごくありふれた、平凡なといってもいいような、そんなドアと建物であった。
 一応……名前も知らない植物の鉢植えの横に置かれた黒板には、店の名前と開店中である旨が書いてある、らしいのだが、大陸西方の独自の文字でもって書かれているということぐらいしかウィラータにはわからない。サーディクも言われてようやくそれと読める、というものであった。
 ともかく、目的の店に着くことはできた。
 夫婦は親切な人に礼を言って、その背中を見送った後、店のドアを押して開ける。


「いらっしゃいませ、お客様がた」

 優美ともいえる、金でできた鈴を転がすような、オアシスに湧き出でる清水のような、澄んだ美しい声が、夫婦を出迎える。
 その声とともに現れたのは、ふわふわとした濃茶の髪を揺らす、菫色の瞳が印象的な、まるでよくできた人形のような、だがしかし生身であることは間違いないであろう、それは美しい女性だった。


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