喫茶「のばら」

冬村蜜柑

文字の大きさ
19 / 22
第一章

襲来・春の大風(その一)

しおりを挟む



 よく整備された広い街道を、一台の馬車が行く。
 馬車は二頭立てで、黒っぽい目立たない外装をしていたが、見る者が見ればおそろしく金と手間がかかっている代物とわかる、かもしれない代物だ。
 
 その馬車の中。
 乗っている者に振動が伝わりにくいよう工夫された、座り心地の良い座席。
 そこに座るいかにも品のよさそうな身なりの初老の女性が、同じぐらい品の良いしぐさで手鏡をのぞきこんでは、満足そうにうなずく。

「ケイト、ネーナ、ねぇ、わたくしの“変装”はいかがですかしら?」
 ひとしきり満足してから、向かいの席に控えるメイド服姿の女二人に問う。
「はい、完璧でございます、奥さま」
「はい、どこからどうみても“ただのなんのへんてつもない街人の妻”に変装できています。完璧です」
 それを聞いて、“奥さま”はいかにも満足そうに微笑む。
 “奥さま”はたしかに老いてはいるが、薔薇色の頬はいまだにふっくらとして、白い髪は美しくふくらませて結い上げられ、小柄な体は“ただのなんのへんてつもない街人の妻”ではまず着られないであろうてまひまのかかった綺麗なドレスをまとっている。まるでそういうお人形さんのようだった。
 
「ケイト、ネーナ、あとどのぐらいで到着かしら?」
「そうですね、あと鐘一回分ほどはかかりましょう」
「街に入るにもいろいろあるでしょうし、午後のお菓子の時間前ぐらいにはなりますかと」
「そう……あぁ、楽しみだわ……」
 夢見るようなうっとりとした声と表情でこたえ、“奥さま”はゆがみのないガラス窓から万年雪で白い山を眺める。
 あれはサフィーリと呼ばれる山だ。あの山頂の万年雪のように白いクリームの乗ったお菓子に合うのは、どんな紅茶だろうか、と考えていた。
「ふふ、あの子たち驚くでしょうねぇ」
「はい、きっと」
「きっと驚かれることでしょう」
「楽しみだわ……アルフィーゼ、元気にしていて?」








 ふと、誰かによばれた気がした。
 
 喫茶「のばら」の店主アルフは、紅茶を淹れる手を止め、顔をあげる。
 ぱしゃり、と音を立てて熱い湯がやかんから床へ零れ落ちた。
「…………?」
 
 首をぐるりと動かして店内を確認する。だが、だれにもよばれた様子はない。
 よばれた、とおもったのはただの空耳、なのだろうか。それとも。
「どうしましたの、アルフ」
 珍しく夫がミスをしたので、妻のイヴが心配そうに声をかけてくる。
「いや、何でもないんだよ」
「そう、ですの?」
「あぁ、おっと……厨房でスコーンが焼き上がっている時間だろうだから、それをいつものあの子たちに運んできておくれ」
「はい、わかりましたわアルフ」
 
 アルフとイヴの夫婦が経営する店、喫茶「のばら」は今日もお客たちがにぎやかにしていた。

 カウンター席には茶髪の街娘ミリィと黒髪の街娘ルリエラが座って、あれこれとおしゃべりをしながら注文の品が来るのを今か今かと待っている。
 ソファ席では仕立て屋のおかみパシュミアが、自分の<作品>がどのように着られて、どのように動きを見せているかをチェックしている。
 他にも、一仕事終えたらしい商人が目を輝かせて菓子を食べていたり、こざっぱりしたシャツの労働者の男が素朴なビスケットと紅茶をいかにもうまそうに飲食していたり、恋人どうしらしい若い男女が注文を決めるのに顔を寄せ合っていたりするのをみると、アルフは自分でも奇妙に思えるのだが、心のどこかでうれしさを覚える。

「店主さーん、顔ー、にやついてるよー?」
 この店の給仕マレインが注文を告げるついでにこっそりと忠告してくる。
「……顔に、出ていたか」
「今日もー、確かにー、奥さまは美しくて可愛いんですけどさー」
「いや、今のはそれではなくてだな」
「あ、はいはーい、ご注文承りまーす」
「おい、マレイン」
 言うだけ言って、マレインはささっと客のところに注文を取りに行ってしまう。
「……言うだけ言って逃げおって」
 だが、悪い気はしない。
 昔では考えられなかったことだが、決して悪い気はしないのだ、こういうのも。

 厨房から、スコーンの皿を両手に持ってイヴが出てくる。
 この店を開店したばかりの頃はまだまだそんなことはおっかなびっくりのようだったのだが――なにしろそれまでイヴはペンやスプーンより重いものを持ったことが無いときている――いまではだいぶ堂に入った動きだ。イヴはもともと礼儀作法やダンスを、それこそ骨身にしみいるまでに仕込まれたらしいので、立ち姿や歩く姿が美しいのも当たり前だ。
 カウンターの街娘二人は、その洗練された美しい所作をぼんやりと、夢のなかの風景でも見るかのような目で眺めている。その動きが、自分たちにスコーンを給仕するためのものであるので、なおの事現実感がないのかもしれない。
「どうぞ、ごゆっくりしていかれて」
「……は、はい、ありがとうございます奥さん」
「……い、いただきますね」
 といいつつも、二人はたっぷり数十秒の間はぼんやりとしていた、が、小麦とバターとミルクの織りなすスコーンの香りが立ち上ってきたので、現実にひきもどされたらしい。
「食べよっか、ルリエラ」
「食べましょうか、ミリィ」
 今日のスコーンのジャムは、数種類の中から選ぶことができた。
 ミリィはあれ以来気に入ったらしいローズのジャム。
 ルリエラは苺やブルーベリーやラズベリーなど数種類のベリーをミックスしたもの。
 これをそれぞれはんぶんこして食べるらしい。まったく仲の良いことだ。

「最近どう、ルリエラ」
「そうね……本を書くこと、家族にはようやく認めてもらえたし」
「おじいさんが後押ししてくれたんだっけ」
「えぇ、でもお家の手伝いなんかはちゃんとしてから、書くようにって釘は刺されちゃったわね」
「あー、でもわかるよ、ルリエラってさ夢中になるとお手伝いどころか寝食をわすれかねないもの」
「……そ、そんなことしないわよ」
「それで、どんなお話を書くの?」
「そうね……書きたいものがいっぱいあるの。たとえば小さな宝物を探し求める小さな旅人。たとえば描いたものが心を持つ画家。たとえばそこに存在しないはずの不思議な喫茶店を訪れたふわふわ茶色い髪の少女だとか」
「ルリエラ、それって」
「茶色い髪の少女はね、不思議な喫茶店で、いろんな人と出会ったり、変わったお菓子や美味しいお茶をいただいて、そこからまた別の場所に旅立って、さまざまの冒険をしてさまざまの宝物を手にして、またその喫茶店に戻ってくるの」
「ルリエラ……」
「そして少女はいつも、年齢の割に落ち着いた店主さんと、とってもきれいなその奥さんに出迎えられて、そこにいるお客さんたちにいろんな冒険の話をするのよ」
「……」
「ミリィ、こんなお話はどうかしら」
「ルリエラ、私は」


 と、茶髪の街娘ミリィが何か言おうとしたとき――
 ぎぃっ、ぎぃっ、と両開きの扉の“両方”が開けられた。
 開けたのは、シンプルではあるが清楚さすら感じる黒いドレスと真っ白のエプロンをまとった女性二人。
 そしてその真ん中に立つのは、初老の豊かな白髪の女性。
 女性は「のばら」にいる客や従業員の視線を一身に集めながら、女童のようにきらきらした瞳でこう言った。

「アルフ……! 愛する我が息子よ! 久しぶりね!」



 ――そして嵐は 訪れたのだった。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

将来の嫁ぎ先は確保済みです……が?!

翠月 瑠々奈
恋愛
ある日階段から落ちて、とある物語を思い出した。 侯爵令息と男爵令嬢の秘密の恋…みたいな。 そしてここが、その話を基にした世界に酷似していることに気づく。 私は主人公の婚約者。話の流れからすれば破棄されることになる。 この歳で婚約破棄なんてされたら、名に傷が付く。 それでは次の結婚は望めない。 その前に、同じ前世の記憶がある男性との婚姻話を水面下で進めましょうか。

冷遇された聖女の結末

菜花
恋愛
異世界を救う聖女だと冷遇された毛利ラナ。けれど魔力慣らしの旅に出た途端に豹変する同行者達。彼らは同行者の一人のセレスティアを称えラナを貶める。知り合いもいない世界で心がすり減っていくラナ。彼女の迎える結末は――。 本編にプラスしていくつかのifルートがある長編。 カクヨムにも同じ作品を投稿しています。

虐げられた私、ずっと一緒にいた精霊たちの王に愛される〜私が愛し子だなんて知りませんでした〜

ボタニカルseven
恋愛
「今までお世話になりました」 あぁ、これでやっとこの人たちから解放されるんだ。 「セレス様、行きましょう」 「ありがとう、リリ」 私はセレス・バートレイ。四歳の頃に母親がなくなり父がしばらく家を留守にしたかと思えば愛人とその子供を連れてきた。私はそれから今までその愛人と子供に虐げられてきた。心が折れそうになった時だってあったが、いつも隣で見守ってきてくれた精霊たちが支えてくれた。 ある日精霊たちはいった。 「あの方が迎えに来る」 カクヨム/なろう様でも連載させていただいております

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

助けた騎士団になつかれました。

藤 実花
恋愛
冥府を支配する国、アルハガウンの王女シルベーヌは、地上の大国ラシュカとの約束で王の妃になるためにやって来た。 しかし、シルベーヌを見た王は、彼女を『醜女』と呼び、結婚を保留して古い離宮へ行けと言う。 一方ある事情を抱えたシルベーヌは、鮮やかで美しい地上に残りたいと思う願いのため、異議を唱えず離宮へと旅立つが……。 ☆本編完結しました。ありがとうございました!☆ 番外編①~2020.03.11 終了

身を引いたのに、皇帝からの溺愛が止まりません ~秘された珠の還る場所~

ささゆき細雪
恋愛
五年前、内乱の混乱のなかで姿を消した最愛の妃・白瑤華(はくようか)。 彼女を失った皇帝・景玄耀(けいげんよう)は、その後ただ一人を想い続けながら執務に追われていた。そんなある日、書類に彼女の名前を発見し、居ても立っても居られなくなる。 ――死んだはずの彼女が、生きている? 同姓同名かもしれないが確かめずにいられなくなった彼は地方巡察を決行。そこで、彼によく似た幼子とともに彼女と再会、地方官吏として働く瑤華と、珠児(しゅじ)を見て、皇帝は決意する――もう二度と、逃がさないと。 「今さら、逃げ道があると思うなよ」 瑤華を玄耀は責めずに、待ちの姿勢で包み込み、囲い込んでいく。 秘された皇子と、選び直した愛。 三人で食卓を囲む幸福が、国をも動かすことになるなんて――?    * * * 後宮から逃げ出して身を引いたのに、皇帝の溺愛は止まらない――これはそんな、中華風異世界ロマンス。

美人同僚のおまけとして異世界召喚された私、無能扱いされ王城から追い出される。私の才能を見出してくれた辺境伯様と一緒に田舎でのんびりスローライ

さら
恋愛
美人な同僚の“おまけ”として異世界に召喚された私。けれど、無能だと笑われ王城から追い出されてしまう――。 絶望していた私を拾ってくれたのは、冷徹と噂される辺境伯様でした。 荒れ果てた村で彼の隣に立ちながら、料理を作り、子供たちに針仕事を教え、少しずつ居場所を見つけていく私。 優しい言葉をかけてくれる領民たち、そして、時折見せる辺境伯様の微笑みに、胸がときめいていく……。 華やかな王都で「無能」と追放された女が、辺境で自分の価値を見つけ、誰よりも大切に愛される――。

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

処理中です...