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第4巻
第1話 王都の夜の声
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―月の光は、どの世界にも届く――**
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第四巻について
ヴァルド王国の王都。古い街並みの地下一階。
「LUNA」の看板を掲げた小さなバーで、ルーカスは再び深夜の仕事を始めた。
異世界の酒。異世界の客。異世界の渇望。
でも夜の底で人が抱えるものは、どこでも同じだった。
そして、遠い東京の夜のことを、ルーカスはまだ考えている。
六月。ヴァルド王国、王都アルヴェン。
バーを開けて、三週間が経った。
最初の一週間は、誰も来なかった。
深夜に地下で灯りをともしている店など、この街にはなかった。知られていないのは当然だった。
二週間目に、酔い潰れた男が迷い込んできた。話を聞いたが、蜂蜜酒を一杯飲んで眠ってしまった。翌朝になって謝りながら帰っていった。
三週間目の今夜、初めて「目的を持って」来た客がある。
「あの、ここが……夜の底の酒場、ですか」
ドアを開けたのは、二十代前半の女性だった。
亜麻色の髪。藍色のマントを羽織っている。手に魔法書らしき厚い本を抱えている。魔法学院の学生か、あるいは学者の卵か。
「夜の底の酒場、という名前ではないですが」
「でも、月の看板がある地下の店で、深夜に開いているのはここだけで……ユーリという騎士に教えてもらいました」
最初の夜の騎士——ユーリがすでに話を広めてくれたらしかった。
「どうぞ、入ってください」
女性——名前はアメリアといった——は恐る恐る入ってきて、カウンターの椅子に座った。
「何を飲みますか」
「あの……私、お酒はあまり飲めなくて」
「ノンアルコールのものも作れますよ」
アメリアはほっとした顔をした。
「では、そちらで」
渇望を見た。
——答えを見つけたい。でも、一人では見つけられない。
「何か、行き詰まっていることがありますか」
アメリアは目を少し見開いた。
「……どうして分かるんですか」
「目が、そういう目をしていたので」
「魔法ですか」
「そんな感じのものです」
ルーカスはハーブのモクテルを作った。この世界の薬草——ルーカスが東京で使っていたハーブとは種類が違うが、役割は近い。落ち着かせる香り、脳の疲れをほぐす緑の味。
「これは、うちの畑で採ってきた薬草で作ったものです。眠れない夜や、考えすぎた夜に合う」
アメリアは受け取って、一口飲んだ。
「……草の匂い。でも、嫌じゃない」
「良かった」
「魔法の研究をしています。転移魔法の理論を専攻していて」
転移魔法。
ルーカスは少し手が止まったが、顔には出さなかった。
「どういう研究ですか」
「異なる空間の間に、扉を開ける理論です。今の魔法では、同じ世界の中での転移しかできない。でも理論上は、別の世界との間にも……」
「それが、行き詰まっている部分ですか」
「そうです。理論は正しいはずなのに、計算がどこかで崩れる。三ヶ月、同じ壁の前にいます」
ルーカスはグラスを磨きながら、アメリアの言葉を聞いた。
——転移魔法の研究者。
東京のファビアンと、同じ方向を向いている人間が、この世界にもいた。
「詳しくは分かりませんが、一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「壁の前で三ヶ月。その間、研究以外のことを考えましたか」
「……ほとんど考えていないです」
「それが、壁の原因かもしれない」
「どういう意味ですか」
「考えすぎると、思考が自分の論理の中で閉じてしまう。外から空気を入れると、閉じた論理に隙間ができることがある」
アメリアはグラスを持ったまま、少し考えた。
「……空気を入れる」
「今夜ここに来たのも、そういうことかもしれない」
「ここに来て、空気が入りますか」
「少しは。人の話を聞くと、自分の中に新しい視点が入ることがある」
「ルーカスさんは、研究はしないんですか」
「私は、人を観察するのが研究のようなものです」
「それは面白い研究ですね」
「そうかもしれない」
アメリアは二杯目のモクテルを飲みながら、少し表情が緩んだ。
「明日、また計算をやり直してみます」
「うまくいくといいですね」
「また来てもいいですか」
「もちろんです。詰まったらいつでも」
アメリアが帰った後、ルーカスはカウンターを拭きながら思った。
転移魔法。
ファビアンが東京で研究していたことと、アメリアがこの世界で研究していること。
二つが、どこかで繋がっている気がした。
まだ、その線は見えない。
でも——線がある、という感覚があった。
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第四巻について
ヴァルド王国の王都。古い街並みの地下一階。
「LUNA」の看板を掲げた小さなバーで、ルーカスは再び深夜の仕事を始めた。
異世界の酒。異世界の客。異世界の渇望。
でも夜の底で人が抱えるものは、どこでも同じだった。
そして、遠い東京の夜のことを、ルーカスはまだ考えている。
六月。ヴァルド王国、王都アルヴェン。
バーを開けて、三週間が経った。
最初の一週間は、誰も来なかった。
深夜に地下で灯りをともしている店など、この街にはなかった。知られていないのは当然だった。
二週間目に、酔い潰れた男が迷い込んできた。話を聞いたが、蜂蜜酒を一杯飲んで眠ってしまった。翌朝になって謝りながら帰っていった。
三週間目の今夜、初めて「目的を持って」来た客がある。
「あの、ここが……夜の底の酒場、ですか」
ドアを開けたのは、二十代前半の女性だった。
亜麻色の髪。藍色のマントを羽織っている。手に魔法書らしき厚い本を抱えている。魔法学院の学生か、あるいは学者の卵か。
「夜の底の酒場、という名前ではないですが」
「でも、月の看板がある地下の店で、深夜に開いているのはここだけで……ユーリという騎士に教えてもらいました」
最初の夜の騎士——ユーリがすでに話を広めてくれたらしかった。
「どうぞ、入ってください」
女性——名前はアメリアといった——は恐る恐る入ってきて、カウンターの椅子に座った。
「何を飲みますか」
「あの……私、お酒はあまり飲めなくて」
「ノンアルコールのものも作れますよ」
アメリアはほっとした顔をした。
「では、そちらで」
渇望を見た。
——答えを見つけたい。でも、一人では見つけられない。
「何か、行き詰まっていることがありますか」
アメリアは目を少し見開いた。
「……どうして分かるんですか」
「目が、そういう目をしていたので」
「魔法ですか」
「そんな感じのものです」
ルーカスはハーブのモクテルを作った。この世界の薬草——ルーカスが東京で使っていたハーブとは種類が違うが、役割は近い。落ち着かせる香り、脳の疲れをほぐす緑の味。
「これは、うちの畑で採ってきた薬草で作ったものです。眠れない夜や、考えすぎた夜に合う」
アメリアは受け取って、一口飲んだ。
「……草の匂い。でも、嫌じゃない」
「良かった」
「魔法の研究をしています。転移魔法の理論を専攻していて」
転移魔法。
ルーカスは少し手が止まったが、顔には出さなかった。
「どういう研究ですか」
「異なる空間の間に、扉を開ける理論です。今の魔法では、同じ世界の中での転移しかできない。でも理論上は、別の世界との間にも……」
「それが、行き詰まっている部分ですか」
「そうです。理論は正しいはずなのに、計算がどこかで崩れる。三ヶ月、同じ壁の前にいます」
ルーカスはグラスを磨きながら、アメリアの言葉を聞いた。
——転移魔法の研究者。
東京のファビアンと、同じ方向を向いている人間が、この世界にもいた。
「詳しくは分かりませんが、一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「壁の前で三ヶ月。その間、研究以外のことを考えましたか」
「……ほとんど考えていないです」
「それが、壁の原因かもしれない」
「どういう意味ですか」
「考えすぎると、思考が自分の論理の中で閉じてしまう。外から空気を入れると、閉じた論理に隙間ができることがある」
アメリアはグラスを持ったまま、少し考えた。
「……空気を入れる」
「今夜ここに来たのも、そういうことかもしれない」
「ここに来て、空気が入りますか」
「少しは。人の話を聞くと、自分の中に新しい視点が入ることがある」
「ルーカスさんは、研究はしないんですか」
「私は、人を観察するのが研究のようなものです」
「それは面白い研究ですね」
「そうかもしれない」
アメリアは二杯目のモクテルを飲みながら、少し表情が緩んだ。
「明日、また計算をやり直してみます」
「うまくいくといいですね」
「また来てもいいですか」
「もちろんです。詰まったらいつでも」
アメリアが帰った後、ルーカスはカウンターを拭きながら思った。
転移魔法。
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二つが、どこかで繋がっている気がした。
まだ、その線は見えない。
でも——線がある、という感覚があった。
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