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第二章「最初の試練」
第四節 ガルドの話
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夕方、三人で食堂に入った。
木の椅子と机が並ぶ、質素な店だ。看板がなければ何の店か分からないような、普通の民家を改装したような造りだ。扉を押すと、鍋の煮える匂いと、人の話し声の残滓が混ざった空気が来た。昼間は少なかった客が、日が落ちると増えてくる。農作業や仕事を終えた村人が集まってきて、少し賑やかになる。
カウンターの奥で太った女性が鍋をかき混ぜていた。真たちが入ると、「どこでも好きな席に」と言った。愛想はないが拒絶でもない、長年商売をしてきた人間の応対だ。
料理は肉のスープと黒パン、焼いた根菜が中心だ。スープが運ばれてきた。深い茶色で、表面に油が浮いている。一口飲むと、肉の出汁が濃かった。何かの香草が一緒に煮込んであって、後味に少し草の香りが残る。悪くない。しかし真には、もう少し塩が足りない気がした。塩を足せばまとまる味だ、と思いながら飲んだ。
「ガルドさんはなぜ一緒に来てくれるんだ」と真は食べながら聞いた。「見ず知らずの相手なのに」
ガルドはスープを一口飲んでから答えた。「見ず知らず、は確かだ。ただ、理由はある」
少し間があった。
ガルドがスープの椀を置き、テーブルの上に両腕をついた。何かを話すときの構えだ、と真は見て分かった。
「俺には昔、息子がいた」とガルドは言った。「戦場で死んだ。俺がそばにいなかったとき。傭兵の仕事で別の場所にいた。息子が戦場に出たことも知らなかった。知らせが来てから、もう何もできなかった」
「そうか」と真は言った。
「あいつが今も生きていたら、ちょうどお前さんくらいの年になる」
真はスープの椀を見た。何を言えばいいか分からなかった。慰めるべきか、共感を示すべきか、それとも何も言わない方がいいか。コンビニで客に声をかけるときの言葉は全部手順があったが、こういう場面に手順はない。
「それだけだ」とガルドは続けた。「感傷というやつかもしれない。お前さんに息子の面影を見ているわけでもない。ただ、見捨てておけない、という感覚がある。説明しにくいが、そういうことだ」
「邪魔に思ったら言えばいい。いなくなる」
「邪魔じゃない」と真は言った。「一緒に来てくれるとありがたい。何も分からないんで」
ガルドが短く笑った。皺の深い顔が、笑うとまた別の顔になる。感情が豊かな顔だ、と真は思った。「正直なやつだな」
「余計なことを言っても仕方ないので」
「余計なことを言わないのは、確かに利口だ」とガルドは言い、パンを千切った。「ただし、余計なことを言わないのと、本当のことを言えないのは違う。お前さんは言えているから、利口だということだ」
「買いかぶりすぎかもしれません」
「まあ、続けてみれば分かる」
ユナがパンを齧りながら言った。「神聖国の文献に、銀髪紫眼の幼い娘が神の使いとして記録されているという話を聞いたことがある」
食堂の空気が少し変わった気がした。
話の流れと脈絡がない発言だった。ガルドとの会話の途中に、突然挟んできた言葉だ。ユナが何かを考えながら食べていて、その考えが言葉になって出てきた感じがあった。
「それが何か」と真は聞いた。
「何でもない」とユナは言い、パンをまた齧った。「聞いたことがあるというだけ」
ガルドが真に目配せした。何かを言うな、という合図に見えた。あるいは、後で話す、という合図だったかもしれない。
真は何も言わなかった。ユナが自分から話す気がないなら、今は聞かない方がいいと判断した。しかし銀髪紫眼という言葉が頭に残った。ユナの髪は銀色で、目は紫色だ。ユナ自身のことだ、と気づくのに時間はかからなかった。
なぜ今その話をしたのか。自分から話を振っておいて、何でもないで終わらせた理由が何なのか。真には分からなかった。しかし今夜はそれでいいと思った。
「明日、次の依頼を受けるか」とガルドが話を変えた。「ランクを上げておいた方がいい。依頼の種類が増える。報酬も上がる」
「そうしよう」と真は言った。「あとは、この世界の食材をもっと把握したい。料理を作るなら何が使えるか知りたい」
「料理は得意なのか」
「一通りは作れる。日本の食材と全然違うかもしれないが、素材さえ分かれば応用できると思う」
「ここの食材は体に良く効く」とガルドは言った。「魔素が含まれているからだ。この世界の空気にも水にも食べ物にも魔素が満ちていて、転移者はその魔素を取り込むことで体が変わっていく」
「どんなふうに変わる」
「体が頑丈になる。傷が早く治る。感覚が鋭くなる。今朝、俺がお前さんより先に男たちの接近に気づいたのも、長くこの世界にいることで感覚が変わったからでもある」
「長くいればいるほど変化が大きくなるのか」
「そうだ。ただし転移者は変化が速い、という話もある。この世界の空気が既に転移者の体に働きかけている感じがある。世界が変化を求めて引き寄せた存在には、それなりの準備が施されている、というような考え方だ」
「世界が俺を引き寄せた」
「そういう考え方があるということだ。確かかどうかは俺には分からない。ただ、転移者はみな来た直後から急速に変わる。お前さんも来て二日で、今朝の動きは昨日よりよかった。気づいているか」
「少し気づいていた。動き始めが早くなっている感じがある」
「それが魔素の影響だ」
真は手の甲を見た。コンビニ時代の蛍光灯の下で過ごした青白い肌より、少し引き締まった感じがする。気のせいかもしれない。しかし気のせいでもないかもしれなかった。二日でこれだとしたら、一か月後はどうなっているのか。半年後は。
この世界に長くいれば、自分がどう変わっていくのかが、少し楽しみになってきていた。
木の椅子と机が並ぶ、質素な店だ。看板がなければ何の店か分からないような、普通の民家を改装したような造りだ。扉を押すと、鍋の煮える匂いと、人の話し声の残滓が混ざった空気が来た。昼間は少なかった客が、日が落ちると増えてくる。農作業や仕事を終えた村人が集まってきて、少し賑やかになる。
カウンターの奥で太った女性が鍋をかき混ぜていた。真たちが入ると、「どこでも好きな席に」と言った。愛想はないが拒絶でもない、長年商売をしてきた人間の応対だ。
料理は肉のスープと黒パン、焼いた根菜が中心だ。スープが運ばれてきた。深い茶色で、表面に油が浮いている。一口飲むと、肉の出汁が濃かった。何かの香草が一緒に煮込んであって、後味に少し草の香りが残る。悪くない。しかし真には、もう少し塩が足りない気がした。塩を足せばまとまる味だ、と思いながら飲んだ。
「ガルドさんはなぜ一緒に来てくれるんだ」と真は食べながら聞いた。「見ず知らずの相手なのに」
ガルドはスープを一口飲んでから答えた。「見ず知らず、は確かだ。ただ、理由はある」
少し間があった。
ガルドがスープの椀を置き、テーブルの上に両腕をついた。何かを話すときの構えだ、と真は見て分かった。
「俺には昔、息子がいた」とガルドは言った。「戦場で死んだ。俺がそばにいなかったとき。傭兵の仕事で別の場所にいた。息子が戦場に出たことも知らなかった。知らせが来てから、もう何もできなかった」
「そうか」と真は言った。
「あいつが今も生きていたら、ちょうどお前さんくらいの年になる」
真はスープの椀を見た。何を言えばいいか分からなかった。慰めるべきか、共感を示すべきか、それとも何も言わない方がいいか。コンビニで客に声をかけるときの言葉は全部手順があったが、こういう場面に手順はない。
「それだけだ」とガルドは続けた。「感傷というやつかもしれない。お前さんに息子の面影を見ているわけでもない。ただ、見捨てておけない、という感覚がある。説明しにくいが、そういうことだ」
「邪魔に思ったら言えばいい。いなくなる」
「邪魔じゃない」と真は言った。「一緒に来てくれるとありがたい。何も分からないんで」
ガルドが短く笑った。皺の深い顔が、笑うとまた別の顔になる。感情が豊かな顔だ、と真は思った。「正直なやつだな」
「余計なことを言っても仕方ないので」
「余計なことを言わないのは、確かに利口だ」とガルドは言い、パンを千切った。「ただし、余計なことを言わないのと、本当のことを言えないのは違う。お前さんは言えているから、利口だということだ」
「買いかぶりすぎかもしれません」
「まあ、続けてみれば分かる」
ユナがパンを齧りながら言った。「神聖国の文献に、銀髪紫眼の幼い娘が神の使いとして記録されているという話を聞いたことがある」
食堂の空気が少し変わった気がした。
話の流れと脈絡がない発言だった。ガルドとの会話の途中に、突然挟んできた言葉だ。ユナが何かを考えながら食べていて、その考えが言葉になって出てきた感じがあった。
「それが何か」と真は聞いた。
「何でもない」とユナは言い、パンをまた齧った。「聞いたことがあるというだけ」
ガルドが真に目配せした。何かを言うな、という合図に見えた。あるいは、後で話す、という合図だったかもしれない。
真は何も言わなかった。ユナが自分から話す気がないなら、今は聞かない方がいいと判断した。しかし銀髪紫眼という言葉が頭に残った。ユナの髪は銀色で、目は紫色だ。ユナ自身のことだ、と気づくのに時間はかからなかった。
なぜ今その話をしたのか。自分から話を振っておいて、何でもないで終わらせた理由が何なのか。真には分からなかった。しかし今夜はそれでいいと思った。
「明日、次の依頼を受けるか」とガルドが話を変えた。「ランクを上げておいた方がいい。依頼の種類が増える。報酬も上がる」
「そうしよう」と真は言った。「あとは、この世界の食材をもっと把握したい。料理を作るなら何が使えるか知りたい」
「料理は得意なのか」
「一通りは作れる。日本の食材と全然違うかもしれないが、素材さえ分かれば応用できると思う」
「ここの食材は体に良く効く」とガルドは言った。「魔素が含まれているからだ。この世界の空気にも水にも食べ物にも魔素が満ちていて、転移者はその魔素を取り込むことで体が変わっていく」
「どんなふうに変わる」
「体が頑丈になる。傷が早く治る。感覚が鋭くなる。今朝、俺がお前さんより先に男たちの接近に気づいたのも、長くこの世界にいることで感覚が変わったからでもある」
「長くいればいるほど変化が大きくなるのか」
「そうだ。ただし転移者は変化が速い、という話もある。この世界の空気が既に転移者の体に働きかけている感じがある。世界が変化を求めて引き寄せた存在には、それなりの準備が施されている、というような考え方だ」
「世界が俺を引き寄せた」
「そういう考え方があるということだ。確かかどうかは俺には分からない。ただ、転移者はみな来た直後から急速に変わる。お前さんも来て二日で、今朝の動きは昨日よりよかった。気づいているか」
「少し気づいていた。動き始めが早くなっている感じがある」
「それが魔素の影響だ」
真は手の甲を見た。コンビニ時代の蛍光灯の下で過ごした青白い肌より、少し引き締まった感じがする。気のせいかもしれない。しかし気のせいでもないかもしれなかった。二日でこれだとしたら、一か月後はどうなっているのか。半年後は。
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