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第三章 「高校二年生」
第3話 発情期
しおりを挟む――――深い深い性欲に苛まれる。
佑月はエアコンの効いた自室で布団にくるまり、それを耐えていた。
発情期はあと一カ月くらいは先の予定だったのに、どうやら周期が狂ったらしい。
(もしかして、一昨日、夏原に会ったからかなぁ……)
ぼんやりとした頭で考える。
もともと佑月の発情期は周期が安定しない傾向にあるが、今回は別の要因が関わっているような気がしてならなかった。
際限なくあふれてくる性欲をギリギリまで耐えて、我慢できなくなったら発散する。
症状が落ち着くまではその繰り返しだ。
空腹を感じたら手軽に食べられる菓子パンや水などを口にして、眠くなってきたら眠気に抗わず睡眠をとる。
誰かを頼るわけにもいかないので、発情期がきたら可能な限り症状をコントロールして数日間をやり過ごす。
最初から本能のままに自慰に耽るとすぐに身体がつらくなるとわかってからは、衝動にブレーキをかけることを学んだ。抑制剤を服用し、できるかぎり理性を繋ぎ留めるのだ。
発情期にも個人差があるというけれど、佑月の場合は、抑制剤を服用しながら対応すれば一人でなんとかできる。
部屋に籠って自慰に耽ることにはなるものの、入院したり、アルファを頼らなくてはいられないほど症状が重いわけでもなかった。
それに身体は夏原を番と認識しているから、意図せずオメガフェロモンが漏れてしまったり、外でヒート状態に陥ったとしても周囲に影響を及ぼすこともない。
夏原以外のアルファ性には佑月のオメガフェロモンはほとんど効果がないので、出先で発情しても無事に帰宅できることだけは救いだった。
――でもそれは、「つらくない」という意味ではない。
佑月だって発情期はやっぱりつらい。
数カ月に一度この身体に訪れるオメガ特有の現象は、いくら慣れたとしても好きになれる部類のものではないのだ。
ピロン、とメッセージアプリの通知音が聞こえた気がして、佑月は布団の中から顔を出した。
のろのろと手を伸ばしてスマホを確認すると、恋人からメッセージが届いていた。
『学校休んだってきいたよ。大丈夫?』
自然と口元が緩んでいた。恋人――ヤマトが心配してくれている。
嬉しさが込み上げてきて、佑月は一度スマホを抱きしめてから、即座に返信した。
『大丈夫。ありがと。大好き』
『もしかして発情期?』
『うん、そう。家にこもってるよ』
『家に行こうか? 一人じゃつらいもんなんだろ?』
ぽんぽんとリズム良くやり取りしていたけれど、思いがけず指先が止まった。
ヤマトは同じ清華学園に通っているベータ性の男だ。学年は一つ上。彼はアルファではないけれど、オメガの発情期というものに興味があるらしかった。
『ありがと。でも大丈夫だよ、一人で耐えれるから』
発情期を一緒に過ごしたい、とヤマトに言われたこともある。
――恋人の申し出はとても嬉しかったが、それを受け入れるという選択肢は、今はまだ佑月の中には存在しなかった。
本当は恋人を頼りたい。頼ってみたい。しかしきっとその先にあるものは佑月にとっての悪夢に違いない。
真実なんて言えっこない。ヤマトはセックスに興味があるらしいから、もしかしたらこの交際は長続きしないかもしれない。
……セックスのできない恋人に、ヤマトはどれほどの価値を置いてくれるだろう。
ただでさえ、セックスの誘いを毎回断ることしかできなくて、心苦しく思っているのだ。
本心では発情期を恋人と過ごすことに憧れてもいる。発情期じゃなくてもいいから、誰かの体温をもっとそばに感じたいと願うことは多々あって。
『なあ、佑月はさ。おれがアルファじゃないから頼ってくれないの?』
『ちがうよ。本当はヤマトに頼りたいけど、まだ高校生だし』
『佑月ってそういうとこだけ真面目になるよね。……もしかして、ほかに好きな人とかいる?』
画面に浮かんだ文字列に視線を落とし、佑月は唇を噛みしめた。
ため息が漏れてしまう。
発情の熱にやられている頭がぐらぐらしてくる。この流れで放置するわけにもいかないので、気力で文字を打っていく。
『いないよ。ヤマトだけが大好き。でも母さんがそういうの厳しくて。僕も一緒に発情期を過ごせたらって、本当はいつも思ってる』
『そか。……疑ってごめん、なんだか不安で。力になれることがあったら言ってよ。早く発情期終わるといいね』
連絡をもらえた時は嬉しかったのに、やり取り終了の気配にほっとしてしまった。
スマホを放り出して、布団の上に寝転がる。
目をつむると、オメガの衝動がふつふつと沸いてきて、つまらない思考が塗りつぶされていった。
一度精を吐き出して、多少すっきりとした頭でまた布団に寝転がった。
ぼんやりと思案する。
不安定な発情周期。症状が軽いからまだ良いけれど、誰にも頼ることができないのはやっぱりつらかった。
あと何年、一人で耐え続けなければいけないのだろう。……この治療はいつ終わるのか。
「はぁ……」
遮光カーテンの隙間から日差しが漏れていた。薄暗い室内。湿気った布団に深く沈む。
もしも、このうなじに噛み痕がなかったら。
あの時、せめてこの首筋を守れていたなら、今頃自分はどんな人生を送っていたのだろう。
きっと今とは比べ物にならないくらいキラキラした青春があったはず。
例えモデルとしては上手くいかなくても、きっともっと自由に恋愛を謳歌することはできていたはず。
(僕も……この身体で愛を知りたいよ)
早く誰かと熱を分けあう発情期を経験してみたかった。――そう、りくみたいに。
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