ミッドナイトフレーバー

香夜みなと

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03.

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 23時50分。バー『シエスタ』の閉店時間は午前1時だが、私は終電が終わる前に帰っていいと言われていて、カウンターの奥で帰り支度をしていた。結局葉山さんはあのあとも強いお酒を頼んで、多少呂律が回らなくなりながらも、つい十分前ぐらいに店を後に下。足取りはしっかりしていたから恐らく大丈夫だろう。
「それよりも月曜日からどういう風に接すればいいのやら……」
 エプロンを片づけながらはぁとため息をつく。
「彩乃ちゃん、そろそろ出ないと電車……って何、そのくらい顔」
 驚いた表情のマスターを見てそんなに暗い顔をしていたかと鏡を見る。一週間働いたOLの顔なんてこんなものかと思い作り笑顔を浮かべる。
「いえ、それじゃお先に失礼します」
「今日も急にありがとね。少ないけど」
「いえ! こちらこそこんなにいただいてしまって……」
「いいのよ。ヒロくんの分だと思ってもらっといて」
 そういえば今日はヒロくんのピンチヒッターで来たことを思い出した。悪い子じゃないんだけどな、と思いながら働いた正当な賃金と思えば頂かないのも失礼だ。
「じゃあ、遠慮無くいただきますね」
「遅くまでありがと。気をつけて帰ってね」
「はい、それじゃあまた」
 コートを着て馴染みのお客さんに挨拶をしながら店内を抜ける。扉を開けて抜ければ外は木枯らしが吹き冷たい風が頬をなでつけた。飲み屋街から少し離れたここは家の灯りも消え始めて少しだけ心細さがこみあげてくる。でも真夜中の冷たい匂いは不思議と嫌いにはなれなかった。
「さむっ……。帰りにコンビニで肉まんでも買おうかなぁ」
 時計を確認しながら駅へ向かおうと足を踏みだすと、不意に腕を引かれた。倒れると思った瞬間、背中にぽすんと大きな何かが支えてくれて体勢を直す。
「えっ……」
 見上げると手を引いてきたのはさっき店を出たはずの葉山さんで、その表情はどこか怒っているようにも見える。
「は、葉山、さん?」
「やっぱり。笹村、お前だったか」
 その言葉にはっと口元を手で押さえたがもう遅い。ただの店員だったら葉山さんの名前を知っているはずはない。それなのに自ら葉山さんの知り合いであると明言してしまったようなものだ。
「あ、の。これはですね、色々事情があって……」
「いい。話は後で聞くからとりあえず着いてこい」
 なんで最後まで他人のフリが出来なかったのだろうと考えても遅い。ここで逃げたとしても遅かれ早かれ葉山さんに問い詰められてしまう。仕事を早く終わらせたいのと同じで、面倒ごとは早く片づけてしまった方が良い。そう思い抵抗することなく葉山さんに従うのだった。
葉山さんに連れられるがままタクシーに乗せられ、ついたのは高級マンションの一画だった。こんなところに住んでいるのかと驚いていると会計を終えた葉山さんに連れられてマンションの一室へと入っていく。
「あの……」
 玄関で部屋へあがることに躊躇していると、ふいに腰を引かれた。
「このままベッドに連れていって欲しいのか?」
「っ、じ、自分で歩けますから!」
 耳元で囁かれて思わず顔が赤くなってしまう。というよりなんでそんな話しになってしまっているのは分からない。私は話をしにきただけで、葉山さんとそんなことをしにきたわけではない。わけではない、のに。
(本当に部屋に入ってしまっていいの?)
 心の中でそう自分に問いかけた。男性の部屋に入ることがどういうことかわからないワケじゃない。
「何してるんだ。早く来いよ」
「は、はいっ!」
 そんなことを考えさせてくれる余裕もなく葉山さんの声に誘われるままに部屋に上がった。
 2LDKのマンションの室内は思っていたよりも物が少なかった。リビングには大きなテレビ、ソファ、ローテーブルにゲーム機が何台か置いてある。中層階らしく部屋から見える夜景はキレイだ。
「とりあえず適当に座って。コーヒーでいい?」
「あ、私やりましょうか? 葉山さん、結構お酒飲まれてましたし」
「……じゃあ頼む」
 コーヒーとカップのある場所だけ確認すると他人の家ながら勝手に作業を始める。男性にしては使い込まれたシステムキッチン。調味料は私の家よりも多いかもなんて思っているとヤカンがぴーっと鳴った。インスタントコーヒーを入れるとそのままリビングのテーブルへ持っていく。
「葉山さんはブラックで良かったですよね」
「あぁ。っと、お前もブラックだったか」
「はい。お菓子食べる時はいつもブラックです」
「……そういやお前、いつも上手そうに菓子食ってるよなぁ」
 ネクタイを緩めてソファにだらりと座った葉山さんは会社で見る葉山さんよりだらしない。すこしよれってシャツもくしゃくしゃになった髪の毛も、いつも外回りをしている葉山さんからは想像もつかない。持っているカップのコーヒーを冷ましながら口をつけると隣にいた葉山さんがしゅるりとネクタイを解いた。
「うちの会社、副業ダメだったよな」
 ついに本題が来たか、と私はローテーブルにカップを置いた。
「しかも金曜日の夜に定時上がりでさらに仕事とは熱心なことだな」
「あの、葉山さん……」
「歓楽街のバーで? まぁ普通の店だったけど何が起こってもおかしくないよな?」
 じりじりと葉山さんにつめよられて逃げ場がなくなってしまった。短すぎず長すぎない髪の毛が少しだけ乱れている。端正な顔が近づいてきて、上手く言葉を紡げない。
「は、葉山さん、私の話も……」
「聞かない」
 ふいに肩を抱き寄せられてアルコールの香りが鼻孔を掠めた。そう思った瞬間、唇が重なった。口の中に苦いコーヒーの香りが広がり、息をすることも忘れてしまう。
「はっ、……」
「副業のこと黙っててやる」
 酸素を必死で吸い込み抵抗しようとした。けれどいくら胸元を押し返しても葉山さんはびくともしなかった。
「だから、今は流されておけよ」
「んっ……」
 今度は噛み付くような口づけに、反論などする余地は残されていなかった。流されておけという言葉通りに私は抵抗することをやめて葉山さんに身を任せた。
「そうだ。そのまま俺に任せればいい」
「は、やまさ……」
 優しく頭を撫でられるとそれ以上の思考は停止してしまった。

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