28 / 54
第三章 二つの傷
7
しおりを挟む
中根を見るなり俺はすぐに皿を置いて手を拭き、彼女の背中を押して二人で玄関の外に出た。
「ひどぉ~い。あたしせっかく来たのにぃ~」
「冗談じゃない。一体どういうつもりだ?」
言うと、中根の顔が豹変した。
「紗彩、他の女が居たらキレるって言ったよね?」
「妹はノーカンだろ」
「でも義理でしょ?」
おかしい。こいつは一体なんだ?ひょっとして中根のファンがカメラを持っていて、そこの陰から「ドッキリでした~」なんて言いながら出てくるのか?
「だったらなんだよ。そうだからってなんで俺はキレられなきゃいけないんだ?」
「別に、なんで紗彩がキレる理由をいちいち説明しなきゃいけない訳?」
質問に質問で返すなよ。
「それは知る権利があるだろ。第一そうしないと解決もしてやれない」
聞いて、中根は俯くと「……そうやって」と呟いた。
「なあ、何か悪い事したなら謝るから頼むよ。教えてくれ」
「謝るって、謝ってどうにかなる話なら紗彩だってキレないっつーの!」
中根が拳を振り上げる。喰らった方がいいだろうか。刹那の思考の中、不意に玄関の扉が開いた。
「……とりあえず中で話したらどうでしょうか?」
笑っている。恐ろしい笑顔だ。まともに見れないが夢子……本当に夢子なのか?自信がない。
「そうですね。あたしも入れて欲しいですぅ~」
サファリパークに素っ裸でに体に生肉を張り付けて丸腰で歩き回るようなもんだ。誰か助けてくれ。
……とりあえず、どちらとも目線を合わせないようにして、ケトルで湯を沸かす。
「紗彩紅茶」
「私も」
ひぇ。頼むから喋らないでくれ。やっぱ喋ってくれ、沈黙に耐えられない。
一体どういうつもりなのだろうか。中根は部屋に別の女を入れたからキレている、でひと先ずいいとして、夢子までキレているのはどういうことなんだ?
あぁ、このままお湯が一生沸かなければいいのに。
しかし、無常にもその時は来てしまった。カチッ、というあっという間の音が俺には酷く苦しい。紅茶のカップは俺と夢子の分しかない。中根には俺のモノを使ってもらおう。
二人分の紅茶を入れて、カップをソーサーに乗せ(普段はそんなことはしない)て二人の前に運んだ。
「そのカップ、お兄ちゃんのでしょ?」
「そうです」
「なんで?」
なんでって。もう俺が何してもムカつくのでは?
中根は何も言わずそれに口をつけた。もちろん感想などない。
「座りなよ」
「座れば?」
俺が突っ立っているのを二人が同時に制した。俺は黙って正座になった。
人は例え自分が何も悪い事をしていなくても、恐ろしいと自然に畏まったり謝ったりしてしまうものなんだな。出来れば昔の俺には、こんなことを知ってほしくないと思う。
いや、きっと何かしたんだ。そうでなくてはこうはならない。神様……。
時計の針の音が聞こえる。この手汗の正体はなんだ?そしてこの人たちはどうして互いにスマホを弄っているんだ?
このままでは埒が明かない。恐ろしいけど、一歩踏み出さなければ。
「あの、お二人はどういったご用件で、お気を害されていらっしゃるのでしょうか?」
下を向いたまま訊く。
「勘違いしてるよ。私は別に怒ってない」
「紗彩も別に」
これ知ってる。女の腹の探り合いだ。
いつだったか、俺は二人が仲良くならないだろうな、と考えたのを思い出した。……というより、別の事を考えて目の前の事から逃げた。
落ち着け。ここで俺が慌てるわけにはいかない。どうにかしないと。
「まずは互いに自己紹介から始めるのがいいと思うんです」
沈黙。少し後、ちゃぶ台の上にスマホが置かれる音がした。
「中根紗彩。文也の主人」
意外にも、先手を打ったのは中根だった。
「待て待て。主従関係を結んだつもりはない」
やった事と言えば講義の代返くらいだ。
「お兄ちゃん、そういうのが好きなの?」
その顔を見ると、引いているというよりは若干悲しそうに見えた。違う。お兄ちゃんそんなことない。
「まあ文也は紗彩の言うこと何でも聞いてくれるし」
「私の言うことだって聞いてくれるよ、ね?」
言葉にならない。俺はため息を吐いて二人の顔を見た。
「あのさ、いい加減にしようや。このままじゃ一生終わらないだろ」
姿勢を胡坐に変えて俺は言った。もう開き直るしかない。
「中根、スマホいじりに来たわけじゃないだろ?ここお前んちから結構遠いぞ」
そういうと、観念したのかようやくまともなことを言った。
「そんなマジにならないでよ。文也が妹と同棲してるっていうから、ちょっとからかいにきただけ。思ったより面白い反応するから調子乗っちゃったの。……悪かった」
弱気を見せた俺のせいということなのだろうか。続いて夢子に向き直る。
「夢子、なんでキレてたんだ?」
そういうと、彼女は膝を抱いてそっぽを向いてしまった。こうなってしまってはもう喋らない。これ以上問詰めるようなことは出来ない。
「……そういうことだ。中根、悪いけど今日は帰ってくれ。夢子のことはまたそのうち紹介する」
「わかった」
「駅まで送るよ」
立ち上がって中根を外へ誘う。一瞬、中根が夢子の事を見た。俺にはそれが、まるで人が持っているおもちゃを羨む子供のように見えた。
……少し冷える。片田舎らしく虫の声が町に響いている。どこかしおらしい中根を見て、今度は申し訳なさが込み上げてしまった。
「俺のせいか?」
そう訊くしかなかった。
「……そう。文也のせい」
だがそれは、謝ってどうにかならないこと。だから、俺は初めて謝らなかった。その代わりに、何を言うべきか考えていると、再び中根が口を開いた。
「優しくするとさ、向こうから勝手に惚れてくれるから楽でいいよね」
……。
「じゃあね。バーベキュー、楽しみにしてる」
そういうと、中根は手を振って駅の中へ吸い込まれていった。いつの間にか、ここまで来ていたようだ。
もしやり直せるとして、俺は別のやり方を思いつくだろうか。とても、そうは思えなかった。
「ひどぉ~い。あたしせっかく来たのにぃ~」
「冗談じゃない。一体どういうつもりだ?」
言うと、中根の顔が豹変した。
「紗彩、他の女が居たらキレるって言ったよね?」
「妹はノーカンだろ」
「でも義理でしょ?」
おかしい。こいつは一体なんだ?ひょっとして中根のファンがカメラを持っていて、そこの陰から「ドッキリでした~」なんて言いながら出てくるのか?
「だったらなんだよ。そうだからってなんで俺はキレられなきゃいけないんだ?」
「別に、なんで紗彩がキレる理由をいちいち説明しなきゃいけない訳?」
質問に質問で返すなよ。
「それは知る権利があるだろ。第一そうしないと解決もしてやれない」
聞いて、中根は俯くと「……そうやって」と呟いた。
「なあ、何か悪い事したなら謝るから頼むよ。教えてくれ」
「謝るって、謝ってどうにかなる話なら紗彩だってキレないっつーの!」
中根が拳を振り上げる。喰らった方がいいだろうか。刹那の思考の中、不意に玄関の扉が開いた。
「……とりあえず中で話したらどうでしょうか?」
笑っている。恐ろしい笑顔だ。まともに見れないが夢子……本当に夢子なのか?自信がない。
「そうですね。あたしも入れて欲しいですぅ~」
サファリパークに素っ裸でに体に生肉を張り付けて丸腰で歩き回るようなもんだ。誰か助けてくれ。
……とりあえず、どちらとも目線を合わせないようにして、ケトルで湯を沸かす。
「紗彩紅茶」
「私も」
ひぇ。頼むから喋らないでくれ。やっぱ喋ってくれ、沈黙に耐えられない。
一体どういうつもりなのだろうか。中根は部屋に別の女を入れたからキレている、でひと先ずいいとして、夢子までキレているのはどういうことなんだ?
あぁ、このままお湯が一生沸かなければいいのに。
しかし、無常にもその時は来てしまった。カチッ、というあっという間の音が俺には酷く苦しい。紅茶のカップは俺と夢子の分しかない。中根には俺のモノを使ってもらおう。
二人分の紅茶を入れて、カップをソーサーに乗せ(普段はそんなことはしない)て二人の前に運んだ。
「そのカップ、お兄ちゃんのでしょ?」
「そうです」
「なんで?」
なんでって。もう俺が何してもムカつくのでは?
中根は何も言わずそれに口をつけた。もちろん感想などない。
「座りなよ」
「座れば?」
俺が突っ立っているのを二人が同時に制した。俺は黙って正座になった。
人は例え自分が何も悪い事をしていなくても、恐ろしいと自然に畏まったり謝ったりしてしまうものなんだな。出来れば昔の俺には、こんなことを知ってほしくないと思う。
いや、きっと何かしたんだ。そうでなくてはこうはならない。神様……。
時計の針の音が聞こえる。この手汗の正体はなんだ?そしてこの人たちはどうして互いにスマホを弄っているんだ?
このままでは埒が明かない。恐ろしいけど、一歩踏み出さなければ。
「あの、お二人はどういったご用件で、お気を害されていらっしゃるのでしょうか?」
下を向いたまま訊く。
「勘違いしてるよ。私は別に怒ってない」
「紗彩も別に」
これ知ってる。女の腹の探り合いだ。
いつだったか、俺は二人が仲良くならないだろうな、と考えたのを思い出した。……というより、別の事を考えて目の前の事から逃げた。
落ち着け。ここで俺が慌てるわけにはいかない。どうにかしないと。
「まずは互いに自己紹介から始めるのがいいと思うんです」
沈黙。少し後、ちゃぶ台の上にスマホが置かれる音がした。
「中根紗彩。文也の主人」
意外にも、先手を打ったのは中根だった。
「待て待て。主従関係を結んだつもりはない」
やった事と言えば講義の代返くらいだ。
「お兄ちゃん、そういうのが好きなの?」
その顔を見ると、引いているというよりは若干悲しそうに見えた。違う。お兄ちゃんそんなことない。
「まあ文也は紗彩の言うこと何でも聞いてくれるし」
「私の言うことだって聞いてくれるよ、ね?」
言葉にならない。俺はため息を吐いて二人の顔を見た。
「あのさ、いい加減にしようや。このままじゃ一生終わらないだろ」
姿勢を胡坐に変えて俺は言った。もう開き直るしかない。
「中根、スマホいじりに来たわけじゃないだろ?ここお前んちから結構遠いぞ」
そういうと、観念したのかようやくまともなことを言った。
「そんなマジにならないでよ。文也が妹と同棲してるっていうから、ちょっとからかいにきただけ。思ったより面白い反応するから調子乗っちゃったの。……悪かった」
弱気を見せた俺のせいということなのだろうか。続いて夢子に向き直る。
「夢子、なんでキレてたんだ?」
そういうと、彼女は膝を抱いてそっぽを向いてしまった。こうなってしまってはもう喋らない。これ以上問詰めるようなことは出来ない。
「……そういうことだ。中根、悪いけど今日は帰ってくれ。夢子のことはまたそのうち紹介する」
「わかった」
「駅まで送るよ」
立ち上がって中根を外へ誘う。一瞬、中根が夢子の事を見た。俺にはそれが、まるで人が持っているおもちゃを羨む子供のように見えた。
……少し冷える。片田舎らしく虫の声が町に響いている。どこかしおらしい中根を見て、今度は申し訳なさが込み上げてしまった。
「俺のせいか?」
そう訊くしかなかった。
「……そう。文也のせい」
だがそれは、謝ってどうにかならないこと。だから、俺は初めて謝らなかった。その代わりに、何を言うべきか考えていると、再び中根が口を開いた。
「優しくするとさ、向こうから勝手に惚れてくれるから楽でいいよね」
……。
「じゃあね。バーベキュー、楽しみにしてる」
そういうと、中根は手を振って駅の中へ吸い込まれていった。いつの間にか、ここまで来ていたようだ。
もしやり直せるとして、俺は別のやり方を思いつくだろうか。とても、そうは思えなかった。
0
あなたにおすすめの小説
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
友達婚~5年もあいつに片想い~
日下奈緒
恋愛
求人サイトの作成の仕事をしている梨衣は
同僚の大樹に5年も片想いしている
5年前にした
「お互い30歳になっても独身だったら結婚するか」
梨衣は今30歳
その約束を大樹は覚えているのか
苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」
母に紹介され、なにかの間違いだと思った。
だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。
それだけでもかなりな不安案件なのに。
私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。
「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」
なーんて義父になる人が言い出して。
結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。
前途多難な同居生活。
相変わらず専務はなに考えているかわからない。
……かと思えば。
「兄妹ならするだろ、これくらい」
当たり前のように落とされる、額へのキス。
いったい、どうなってんのー!?
三ツ森涼夏
24歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務
背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。
小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。
たまにその頑張りが空回りすることも?
恋愛、苦手というより、嫌い。
淋しい、をちゃんと言えずにきた人。
×
八雲仁
30歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』専務
背が高く、眼鏡のイケメン。
ただし、いつも無表情。
集中すると周りが見えなくなる。
そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。
小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。
ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!?
*****
千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』
*****
表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
出逢いがしらに恋をして 〜一目惚れした超イケメンが今日から上司になりました〜
泉南佳那
恋愛
高橋ひよりは25歳の会社員。
ある朝、遅刻寸前で乗った会社のエレベーターで見知らぬ男性とふたりになる。
モデルと見まごうほど超美形のその人は、その日、本社から移動してきた
ひよりの上司だった。
彼、宮沢ジュリアーノは29歳。日伊ハーフの気鋭のプロジェクト・マネージャー。
彼に一目惚れしたひよりだが、彼には本社重役の娘で会社で一番の美人、鈴木亜矢美の花婿候補との噂が……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる