義理の妹が結婚するまで

夏目くちびる

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第四章 決別

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 「おい!大丈夫か!?」



 そう叫びながら竹藤は教室に入ってきた。転がっている彼を見ると血相を変えて。



 「何を考えている!救急車を呼べ!」



 竹藤は騒ぎを聞きつけてきた他の教師に指示を出すと、その男に「大丈夫か?」と声を掛けて膝の上に頭を乗せ、自分のジャージを脱ぐとそれで止血を始めた。彼は意識がはっきりとしていないらしく、その言葉に「あぁ」でも「うん」でもない曖昧な返事をするのみだった。



 「新目、手伝ってくれ」



 そう言われて、俺は男の足を支えて竹藤と二人で昇降口まで運んだ。救急車はすぐに駆け付け、彼は養護教諭(保険の先生)と病院へ向かった。



 それを見送って教室へ戻ろうとすると呼び止められてしまった。



 「何度目だ。これで」



 白のシャツもスラックスも血まみれだった。



 「知らねえよ。大体やらなきゃ俺が三人でフクロにされてただろ。そしたらどうするつもりなんだよ」



 そういうと、竹藤は黙ってしまった。



 こんなイザコザは中学生の頃からずっとだ。学校という場所は暴力の支配が効く。生徒は秩序や法律を知らず、そして納得より先に恐怖と自己保身が先行してしまうからだ。だから、上級生というのは下級生を気に食わないという理由だけでリンチすることが許されているといっても過言ではなかったのだ。



 奴らが俺を気に食わない理由は、何となく察しが付く。母は消え、父は仕事から帰らず、友達はおらず。一人で生活しているうちに見捨てられた気になって、ニヒルを気取っていた。そんな俺には、可愛げがなかったのだ。



 だから俺は今までに何度もぶちのめされたし、半殺しにされたことだって片手では追いつかない程ある。



 階段から蹴り落とされて肩を折って動けず、その場に放置されて半日以上雨ざらしにされたことがあった。そのせいで術後は四十度の熱が出た。断続的に意識を失い、すぐに痛みで目が覚める事を繰り返していた。あれはこの世の苦しみではなかった。そしてその生死の境目を彷徨った時、俺は思ったのだ。



 ――強くなりたい。



 父は奴らを訴える気でいたようだが、俺はそれをやめるように説得した。もし鑑別所や少年院に行ってしまったら、復讐する機会が失われてしまうからだ。



 退院してから、俺は死に物狂いで挑戦を続けた。



 恐怖はもうなかった。あの苦しみに勝るものが無ければ、恐れる必要などないからだ。だから戦うことに躊躇はなかったし、相手の攻撃に目を瞑る事もなかった。



 鍛えに鍛えたが、正面からぶつかっても人数や体格差で圧倒された。それで勝てないことを悟ると、闇の中から襲うことを覚えた。しかしそれも通用しなければ、ただひたすらに鍛えた。



 ……そして月日は過ぎ、全員に復讐してその先に待っていたのは、また別の理不尽だった。



 払っても払っても降りかかる火の粉は消えず、この輪廻からは逃れられない。最早何の為に拳を振るうのか分からないが、それでもあの屈辱を味わうくらいならば俺は孤独でいる方がいい。



 お願いだから、もう独りにしてくれ。



 ……。



 「今日の職員会議でお前の処分を決定する。向こうの親御さんと慰謝料の話をしなければいけないかもしれないから、お父さんを呼ぶぞ。それまでは応接室で反省文を書いておけ」



 逃げてもいいことなどない。例え自分を守るためだとしても犯した罪は消えない。その覚悟の上で、俺はこの生き方を選んだのだ。



 誘われるままに応接室へ向かい、そこで原稿用紙一枚分の反省文章を書いた。内容は無難を極めている。誰もが思いつく、心無い謝罪の言葉。



 書き終えて目を閉じる。次に目を開けたとき、時計の短針は既に『7』を差していた。随分と経っている。先ほどまではなかったタバコと万年筆と手帳がテーブルの上に乗っている。寝ている間、竹藤がここで仕事をしていたのだろうか。



 そんな事を考えていると、部屋の扉が開いて父と竹藤が入ってきた。



 「文也」



 名前を呼ばれ立ち上がった。親父、そんな悲しそうな顔をするなよ。別にあんたが悪いわけじゃない。俺が生まれついて悪者だったってだけだ。



 「それでは先生。重ねて申しますが、息子が大変ご迷惑をお掛けいたしました。申し訳ございません。後日また伺いますので、その際もよろしくお願い致します」



 そう言って父は深く頭を下げた。親が頭を下げているのを見るのは、気持ちのいいものではない。



 「わかりました。ただ文也も自分から手を出したわけではありません。それは、クラスの生徒全員が証明してくれています。私も先方には最善を尽くしますので、どうかお気を落とさずに」



 そして学校を出た俺は父の車に乗った。辺りは既に暗くなっている。



 とうとう前科が付くのだろうか。それがこの先の人生にどう影響するのかわからない自分が、嫌で仕方ない。



 帰ってから、父はすぐに家を出て行ってしまった。まだ片付いていない仕事があるらしい。



 出かける前に「本当に悪かったな」と残していった。果たして、その言葉が一体何に対しての謝罪なのか俺には分からなかった。



 翌日、学校へ通うと俺は保健室へ向かった。処分を言い渡されるまで、ここで待機していろと言われているからだ。



 「新目君、拳は平気?」



 「殴ってねえからな」



 戦い続けるうちに、殴ると自分も痛いという考えてみれば当たり前の事を知った。だから俺はなるべく拳を握らない。



 程なくして竹藤がやってきた。



 「来てたか。先生、お前が来ないんじゃないかと思って少し心配してたんだ」



 当然ながら、昨日とはジャージとスラックスの色が変わっていた。



 「それで、俺は便所掃除でもすりゃいいのか?」



 「その通りだ。今日は便所。明日は体育館。その次はプールでその次は」



 要は謹慎中学校の隅々まで掃除をしろと言っている。体操着を持って来いと言われた時点で、何となく察しは付いていた。



 「わかった」



 そういうと、俺は着替えてから三階へ向かい、まずは一番東にある男子便所から手を付けることにした。



 ホースで水をばらまき、小と大の便器を磨く。そして次に床を磨く。クレンザーとたわしを交互に使い、無心で掃除を続けた。



 まだ冬前だが、水は流石に冷たい。ゴム手袋をしていても、ひんやりとした感覚がある。



 隣の女子便所まで掃除を終えたのは一時間後。廊下は授業を終えた生徒で溢れ、通りかかる奴のほとんどが物珍しそうに俺を見ている。ここが三階ということは、彼らは全員一年生だ。



 ホースを巻いて今度は中央のトイレへ向かう。その途中、竹藤が様子を見に来た。



 「どうだ、やってるか?」



 俺は適当な返事をすると、黙って蛇口にホースを設置した。



 「よし。じゃあ先生も手伝うからブラシを貸してくれ」



 そう言って、彼はワイシャツの袖を捲った。
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