義理の妹が結婚するまで

夏目くちびる

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第四章 決別

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―――――



 「……まあ、そうか」



 俺は今、以前住んでいた家の前にいる。離婚の際に父が母に明け渡したのだが、予想通り既にもぬけの殻となってた。もしまだ母が住んでいたのならば夢子の事を話しておきたかったのだが、こうなってしまっては取り付く島もない。



 彼女たちの次の生活の資金にしたのだろう。この家を土地ごと不動産へ売りに出していたようで、玄関には既に売却済の看板が出ていた。果たしてその価値は如何ほどなのだろうか。俺にはわからなかった。



 顔を見たが、間男の方にも金があるとは思えなかったから、しばらく暮らしていけるような額であったことを願おう。



 ゆっくりと家の周りを歩く。俺が子供の頃壁に描いた落書きも、三人で埋めた記念樹のオリーブも、実る度につまみ食いしていたヘビイチゴも。俺がここに住んでいた形跡はもう何も残っていなかった。(ちなみにオリーブの花言葉は平和だ)



 一人で遊んでいた公園。あの頃置いてあった遊具はどれもなくなっていて、代わりにカラフルでとても小さな滑り台が一つと、二人掛けのベンチだけ置かれている。これで一体、どうやって遊ぶというのだろうか。



 近くの自動販売機でホットコーヒーを購入して、そのベンチに座る。空を見上げると、どんよりとした分厚い雲が空を覆っていて、今にも泣きだしそうな景色だった。



 今日は十二月三十一日。大晦日だ。



 夕方までの間、夢子は理子と真琴と三人で遊びに行くと言っていた。どうせなら深夜を過ごして初詣まで一緒に行ってくればいいと提案したのだが、肩を叩かれて「ばか」と言われてしまった。



 トラも中根も実家へ帰省するとのことだった。トラはさておき、中根の帰省とは珍しい事もあるものだ。実家がどこにあるのかは少し興味があるが、きっと聞いても教えてくれないだろう。



 そういう訳で、俺はこの場所に足を運んだという訳だ。



 ……ふと、父の声を聞きたくなった。電話を掛けるのは夢子が家出してきて以来の事だ。



 彼はスリーコール目で応答した。思っていたよりも大分早い。もしかすると、今日は仕事を休んでいるのかもしれない。



 「もしもし」



 「文也か。久しぶりだな」



 他愛もない日常会話。時子さんのお腹はかなり大きくなっているようで、約一ヶ月後には出産予定日を控えているとの事だった。



 「その日は休みなよ」



 「当たり前だ。それに最近は仕事を少し抑えているからな」



 「本当かよ」



 意外だ。



 「時々、二人で出かけているよ。もちろん、歩き回るような事はしていないけどな」



 「もう三人なんじゃない?」



 冗談めかして言う。



 「……そうだな」



 どこか嬉しそうな声だった。



 「今、昔の家の前にいるんだ。売却済みになってた」



 「そうか。それじゃあお前が庭に埋めたタイムカプセルももう掘り返せないな。確か四歳か五歳の頃だったか」



 言われて微かな記憶が呼び起こされた。そんなこともあったような気がする。中に何を入れていたのかはさっぱり覚えていないが。



 「どこだったっけ」



 「確かオリーブの木の根元に埋めていたよな。あの木、まだあったか?」



 「なかったよ」



 しかし、もしかしたらそれはまだ埋まっているかもしれない。



 「ちょっと掘ってみる」



 「人に見つからないようにな」



 きっと大丈夫だろう。大晦日なだけあって人通りは極端に少ないし、どこの家もカーテンを閉め切って暖房効果を上げている。



 「わかった。妹が生まれたらさ、夢子も連れて一回帰るよ」



 生まれる前に体にストレスを掛けるのはよくないだろう。それに夢子にも事情があるから、彼女を強引に連れ帰ることは出来ない。



 「わかった。伝えておく」



 別れの挨拶をして、俺は通話を切った。



 設置されているゴミ箱に空き缶を放り込み、家まで戻って門を開けた。ここには鍵が掛かっていないようだ。



 記憶を頼りにオリーブのあった辺りを掘る。三十センチ程掘ったところで、指に何かの感触があった。ドンピシャだ。



 掘り起こすと、それは少し大きめの、キャラクターの彫刻が施されたクッキー缶だった。確か、三人で遊園地に行った時のお土産の入れ物だ。



 「懐かしいな」



 昔から自分の物をほとんど持たないから、俺がこうして過去を振り返る事自体かなり稀だ。



 錆びついていて少し手間取ったが無事に開いた。土が掛からないよう、慎重に蓋を外す。



 中に入っていたのは三人で撮った写真、俺の将来の夢の作文にミニカー。自作の絵と、父のオイルライター、母の髪留め。そして。



 「……あったな、こんなの」



 俺が母の日にプレゼントした、ピンク色のビーズの指輪だ。小さなビニールの袋に、折りたたまれた紙と一緒に入っている。これを渡したのは小学生の頃だったはずだから、母はこれを一度掘り起こしたのだ。



 紙を開く。そこには細い文字で『さよなら』と書いてあった。それを見たとき、心が軽くなったのが分かった。



 そうか、俺はこれを聞きたかったのだ。今までずっと交わせなかった言葉。別れの挨拶をようやく受け取ることが出来た。



 俺は中身を箱に戻すとそれを抱えて立ち上がり、足で土を戻して踏み固めた。



 門を出て少し歩く。スマホに着信が入った。夢子からだ。



 「お兄ちゃん、どこにいるの?」



 「ちょっとな。家からは遠いところ」



 「もう、夕方には帰るって言ったのに」



 どうやらご立腹の様子だ。俺はどうせ外出しないと高を括っていたのだろう。



 「ごめんな。でも、もう帰るから待っててくれ」



  そう言って、通話を切った。初詣は一体どこに行く気なのだろうか。どうせなら有名な神社まで行くのも悪くないだろう。後で夢子に訊いてみよう。

 

……。



 後ろを振り返る。小さくあの家が見える。ここに来ることは、もうない。


 「さよなら、母さん」



 俺はそう呟いて、曲がり角を曲がる。帰り道には、雲の切れ目から光が指していた。
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