ときはの代 外伝 永久図騙(とわずがたり)

naccchi

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第二話:葭始生

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 葭始生あしはじめてしょうず

 ■■■■■

 数日後。

 道雅みちまさは、朝廷への出仕を終えて家に帰る所だった。牛車を手配したはずだったが、いない。またいつもの、蔵人たちあたりの嫌がらせであると気づくのにさほど時間はかからなかった。
 足が悪いとはいえ杖はある。日頃からなるべく歩くようには心がけてもいるので何とも思わない。こんなことも、慣れたものだった。

「どこか、お悪いのですか。」

 砂利を踏みしめる音に混じった、鈴が鳴るような声。振り返ると、一人の女が心配そうにこちらを見ている。ほとんどボロ布に近い着物を纏っているが、それに似合わない綺麗な濡羽色の大きな瞳が印象的だった。

 まがりなりにも一応は殿上人である自分に、声をかける市井の者。不審に思いつつも、いつものように上辺だけの笑みを貼り付けて答える。

「足が少々不自由で。」
「お怪我されているのですか……?」
「そうだね、古い怪我だ。死ぬようなものじゃないし、感染うつることもないけれど。
 ……すまないが、何かあっても責任は取れないよ、近づかない方がいい。」

 直衣の裾で隠れてはいるが、その変形と変色は、穢れているだの妖怪のものだの、噂の格好の的だった。そしてその噂の拡声原因ひとつは、兄の正室若葉わかば。だが彼女がいなくとも、心無い人々の言葉が宮中に伝播するなど太古の昔よりあたりまえの事なのだ。しかし、眼前の女はその大きな目をこちらに向けたまま。

「足が不自由なのが感染うつるのですか?」
「そういう口さがないものの戯言だよ。」
「失礼な方もいらっしゃるのですね、足が不自由だからと言って、心根も不自由とは限りませんのに。」

 なぜ、関係の無いこの女が怒るのか、道雅には意味がわからなかった。この女の目的も、正体も判然としないので、精一杯の皮肉を込めて返す。

「貴方は変わったお人ですね。
 見たところ、良き家柄の姫君でしょう。こんな寂れたところに供もつけずにおひとりできては、侍従が心配されますよ。」

 女はきょとんとしていた。それでバレないとでも思っていたのだろうか。世間知らずにも程がある。

「ぼろ布を纏って少し顔を汚してみたところで、分かる者には分かります。近頃何かと物騒ですから、用心なさい。」

 所作、わずかに残る香の匂い。どこからどう見ても、身分を隠している訳ありの女である。そこまで思案して、道雅は女の正体に思い至る。そんな道雅の思案に気づきもせず、女はついと目を伏せる。

「本当に私のことを心配するものなど、おりません。みな、自分の立場の方が心配ですから。」
「地位や名誉など、吹けば飛んでしまいそうな危ういものに躍起になる者たち等、気にすることはありません。死んだら皆同じです。」
「優しいんですね。」
「そんなことは……。
 私が変なのですよ、今度、ここで人を預かるのですが。何分訳ありの女性のようなので。私のような男など、見たら逃げ出すやもしれません。」
「そう、でしょうか。私は、そうは思いません。会ってみなければどんな方かはわかりませんでしょう?」
「出世も見込めぬ形だけの殿上人です。幸い、いくつか荘園がありますので、食うに困ることはありませんが。世の中がこうも乱れては、贅沢はできませんから。」
「確かに、貴方様は変わっていらっしゃいますね。でも、ご自分を持っておられて素敵です。」

 ころりと、その女は微笑んだ。会釈をしてそのまま別れていった後で、道雅みちまさは名を聞くのを忘れたことを思い出す。
 だが、彼女が、兄の言う東国より来た女で間違いない。自分が預けられる先を見に来るとは、野次馬根性逞しいというかなんというか。噂くらいは聴いているであろうから無理もないと自嘲気味にため息をつく。

「普通でないもの、は面白いのだろうな。」


 *****


 女は、翌日も来た。出仕を終えて帰宅した直後、まるで見計らったかのように。昨日と変わらずぼろをまとって、屈託のない笑顔を向ける。道雅みちまさはため息をついた。

「君は、物好きだね。私の噂を知らぬわけではないだろうに。」
「噂が本当かどうか、この目で見て見ないと分かりません。」

 妙に我が強い。それなりに器量よしだろうに、芯がある。こういった女人はそう簡単には引き下がらないだろうと道雅みちまさは思った。

「ならば見るといい。ほら、みなの噂する異形の足。最も、異形も妖も関係ないけれど。」

 そんなに周囲が言うならと、何度か陰陽師の世話になったこともあるが、そもそも人為的な怪我。尋ねられた陰陽師も噂は知っていれど出来ることなどなかった。さてどんな顔をするだろうかと裾をたくし上げてみると。

「痛くは……ないのですか?」
「痛みはありませんよ。ただこんな形なだけです。」

 およそ足としての体裁はほとんどない。膝から下が大きく変形して、色も浅黒い。ただそこにあるだけの血の通わない棒だった。それを見ても、女は怯えも怯みもしない。黒々とした大きな瞳は、まるで黒曜石のように綺麗だった。

「怖くは無いのですか。君も、皆の噂を知らぬわけではないでしょう。」
「お噂が本当でしたら怖いです。でも違うとわかりましたので、もう怖くはありません。本当に妖なら私なんぞとっくに喰われておりますし。」
「……さて、油断させたところを喰らうのかもしれませんよ。」
「だったら尚更意味がありません。噂で誰も寄り付かなくなったら、喰らいようがありませんから、油断もなにもないでしょう?」

 結局、女は露ほども脅えなかった。弱そうに見えて、存外芯のある物言いに、道雅は目を丸くする。

「噂ついでにお聴きしてもよろしいですか?
 お歌や楽器がお上手というのも、人間を油断させる為のものですか?」

 ―――歌も楽器も大変な腕前らしいですわよ。
 ―――それだけ凄くても、あの足では……ねえ?

 何度も、何度も言われた。

 一度とて会ったことの無い者にすら。噂とは、そういうものだ。
 どんなにすぐれた歌を詠んでも、どんなにすばらしい演奏を披露しようとも、一度この足を見れば皆が顔を顰める。離れていく。視界にこの足をいれただけで、醜悪な表情を向ける。人は驚くほど、己の心に正直だ。

「嘘ですよ。」

 道雅は淀んだ気持ちから目を背け、はりつけた笑顔を女に向けた。歌が上手かろうが、楽器が巧みであろうが、そんなものなんの意味もない。

「私は、貴方様の足はただのお怪我であることをこの目で見ました。歌も楽器も、聴かないと分かりません。
 ……最も、私の教養のなさでは分からないかもしれませんけど。」
「下手の横好きです。歌も楽器も、私の足が醜くくとも、何も言いませんから。」

 筆も、紙も、筝も、ものは言わない。道雅を肯定も否定もしてこない。自然と手に取る機会が増えた、それだけのことだった。

「私は……歌も芸事も、あまりうまくはないので。羨ましいです。少しでも評判になれば、誰を困らせることもなく、嫁ぎ先もすぐに見つかったやもしれませんし。」
「ある程度のところまででしたら、誰でもできますよ。慣れるまでは、数をこなすことです。」
「ならば、教えてくださいませんか?」
「東国ではそういった文化は希薄なのですか?」

 東国、という言葉に初めて、女の顔が強ばった。初めて見せる、無と微笑み以外の、怯えと不安に苛まれる女の表情。まるで、自分が悪いことをしているような罪悪感を見ないふりをして道雅は続ける。

「気づいていましたよ、あなたが兄の話していた北条ゆかりの者だと、初めから。
 意図的にみすぼらしい格好をしていても、所作にはでるものです。それに、わざわざ私なんぞに話しかけてくる女など、最初から怪しさしかありません。」
「驚かせようと思っていたのですけど……無意味でしたね。」
「私を怒らせて、追い返させるつもりでも?」
「いいえ。あの、見てみたくなったのです。貴方の本当の表情を。」

 自分が預けられる先の男のひ、良くない評判。それらを聞いての野次馬。物見遊山。そんなつもりでこの女は近づいてきたと思っていた。

 そう決めつけていて、告げられた思いもしない言葉。

 道雅みちまさはいつも薄い笑みを浮かべていた。何も可笑しいことなど無くても、ただ表情を貼り付けていた。宮中に出仕している以上、仕事をしないわけにいかない。仕事を円滑に回すためにもせめて上辺だけは害意がないことを取り繕ってきた。いつも心は冷めている。

「あえて、お優しくしてくれるのは、わかってました。
 いつものお美しい表情も大変素敵なんですけど。でも、私もっとそのままの貴方を見てみたいんです。泣いたり、怒ったり、驚いたり。」

 また、女は笑う。まるで、花がほころぶように。

「お世話になります。瀬莉せりと申します。」

 まるで、涼やかな川辺に咲いた一輪の花。穏やかな春の風が、道雅の美しい黒髪を靡かせた。
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