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第四章 金蘭の契~きんらんのちぎり~
第二十九話
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表情とは裏腹に、犀破は和泉に触れる。まるで親鳥が、雛を撫でるように優しかった。優しいはずの仕草であるが故に、よりいっそう恐ろしかった。
「斎、王……?」
和泉にとっては全く聞き覚えのない単語。恐怖と嫌悪と色んな負の感情で鼓動が早まり、嫌な汗が流れる。リンクするのは、世羅と凜が口にしていた斎の守という言葉。
対峙する陽は、斎王を知ってはいた。しかし今ここでその単語が出てくることの意味がわからなかった。それは、妖ごときが口にしていい言葉ではない。
「天皇の御杖代、言わば身代わりとして、神に仕えるあの斎王か。」
斎王は、帝の血を引いた未婚の女性が式占により選ばれる。今この現代日本には形式のみ、いわばお祭りの余興に近いものしか存在しないはずだった。奈良時代や平安時代の話であると陽は記憶していた。とっくにない筈の存在、制度。それがなぜ和泉と結びつくのか。嫌な焦燥を他所に、犀破は嘲る。
「勉強熱心で何よりだ、表向きはそういった教育がしっかりなされてるようで、反吐が出るな。」
犀破の双眸が細められる。一切顔色を変えていないものの、やはりその声音に深い恨みを感じる。
「天皇の代わりなど建前だ。実態、斎王は、この世の穢れ一切を浄化している……いわば濾過装置にすぎん。」
「な、んの話だよ。装置って、こいつ人間だろ……!」
言葉にしてから、陽は思い至る。和泉を同じようにモノ扱いしていた奴が他にもいたことに。
「斎王は、神の血を引く帝の血縁。神に連なる女性が、帝の代わりとなって世の穢れを浄化する。神代の時代は帝が行っていた話もあるらしいが、時代が下るにつれ、さすがに帝にはやらせられんとなったのだろうな。」
「世の穢れって……」
「神代の頃の国生神話は知ってるだろう?伊邪那美命の黄泉返りを阻止した伊邪那岐命は、もう二度と黄泉から死者が戻ってこないように岩で塞いだ。」
もとは何もなかったこの国が神の手で生み出された。しかしそこは不浄と清浄で分かたれる世界。生きとし生けるものが己の変化を止め、穢れたとき、それは死して常世のものとなる。その狭間が黄泉平坂ないしは、二つの世界の間にそびえる大岩である。
「塞いだがな、黄泉の穢れは完全には止められない。水と同じで僅かな隙間から染み出す。長い年月が過ぎればそれだけ侵食する。
その穢れは度が過ぎれば人々に悪影響を与える、だそうだ?」
「えらく他人事だな。」
「知らんからな、そんなこと。世の中が穢れるだのなんだの、いち個人からすればどうでもいい。まあ、人間たちがそう言うんだ。そうなんだろう。その穢れも、此世に染み出た穢れも浄化するのが斎王の役目だと。」
「それが、一体どれだけの規模だと思ってる。いくら帝の血を引いているっていったって、生身の人間が耐えられることじゃねえ。」
穢れを清める力というのは非常に限られる。巫女や神職が行うのは、神が降りてくる場所を清めたり、物を清めたりと限定的だ。すでに穢れに侵されたものを浄化する、ましてや世の中に染み出た穢れなどという途方もない規模のものを浄化など、現実的では無い。
「耐えられんさ、当然1人ではな。」
天皇という存在が、いくら神の末裔とはいえ、それはもうはるか昔の話。時代が下るにつれ薄まっていった血。そんな力が生身の人間にあるはずがない。それは、何人もの斎王を必要としたことの裏付けにほかならなかった。
「そう何人も帝に連なる未婚の女性がいるわけもない。
制度自体、不満を持つものも多かったらしいしな、当然だろう。斎王制度は数多の女性の悲劇の引き金になってきた。
最後の斎王は後醍醐天皇の皇女、それ以降はずっと彼女が据えられた。」
「後醍醐だと……?」
突如告げられる700年前の天皇の名前。そして、生身の人間一人では耐えられるはずもないその任の重さ。数多すげかえられてきた斎王たち。陽は想定しえる真実に気づき、嫌な汗が背中を伝うのを感じる。
「人間は、つくづく愚かなことをする。」
「人間っていったって、そんなことを出来るやつが……!」
「貴様ら陰陽師だよ。
奴らの力で、不老不死にさせられた。なんだか知らんが妙な儀式とやらでな?人間は、無辜の少女一人に全て押付けた。たった一人、未来永劫、帝の身代わりとして、清い存在であることを強いた。
で?貴様は今、陰陽連に属して何を思う?」
犀破が、殺意に満ちたまなざしを陽に向ける。それに、陽は返答などできなかった。
斎王という秘匿事項。それが事実であるならば、白斗たち陰陽連幹部のこれまでの行動も、嫌になるくらい納得ができる。庇護すると言っておきながら、まるでモノのように和泉を扱った彼らの反応の理由。
「和泉、お前……それ、知ってんのかよ。」
返答ができないまま、陽が和泉に問いたその声は、掠れていた。
「し、知らない……知らないよ、そんなの。知ってたらとっくに言ってるし、私にそんな力なんか……!」
ない、と言えればよかった。言えなかった。
怪我を治せるのも、魑魅魍魎たちを消滅できるのも、その桁外れな浄化の力の裏付けに他ならない。やろうと思えば、できるのだ。そして、その「できる」と直感する自分の感覚ですらも、今の事実を証明しているようで。
「覚えてない、確かに何かに追われていたけど、そんな不老不死なんて……700年前のことなんて何も知らない……!」
「覚えているわけないだろう、陰陽師がことあるごとに記憶を抹消してきた。
……斎王に意思など必要ない。必要なのはその清い力とそれを行使する身体。神の御杖代として、なによりも清い存在でなければならない。発する言葉すら、制限される。そこに感情も思考も記憶も必要としない。…むしろあったほうが都合が悪いだろうな?
人間の考えそうなことだ、わかるだろう。どこまででも残酷になる。」
これが犀破の、人間へ、とりわけ陰陽師へ向ける憎悪の正体。
陽には、それを否定するだけの事実も感情も今の陰陽連にはなかった。俄には信じ難い、それでもやりかねないと。思ってしまっている。手に握った行にギリギリと力がこもる。
「てめえの言ったこと、全部証拠はねえんだろ。」
陰陽連に聞いたところで、現にこれまで全部隠されてきたのだ。どうせ問いただしたところで、のらりくらりとかわされ、一介の陰陽師ごときに開示される予想がつかない。ややもすれば、陽自身が記憶抹消の対象にされる可能性すらある。
「貴様が信じるか信じないかなど、どうでもいい。いるんだよ……中途半端な正義感で首を突っ込む人間が。
そうゆう愚か者が時々同情して、彼女を助けようとする。感情論で動く浅はかな人間は何人目だったかな。どいつもこいつもそうやって薄っぺらい正義感で動いて結果俺に殺される。あまりにも多いもんだから、すぐに取り戻せるように術をかけておいた。
ああもたやすく解かれるのはさすがに想定外だったが。」
はじめて和泉に会った時。
逃げても逃げても犀破の追跡を破れなかったあの術。彼女の希死念慮に反応して仕掛けられたもの。和泉自身が逃げることも、誰かが逃がすことも見越した上で、追跡するための、檻の術。
「てめぇが、死にたいと思わせるようなことしてんじゃねえのかよ。」
「逆に聞くが、記憶も身体も何もかも捏造されてただモノのように未来永劫扱われる人生を送って、死にたいと思わず何を思う?」
陽は答えはしなかった。が、地獄だろうと思ってしまった。
気が遠くなるほどの長い間、装置として使われ、記憶をいじられ、犀破にも狙われる。点がつながってできあがったそれは地獄絵図としか言いようがなかった。
誰かが目の前で死ぬくらいなら殺してくれと懇願した、震える少女のその奥に触れて、そこに手を伸ばした己の浅はかさに苛立ちが募る。
「だったらてめぇの顔は?……世羅は、てめえとなんの関わりがある。」
今のはあくまで和泉の話だ。眼前の不快な犀破の存在が、世羅と瓜二つであったことの回答にはなっていない。
「ああ、忘れていた。元々その話だったな?
世羅も凛も、もとはただの狐だ、何の力もありはしない畜生。それを俺が力を与えてやった。世羅は初めてやった実験体のようなものだったんだが、早い話が失敗作だな。」
「別に僕は、お前が失敗して同じ顔になってしまったこと、後悔はしてないよ。」
今まで、一言も言葉を発しなかった世羅が食い気味に反論をする。やはり、双方の様子から二人の協力関係は見えてこない。
「少々喋りすぎたが、冥土の土産にはこれで満足か?」
和泉は、今、目の前で話されたすべてが、耳を塞ぎたくなるような事実だったことをまだ実感できずにいる。訳が分からないまま、ただその淡い色の瞳から涙が流れる。嘘であるとも、本当であるとも、和泉には言えない。言えなかった。
犀破のことは、まだ恐ろしかった。それでも、今の話、犀破の憎悪は明らかに人間……とりわけ陰陽師に向いている。誰かを傷つけたいだの、殺したいだの、純然たる悪意ではなくこの言いようではまるで。
「全部、私の、ためってこと?」
犀破は何も言わなかった。肯定とも否定とも取らず、その眼は陽と世羅だけをただ敵視する。しかし、和泉を掴んでいるその手は一切緩みはしなかった。
陽の言う通り、犀破の言ったことが全て本当とは限らない。まだ何か隠してることがあるかもしれない。それに、やはりこのまま犀破のそばに居るのは嫌だった。本能のように拒絶反応が出てくる。
妖怪たちに睨まれたり、成松に襲われた時とはまた違う。体の奥底から、まるで警鐘のように拒絶する感情が渦巻いている。
しかし、今の話が本当なら、陰陽連には戻れない。
たとえ犀破から逃れても、陰陽連が狙ってくるのであれば逃げ切れるのか。
陰陽連の、命令で、陽が。
追ってくるのかもしれない。
犀破を睨む陽の表情、そこに和泉は入っていない。地を蹴り、大きく手を振り上げる陽の姿。
「焔爆」
陽の火の行。和泉は思わず目をつぶったが、火の威力はさほど無く、それが目くらましであったことを気づいた頃には、真横、犀破の呻くような声が響く。
爆発が攻撃の主体ではなかった。和泉を捉えていたその腕めがけて振り下ろされた金の行の斬撃。
それを振り払ってごとりと落ちた腕。間髪入れぬ間に和泉を引き寄せ距離をとった。絡みついた蜘蛛の糸を解くように。
「陽…!?」
腕が落ちたはずの犀破は顔色ひとつ変えない。それどころか、ぼたぼたと血を流していたはずの腕からはばきばきと嫌な音を立てて新しい腕が生える。
「ほう?貴様はやはり人間として行動するか。であるならば、終わらんな、この戦いも。」
犀破の身体から、無数の蜘蛛の糸が伸びる。室内にびっしり張り巡らされた糸はすべて穢れを帯びている。
陽は、左手で和泉を抱えたまま、右手に持つ刃で蜘蛛の糸を薙ぎ払う。迷いを振り払うように叫ぶ。
「ごちゃごちゃうるせえ、この粘着野郎が。
人間とか妖怪とか、知るかそんなの。お前のことはじめっから気に入らねえ。」
犀破から取り戻すように和泉を引っ張ったその力は強く、乱暴だった。それでも。
和泉が逃げてきた時も。もう死んでしまいたいとこぼした時も。色んな妖怪たちに襲われた時も。いつもこの手が和泉を引っ張り、手繰り寄せた。
「斎王とか、人間と妖怪とか、んなの知るか。
こいつは、ずっと泣いてたんだよ!」
「……っ」
和泉の瞳から、さっきまでの恐怖と戦慄で震えて流した涙と違う涙が、熱い涙がぼろぼろと零れる。
「だから、泣くなっての……!」
「だ、って。こんな、わけわかんないのに……なんで……!」
何を信じたらいいのか、わからない。人間も妖怪も。こんな状態で、もう陽が和泉を救う理由など無いはずだった。放っておいたっていいのに。
「考えるのは後だ。お前のこととか陰陽連とか、そんなのはあとでいい。犀破の所は嫌なんだろ。」
和泉が涙を零しながらも、頷いたのを見た陽は少し表情を和らげる。今は、ただここに。陽に縋りついているのが只一番安心する。
「それでいい。離すなよ。
木網」
細長い植物のツルが、蜘蛛の糸を覆い隠すように延びる。
「幸い燃えるもんがたくさんあるからな。
炎波」
伸びたツルに炎がつき、蜘蛛の糸にも伝って一気に燃え広がる。薄暗かった屋敷内は瞬く間に明るくなる。
「大層な力は結構だが?この火の威力では、人間もただではすまんのではないのか?」
「この屋敷、てめぇの拠点なんだろ。だったらまるごと消す方が早ぇよな。
世羅!一般人は!?」
陽に名を呼ばれて世羅は一瞬たじろいだ。
「もう居ないと思うけど……!」
「オレは、世羅のこと、失敗だったとは思ってねえよ、それで充分だろ。」
世羅は目を見開いた。疑いの目を向けられていたこと、それで陽自身も傷ついていたことは分かっていた。そうなることは分かった上で今まで動いていた。
それでも陽は、和泉のことも世羅のこともまっすぐ見ていた。
甘いのかもしれない。でもそれは甘いのではなく、彼らしさだと世羅は信じた。陽を信じたのは間違っていない。
その金の双眸は優しく陽へと向けられた。それはほんの瞬きほどの時間で。直ぐに凛へと視線をやる。
「わかったわよ、私が見てくるから。人間たち、逃がせばいいんでしょ?」
「頼めるかな。できる限りでいい。凛、君自身を犠牲にしてまでやらなくていい。」
「私じゃ、あなたたちと連携取れないからね。」
凛が姿を消し、離脱する。
蜘蛛の糸だらけの空間で、相対するは犀破と滋葵。犀破から奪い返した和泉を守りながら戦わなければならない。陰陽師に、深い恨みを抱く、犀破相手に。
「斎、王……?」
和泉にとっては全く聞き覚えのない単語。恐怖と嫌悪と色んな負の感情で鼓動が早まり、嫌な汗が流れる。リンクするのは、世羅と凜が口にしていた斎の守という言葉。
対峙する陽は、斎王を知ってはいた。しかし今ここでその単語が出てくることの意味がわからなかった。それは、妖ごときが口にしていい言葉ではない。
「天皇の御杖代、言わば身代わりとして、神に仕えるあの斎王か。」
斎王は、帝の血を引いた未婚の女性が式占により選ばれる。今この現代日本には形式のみ、いわばお祭りの余興に近いものしか存在しないはずだった。奈良時代や平安時代の話であると陽は記憶していた。とっくにない筈の存在、制度。それがなぜ和泉と結びつくのか。嫌な焦燥を他所に、犀破は嘲る。
「勉強熱心で何よりだ、表向きはそういった教育がしっかりなされてるようで、反吐が出るな。」
犀破の双眸が細められる。一切顔色を変えていないものの、やはりその声音に深い恨みを感じる。
「天皇の代わりなど建前だ。実態、斎王は、この世の穢れ一切を浄化している……いわば濾過装置にすぎん。」
「な、んの話だよ。装置って、こいつ人間だろ……!」
言葉にしてから、陽は思い至る。和泉を同じようにモノ扱いしていた奴が他にもいたことに。
「斎王は、神の血を引く帝の血縁。神に連なる女性が、帝の代わりとなって世の穢れを浄化する。神代の時代は帝が行っていた話もあるらしいが、時代が下るにつれ、さすがに帝にはやらせられんとなったのだろうな。」
「世の穢れって……」
「神代の頃の国生神話は知ってるだろう?伊邪那美命の黄泉返りを阻止した伊邪那岐命は、もう二度と黄泉から死者が戻ってこないように岩で塞いだ。」
もとは何もなかったこの国が神の手で生み出された。しかしそこは不浄と清浄で分かたれる世界。生きとし生けるものが己の変化を止め、穢れたとき、それは死して常世のものとなる。その狭間が黄泉平坂ないしは、二つの世界の間にそびえる大岩である。
「塞いだがな、黄泉の穢れは完全には止められない。水と同じで僅かな隙間から染み出す。長い年月が過ぎればそれだけ侵食する。
その穢れは度が過ぎれば人々に悪影響を与える、だそうだ?」
「えらく他人事だな。」
「知らんからな、そんなこと。世の中が穢れるだのなんだの、いち個人からすればどうでもいい。まあ、人間たちがそう言うんだ。そうなんだろう。その穢れも、此世に染み出た穢れも浄化するのが斎王の役目だと。」
「それが、一体どれだけの規模だと思ってる。いくら帝の血を引いているっていったって、生身の人間が耐えられることじゃねえ。」
穢れを清める力というのは非常に限られる。巫女や神職が行うのは、神が降りてくる場所を清めたり、物を清めたりと限定的だ。すでに穢れに侵されたものを浄化する、ましてや世の中に染み出た穢れなどという途方もない規模のものを浄化など、現実的では無い。
「耐えられんさ、当然1人ではな。」
天皇という存在が、いくら神の末裔とはいえ、それはもうはるか昔の話。時代が下るにつれ薄まっていった血。そんな力が生身の人間にあるはずがない。それは、何人もの斎王を必要としたことの裏付けにほかならなかった。
「そう何人も帝に連なる未婚の女性がいるわけもない。
制度自体、不満を持つものも多かったらしいしな、当然だろう。斎王制度は数多の女性の悲劇の引き金になってきた。
最後の斎王は後醍醐天皇の皇女、それ以降はずっと彼女が据えられた。」
「後醍醐だと……?」
突如告げられる700年前の天皇の名前。そして、生身の人間一人では耐えられるはずもないその任の重さ。数多すげかえられてきた斎王たち。陽は想定しえる真実に気づき、嫌な汗が背中を伝うのを感じる。
「人間は、つくづく愚かなことをする。」
「人間っていったって、そんなことを出来るやつが……!」
「貴様ら陰陽師だよ。
奴らの力で、不老不死にさせられた。なんだか知らんが妙な儀式とやらでな?人間は、無辜の少女一人に全て押付けた。たった一人、未来永劫、帝の身代わりとして、清い存在であることを強いた。
で?貴様は今、陰陽連に属して何を思う?」
犀破が、殺意に満ちたまなざしを陽に向ける。それに、陽は返答などできなかった。
斎王という秘匿事項。それが事実であるならば、白斗たち陰陽連幹部のこれまでの行動も、嫌になるくらい納得ができる。庇護すると言っておきながら、まるでモノのように和泉を扱った彼らの反応の理由。
「和泉、お前……それ、知ってんのかよ。」
返答ができないまま、陽が和泉に問いたその声は、掠れていた。
「し、知らない……知らないよ、そんなの。知ってたらとっくに言ってるし、私にそんな力なんか……!」
ない、と言えればよかった。言えなかった。
怪我を治せるのも、魑魅魍魎たちを消滅できるのも、その桁外れな浄化の力の裏付けに他ならない。やろうと思えば、できるのだ。そして、その「できる」と直感する自分の感覚ですらも、今の事実を証明しているようで。
「覚えてない、確かに何かに追われていたけど、そんな不老不死なんて……700年前のことなんて何も知らない……!」
「覚えているわけないだろう、陰陽師がことあるごとに記憶を抹消してきた。
……斎王に意思など必要ない。必要なのはその清い力とそれを行使する身体。神の御杖代として、なによりも清い存在でなければならない。発する言葉すら、制限される。そこに感情も思考も記憶も必要としない。…むしろあったほうが都合が悪いだろうな?
人間の考えそうなことだ、わかるだろう。どこまででも残酷になる。」
これが犀破の、人間へ、とりわけ陰陽師へ向ける憎悪の正体。
陽には、それを否定するだけの事実も感情も今の陰陽連にはなかった。俄には信じ難い、それでもやりかねないと。思ってしまっている。手に握った行にギリギリと力がこもる。
「てめえの言ったこと、全部証拠はねえんだろ。」
陰陽連に聞いたところで、現にこれまで全部隠されてきたのだ。どうせ問いただしたところで、のらりくらりとかわされ、一介の陰陽師ごときに開示される予想がつかない。ややもすれば、陽自身が記憶抹消の対象にされる可能性すらある。
「貴様が信じるか信じないかなど、どうでもいい。いるんだよ……中途半端な正義感で首を突っ込む人間が。
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ああもたやすく解かれるのはさすがに想定外だったが。」
はじめて和泉に会った時。
逃げても逃げても犀破の追跡を破れなかったあの術。彼女の希死念慮に反応して仕掛けられたもの。和泉自身が逃げることも、誰かが逃がすことも見越した上で、追跡するための、檻の術。
「てめぇが、死にたいと思わせるようなことしてんじゃねえのかよ。」
「逆に聞くが、記憶も身体も何もかも捏造されてただモノのように未来永劫扱われる人生を送って、死にたいと思わず何を思う?」
陽は答えはしなかった。が、地獄だろうと思ってしまった。
気が遠くなるほどの長い間、装置として使われ、記憶をいじられ、犀破にも狙われる。点がつながってできあがったそれは地獄絵図としか言いようがなかった。
誰かが目の前で死ぬくらいなら殺してくれと懇願した、震える少女のその奥に触れて、そこに手を伸ばした己の浅はかさに苛立ちが募る。
「だったらてめぇの顔は?……世羅は、てめえとなんの関わりがある。」
今のはあくまで和泉の話だ。眼前の不快な犀破の存在が、世羅と瓜二つであったことの回答にはなっていない。
「ああ、忘れていた。元々その話だったな?
世羅も凛も、もとはただの狐だ、何の力もありはしない畜生。それを俺が力を与えてやった。世羅は初めてやった実験体のようなものだったんだが、早い話が失敗作だな。」
「別に僕は、お前が失敗して同じ顔になってしまったこと、後悔はしてないよ。」
今まで、一言も言葉を発しなかった世羅が食い気味に反論をする。やはり、双方の様子から二人の協力関係は見えてこない。
「少々喋りすぎたが、冥土の土産にはこれで満足か?」
和泉は、今、目の前で話されたすべてが、耳を塞ぎたくなるような事実だったことをまだ実感できずにいる。訳が分からないまま、ただその淡い色の瞳から涙が流れる。嘘であるとも、本当であるとも、和泉には言えない。言えなかった。
犀破のことは、まだ恐ろしかった。それでも、今の話、犀破の憎悪は明らかに人間……とりわけ陰陽師に向いている。誰かを傷つけたいだの、殺したいだの、純然たる悪意ではなくこの言いようではまるで。
「全部、私の、ためってこと?」
犀破は何も言わなかった。肯定とも否定とも取らず、その眼は陽と世羅だけをただ敵視する。しかし、和泉を掴んでいるその手は一切緩みはしなかった。
陽の言う通り、犀破の言ったことが全て本当とは限らない。まだ何か隠してることがあるかもしれない。それに、やはりこのまま犀破のそばに居るのは嫌だった。本能のように拒絶反応が出てくる。
妖怪たちに睨まれたり、成松に襲われた時とはまた違う。体の奥底から、まるで警鐘のように拒絶する感情が渦巻いている。
しかし、今の話が本当なら、陰陽連には戻れない。
たとえ犀破から逃れても、陰陽連が狙ってくるのであれば逃げ切れるのか。
陰陽連の、命令で、陽が。
追ってくるのかもしれない。
犀破を睨む陽の表情、そこに和泉は入っていない。地を蹴り、大きく手を振り上げる陽の姿。
「焔爆」
陽の火の行。和泉は思わず目をつぶったが、火の威力はさほど無く、それが目くらましであったことを気づいた頃には、真横、犀破の呻くような声が響く。
爆発が攻撃の主体ではなかった。和泉を捉えていたその腕めがけて振り下ろされた金の行の斬撃。
それを振り払ってごとりと落ちた腕。間髪入れぬ間に和泉を引き寄せ距離をとった。絡みついた蜘蛛の糸を解くように。
「陽…!?」
腕が落ちたはずの犀破は顔色ひとつ変えない。それどころか、ぼたぼたと血を流していたはずの腕からはばきばきと嫌な音を立てて新しい腕が生える。
「ほう?貴様はやはり人間として行動するか。であるならば、終わらんな、この戦いも。」
犀破の身体から、無数の蜘蛛の糸が伸びる。室内にびっしり張り巡らされた糸はすべて穢れを帯びている。
陽は、左手で和泉を抱えたまま、右手に持つ刃で蜘蛛の糸を薙ぎ払う。迷いを振り払うように叫ぶ。
「ごちゃごちゃうるせえ、この粘着野郎が。
人間とか妖怪とか、知るかそんなの。お前のことはじめっから気に入らねえ。」
犀破から取り戻すように和泉を引っ張ったその力は強く、乱暴だった。それでも。
和泉が逃げてきた時も。もう死んでしまいたいとこぼした時も。色んな妖怪たちに襲われた時も。いつもこの手が和泉を引っ張り、手繰り寄せた。
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こいつは、ずっと泣いてたんだよ!」
「……っ」
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「だから、泣くなっての……!」
「だ、って。こんな、わけわかんないのに……なんで……!」
何を信じたらいいのか、わからない。人間も妖怪も。こんな状態で、もう陽が和泉を救う理由など無いはずだった。放っておいたっていいのに。
「考えるのは後だ。お前のこととか陰陽連とか、そんなのはあとでいい。犀破の所は嫌なんだろ。」
和泉が涙を零しながらも、頷いたのを見た陽は少し表情を和らげる。今は、ただここに。陽に縋りついているのが只一番安心する。
「それでいい。離すなよ。
木網」
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世羅は目を見開いた。疑いの目を向けられていたこと、それで陽自身も傷ついていたことは分かっていた。そうなることは分かった上で今まで動いていた。
それでも陽は、和泉のことも世羅のこともまっすぐ見ていた。
甘いのかもしれない。でもそれは甘いのではなく、彼らしさだと世羅は信じた。陽を信じたのは間違っていない。
その金の双眸は優しく陽へと向けられた。それはほんの瞬きほどの時間で。直ぐに凛へと視線をやる。
「わかったわよ、私が見てくるから。人間たち、逃がせばいいんでしょ?」
「頼めるかな。できる限りでいい。凛、君自身を犠牲にしてまでやらなくていい。」
「私じゃ、あなたたちと連携取れないからね。」
凛が姿を消し、離脱する。
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