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日常を返シテ

彼女は戦いを生き抜いた

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災害が砕かれた跡地。そこに響く音は風の吹く音と―もう一つ。

グチャグチャという肉を貪る音。それは災害が最期にいた場所から流れていた。
その音の源、かつて災害獣ガイカルドと呼ばれたものの頭に女性のドワーフが一人しがみついていた。しがみつくという表現すら生温い。両手の指が食い込み、両足は食い込むどころか膝まで刺しこまれている。

狂気に侵された表情を浮かべ、噛みつき、噛み千切り、とにかく目の前のモノを喰らうことだけを続けている。そこに感情などまるでなく、ただただ餌を喰らう肉食動物のようだった。



彼女は魔力の悉くを使い、一口だけ食べることができた。食べたものとは、ガイカルドの頭の中の肉であり、人間でいうところの脳に位置する場所のものだった。

災害獣がもつ魔力は通常であればレイスなどとは比較することすらバカバカしいものである。それが死にかけであったり、仮に死体であっても付帯している魔力はやはり比較にならない。
それを一口だけでも喰らうということは魔力が莫大過ぎるものを自らの体内に入れるということであり、まともな生物なら体内から乗っ取られるか、よくても身体が爆散して死ぬだろう。

だが彼女には肉体は実質的に存在せず、本能であれど明確な意思をもっているため乗っ取られることもなかった。そもそも体内に入れる、というよりそれを自らのモノとするという行為が成功していることが奇跡といってよいものだった。

手に入れる、体内に入れる等といった自らがそのモノを保持者や支配者だと示す行為、これは種類はそう多くない。が、災害獣ともなると視認しただけでそうだと認められることさえある。災害獣となった飛竜が自分より小さい飛竜に向けて一瞥する、というような行為である。

それに則ると彼女は「噛み千切る」ことで保持者だと認めさせた。それも死体といっても災害獣を相手に行い、成功させた。これこそ彼女が起こした奇跡だった。
その噛み千切った肉はレイスだった彼女にとっては途方もない魔力を与えた。もしこれがルーナであればドワーフでも規格外とされる魔力操作能力により、自ら以外に影響を与えることで自らが変化することを避けるといったことができただろう。しかし彼女にそのような力はない。

結果、彼女はレイスという種族から魔力を遥かに増した上位種族に変異していた。その種族とは魂喰らいと呼ばれ、人間やドワーフ、エルフといった知的生命体からは戦いたくないと避けられる魔物である。

魂喰らいは何か行った動作によって「奪う」存在である。奪ったそれが命なのか、身体のどこかなのか、はたまた荷物なのか分からないが、確実に「奪う」。遭遇すればまずはその動作を見切る必要があり、見切ることができなければじわじわと死に近づく。仮に見切ったとしても霊体であることが多く、専用の武器を準備しなければならない。
彼女の動作とは「噛み千切る」ことだった。それは雑食の生物と同様の動作ではあれど、本質は別物である。生物は自らの体内に組み込み、魔力を自らのものへと変質させる必要がある。しかし彼女はそのような手順は必要ない。ただ「噛み千切る」だけで自らの魔力へ、噛み千切った魔力がそう成るのである。

なぜこの動作になったのかは、レイスから変異した時の影響からかもしれないし、もともとその素質があったからかもしれない。だが既に「奪う」力を得たのは事実であり、今現在その力を存分に発揮していた。わき目も振らず一心不乱に肉を喰い続ける彼女の姿、それが第三者に見えることという形で。

変異した彼女は魔力が増加していた。魔力総量だけなら災害獣に近いと謳われたルーナ程ではないが、それでも元の数十倍には変わっていた。それほどの魔力があれば一瞬しか繋げなかった身体を全て操るということさえ容易かった。

一口分を自らの力とした彼女はその一口分の魔力でさらに二口、三口とガイカルドの頭を喰らっていった。喰えば喰うほどに魔力が増し、身体を操る速度が速くなり、喰う速度が速くなり、喰ったことで魔力が増し…ということを繰り返していた。

そして彼女は増加した魔力を利用し元のバラバラとなる前の体まで復元していた。
一度バラバラとなったためか、身体にツギハギのような線ができていたがそれも潤沢な魔力を再生に使い徐々に消えていく。

グールのように食べ続けていた彼女は掘り進むように進み、ようやくそれに辿り着いた。彼女が最も欲していたモノ、彼女から欠落したモノ、彼女の…元々の彼女の身体の一部、それは黒色の瞳を持つ眼球だった。
掘り進むように喰ってきた肉ではないというほんの一瞬の躊躇があったものの、彼女はそれを喰らった。同時に霊体と肉体に同時に激痛が走った。

異物が自らの体内を動き回るかのような―比喩でもなくその通りに喰らった眼球は動いていた。まるで居場所を探すかのように。胴体内部をそれはゴキュという音をさせながら動き、頭へと移動していく。そして居場所を見つけたかのようにそこからの痛みはなくなった。
黒色の瞳を持った右目が疼く。それはルーナが疼いていたのとは別物であり、言うなれば歓喜の疼きとでもいうものだった。

彼女が使う肉体であるルーナは違い目と呼ばれ、両目の瞳の色が違う。魔力が多いものほど違い目になりやすいと言われ、ルーナは碧色の左の瞳と紅色の右の瞳をしていた。それは彼女が引き継いだ後も変わっていなかった。
右目の紅色が消えて黒に変わる、それは肉体がルーナとは別のモノとなったことを意味していた。

「あたし…は……!?」

右目を喰らったことでようやく理性を取り戻した彼女は、まず流暢となった言葉に驚く。さらに魂喰らいへと変異したため記憶能力が改善され、何をしていたのか思い出していた。
誰かが洞窟で寝ていたこと、ガイカルドに襲われ逃げたこと、誰かがくれた肉体、知識、経験、ガイカルドとの戦闘、ゼㇽの性能、ガイカルドとの戦闘がどうなったのか。そのどれもがあまりにも濃ゆすぎる内容であり、一つを思い出すだけでも十分以上を要していた。

特に誰かの知識や経験はそれだけでこの世界を生ききれると言い切れるほどのものだった。が、記憶だけが貰えてないために、感覚的に分かるがなぜそうなるのか分からないということが起きていた。それは記憶がない彼女からすればまるでその経験が自身の経験だと誤認するには十分だった。

「ガイカルドと戦って、討伐に成功したんだ……。あたしが……災害獣を」

貰った知識によれば災害獣を討伐することができるのはドワーフでも片手で数えられるほどだという。他の種族、エルフやジャイアントにも数人ずついるが、やはり数は限られている。
そしてそれほどの人材ということは相応に知られているというほどの者たちである。英雄と呼ばれたものたちも全員がこれに該当している。隠れてこそいるものの、その一人となったということは喜ばしいことであった。

周囲に何もいないのは分かっているため、彼女は喜悦に浸った。えへへへという声が漏れるほどに。

数分ほどそうしていたが、ハッと自らの置かれている状況を思い出す。周囲に何もいないのは変わりないが、災害獣が戦った跡地に一人だけいるドワーフというのは非常に目立つ。誰かが魔力による遠見でのぞき見でもしていたら注目されかねない。

「けど……」

じゅるりと涎が垂れる。災害獣ガイカルドは死んでこそいるものの魔力が残った肉はそこかしこに残っている。放っておけば周囲の自然に魔力が還り、風化していくだろう。ハウタイルの森も数年もせずに元通りになるはずだ。そしてローヴルフなどの魔物にとっては災害獣の肉など毒物もいいところなので放置されるほかない。
だが彼女はその肉を食べれる存在だった。

「もったいない……よね」

理性を取り戻した彼女は理性を失くしていたそれまでと変わらずガイカルドの頭を喰らい始める。まるでこれまで何も食べてなかった者ががむしゃらに食べるかのような勢いだった。

彼女は噛み千切れば自らの力と成すことと同じ扱いになる。彼女はそれを半ば理解しているからこそ噛み千切り、その肉を呑み込まずにプッと一部を吐き捨てていた。噛み千切れば自らの力とすることができるなら、呑み込み自らの肉体を動かす熱と変える必要はないからだ。そして理性を失くしていたときに肉は十分に食っている。
美味しいと感じているから少しは食べていたが、残りは力を奪い続けた。その身が奪われないようにより魔力を得ようと。

それは三日三晩続いた。
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